第二話 典型的転生
「主神さま、紀清さまー!起きてくださーい」
子供の溌剌とした声が頭に響く。紀良は一度ぎゅっと強く瞼を閉じ、カッと目を見開いた。目の前で手をひらひらとさせていた子供がびくりと肩を跳ねさせて数歩後ろに下がる
けれど驚いただけだったようで、すぐにニカッと満遍の笑みを浮かべて近寄ってきてこちらを見上げてきた。
「大丈夫ですか?珍しいですね。私師匠のうたた寝なんて初めて見ました!」
何が嬉しいのかキャッキャと跳ねるように騒ぐ無邪気な子供を視界に収めつつ、紀良は目線だけであたりを見回して状況を理解しようと努めた。
彼は椅子の上に座っていた。しかもただの椅子じゃない。ふわふわとした何の毛とも言い難い素晴らしい感触に、沈み込むような高級感のあるクッション。近くにある机には薄い紙束が大量に積み上げられており、そばには羽ペンが転がっていた。
低く唸りながら身じろぎをしようとしたところで、自身の体の違和感に気がつく。下を見てみると、薄く青い色のついた光沢のある生地のやたら古めかしい着物を着ていた。ひとめで高級な品だとわかる。驚いて顔をあげたところで、引っ張られるような感触とともにやたら長い髪の毛の存在も感知した。
え、いやいやまってどういうこと!?
紀良はまた目を閉じ、片手を額に当てて寝ぼけているふりをした。
薄目を開けると、目の前には一見十歳くらいに見えるちっちゃな美少女がニコニコと笑いながらこちらを見ている。思わず目を逸らすようにしてまた閉じてしまったが、美少女はそんなことには気づいていないようで、先ほどより優しい声でまた話しかけてきた。
「主神、まだ眠いですか?ここ最近人々の願いも増えてきましたもんね。今日の分の仕事はあとは私たちでなんとかできますから、紀清さまはゆっくりとお休みになられてください!あ、それともお茶を入れてきましょうか?」
紀良は若干震えた声を隠すように低く音を出して「結構」と答えた。
色々とツッコミどころはあったし、聞きたいことだって山ほどあったが、紀良はこれでも"そういうこと"には詳しかった。詳しいというか、好んで読んでいたと言った方がいいのかもしれないが。
そういう系の小説において、彼は目が覚めて自分が知らない場所にいた時に「えっと、ここはどこですか?あなたは誰?すごく良くできたセットですね、映画の撮影?」だなんてテンプレみたいなことを呟く主人公が苦手だった。アホ丸出しだと思ってた。しかし自ら体験した今ならわかる。突然知らないところに飛ばされてたってんなら当然そんなリアクション取るに決まってるし、現実逃避のために今すぐ大声で喚き散らしたい気分にだってなる!!
喉元まで出かけた悲鳴をそっと噛み殺しながら、やはり寝ぼけたふりをして紀清は呟いた。
「疲れてる。ひとりにしてくれ。」
それは無愛想にも程がある声音だったが、美少女は何も気にならなかったようで変わらず笑顔を浮かべ続けている。
「はぁーい、じゃあほかの子達にも邪魔しないでって言っとくね!しっかり休んでください紀清さまー!」
そう言ったっきり、机に置いてあった書類を奪うようにして胸元に掻き抱くと小鳥のように軽やかに駆け出し、重厚な扉を片手で開きバタンと音を立てて閉めた。そうして自分以外誰もいなくなった部屋に沈黙が広がる。
「はぁー…」
重く、ため息を吐いた。
つまりこれはそういうこと、なんだろうか。いや、まさか。
「…取り敢えず、部屋を見てみよう」
誰もいないというのに低く小さく呟いた声はほとんど音にはならなかったが、自分にはその喉から出た音が圧倒的に普段と違うことがよくわかった。なんというか…いい声なのだ。
いや、決して普段の自分の声が嫌いなわけじゃない。しかしこんな…まるで声優の喉から出たみたいな声は持って生まれた覚えがない。
(ていうか、それだけじゃないんだよな。おかしいんだよ。いや何がおかしいって言ったらそりゃもう全部なんだけど…)
だって、自分はこんな腰ほどまである長い豊かな黒髪をしていなかった。
そして加えて声、格好。そして…名前。
(確かあの女の子、俺のこと紀清様って呼んでなかったか…?それに主神って…)
紀良は思わず身を震わせた。なぜならば、この名前にめちゃくちゃ覚えがあったからだ。
「あー、………私は水泉派の主神、紀清。願いがあるなら言ってみるがいい、人の子」
その瞬間、紀良は膝から崩れ落ちた。わかってしまった。理解してしまった。これ、いや絶対これ完全に…!
