第十九話 驚愕的目覚
「………………待って此処どこ」
紀清は見慣れない天井を目に入れた瞬間一瞬で飛び起きた。質のいい掛け布団がその衝撃でベットから落ちる。
紀清は混乱の最中にいた。いや待ってマジで此処どこだよ。あの気絶した後何があったの!?
てっきり紀清は氷雪丸が水泉邸に助けを呼びにいって、時雨とか其処ら辺が助けに来てくれて目を覚ます頃にはてっきりあの世か自室のベットの上だと思っていたのだ。だが今の心情としては(知らない天井だ…)なんて使い古されたテンプレのセリフを言ってしまいそうなくらいにはマジで困惑していた。しかも何処かで見たことがあるような…
そうやって紀清が云々頭を捻らせていると、まるで見計らったかのように扉が開いた。
其処にいたのは翠河だった。
彼はすでに起きていた師の姿を見つけると、驚いたように目を見開き歓喜の笑みを浮かべ駆け寄ってくる。
「師匠!」
紀清はそれにさらに混乱した。此処絶対水泉邸じゃないのになんで主人公いるんだろう。
「よかった、目を覚ましたのですね。あれから丸二日目を覚さなかったのですよ…」
そう言って不安げに眉を下げる翠河を見ながら紀清は(二日も寝てたのか……いや、冷静になると逆にあの傷で二日って神様の回復力やばくないか?)と思い始めていた。
「…心配をかけた」
紀清は低い声で返事を返した。そしてわざとらしく辺りを見渡すように視線を動かす。
「それより、此処は一体…」
「此処は木谷派の屋敷です」
(木谷派!?)
一体、どんな頓珍漢なことが起こったら紀清は木谷派の屋敷で目を覚ますことなんかになるんだ!?だって木谷派ってあの王林の住居だぞ!?
紀清の言葉少ないながらもありありと表情に浮かぶそんな疑問を感じ取ったのか、翠河が事細かに説明を始めてくれた。
「氷雪丸様がどうやら助けを呼んでくださったらしく、師匠が気を失った後直ぐに王林様がやってきて此処に運んでくださいました。本当はそのまま私は帰ってもいいと言われたのですが、どうしても師匠が心配だからと無理を言って此処に…」
その瞬間紀清は心の中で(ナイス!!!!)と叫んだ。翠河がいたのなら王林だって悪さをできやしないだろう。紀清は(本人は預かり知らぬうちにであろうが)自身の身を二日間守ってくれた翠河に五体投地する勢いで感謝の意を表した。もちろん心の中で。
しかし…紀清は思う。目の前で王林への感謝の言葉を述べながらニコニコと笑う翠河は、時雨とは違い王林と紀清の仲の悪さを知らない。
そのためただ単に主神様が助けてくれたのなら安心!と言わんばかりにそのまま此処で過ごしていたのだろう。
「霞ノ浦は?」
紀清は先ほどから疑問に思っていたことを聞いた。基本主人公と一緒に行動をする霞ノ浦が一緒にいないとは珍しい。
「彼女は村に例のお嬢さんを運んだ後、そのまま水泉の屋敷へ戻って今回の件を神々へ報告してくれています。主神様が屋敷にいないとなると皆慌ててしまうでしょうから」
「…件の娘は、ただ返したのか」
紀清はあの時雨に与えたお守りを本当に使わせる羽目にならなくて良かった、と霞ノ浦のその行動をありがたく思いつつさらっと言われた少女のことが気になった。実はあの少女、原作改ではその後普通に死亡しているのだ。本来の道筋ではどうかはわからないが、主人公とヒロインが重傷を負っている中で少女を守り切れたとは思えない。
なので少しだけホッとしつつも、あのまま返したところで少女からしたら何一つ解決していないのではないだろうか。紀清は翠河へ言外に“それだとまたあの娘から妖が発生するぞ”と訴えた。
それに「安心してください」と微笑んだ翠河は「あの後妖のいた場所に行ったところ…おそらくあの眼球の中にあったのでしょう。娘さんの弟の遺品と見られる指輪が落ちていたので…霞ノ浦が付き添った際、意識を取り戻した彼女にそれを渡したら泣いて喜んでいたようです。」と言葉を続けた。
「あの娘さんからあのように妖が現れることはもう恐らくないと思います。適切な判断だったと王林様のお墨付きもいただきました。」
