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悪役が挑む神話級自己救済  作者: のっけから大王
第二章 猫にまたたび、紀清に翠河《翠河編》
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第十話 友好的交流


「ここが、水泉邸…!」


「なんて美しい…」


翠河がキラキラと目を輝かせて感激したように呟く。後ろの霞ノ浦も興奮からか頬を僅かに赤く染めている。紀清はその様子を横目でチラリと見てから(たしかに、絶景だよなあ)と思った。


水泉派の屋敷はその名の通り泉の中心に立っており、その青く澄んだ水に反射する日本屋敷の姿は大層立派で美しかった。しかし入り口はその中央にしか無く、立ち入る際は水渡の術の習得が必須である。水渡の術は水泉派にきて一番最初に習う術だ。原作でも翠河たちが水の上を歩いて屋敷に入る様子が書かれていた。


もっとも入ったばかりのこの二人はまだその習得ができていないため、紀清が片方ずつの手で二人の手を引いて神力を足に纏わせ水の上を歩いて進まなければならない。紀清は成り代わってから初めてこの技を使ったものの、まるで昔から自在に操れていたかのように体に馴染み難なく使用することができたので心の内でほっと息を吐いた。

主神の手に触れるということで初めは緊張した様子だった二人だが、水の上で歩みを進めるたびに二人はソワソワと下を見たり互いを見たりと落ち着かない様子ではしゃいでいた。


その微笑ましい様子に頬を僅かに緩めた紀清は、屋敷の手前の大きな門のところまで辿り着き一旦足を止める。


「ここが入り口だ。神力に反応して開くようになっている。」


そのまま一旦翠河には水に落ちないように腰のあたりを掴んでもらい、片手を扉の前に翳して力を込める。手の上にぼうっと青色の光が集まってきた。それを見て翠河が目を瞬かせているのがわかったが、紀清はそちらを向くことはなく神力の塊を扉に押し当てると身長を優に超えるほどの大きな門はいとも簡単に道を開けたのだった。


「門番は居ない。鍵もない。神力が自在に操れるならば好きに出入りするといい。しかし決められた修行の時間だけは忘れず修行場へ居るように」


勝手に開いていく巨大な門の様子に圧倒されていたらしい二人の方を振り返ってそう言うと、翠河が意外そうな顔をして目を見開いた。


「え、門番も、鍵もないんですか。」


「そうだ。」


「それでは…その、安全の面に関しては大丈夫なのでしょうか。神力が使えれば誰でも入れるとなるともし邪な心を持ったものがいた場合盗みを働きに中に入ったりされるのでは…」


心配そうに眉を下げてそういう翠河に、霞ノ浦の方は逆に意外そうに首を傾げた。


「神がそのようなことをするはずがありません」


「え。そ、そうなんですか」


霞ノ浦のやけにきっぱりとした物言いに狼狽えた翠河だったが、それ以上は霞ノ浦が答えてくれないことを察し、顔一杯に疑問符を浮かべながら師である紀清の横顔を仰ぎ見た。


そんな視線を受けながらも、元人間であり読者であった紀清はこう思った。もしここで主人公の言うことを聞いておけば原作の紀清は王林に襲われることはなかったんだろうな、と。しかし王林のような神がごく少数であることを理解している紀清は、ここでは大人しく模範解答とも言える答えを言ってやろうと腰あたりにある翠河の顔を見下ろした。


紀清は片方の眉を上げてさも「なぜそんな質問をした?」と言わんばかりの表情を作り、渋々と言った様子で口を開く。それに翠河は申し訳なさそうな顔をしたが、やはり知りたい気持ちが強かったため期待した眼差しで紀清の次の言葉を待った。


「お前は確か人上がりだったな…」


「ひとあがり…?」


「人間から神へとなった者の事です」


霞ノ浦が隣からこっそりと解説すると、翠河は納得したように「なるほど」と頷いた。

紀清は演説でもするような様子で話を続ける。


「そもそも神とは物を盗んだり人を襲うといった私欲を持たない者が多い。何故かわかるか」


「…わかりません」


「神は願いからできているからだと言えばそれまでだが…1番の理由はそもそもそこまで自我ができている神が少ないからだ。」


「自我、ですか」


「お前はここに来るまでにどれだけ人型の神と出会った?数えるほどもいないだろう。願いから生まれた神が人型を保つには相当な信仰と神格が必要だ。人型ではない神は御使の獣でもない限り神力を持つことはない。ふわふわとそこら辺を漂う綿毛のようなモノにどうやって盗みができる?」


