第二十三話 軋轢的妄執
「なんだって、紀清兄と冥炎姉が妖退治で大怪我を!?」
二人ともだんだんと疎遠になり、言い争いすらもなくなってきたようなある時、風の噂で紀清と冥炎が四肢を失うような大怪我をしたのだと言う知らせを聞きました。
事の次第を聞くと、どうやらただの低階級の妖大事だと聞かされていた任務が実は神格を持った大蜘蛛の大群で容易に倒すこともできず、組まれた部隊は新入りの経験値を積ませるものだったためほとんど全滅。そんな中やっと腕や足を失いケガレを負いながらも紀清や冥炎が主体となり封印をして地底に封じたと言うことでした。
二人がそんな大怪我を負うなんてこと、出会ってから数百年今まで一度もなかったものですから大層驚いたのを覚えています。いくら天上界にさえ戻れば手足くらいなら接ぎ合わせることができるとはいえ、地上で魂の核を破壊されれば神とて死にます。木谷派の実力者たちも何柱か引率として行っていたとのことでしたが、結局生き延びたのは二人だけだったと言うのですから、神格を持った妖というのは実に厄介極まりないものというのがよくわかりますね。
その時その知らせを聞いた私は、仲違いしていることも忘れて急いで二人のものに駆けつけようとしました。
しかし、行く支度をしている途中でいつものように花の咲くような笑みを浮かべた華女に引き止められたのです。
「どこに行かれるんですか、王林様。私、今日は良いことがあったのです。聞いてもらえませんか?」
「ごめんね華女、ちょっと今それどころじゃなくて…紀清兄と冥炎姉が大怪我を負ったらしいんだ。だから今から二人のところに行かないと…」
「ああ、ちょうどその話をしようとしていたんです」
「…え?」
「しかし、命は流石に落としませんでしたか…さすが一番弟子といったところですね。まあ、他の邪魔な者がいなくなったので良しとしましょう」
「華女…?なに、言ってるの」
この時、いつも通りに笑う華女の姿が恐ろしくて仕方がありませんでした。
「…なぜ、そんな顔をなさっているのですか。お二人のことは嫌いだと、この間…」
流石にここまでくるとわかります。華女が今回のことを全て仕組み、五大神派全体に打撃を負わせ、かつ同期の二人に傷を負わせたのだと。
「なんでだよ!華女、僕そんなこと望んでないよ」
「だって、王林様がこんなにも悩んで苦しんでいる…全ての原因は、あの二人じゃないですか。」
この時、私は華女の瞳が今までのような翡翠色ではなく血のような赤に染まっていたことに気が付きました。
「だからって僕はこんなことして欲しいなんて一言も…!」
「あの部隊の中には、貴方を馬鹿にしていた愚か者が多くいました。」
「まさか、部隊を組むところから全て仕組んで…!?」
「はい。私、今回のために頑張りました」
「こんなことして…もしバレたらどうなるのかわかってるの!?追放どころか、酷ければ核を壊されちゃうかもしれないのに…!」
「私の心配をしてくださるなんて、やはりあなたはお優しい。私は…どうしても、王林様の憂いを消し去りたかったんです。あなたが泣いて苦しんでいるのは、私には耐えられない。」
そう悲しそうな目で言う華女に、私は何も言えませんでした。
それから、呆然と佇む私を置いて華女は私の前から姿を消しました。しかし、それから次々に木谷派内で起こる不可解な怪我や事件は全て華女によるものでした。
華女は木谷派の一番弟子を殺し、次々に弟子たちを殺していきました。一見何の関連性もないように見える神殺しの事件でしたが…私にはわかりました。彼らは、人上がりを嫌い馬鹿にしていたような…私を陰で悪く言っていた神達だったのです。
紀清と冥炎の時とは違い、直接手にかけていた華女は神格は落ち、妖気が増していきました。神を殺せば、その身は堕ちます。捕らえられ牢に入れられた華女に出会った時には、もう彼女の若葉色の髪は全て漆黒の色に染まり、瞳はより赤黒い色へと変貌してしまっていました。
「華女、なんでこんなことを…!」
「私はただ、あなたに幸せになってもらいたかったんです」
「…」
「…でも、どうやら私は何かを間違えてしまっていたようですね。王林様、どうか泣かないで…」
そんな事件を起こした華女はその後当然木谷派から追放され…罰として地底に堕とされました。
しかし私がその事の顛末を聞いたのは全てが終わったあとだったのです。周りがわざと自分には何も知らせませんでした。おそらく、ずっと仲良くしていた私は助ける可能性があるとみなされていたのでしょう。
もしくは…私が命令したのだと言う噂でも、流れていたのかもしれません。
「王林、お前ついにこんなことにまで手を染めて…!そんなに俺たちが嫌いか、憎いか!」
「どうしてそんなことをしたの。私たちはそんなに貴方に恨まれていたの?」
久方ぶりにあった紀清と冥炎は、私が華女を利用したのだと言う噂を信じたようでした。
「……はっ、もしそうだと言ったら、どうするのです。紀清殿、冥炎殿」
そして私は、その噂を利用することにしました。もしかしたらここで、二人には自分の無実を信じてほしいなんて…甘い考えもあったのでしょうね。
