第十二話 安穏的道中
紙に書かれていたのはたった一言。
“私の弟を蘇らせてください“
最低限の荷物をまとめ霞ノ浦とともに地上に送り出された翠河は、その紙を握りしめ大きなため息を吐いた。
「こんなの無理ですよ…人間は死んだら生き返らない」
「そうですね…一体、どうやって叶えれば良いのか」
翠河の隣を迷いない足取りで歩く霞ノ浦も悩ましげに顔に影を落とす。先ほどから幾度と二人で悩んできたことだったが、未だに解決策は見つかっていなかった。翠河は一体自分たちはどれだけ歩いたんだろうかと思いながら額に垂れた汗を拭った。
しかし、そのまま言葉少なに二人で丘を越えたところで霞ノ浦がはたと唐突に足を止めた。翠河がどうしたんだろうと後ろを振り返る。
「…昔、叶えてはならない願いというものがあるのだと聞いたことがあります」
「叶えてはならない…願い?」
そうして思い起こすようにぽつりぽつりと語り始めた霞ノ浦の言葉に、翠河は真剣に聞き入った。神の仕事は願いを叶えることだというのに、叶えてはならないとはいったいどういうことなのだろうか。
「はい。それを叶えればその人は幸せになったとしても、周りの人間が不幸になる願いがあるのだと…それを見極めるのも我々神の仕事のうちだと…もしかしたら主神様は、この見極めをしてこいと私たちを送り出したのかもしれません」
そんな話を昔、聞いたことがあります。そう続ける霞ノ浦は何処かぼんやりと遠くを見るような様子で、翠河はきっと彼女は故郷のことを思い出しているんだろうと思った。自分はまだまだ知らないことだらけなのだなと改めて感じる。
「すごいですね、霞ノ浦さんは。同じ時期に入った自分なんかよりよっぽど勉強している」
「ふふ、これはただ私の生きた年数が長いが故の知識ですよ。たった一年でこうしてこの場に立っているあなたが実はなによりもすごいのですから、そんなことを言われては嫌味に感じてしまいます」
そう言ってくすくすと口に手を当て笑う霞ノ浦に、翠河は少し気まずそうな顔をして頭を掻いた。
「申し訳ありません、そんなつもりでは…。しかし、自分はそのせいで神の世界の常識にはいまいち疎いのです。今回の任務でも、ご迷惑をかけてしまうかも」
「構いません。私も神派のことについては詳しくないのです。これから共に学んでいきましょう。同期として、知っている限りのことであれば私も協力いたします。」
そう言って翠河の手を取った霞ノ浦の心優しい姿に、翠河は感激したように手を握り返した。
「それはありがたい。では戦いであれば私に任せてください。力には多少自信があります」
「おや、あなたは武神なのですか?」
そう言われると翠河は困ってしまった。力には自信があると言ったものの、翠河にとってそれはまだ自分にできることの中で一番ましなものと言った程度だ。霞ノ浦の質問にそっと首を横に振る。
「…それが、それすら私にはわからないのです。自分の核の願いを知らないもので…」
「…ああ、そうでしたね。すみません、今のは配慮に欠ける発言でした」
「いいえ、気にしないでください。たしかに自身の核の願いが見つからないのは不安ではありますが、これから先ゆっくりと手がかりを見つけていければ良いなと思っていますので」
そう言ってそのまま本当に気にしていないと笑ってみせる姿は、強がっている風でもなくただ本当にそう思っていると言ったものだった。その笑顔にうまく言葉が見つからなかった霞ノ浦は、取り合っていた手を降ろしてそのまま前を向き歩みを進めた。すぐに翠河も続いて隣を歩く。
「あなたは…お強いのですね。私は初めから明確な願いによって生まれた存在なので核がわからないなんて想像もできません。それはきっと苦しく、険しい道のりなのでしょう…しかしあなたはそうして笑っている。」
そうして霞ノ浦が翠河の頬をツン、と突くように指さすと、翠河は薄く苦笑いを浮かべた。