紀清がそうピシャリと言い放つと、翠河は心当たりがあったのか「そういう事だったんですね…」とひとりごちた。


しかし紀清はそんなことを言いながらもこころの中では(いるんですけどね〜〜!そんな私欲を持った神!!!!そしてその通り鍵かけてなかったせいで殺されちゃうんですけどね〜俺が!!)なんてことを考えていたのだが。もちろん頭に浮かぶのは鉄扇で口元を隠し微笑む紀清の同期の神の姿だ。


「しかし金岳邸だけは別だ。あそこは警備が天上界一固く、見張りだけで金岳派の神々の三分の一が割かれている。あそこに行くには我々五神でさえ許可証が必要だ」


「え、主神様方でも許されていないのですか!?」


「あそこはいわば機密の宝庫だ。天上界に存在する重大な情報や物は全てあそこに収容されている。だから逆に我々の邸にはそう言ったものが何もない。あるとしてせいぜい我々の寝床くらいだ」


紀清はこの時、自分がRPGの解説キャラにでもなったような気分で原作知識をフル活用して質問に次々と答えていた。話すたびにいちいち向けられる尊敬の視線が多少こそばゆい気もするが、悪くはない。

霞ノ浦も神としての歴自体は長いものの、神派のことには今まであまり関わったことがなかったため、紀清の話すことをとても興味深いと思いながら聞き入っていた。


「もう良いだろう。後の質問は中で受け付ける。早く中に入るぞ」


そう言って紀清がさっさと門を潜って唐突に手を離す。これは紀清のほんのいたずら心からくるものだったが、突然手を離された二人は水に落ちると思い、慌てて手の届く範囲にいた互いにしがみついてぎゅっと目を瞑った。しかし、しばらく経っても来ない水の気配に恐る恐る目を開く。

すると、床の水面は先ほどと変わらず揺らめいていたものの、その上に板一枚分の透明なガラスのようなものが敷いてあることに気が付き、翠河と霞ノ浦は同時にホッと息を吐いた。その後自分たちがどういう体制であるのか気がついた彼らは慌ててバッと互いに離れて「す、すみません!」「ごめんなさいっ」と頭を下げ合う。


紀清は(自分が仕掛けたことだけど、こんなにもうまくいくとは…)なんて思いながらそんな初々しい主人公とヒロインのやりとりをホクホクした気持ちで見守っていた。まあ、様子を見る限り互いに恋愛感情はまだ芽生えていないようだが、それはこれから一緒に任務をしていくうちにだんだんと芽生えていくことだろう。紀清はうんうん、と満足げに頷く。


しかし二人のこのままだと一生謝罪しあっていそうな様子に、流石に止めに入らなければと思い、紀清は二人の間を通りながら「行くぞ」と声をかけ道をさっさと歩き始めた。すると慌てたように二人が後ろからかけてきたので、まるで小さなひよこがぴょこぴょこと親鳥についてきているようだななんて紀清は思う。

そうやって歩いていくと、そう時間もかからないうちに本邸の扉の前までたどり着いた。


「ここが本邸だ。私の住んでいるところで、修行場も一部はここに。他の弟子たちはみな違う別棟にそれぞれ住んでいる。霞ノ浦には後で女性別棟への案内をつけよう。」


「ありがとうございます。」


そうして扉に手をかけガラガラと音を立てながら開くと、途端に目にも止まらぬ速さで白い塊が鳩尾へと飛び込んできた。その勢いに紀清は思わず胃からせりあがってくるものを感じたが、常にキャラ崩壊を恐れていた紀清はそれを見事気合いで堪えた。白い塊を両手で抱え目の前に持ってきたことで、その正体に気がつく。


「ッ…貴様、氷雪丸!」


そこにいたのは数日前助けてやったのに勝手にも職務を放棄して引きこもった氷雪丸の姿があった。怒鳴られたことで耳はペタンと伏せられているが、目は雄弁に「なんで部屋にいなかったんだ」とばかりに文句を言っている。そしてそのままいつも通り話そうとでもしたのか氷雪丸がその小さな口を開いたところで、横で翠河が驚いたように声を上げた。