詳しい話は、また後で霞ノ浦に聞きましょう。と翠河が水差しを渡してくれたので紀清はありがたく受け取って喉を潤す。しかし…王林のお墨付きというのがちょっと胡散臭いが…あれでも主神の仕事はちゃんとできるやつなので、多分信用していいんだろう。
「お前の傷は」
翠河も多少なりとも傷を負っていた筈だが、こうして元気に動いている姿を見るともうとっくに治ってしまったのだろうか。すると翠河は自身の心配をしてもらえるとは思っていなかったのか、目を瞬かせて嬉しそうに微笑んだ。
「私の傷はもう既に完治しております。もとよりそれほど重傷ではありませんでしたから」
「そうか。…ずっと此処にいたのか」
「はい、私は師匠が目覚めるまでこうしてそばでこうして様子を見ておりました」
主人公に熱心に看病されるなんて、ヒロインにしか許されない展開だろう。紀清はこんな展開絶対原作じゃあり得なかっただろうなと少し眉を顰めた。師匠としての威厳はまだ無事だろうか。
「王林はどうした」
「王林様は今氷雪丸様の治療と言ってずっと自室にいらっしゃいます。御使の獣は手当てが普通とは異なるためそばでよく見ておかなければならないのだと」
その言葉を聞いた瞬間紀清は氷雪丸に心の中で黙祷を捧げた。ちなみにまだ神力は完全回復していないので氷雪丸と会話することは今はできない。しかし御使の治療方法なんて聞いたこともないが、あの王林のことだから適当なこと言って尋問しているだけだったらどうしよう。
紀清は同郷のよしみで無事を祈るくらいはしてやることにした。
そういえば、と紀清は自身の包帯だらけの体を見下ろす。動くたびに痛みが走ったが、ケガレのような侵食してくる激痛は既に無い。包帯には几帳面な字で浄化の文字が刻まれていた。
「この処置は一体誰が?礼を言いたい」
神文字というのは実は扱いが難しく、一文字間違えただけで大きな事故につながるものだ。それをこんなにうまく扱えるなんて、原作の成長した霞ノ浦か札の名手である逢財くらいしか心当たりがない。いやマジで誰。
まだ神様歴の短い翠河がやったとは到底思えなかった。
「ああ、それなら王林様の部下という人が…」
紀清は首を傾げた。王林の部下なんて、そんなやついたっけ…
(あっ)
心当たりがひとつだけ思い至った。いやでも、まさかね…?彼女にこんな特技あったなんて設定全く知らないんだけど…
すると突然、扉が音を立てて開いた。
「その手当は華女がやってくれたんですよ。紀清殿、あなたも会ったことはあるはずです」
突然会話に割り込むようにして扉の向こうから悠々と王林が歩いてくる。
「起きました?」なんて今までの会話を聞いていただろうに知らじらしく問いかけながら、ぐったりと抱えられた氷雪丸を手に抱えたままベッドの横に座り込んだ。
「王林様!」
「翠河さん、客人にこんなことを頼むのは申し訳ないのですが、華女を呼んできてはもらえませんか?おそらく厨房にいますので」
「はい、わかりました。失礼します」
丁寧に頭を下げて扉を出ていく翠河に紀清は思わず手を伸ばしそうになった。最大の防御壁であった翠河がいなくなってしまった…
「その様子だと問題はなさそうですが…何か体に不具合などは?」
「…無い」
紀清は警戒していた相手にいきなり距離を詰められたせいか心臓がありえないスピードで跳ねるのを感じながら静かに口を開いた。
と言うか、王林の腕の中におとなしく収まっているままの氷雪丸のことが気になって仕方がない。目は開いているため意識がないわけでもなさそうだが…此処で本人に聞くわけにもいかない。
紀清は仕方なく王林に問いかけた。
「…こいつに何をした?」
「そんなに警戒せずとも、特に何もしていませんよ。暫く話に付き合ってもらっただけです。
それより、私にお礼でも言ったらどうです?わざわざ地上まで降りて貴方達を保護してあげたんですから」
扇を広げて嫌味のようにそう言われて若干眉を釣り上げた紀清だったが、心の中はそれどころではなかった。
(ちょっと待て、もしかして氷雪丸が話せることバレた?ずっと話に付き合ってもらったって何?なんでこいつこんなに大人しくラスボスの手の中に収まってんの??洗脳でもされちまったわけ!?)
