第十三話 糸口的少女
そのやりとりを全て天上界から水鏡で見守っていた紀清はあまりの尊さに心臓のあたりを抑えた。初々しい互いのやりとりがなんともいい感じではないか…!清く正しいものの未だ自信を持てないでいる主人公の手を引っ張りながらも道を示してくれる美しいヒロイン、素晴らしい…!
紀清がそんなことを考えていると、それが全て筒抜けになって聞こえていた先の氷雪丸が呆れたように紀清をじろりと睨みつけた。
《ちょっと、突然なんですか。まだただ会話してるだけでしょ》
しかしそれに紀清は憤って心の中のちゃぶ台をひっくり返した。紀清の心の中の家具がもし実在しているのならばそれらは今までの彼の破壊衝動によってきっとぐちゃぐちゃに破壊されていることだろう。
(お前作者のくせにわからんのか!?これは完全にお互い惚れる一歩手前だろ!?この顔面から光が漏れ出てるような主人公の微笑みを見ろよ!!)
《ええ…逆に作者だから分かりますよ。確かここではまだ互いに恋愛感情抱いてなかった気がしますけど…それに主人公が微笑んでるのはいつものことでしょう》
(クソっ!!!いいじゃないか読者の好きに解釈くらいさせろよ!あーあ、せっかく原作読んでる時は色んなこと妄想して楽しんでたのにここに最大の地雷がいやがった)
そう言って紀清は天を仰いだ後その最大の地雷こと作者の氷雪丸を睨みつけた。氷雪丸も負けずと睨み返す。
この時もし時雨がお茶汲みでいなくなってなければ互いを睨みつける猫とその主人の絵面に相当困惑していたことだろう。
しかし、二人の前に置かれた水鏡の中の二人に動きがあったためその睨み合いは中断されることとなる。
…
二人でそうやって穏やかに会話しながら目的の人物が訪れるのを待っていると、その時は唐突に訪れた。鳥居の側へ一人の少女がやってきたのだ。二人は息を潜めて木陰に隠れる。
「あの少女が今回の願いを入れた人物でしょうか」
「きっとそうです。この紙から感じられる霊力がよく似ています」
霊力とは神力とは違い人間のみが持つ気であるので、同じ霊力が感じ取れるというのならばそれはきっと彼女本人に違いないのだろう。翠河はしかと頷いてから霞ノ浦と目配せをした。
「彼女に話を伺って見ましょう」
「待ってください、この格好では目立ってしまうのでは…」
この時の格好は二人とも天上界から来た時のままの服装で、その古めかしく飾りの多い和装はとても今の地上において相応しい格好とは言えない。しかし、翠河は大丈夫だとでも言うように胸に手を当て笑みを浮かべて見せた。
「大丈夫、そう言う時のごまかしは私はうまいんですよ」
…
(うわあー!流石主人公、自信満々な笑みすら様になるなあ)
水鏡の淵に両手をつくようにしてかぶりつくように覗き込む紀清の腕の隙間から覗き込んでいた氷雪丸はペタリと耳を伏せて顔を顰めた。
《うるさいですよー!さっきからずっとそうやって!なんなんですかあなた、あんなに文句言ってたくせに主人公大好きなんじゃないですか!》
(はあっ!?読者で主人公が嫌いな奴なんている?俺だってこんな悪役に成り代わってなけりゃ素直に主人公応援してたさ!!でも今応援したらそれ遠回しな自殺だろ!心の中ではしゃぐくらい許せよ!)
《はぁーーー、もう僕はこの人が分かりません…誰か助けて…》
元はと言えばそんな人間を紀清に転生させたのは自分であるのだが、氷雪丸はそんなことを棚に上げて嘆きの声を漏らした。作者には読者の気持ちが分からぬ。しかも自分で書いた作品を自らの手で望んでやったことではないにしろ改悪してしまった作者には尚更、なのかもしれない。
…
「すみません、お嬢さん。あなたは毎日ここでそうして願いを投げ入れているのですか」
紙と共に賽銭を投げようとしていた少女が驚いて声をかけてきた翠河の方を振り返る。
しかし警戒して振り返ったものの、その恰好も相まって浮世離れした姿の美しい少年と隣に立つ少女の姿にすっかり頬を染めて見惚れてしまった。
「お嬢さん?」
「あ、はい。すみません…しかし、あなた方は一体…」
その言葉にもっともだと思った翠河は警戒させぬように口に柔らかな笑みを浮かべて向かいに建つ金の社を指さした。
「申し訳ない。私達は向かいにある社の者なのです。しかしあなたが随分と思い詰めた顔をしていたので…もしよろしければ、理由をお伺いしても?」
隣に立つ霞ノ浦はその堂々とした深くを語らぬ鮮やかな嘘に、なるほどそう言う手があったかと感嘆さえ覚えた。
少女はまた思い詰めたように顔に影を落とし、手を胸の前で握って不安を表した。
「…いえ、きっとどうにもならないと思いますよ」
「そんなことはわかりませんよ。悩みは話すだけでも紛れると言います」
翠河に続いて霞ノ浦も少女の口を開くために言葉を続ける。
少女は知らぬとはいえ、二人の神がそうやって声をかけて口を閉ざしたままでいれる人間はいない。その二人の清廉潔白な様子にすっかり警戒を無くした少女はおずおずと口を開いた。
「…聞いてくださいますか」