「ね、猫…!?」


「…ハァ、此奴は氷雪丸。私の御使の猫だ。」


するとようやく翠河と霞ノ浦の存在に気がついたのか、氷雪丸は口を半端に開いたまま目を見開いて石のように固まった。そのままはくはくと口を動かした後、縋るような目で紀清の方を見る。

紀清はそれに(なんだその目は…お前が引きこもってたのが悪いんだろう)と思ったが、次の瞬間頭の中に《だって、まさかもう既に主人公が来てるなんて思うわけないじゃないですか!》という声が響いたことでピタリと動きを止めた。隣から訝しげに霞ノ浦の「主神様…?」という声が聞こえる。


それに「ああ、なんでもない」と答えつつ、紀清は心の中で盛大にツッコミを入れた


(氷雪丸、これはなんだ!!なんでこんな“声が直接脳内に…!?”みたいなことになってんだ!説明しろ!!!!)


《これはただ私の持ってる神力を利用してあなたとの縁を強く繋いだだけです!!原作でも冥炎さんが御使の鷲相手に同じことやってたでしょ!!》


(それ俺知らねえよ!!お前のせいで変わった原作には載ってなかったんじゃねえの!?)


《マジですか!?!そんなとこまで変わってたんですか!?ええいとにかく、御使の獣にはこういうことができるんです!!!!!!》


(だぁーーっ!!心の中でも声がでかい!!うるせえ!!)


そうやって心の中で激しい言い合いを続けていると、気づかないうちに近くに寄ってきていた翠河が紀清に抱えられている氷雪丸のことを覗き込んでいたことに気がつく。


「へえ、これが主神様の分身とも言われる御使か…たしかに、紀清様の如く白くお美しい姿だ…」


主人公にキラキラとした視線で見つめられてなんだか居た堪れない気持ちになったのか、バツの悪そうな顔をした氷雪丸がおずおずと紀清の腕の中から飛び降りた。


「に、にゃー」


必死に喋れることを隠して猫のふりをする氷雪丸の姿がなんだか面白く、紀清はふっ、と目尻を釣り上げて笑った。しかしその様子に気がついた氷雪丸から《何笑ってんですか!!!!》と怒られてしまい、その声量があまりにも大きかったため頭が痛くなった紀清は片手で額を押さえる。


(うるせえ…)


すると、そんな騒がしい玄関の様子に気がついたのか、扉の奥の方からとてとてと可愛らしい足音を立てながら時雨が走ってくるのが見えた。


「時雨。」


「紀清さまー!帰ってこられたのですね!」


そうやって花が綻ぶような笑みを浮かべてこちらを見上げる時雨の姿に、ついつられて僅かに口角が上がる。しかしキャラ崩壊を恐れた紀清はすぐさま表情を無くし鼻を鳴らして「今帰った。」と無愛想に告げた。

これで完璧に誤魔化せたと思っていた紀清は、それの後ろで翠河と霞ノ浦が“この神様は思ったより怖い人ではないのかもしれない“なんて目を見合わせてくすりと笑い合っていたのに気がつかなかった。


「あ、新しい子たち!今年は二柱ですか…!良いですね、良いですね!久々の後輩!」


「ああ。こちらが翠河、こちらが霞ノ浦だ。」


「よろしくねー!」とはしゃいで時雨は感激したように霞ノ浦と翠河の手をつかんでブンブンと振る。

その勢いに若干気圧され気味の二人だったが、翠河は持ち前の人懐っこさを発揮し「こちらこそよろしくお願いします!」と笑顔で返事を返した。時雨はその様子にすっかり翠河のことを気に入ったのか「じゃあ君は翠河だから…翠ちゃんね!」と言い放ち、それに翠河が「す…翠ちゃん?」と動揺しているところで今度は霞ノ浦の手を取った。


「ねえねえ、女の子の神様久しぶりで嬉しいな、なんて呼んだらいい?霞ノ浦だから…霞ちゃん?どうかな?」


「か、霞ちゃん…」


神として正統派とも呼ばれる方法でしっかりとした育ちをしてきた霞ノ浦は、そんなフランクに呼ばれたこともなく、初めて出会うタイプの神にすっかりと困り果ててしまい、助けを求めるような目で紀清の方を見た。

