第十七話 苛烈的攻防
「これ、ちゃんと着いたんだよな?」
「当たり前です。この転移の術かけたの僕なんですよ?」
「少なくとも紀清歴数日のあなたよりは何十年も紀清やってきた僕の実力を信用して欲しいもんですけどね」と人目がないのをいいことに氷雪丸が生意気に口を尖らせる。
紀清はそれを鬱陶しそうに手をはらって適当にあしらっていたのだが、そのうち向こう側から騒がしい戦闘音が聞こえてきたことで此処にきた本来の目的を思い出した。
「ヤッベ…!これってまだ鬼鳥との戦いだよな!?その後の本命まだだよな!?」
鬼鳥とは鳥の影から生まれた鬼だ。元となってるのが動物なので妖としてそれほど大きな力は持っているわけではなく、そのため人に取り憑いて生気を吸うことで力をつけるのだ。だから取り憑いている人間から離すことさえできればほぼ無力同然!
「あっみてください!今黒い塊が少女の体から出てきてそれと戦ってるようです!まだ大丈夫です!」
流石主人公達というか、無意識下なのだろうが適切で一番正しい討伐方法をこなせているらしい。紀清は思わず安堵のため息をついた。いや原作改でもそりゃやってたけど、やっぱり実際目の前で巻き起こってることだと思うと全然不安が拭えない。なんてったって目の前に紀清というたった一人の人間の行動を変えただけで世界を丸ごとひっくり返すような改変ができることを証明した事例がいるのだから!
その事例こと氷雪丸はその神力を目元に集めて視力の強化をしているらしく、見えている状況を事細かに教えてくれている。しかし久々に自分の声で会話できることが嬉しいのかめちゃくちゃテンションが高い。率直に言うととてもうるさかった。
「よっしゃ!そこです!!よおおおしナイスヒット!!!影が晴れたーーー!」
紀清は氷雪丸のいる左側の耳を塞いでいた手を退けた。どうやら無事二人のコンビネーションで鬼鳥を討つことができたらしい。
紀清はこっそり見守っていた岩陰から離れ、二人の元に行くために歩き始めた。時間がないのはわかっているが足取りは優雅に力強く、万が一にも慌てて走るなんて無様は晒さない。
その間にも、翠河と霞ノ浦の神派に入ってからの初めての戦闘は無事終結したようだった。
影を切った翠河が肩で息をしながらその亡骸を覗き込む。
鳥の様な体に小さな角が生えており、その尾からは蛇のような頭が伸びているのがわかる。紀清に言わせてもらうと、その姿はまるで物語で語られるキメラそのものだった。
「これは…鳥?」
紀清はその鬼鳥の思ったよりエグい見た目に内心辟易としつつも、見た目だけは平然と気難しい顔を作り上げる、肩に氷雪丸を乗せたまま羽織をたなびかせ悠々と二人の側へ音もなく近づいた。
「それは鬼鳥だ。人間に取り憑かねば生きながらえることもできない小物よ」
すると突然現れた紀清の姿に二人はひどく驚いた様子で肩を跳ね上げ、振り返ると慌てて武器をしまい丁寧に礼をした。紀清は内心(おいおい武器をしまうんじゃないよ〜礼儀なんてどうでもいいだろ、これからが本命の戦いなんだからさーー!)なんて思ったが、今武器を取り出せと迫るのは流石に頭がおかしいとしか言いようがなかったのでグッと口をつぐんだ。
「師匠!」
「紀清様…どうして此処に」
霞ノ浦のその疑問はごもっともだったので、紀清はそれに鼻を鳴らして片眉を上げて苛立ったように告げる。
「お前達があまりにも遅いものだから迎えにきた。」
その様子は明らかに“仕方なく来てやったんだからな”とでも言うような言い方であったため、翠河と霞ノ浦は恐縮したように身を縮めて謝罪の言葉を漏らした。思わぬ戦闘が始まってしまい、無事地上を巣食う妖を討伐できたとはいえ、本来は願いの元の少女に会いに行けば済む任務だったのだ。送り出した新米が一晩経っても帰って来ないというのだから紀清の怒りも最もだろう。翠河は心底反省した様子で頭を下げる。
「すみません。私が悪いのです、身勝手な同情心から人間の事情に踏み込みすぎました。」
「いいえ、それを言うのなら私だってそうです。翠河だけが責任を負う必要はありません」
「しかし…」
互いに自分が責任を被るのだと言い合う二人の心の美しさに紀清は感動すら覚えたが(こちとら毎日真っ白なくせして心の中真っ黒な猫と会話しているもので)不機嫌な様子は演技だし、結局どちらも罰するつもりはなかったのでわざとらしく咳払いをして二人の会話を中断させた。
「いい。既に解決したようだしな」
(まあ、本番は終わってないんですけどねえええええ!!!)
《ちょっと心の中との落差酷くありません?》
(うるせえ黙れこの心中真っ黒腐れ作者野郎!!)
