第十五話 致命的油断
次の日の朝
二人は早速人の気配のある家を次々と回って情報を集めていた。
翠河と霞ノ浦が村人達に話を聞くものの、なかなかこれといった情報が掴めない。それどころか皆何か話題を避けるように不自然に口籠ってしまうのだ。やはり、余所者にはそう簡単に口を割る事はできないということらしい。翠河は思わずため息を吐いた。
「…少し、何処か影になるところで休みましょうか」
「そうですね」
半日はそうやって聞き回ったものの、流石に精神的にも体力的にも限界はある。すっかり疲れてしまった二人は、休憩をするために井戸の近くで休むことにした。
そうして暫く休んでいると、やがて仕事帰りらしい村人達が集まって何やら話し込んでいる姿が遠目に見える。稀に漏れ聞こえる会話から、初めは他愛無い日常話だったものが段々と村の疫病の話になっていくのを感じ取り、二人はより詳しくその話を聞くためにこっそりと近くの茂みに身を隠した。
「それにしても、こうやって働ける奴らも随分と減っちまったなあ」
「みんな寿命か…例の病気で死んでいったしな」
「なあ、墓地に行った者は必ずその後病にかかっているって噂、あの若い子らに言った方が良かったんじゃないのかい」
「いいんだよ、どうせ眉唾物の噂だ。しっかし、そのせいで病気で死んだやつを満足に埋葬もしてやれないのが残念なんだが」
「そりゃあそうだろう。墓地に行ったら呪われちまうなんて噂もあるんだぞ」
「おいおい、死んだ奴らが俺たちを呪ってるっていうのかい?」
「まさか四軒隣の兄貴とかかい?あいつは恨み言を吐きながら死んでいった」
「さあな。こんなに死んでんだからもう誰が呪ってるのかもわかんねえさ」
「ちがいねえ」
そうして暫く騒がしくその場で移り変わる会話を楽しんだ後、村人達は此処での用事を終えたのか揃って来た道を帰っていった。
茂みの裏で村人達のやりとりを聞いていた翠河と霞ノ浦は、村人達が行ったのを確認すると同時に目を見合わせしかと頷く。その墓地が怪しい。
二人はその後「危ないからやめておきなさい」と引き止める村人達をなんとか宥めながら場所を聞き出し、その墓地へと向かうことにした。
中にはわざわざ案内を申し出てくれた人間もいたが、もしそれでその噂通り本当に墓地に行くことで病にかかってしまっては大変だ。自分達のせいで新たな犠牲を出すわけにはいかない。二人は心配げに送られる複数の視線を背に墓地に向かって歩き出した。
「…此処ですね。……ッ…」
「これは…なんと酷い」
そうして暫く歩き問題の墓地に着いた二人だったが、柵の中に足を踏み入れた途端辺りを漂う濃い瘴気を吸い込んでしまいそうになり、思わず裾で鼻を覆った。そのむせ返るような濃さに思わず後ずさった翠河だったが、反対に霞ノ浦はすぐに地面に座り込み土を観察し始めた。そしてそのまま暫く眺めると、口に裾を当てたままくぐもった声で呟く。
「土が死んでいます」
「そんなことがわかるんですか」
「忘れましたか。私は豊作の神なのですよ。土の状態など目を閉じていてもわかります」
そう言って霞ノ浦が土を掌に乗せると、土の塊が風に吹かれたことでまるで灰のようにサラサラと崩れ落ちていく。
「確かに…此処ら一帯から全く生命力を感じない。雑草一つ生えないだなんて…辺りを漂うこの妖気のせいでしょうか。」
「おそらく。しかしその妖気の主は既に此処にはいないようです」
「それは厄介ですね。もうすでに誰かに取り憑いているのかも」
「もう少し探ってみましょう」
そうしてしばらく二人で墓地を調べたものの、特にこれといった収穫がないまま時が経った。
翠河と霞ノ浦はこの墓地に既に何の気配も無いことを確認すると、また村までの道のりを戻ることにした。此処にいないのならば、村の中にすでに妖に取り憑かれた人間がいるかもしれない。
そうして駆け足で村へと戻っていると、途中で二人の目に村の入り口あたりで誰かの佇んでいる影が見えた。
その姿が見覚えのあるモノであることに気がついた翠河は思わず「あっ」と声を上げる。
「あれは…あの時のお嬢さん」
するとその声に娘も二人の姿を認識したのか、笑顔で大きく手を振ると駆け足で二人の元までやってきた。翠河はその時の彼女の様子に何か違和感を覚えたが、改めて観察してみても何も感じなかったため気の所為かと思い直す。先程の妖気に長いこと触れていたせいで自分は少し物事に敏感になってしまっているのかもしれない。