流石に可哀想になってきたので、紀清は咳払いをして時雨の肩に手を置く。


「時雨、そこまでにしてやれ。お前には仕事を任せる。こちらの霞ノ浦を女性別棟へ案内するんだ」


「!わかりました!こっちおいで霞ちゃん!」


「ま、待ってください」


そのままハイテンションに腕を組まれて引っ張られていった霞ノ浦を尻目に見つつ、紀清は翠河の方に体を向けた。


「翠河、お前は私についてくるといい」


「はい!」


そのまま男性別棟へ行くために歩き始めた紀清だったが、しばらく進んだところではたと足を止めた。

そういえば、弟子用の部屋にはもう空きがないのではなかったか。紀清は、神選の儀に向かう前に確認した時に男性別棟の部屋の空きがもう既になくなっていたことを思い出した。


元々金岳派のように大人数を想定して作られたわけではない水泉邸はそう大きくはない。それに泉の上にあるため増築もそう容易ではなかった。…おそらくここ数年は水泉派に新たな神が入らなかったため問題はなかったのだろう。

来年は増築するべきか…いや、でも主人公が来てから少なくとも向こう十年は誰も新しい神はこなかった気がする。俺が読んでいたのは改変された原作だからもしかしたら本来は誰かいたのかもしれないが…


(氷雪丸、主人公の後って誰かここにくるっけ?男の神)


《来ないんじゃないですかね。だって僕主人公の後に来る人とか全く考えてませんでしたから本編にも出してませんし》


(…じゃあ、わざわざ増築はしなくてもいいかな)


しかしそうなると、問題は主人公をどこに住ませればいいのか、だ。

天上界に自分の社がある神はそこで暮らすという選択肢もできるが、なんせ翠河は人上がりなのでそんなものはない。どこか空いてるところといえば本邸…紀清が住む場所だけだ。しかし本邸に弟子を住ませる主神の話なんて聞いたことがない。時雨は紀清の身の回りの世話をする関係で別棟ではなく本邸の近くの部屋に住んではいるが、結局本邸に住んでいるわけではない。どうしよう…


(なあ氷雪丸、主人公は原作だとどこに住んでたんだっけ)


《うーん、そこまで考えて書いてなかった気がしますが…だって本編のメインって戦闘なんで基本的に登場する場所は修行場ですし》


(そんな嘘だろ…役立たずめ)


《なにおう!?そんなんだったらいっそ本邸に入れちゃえばいいじゃないですか!使ってなくて空いてる部屋はいっぱいあるんだし、主人公の動向も見張りやすいし!》


(ハッ!その利点があった!!)


ただ弟子を本邸に住ませるとなれば抵抗があったが、そういえばこいつは主人公なのだ。主人子が自分の目の届く位置にいて何が悪いことがある!むしろ流れがわかっていいことだらけじゃないか!


何故か突然足を止め、顎に手を当て考え込んでいる様子だった紀清に声をかけるかどうかで悩んでいた翠河は、唐突に紀清の顔がぐるりとこちらを向いたことでビクッと肩を跳ねさせた。


「…やはり、お前はここに住め」


「ここ、ですか」


「本邸だ」


「本当ですか!しかし、何故本邸に…」


「別棟が空いていない。本邸には空き部屋がたくさんあるのでその一つを使うといい。今から案内する」


「わかりました!」


そう言ってニコニコと後をついてくる翠河は、事の重大さをよくわかっていないのかただ純粋に嬉しそうだ。


「本邸には私以外誰も住んでいない。他の神派も決して本邸に弟子を住ませるところはない。本来一番の新入りがこんなことはあり得ないんだがな…」


紀清がなんでもないことのようにそう言うと、翠河は驚いたように目を瞬き若干後ずさった。

翠河はてっきり、他にも何人か弟子が本邸には住んでおり、自分もその一人になるのだろうななんて気軽な気持ちでいたのだ。神の事情にまだ疎い翠河でも、この事態が只事ではないのだいうことはよくわかった。


「それはあの、し、時雨様もですか?」


「そうだが…そもそも時雨は女神だろう。一緒に住むのは少しな…性別の概念があまり神には関係ないとはいえ、女性であることに重点を置いて個性とする神もいるので私はそこには結構気を使うのだが…」