氷雪丸はそんなあまりにもストレートすぎる罵倒を投げかけられるとは思わず絶句した。
それに(うるさい奴が黙ってくれて助かる)なんてことを考えながら、紀清は素早く鬼鳥を特殊な空間の広がる術をかけた袋の中に放り込み、来た方向にある水泉の社へと体を翻す……フリをする。
「それでは帰るぞ」
有無を言わせぬ声音でそう言って背を向けると、翠河と霞ノ浦の二人は倒れている少女の方を気にしながらも紀清の後に続いた。そして全員が前を向いたところで、唐突に全員の背筋に悪寒が走る。背後で莫大な妖気が膨れ上がるのを感じた。
そして巨大な影が迫り来るのを感じたが、振り返ることすらできずにそれは翠河の首を切り裂く…筈だった。
しかし、元よりずっと警戒していた紀清だけはその殺気を感じ取った瞬間に振り向いて戦闘体制に入っており、翠河の首へ伸ばされた魔の手を素早く太刀で弾き落とす。
「後ろだ!!」
そうして不意の一撃を交わすことはできたものの、続いて素早く飛んできた第二波には体制を持ち直せてなかったこともあって反応することができず、無様に脇腹へ大きな傷を負ってしまった。紀清は思わず其れに呻く。
「…ッぐあ…!」
一方そうして紀清に庇われた翠河はというと、先ほどの斬撃が紀清に庇われていなければ自分の首が宙に舞っていたであろうことを理解し、顔を青ざめた。しかし、目の前の師が腹を押さえ崩れ落ちたのを確認すると慌てて翠河は紀清の元へ駆け寄り体を支える。
「師匠!!」
紀清は食らう予定のなかった傷の痛みに顔を顰めていた。脇腹が熱い。まるで熱された焼きごてでじわじわと内側から焼かれているようだ。傷口から瘴気が漏れて黒い煙が上がる。肉が溶けるような感覚に眉間に皺を寄せた。
氷雪丸も流石に慌てて紀清の目の前に立ち塞がるように盾の術を張る。氷雪丸の見立てが間違っていなければ、その傷はケガレへと変貌しつつある。不死身の神にとって唯一恐れるものが妖からのケガレだった。それを食らうとたちまち神力を失ってしまうのだ!氷雪丸はまだ無事神力の繋がりがあることを確認してから心の中で問いかけた。
《大丈夫ですか!?》
(いや無理メッッッちゃ痛い!!!)
この男、見た目だけは顔を顰める程度にとどまっているが、内心では激しく床を転げ回りながら大声で泣き叫ぶほどには痛がっていた!
「早くあやつを倒せ!!」
その言葉に翠河と霞ノ浦は弾かれたように前に飛び出し各々の武器を構える。しかしその視線は紀清と妖を行き来し、あきらかに心配して集中を乱しているのがわかった。紀清は痛みを堪えながらも喝を入れる。
「私は問題ない。戦いに集中しろ!」
紀清はこの時問題ないなどと心にもないことを言っていたが、これは仕方のないことだった。翠河達の手前、一番の目上である紀清が弱っている姿を見せるわけにはいかないのだ!そうすればたちまち2人は不安に襲われ、戦いに集中できず最悪全滅なんてことにもなりうる。それに紀清としても恥も見聞もなく泣き喚くにはちょっと理性の部分がまだそれを許せていないのだった。強がるくらいは許して欲しい!
「私を庇ったせいで師匠が…!」
一方、そんな紀清の内心を知らない翠河は自分を構ったせいで師匠が傷を負ってしまったと自己嫌悪の感情を募らせていた。しかもあの傷、瘴気を放っていた。早く処置しなければ悪化の一途を辿るだろう。
混乱した脳内でも今自分にできることはこの敵を倒すことだと理解していた翠河は刀を構えて目の前の二メートルにも及ぶほどの巨大な妖を見上げた。その見た目はドロドロに溶けた人間のようなナニカであり、眼球や歯は剥き出しになって飛び出している。髪やがたいの特徴からかろうじて男であることがわかる程度だ。
そのおぞましい姿に、霞ノ浦は思わず顔を顰めた。
「あれは一体なんなのでしょう」
「わかりません、しかしあの妖は不完全とはいえ人型だ!人型の妖はそうでないものと比べて桁違いに強い…私たちで、倒せるかどうか」
そう言って翠河はこの場において一番の実力者であり、先程未熟な自分のせいで傷を負わせてしまった紀清の方をチラリと横目で見た。ケガレを負ってしまった紀清にこれ以上神力を使わせるわけにはいかない。二人は顔を見合わせると頷き、人型の妖に向かって攻撃を始めた。
刃物のように尖った手は変幻自在に伸び縮みできるようで、不意打ちを喰らわないように目で追うのが精一杯だ。それを掻い潜って一太刀浴びせることができたところで、その肉体はヘドロのように泥濘み攻撃が効いているのかすらわからない。
そうして攻防を続けるたびに二人の体にはどんどん切り傷が増えていく。二人は先程鬼鳥と戦闘をしたこともあって既に体力は尽きかけている。このままじゃ押される一方だ、一体どうすれば…!翠河が埒のあかない戦いに必死に頭を回転させ対策を練っていると、ふとその妖から呻くように言葉のようなものが発されるのが聞こえてきた。
「霞ノ浦、こいつ…何か言っています」
「本当ですか」
そのまま符を盾のように展開し、身を守りつつ妖の言葉に耳を傾けてみると一つの単語をずっと繰り返していることがわかった。これが何かのヒントになるかもしれないと二人は必死に耳を澄ませる。
「…これは、おと…うと…?」
「弟、弟を…生き返らせる…?」
“弟を生き返らせる”その言葉は、あまりにも先程の少女の願いと…酷似しているものではないか。
唐突にその妖の正体に気がついた翠河と霞ノ浦は、それ以上言葉を紡ぐことができなかった。
あの妖は、少女の願い“だったもの”から作り上げられている…『弟』なのだ。
一方それを知っていた紀清は動揺することなく、二人の動きが止まった隙に妖が背後に腕を伸ばし攻撃しようとしているのをみて反射的に立ち上がり、刀を持った片腕でその攻撃を防いだ。
突然守っていたはずの対象に盾から出ていかれた氷雪丸は心の中で文句を言いながら背後につき神力を分け与えて援護をする。
立てないほど血が失われた体を無理やり神力で補って立ち上がった紀清の体はもう既にボロボロであったが、地面に血を吐き出し、紀清にしては珍しいほどに声を張り上げた。
「何を呆けている!!!!」