「あはは、そんな大層なものではないですよ。しかしそんな特殊ないでたちのせいか何故か神力の量が多いようで…新たな力故に操作も難しく未だにこの刀一つ扱えない身ではありますが、いずれはきっと立派に成長したいものです」
「応援しております。同期のあなたがこうして頑張っているのですから、私も頑張らなければなりませんね」
そうして掌を握りしめた霞ノ浦の姿に、翠河はなんとはなしに(これが真の神なのだな)と改めて思った。
人に寄り添い、慈しみ、そっと手を取って救いとなる言葉を囁く。人間として生まれ育った翠河は人間がそんなに綺麗なものではないことを知っている。だからこそ、同期として同じ神派に入った女神の姿をどこか眩しい気持ちで見つめていた。神の善性とは予想以上のものであるな、と。
そうしてしばらく歩いていると、ようやくこの願いが寄せられたであろう社の近くまでやってくることができた。紙の霊力を辿って足を進めていた霞ノ浦が小さな鳥居の前で足を止める。
「ここ…ですか」
「そのようです」
「しかし、鳥居と賽銭箱のみとは…なんとも簡素な作りだ」
「仕方ありません。おそらくここは土地がなかったのでしょう。ほら、あそこに」
霞ノ浦がそう言って指さした先に、巨大な鳥居がたくさん立っているのが見えた。その全ては黄金色に輝いており、作りもたいそう立派なものだった。翠河が「あれは…」と呟くと、霞ノ浦が目を凝らしてそこに漂う神気を感じ取った。
「あれは、恐らく金岳派のお社です。ここの付近に住んでいる人々は彼処へお金を費やし立派な鳥居を建てているようです。ここに建てられた鳥居はおそらく個人が建てたものでしょう」
「なるほど」
たしかによく観察してみると、ところどころ釘が半端に刺さっていたり、木の切り口が歪だったりと手作りの気配を感じられるテイストだった。翠河は改めて感嘆したように息を吐いた。霞ノ浦は本当に観察力に優れ頭の回転も速い。自分が一つのことを理解しようとする間に100のことを知り尽くしている。
翠河はここまでの道中ですっかり霞ノ浦のことを尊敬するようになっていた。
そして同時に、霞ノ浦の方も翠河のその明るくひたむきな様子はとても好ましいと感じていた。
「少し、ここで休憩にいたしましょうか。たくさん歩きましたものね。天上界では浮遊の術という手段が使えますが、ここは地上なので使えませんでしたし…本来他の神の領地にあまり長居するのは良くないのですが幸い、ここには未だ神はいないようなので」
「そんなことがわかるのですか?」
翠河が驚いたように目を丸くすると、霞ノ浦はふっと微笑んで鳥居に片手を当てて目を閉じた。
見ただけでも何もいないということはわかるものではあったが、念のため神の核が誕生していないかを確かめたのだ。結果は予想通り、何もいなかった。
「私は社が先にできて生まれました。なのでこの鳥居達がまだ建って数年しか経っていないことも、神を形成するほどの十分な信仰を集められていないこともわかります。それがここを作った人間にとって良いことだとは思いませんが、少なくとも今の私たちにとってはとても好条件です」
「そうですね…では、彼処の木陰で休むことにしましょう」
神木のつもりなのか少し大きめの木がそばに何本も植えてあったため、そのうちの一箇所のちょうど日を遮れるところに二人は腰を下ろした。
袖の中をゴソゴソとなにか探していた霞ノ浦はやっと目的のものを見つけたのか小瓶のようなものを取り出すと隣で水を飲んでいた翠河の袖を引っ張った。一体何だろうとそちらに顔を向ける。
「よろしければこれ、差し上げます」
「これは…金平糖?」
取り出された小瓶の中には、色鮮やかな小さな金平糖がぎっしりと詰まっていたのだった。霞ノ浦はそれを二つ取り出す。そして片方の瓶を翠河の方へと渡した。
「はい。どうやら今日、私のお社に誰かがお供えしてくれたようなのです。」
そう言いながらキュポンと蓋を外し金平糖を数個手に出して食べ始めた霞ノ浦だったが、翠河は焦ったように小瓶を霞ノ浦へと突き返した。