というか紀清の中身としてもあまり年頃の女子の見た目をした神と一緒に住むのはちょっと抵抗があるというか…いや別に何もやましいことがあるわけではないのだが、逆に女性型の女神はそういうことを気にしない者が多いのだ。言ってしまえば無防備なのだ。先程紀清は神には欲がないとは言ったが、ここにいるのは人型を取れる自我のある神々だ。つまりそこら辺も多少は気にしなければならない。わざわざ寝場所を男女で分けてあるのにはきちんと意味がある。


まあ正直紀清も原作を読んでいた時、なんで一番身近で世話してる時雨もここに住んでいないんだろう、不便そうだな。なんて思っていた人間の一人ではあったが、紀清となった今はその気持ちはなんとなくわかってきていた。男女みだりに関わるべからず。多分紀清はそれを主神自ら破るわけにはいかないという思いもあったんじゃないだろうか…


「たしかに…そうかもしれませんが。しかし、新入りの自分が突然そんなこと許されるのでしょうか…」


「…空きがないのだ、仕方ない。追加で部屋を作るのも簡単ではない」


「ああ、いえ主神様が良いのであれば自分は全然構いません。むしろお側にいられるなんて光栄です。」


そう言って僅かに顔を綻ばせた翠河の姿をみて紀清は(よっしゃこれで主人公を手中に収めたぞ)なんて悪役さながらの考えを抱きながらも、表面上はいかにも不本意ですと言った顔をして目を細めた。


「ならば構わないな。お前の部屋はここだ。私の部屋はそこの角を曲がった先にある。夜を騒がしくしたら外の泉に落とすからな」


「も、もちろん!騒がしくなんていたしません!」


慌てたように両手を胸の前で振る翠河の姿をみて、紀清はフッと一つ笑い声をこぼしてから本邸の案内を続けるのだった。


「ここが私の仕事部屋…江室こうしつだ。大抵昼間はここにいる。用がある時はここにくるといい」


「なるほど、わかりました。師匠はこの部屋でお仕事をなされるのですね」


「…ああ」


紀清は思った。今ならラノベが書けそうだと。タイトルはそうだな…案内していくうちにいつのまにか翠河からの呼び方が主神様から師匠になっていた件について、なんてどうだろうか。

別にたしかに神派に入ったからにはそこに存在している関係性は師弟関係であるし、時雨や他の神だってそう呼ぶ時もあるためなんの問題もないのだが…なんだか、距離が近くないか?


紀清は師匠師匠とついて回る翠河を見てまるで子犬のようだなと思いながらも、自分の知る原作改の超絶魔王様の主人公の印象と全く現在の様子が結び付かず頭が混乱する思いだった。原作改のほうは復讐のターンが長すぎて全く初期の純粋な頃の主人公の様子が思い出せないのだ。むしろそんな時期あったか?ってレベルだった。


(おい、作者よ。紀清はその…元々の原作ではどんなやつだったんだ?)


《大まかには変わりませんよ。私だって紀清を演じていたんだから当たり前です。変わってることといえば大元の原作は悪の道に落ちなかったってことくらいですよ》


(じゃあなんでこいつはそんな無愛想で冷たいはずの紀清にこんなに懐いてるんだ?)


《知りませんよ!そんなこと私に聞かないでください!!》


(いやお前作者だろ!!)


まさかの原作者の発言に思わずツッコミを入れる紀清。

しかし、これに関しては作者は悪くないのだった。なぜなら紀清本人は自分がよく(口の端を上げる程度だが)柔らかな笑みを浮かべたり、案外質問に律儀に答えるなど、面倒見のいいことをしていることに気が付いていない。

翠河は初めは怖い神だと思って少し怯える気持ちを持っていたものの、紀清のたまに漏れ出る優しいところを見つけては“この神様は素直ではないだけで、本当はすごく優しいお方なのかもしれない”という思いが膨らんでいき、最終的にすっかり懐いてしまったというわけだ。だが、完璧に紀清として振る舞えていると思っている本人や氷雪丸はそれに気がつかない。


翠河は突然大きなため息を吐いた紀清を怪訝な表情で見上げた。


「師匠?」


「…いや、なんでもない。それより翠河よ。お前は一年前に人上がりしたと言っていたが、お前のその時の年齢は何歳なのだ」


 翠河は突然の質問に驚きつつも、特に隠すことでもないため素直に答えた。


「18です。」


「成長はしているのか」


「は、はいおそらく。昨年よりは背が大きくなっていました」


そう言って伸びたことを示すためかおでこの辺りで敬礼のポーズのような体勢で手を当てた翠河の姿に、紀清は(18になってもまだ伸びるのか…いや、たしかに原作だと紀清と同じくらいの身長になっていたな…)なんてことを考えた。しかし本題はそこじゃない。