まあ、何があったかは後で聞くとして…此処での紀清としての模範解答はきっと皮肉で返すか無言を貫くかなのだろうが…うん、お礼は言うべきだよなやっぱ。紀清は生前育ちが良かったため、此処でキャラを守ってまで礼を言うことを渋るのは何か違うだろうと思った。
「…感謝している。」
ともすれば聞き逃すほどの細い声で告げる。しかし、王林の耳にはしっかりとその言葉が入っていたようだった。王林が驚いたように目を見開く。
「あなたが素直だと気持ち悪いですねえ…」
「なんだと?」
まさか其処で罵倒されるとは思わなかった。紀清は眉間に皺を寄せる。
「それにお礼なら直接手当てをした華女にも言ってやってくださいよ。あの子が一番頑張ってくれたんですから」
そうして先ほどからサラッと告げられている“部下”の正体に、紀清は眩暈すら覚えるような心地がした。あの心当たりが間違っていなかったことを思い知らされる。華女といえば、それは王林子飼いの最恐の部下じゃないか!
七百年ほど前、紀清と冥炎と王林の不仲の原因となる事件を起こして木谷派を追放された後地底に落とされたが、王林が勝手に部下として引き入れ、今や存在を知る者自体少なく知っているものも触らぬ神に祟りなしとばかりに沈黙を保っているような厄介な存在…堕神だ。
あっさりと正体を告げられたことにも驚いたが、同時にこれには紀清として反応しないと流石に不自然だと言うことにも気づく。紀清は苛立ったような顔を作り王林を睨みつけた。
「お前…あの女をいまだに手元に置いていたのか。」
「おや、いけませんか。それに、その女に救われたのは一体誰です。私は神文字を扱えませんから、彼女がいなければあなたはゆっくりと神として終わりを迎えるだけだったんですよ?それともまだ昔のことを…お気になさっておいでで?」
「お前の世話になるくらいならば死んだほうがマシだった」
「そうでしょうねえ」
「あいつは堕神だろう。なぜ重用する」
紀清は昔のことを突っ込まれれば必ずボロが出ると思い、話題を逸らすことにした。
王林は扇を閉じてその顔に浮かんだ表面だけの笑みを晒す。
「彼女はとても便利な部下なんですよ」
「ハッ、本来対等であるはずの神を従え“部下“とは笑わせる」
主神と神派の神々は一応師弟関係と銘打ってはいるものの、本質は皆同じ日本に存在する神だ。王林のように神を“部下”と称して側で仕えさせると言うやり方はあまり神々の間でも好まれたことではなかった。
「…対等、ですか。ふふ、面白いことをおっしゃいますね」
先程まで浮かべていた完璧な笑みを消し去り、どこか影のある表情で口角を上げる王林。
そのただならぬ様子に紀清は思わず(地雷を踏んだか!?)と焦ったものの、それ以上変に会話が続くこともなく、何故かおとなしく腕の中に収まっている氷雪丸も紀清と目を合わせようとはしなかった。
「まだ傷が癒えていないんですから、もう少し休んで行ってください。もうじき華女も来るでしょうから」
それでは、と一方的に言い放った王林は、そのまま扉を開けて腕に抱えたものをそのままに部屋を出て行った。
焦って思考がまともに働いていなかった紀清だったが、何度か深呼吸を繰り返し冷静な頭を取り戻す。
…そして気づいた。
「って、氷雪丸そのまま連れていかれたー!!」
自室へと戻った王林は、自身の御使の狐の喉を撫でながら腕の中の存在に問いかける。
「やはり彼、最近何か変わったと思いません?氷雪丸殿」
「…その気色悪い敬称付け、そろそろやめていただけませんか。私はただの猫ですよ」
以前とは違い口を開き流暢に言葉を返す猫の姿に、王林は扇の向こうで静かに笑みを浮かべた。