「そ、そんなものいただけませんよ。あなたに供えられた物でしょう?」
「いえ、問題ありませんよ。たしかに私に供えられたものですが、私が差し上げると言っているのですから問題はありません。それとも金平糖はお嫌いでしたか?」
「いえ、嫌いなどということは…」
翠河はむしろ甘いものは好物だったので、天上界に来てからしばらく目にすることのなかった金平糖の姿に密かに目を輝かせていた。しかし、人の供物をもらうわけには…という気持ちにより素直に喜ぶことができない。
そんな翠河の様子を見かねたのか、霞ノ浦が「さ・し・あ・げ・ま・す」と強めに言い切り、返そうと突き出した翠河の掌をぎゅっと握る形に変えさせるのだった。
「神への供物は多少の神力を含みます。食べればきっと体力も回復できるはず」
そこまで言われてしまっては、善意を無碍にするのも憚られたため翠河は大人しくその小さな小瓶に入った金平糖をもらうことにした。数粒取り出して口に含む。途端にすうっと溶けるように消えていった金平糖とともに僅かに体に力が戻ったような気がした。
「たしかに、少し体に力が戻ったような気がします」
「でしょう。遠慮をせず受け取ればよかったんですよ」
「あはは…しかし、美味しいですね。金平糖。久しぶりに食べました」
子供の時以来だろうか、とさらに取り出した一粒を眺めてみる。昔と何も変わらないただの金平糖の姿だ。
「私も好きなのです。村の駄菓子屋が近くにあったせいか、子供達がよく分けてくれていたので」
そう言って何かを思い出すように笑みを浮かべた霞ノ浦の姿を見て、翠河は此方まで幸せな気持ちになるのを感じた。きっとずっとその村のことを見守っていたのだろう。しかし、なら何故わざわざそんな大切な場所を離れてこうして五大神派に入ろうなどと思ったのだろうか。
「霞ノ浦さんは、」
「呼び捨てで構いませんよ。数少ない同期でしょう?」
「いえ、しかし…」
「もし私が敬語を使っているのにと遠慮をなさっているようならば、それは無用です。これはほとんど癖のようなものなので」
先ほどの金平糖の件と言い、案外押しの強い霞ノ浦のそんな姿にすっかり見慣れてしまった翠河は、苦笑いを浮かべながら一つ頷いた。これはきっと譲ってくれなさそうだ。
「では、そう呼ばせていただきます。ならば私のことも翠河と」
「わかりました、翠河。それで、先程は何を言おうとしていたのです?」
「いえ…ただ、あなたは何故神派に入ろうと思ったのだろうと
翠河が言葉を選ぶようにしてそういうと、霞ノ浦は目を閉じて考え込むように首を傾げた。
そっと目を開け、前を見つめたまま口を開く。
「そうですね…より、力が欲しかったのです」
「ちから、ですか」
「はい。私はある村の端で豊作の神として祀られていました。しかし、年月を経るごとにある時からだんだん信仰する人間も少なくなり、力が弱まってしまった私は満足に穂を実らせることができず…そうしていくうちにまた人も減り…と言った悪循環を繰り返すように。何より私が耐えられなかったのです。皆の期待に報いることができない我が身が許せなかった」
「なので、神派に入って修行をして自身の力をあげようと?」
「はい。そうです」
「あなたは…民思いの優しい人お方だ」
まさか神派に入る理由がどこまでも人間の為だったなんて。翠河は先程神の善性について考えていたが、だとしたらこの人はきっと特別にいい神なのだろうと思った。
「そんな…自分が消えるのが怖いだけだと罵ってくれても構わないのですよ」
「そんなこと!あなたは大変立派です。自分のために入った私とは全然違う!」
翠河は必死さのあまり勢い付いて前のめりになって言った。そんな様子に目をパチクリと瞬かせていた霞ノ浦だったが、なんと言われたのかを理解するとふふふと花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。あなたの方が何倍も優しいと、私は思いますよ」