(かんっっぜんにアニメ制作決定した時に見た予告編の紀清の声なんですけど、これ。)
そのPV内での決め台詞と言わんばかりの代表的なセリフを口に出したことで、疑惑が確信に変わってしまった。そのままの体制で顔を両手で抑える。つまり、そういうことだろ?
俺は異世界に、しかもあんなにボロクソ言ってた『八百万戦記』の世界に転生したわけだ!
なんでこった、クソが!!
思わず罵倒の言葉が飛び出そうになるのをなんとか堪える。これは自分のなけなしのプライドが、とか。人を呼ばれたら困る!とかそんな理由じゃなく、ただ単に自分で解釈違いを起こすのが絶えがたかったというそれだけの理由なのだが。
(しっかしよりによって紀清…!?なんでだよ!この世界に来るにあたって一番避けたい奴じゃん!確かに勝手に嫉妬してクソみたいなことした馬鹿野郎だけど、それに対する報いの酷さでトレンド入りしたような奴だぞ!!)
よりにもよって、二大巨悪の一人紀清とは。これはもう心情としては複雑としか言いようがない。誰が嬉しくて将来生きたまま肉を食い破られる拷問を受けるキャラクターになんてなりたいと思うのか。
「というか、俺が紀清ならもしかしてさっきの女の子って時雨?」
すると紀良…改め、紀清はばっと勢いよく立ち上がった。時雨と言えばあれだ、見た目はちっちゃい美少女だけど実際は数百年は生きてるいわゆるロリババアという奴で、死んだ人間と結婚したいという願いから生まれ見事それを叶えて見せたことで信仰が集まり神になったっていう(どうやったかは想像にお任せしよう)結構エグい逸話を持つ神だった気がする。
しかしこの『八百万戦記』の世界においては貴重な善人キャラだ。主人公が困っている時に助言をしてくれたり、ヒロインとの恋路を応援したりと世話を焼いてくれるお姉さん的な魅力のあるキャラクターで人気も高かった。確か最後までちゃんと生き残ってもいた気がする。
(アニメの予告には姿も声も出てなかったからな…あんな感じなのか)
誰も知らない姿と声を聞いてしまったということで少しだけ徳をした気分になって口の端を上げるが、すぐにいやいやそれどころじゃなくて!!と首を振って余計な考えを掻き消した。
(まずいことになったぞ、これは。何がどうやったらただ平凡に暮らしてただけの男が小説の世界に転生しかも成り代わりなんてややこしいことにならなきゃならないんだ、誰かそういう時のためのマニュアルとかくれよ!!どうにかして元の世界に変える方法はないのか!?)
まあ、そもそもなぜこうなったのかもわからないため帰りようもないのだが。先ほどまで腰掛けていた椅子に座り直し、深くため息を吐く。てか何この椅子めっちゃ座り心地がいい。
「…取り敢えずは紀清のフリしとかないと…やばいよなあ」
なんてったって紀清は選ばれし神の代表のたった5人のうちの一人なんだから。そんな彼が突然未来を知ってる人間に乗っ取られたなんて笑い事にもならない。バレたらあの作品のオチよりも恐ろしい目に遭うかもしれない。そう考えると体の震えが止まらなかった。思わず腕をさする。
「……取り敢えず情報収集だ」
狭くもなく、かつ広すぎるわけでもないシンプルな家具でまとめられた上品な色合いの部屋を見渡す。
まずは今が一体いつの何日で、主人公が来るまであとどのくらい時間があるのかを把握しないと