冥炎は言葉も出ないほどに衝撃を受けたようで、紀清には頬を殴られました。僅かに残っていた期待は、救いようもなく粉々に打ち砕かれた。今までわずかに繋がっていた兄弟の絆というものは、この時ぷっつりと絶たれてしまったのです。完全に。
そうして、頼る人間を全て失った私は一層修行に励みました。
実力者がいなくなった木谷派なんてあっけないもので、自分はすぐに一番弟子になることができました。師匠だけは私の無実を信じてくれていて、周りに悪しきように言われる私を庇い「周りの言葉など気にするな。儂はお前が何もしていないことを知っている」なんていってくれました。
しかし、周りはそうではなかった。私に直接何か言ってくるような者こそいませんでしたが、目は時に雄弁に語るものです。逆にそれは、私にとって都合が良かった。ろくに自身の身を守る力もなかった私は、逆にその噂によって恐れられ、私を怒らせてはならぬとでも言うように今までとはありえないほどに丁寧に接され始めたのです。
話し方も変え、私は人と壁を作るようにしました。 決して親しいものは作るまいと…私と親しくなれば、きっと皆不幸にしてしまう。華女の件から、私はいつのまにか疫病神にでもなってしまったのだろうかと一時期は本気で悩んだものですよ。
一番弟子になるのと同時に名入りの神器も賜り…そうです、この鉄扇です。
だがそれでも実力は到底同期には及ばなかった。そして一番弟子になれば自ずと主神について回る機会が多くなるというもの、私たち三人はこれまで以上に頻繁に巡り会うことになりました。
以前であれば会う機会が増えるのは喜ぶべきことだった。しかし、こうなってしまってはむしろ関係性が悪化するばかりです。そのまま会うたびにこれまで以上に言い争いは増え、私たちの関係は悪くなり、そのまま数百年…関係は悪化の一途を辿りました。
しかし冥炎はあの噂が嘘だと気付いたのか、はたまた別の理由か…時間を置いて考えた結果何か自身の中で結論を出したようで、また兄弟のようにとはいきませんでしたがある程度会話を交わす程度の間柄にはなってくれました。彼女はまた私と一から関係を築くことを望んだのです。
そして紀清とはそうも行くはずがなく、段々と争う事にも嫌気でも差したのか紀清は私のことをいないもののように扱うようになりました。
数百年経ち、以前の主神たちが隠居した後…自分たちは揃って主神になりました。主神になっても、関係性は変わらないどころか…紀清は全く私のことを見てくれなくなった。まるで今までの思い出は全て忘れたかのように振る舞い始めたのです。それにより喧嘩は無くなりました。…会話も無くなりました。
そんな中、私が主神になってまずしたことといえば、それは地底で華女を探すことでした。
私のせいで人生を狂わせてしまった彼女。せめて生きていればどうにか救いを…死んでいれば、せめて弔いを。
長らく一人で地底へ赴き、捜索した結果…やっと見つけたのです。変わり果てた姿の彼女を。
あの時の花のような笑みはすっかり姿を消し、左目は妖に抉られたのか空洞で、手足はありえない方向に捻れ、全身血塗れの…人間であれば、今にも死にそうな風体で橋の下に横たわっていました。
あんな事件を起こしたとはいえ、苦楽を共にしてきた友のそんな姿に私は胸が苦しくなり…迷わず、彼女を天上界に連れ帰りました。彼女は口さえ満足に聞けなくなっていましたが、軽い意思疎通程度なら可能でした。
当然、追放された堕神をまた引き戻すなんて聞いたことがありません。周りに知られれば反発をされるだろうと思ったので、口の硬い医神以外決して誰にも存在を明かさず彼女を匿い続けました。
まあ最近は当時の事件のことを知る者も少なくなりましたし、若い神々は寛容なものが多い。そのため“雇いの術師”なんて名乗らせてある程度屋敷の中なら自由に出歩かせてはいるのですけどね。
彼女は本当に有能です。私なんかよりよほど強く術にも精通している。そのため力を借りる機会は多くあります。ほら、今紀清のケガレを治療できているのだって彼女のおかげなのですから。
華女は振る舞いも…面影も全て変わってしまったけれど、私を敬う態度だけはずっと変わらなかった。だから彼女には腹心の部下として、ずっと使えてもらっているんです。
「どうです、つまらない話だったでしょう。しかし紀清が主神になってから御使になったあなたには多少は新鮮な話だったんじゃないですか?」
「…まあ、そうですね。…では、主のことは別に憎んでいるわけではないと?」
「そうですねぇ。しかし、もともと仲違いした当時も紀清殿のことは嫌いでも恨んでもいなかったのですよ。
ただ…彼が、私のことをいないもののように扱い始めて…全部忘れたように私のことを見もしなくなってから、思ったんです。殺してしまえば最後に目に映るのは私で、死んでからも私のことを考え続けるしか無くなるのだろうな、と。だから私はいつか彼が完全に私のことをその目に移さなくなった時…自分の手で殺してしまおうかななんて思ってました。」
「それは…随分な話ですね」
「ええ、全く。」
その通りですよ。と王林が自嘲するように笑ったのを、氷雪丸は静かな目で見ていた。