彼女は走ったことで息が上がったのか、膝に手をついて息を整えていた。
「はぁ、はあ…すみません、長老たちが噂をしていたので、きっと貴方達だろうと思って此処でずっと待っていたんです。どうでしたか、何か手がかりは…」
「いえ、もう少しで原因がわかりそうなんですが…」
「本当ですか…!」
その言葉を聞いた少女が両手を胸の前で合わせて喜びの表情を浮かべる。少女からすれば、今までどんなに名の通った医者が診ようと全くわからなかった病気の原因が、この二人のおかげで今やっと分かりそうだというのだ。弟の死の原因がようやく分かるかもしれないと期待に胸を膨らませる少女の姿に、二人は眉を下げて目を見合わせた。妖が原因だというところまでは分かったが、その妖が現在どこにいるのかはわからない。しかも今まさに誰か村人に取り憑いている可能性がある。下手に彼女の不安を煽るようなことを言ってもいいものなのか。悩んだ挙句、二人は取り敢えず詳しいことは伝えないようにしつつ、彼女に村の現状を尋ねることにした。
しかし、一歩踏み出したところで翠河は不自然な体制で足を止めた。翠河にはこの時彼女の瞳の奥に妖しい赤い光が灯ったように感じられたのだ。
本能的にまずいと感じ、「いま誰か村で病に罹っている人はいないのですか」と質問しようとしていた霞ノ浦が少女に近づくのを手で制する。動きを止められた霞ノ浦は、驚きに目を見開きつつ怪訝な面持ちで翠河を振り返った。
「翠河?」
しかしそんな霞ノ浦の声には応えることなく、翠河は警戒したように少女から目を逸らさない。
「…お嬢さん、一つ聞いてもいいですか」
「は、はい…なんでしょう」
「先ほどから顔が赤いようですが、熱でもあるのでしょうか」
「い、いえこれは先ほど走ったからで…」
「それに髪も乱れてしまっています。ほら、特にこの頸の辺りが…」
そう言って翠河が少女の後ろ髪に手を伸ばそうとした瞬間…俯いていた少女が突如凄まじい形相で睨みつけ翠河の手を思いっきり叩いた。
「触らないで!!」
そこまでくると、何かがおかしいことに霞ノ浦も気がつく。
二人は警戒したようにその場から飛び退くと、翠河は日本刀を霞ノ浦は護符をと言ったように各々の武器を構えて目の前の少女の様子を離れた距離から注意深く観察した。
「ハァ…ハァ…さわら…ないで。私は…私は…!かは……っ」
少女を中心に妖気がとぐろを巻くように集まってくる。下手に手を出すと少女を害する可能性があるため無理矢理祓うわけにもいかず、翠河達は歯軋りをした。
すると、唐突に苦しみに喘ぎ出した少女が喉を押さえて崩れ落ちた。翠河が慌てて駆け寄って支えると、先ほど違和感を覚えた頸の所で何かが赤く光っているのがわかる。翠河は一切の戸惑いもなく髪を払ってそこを露わにした。すると、その紋ははっきりとそのおぞましい姿を表したのだった。
「これは…」
「妖のつける鬼食紋…!」
鬼食紋とは、妖の中でも高位の“鬼“と呼ばれる種族が好んで獲物と見做した人間につける印だ。その印を付けられた者はどこまで逃げようともその鬼の手の内から決して逃れることはできず、本体が取り憑いている時には時間が経てば経つほど生命力を吸い取られていくという極めて悪質な術だった。
「まずい、この感じだと恐らく一晩以上はこの妖に取り憑かれている」
「早くこの子をなんとかしないと…手遅れになってしまいます…!」
「とにかく、妖をこの子の中から追い出さなければ自分は手を出せません!私の武器は日本刀、このままでは彼女を傷つけてしまう!!」
「任せてください。退魔の札なら私が!!」
そう言って霞ノ浦が懐から退魔文字の刻まれた札を取り出すと、そのまま勢いよく少女の額に貼り付けた。
「あ、あ、あああああああああ!!!!」
肉の焼けるような音と共に少女の体が仰け反る。同時に、二人の目には少女の体から何か黒い影が飛び出して行く姿がはっきりと見えた。
「翠河!」
「分かっています!!」
そのまま翠河が片手で鞘を掴み抜刀し、日本刀を黒い影目掛けて一文字に切りつける。
するとその黒い影は醜いうめき声を上げながら苦しむようにのたうちまわった後、やがてパタリと動きをなくした。黒い霧が晴れて中の角の生えた小さな鳥のような体躯が姿を表す。あたりの霧が晴れ、少女に集まっていた妖気が飛散するのを感じた。
「やった!」
…ところで皆さんはご存知だろうか。戦闘場面において「やったか!?」の類の言葉は大きなフラグであるということを。