「そうか。では、おそらく後数年に成長は止まるだろう」


「そうなのですか」


翠河は驚いたように目を瞬かせながらも、どこか腑に落ちたと言った様子で自分の体を見下ろした。


「お前は人上がりだ。人間が神気に馴染むには最低5年は必要だとされている…が、反対に馴染んでしまえばその身は完全に神のものとなり、元が人である分神格はより強固なものとなるだろう。」


「なるほど…神は姿が変わらないと聞いていたので、自分の爪と髪が伸びることを前から不思議に思っていましたが…そう言うことだったのですね」


そう言って翠河は納得したようにしきりに頷きながら自身の爪や髪を弄った。しかし、はたと気づく。なんで師匠はその事情について詳しいのだろう。


「師匠、何故そこまで人上がりに詳しいのですか?」


「…」


その質問に、紀清はわかりやすく困った顔を浮かべた。同時に足元で毛繕いをしていた氷雪丸も思わず舌を出したままの姿勢で固まり上を見上げる。


(……これって言っていいんだっけ)


《…いやまあ、別に原作の紀清はもういないし君がいいんならいいんじゃないですかね…》


「す、すみません。何か聞いてはいけないことを聞いてしまいましたか」


そのただならぬ二人の様子に翠河は思わず狼狽える。紀清からすればそんなつもりは一切なかったのだが、翠河にとっては一気に場の空気が重くなったように感じられた。


「いや、構わん。ただ…」


そこで紀清が言葉を止めたところで、丁度遠くの方から「紀清様ーー!案内終わりましたー!」という声と共に霞ノ浦の手を引いてかけてくる時雨の姿が見えた。


紀清と翠河は心の中で同時にほっと息をつく。一方は、師匠の機嫌を損ね重くなってしまっていた場の空気が払われたのに安心して、もう一方は…原作で紀清が最後まで明かさなかった秘密を言わなくて済んだことによる安堵のため息だった。


(いや…ここで明かすのはなんか違うよな…)


紀清は結構セリフに付属する場の雰囲気とか場面とかを重視するタイプの人間だった。


「ひとまず、お前たちは疲れただろう。部屋で休みなさい」


翠河と霞ノ浦の方を交互に見ながらそう言った紀清に、それを素直に自分たちへの気遣いだと受け取った二人は「「ありがとうございます」」と声を揃え礼をしてその場を立ち去った。


その後別棟へ向かった霞ノ浦とは逆に、いつまで経っても本邸から出る様子のない翠河に疑問符を浮かべていた時雨だったが、紀清が「あいつは本邸に住ませることにした」というと「ええっ!?」と驚愕の表情を浮かべて手で頬を覆った。


「あの子、本邸に住ませるんですか!?」


「そうだ」


「でも、まだ新入りでしょう?」


「部屋が空いていなかった」


なんでもない様子で紀清は言う。しかし、時雨にとってはそんなことでは済まされない案件だった。


「でも、まさか私が本邸の近くに住むのでも渋っていた師匠がそんなこと自分から言うなんて…」


てっきり、紀清様は人の気配が苦手なのだとばかり…と言葉を続ける時雨に、紀清は呆れたように肩をすくめた。


「…お前は女神だろう」


「そうですけど!!でも、だって、あーーもうずるいっ!私も師匠のおそばに住みたかった!」


「…別に住まずとも、昼間はずっとそばにいるんだからいいだろう。」


「それとこれとは違うんですっ!」


掌をパンッとたたき、前のめりになって言い募る時雨の圧に紀清は思わずのけぞった。


「いいなあ、新人くん。紀清様のおそばに住めるんだ。師匠、私が本邸に住んだらもっといっぱいお世話できますよ!朝のお手伝いだってできるし、夜だって師匠がうっかり机で寝ていたら毛布をかけてあげられます!」


しかし言い募る内容があまりにも紀清のことを思っているものだったので、紀清は若干気恥ずかしくなりながらも「そこまでしなくとも…いつもお前には助けられている。ありがとう」と言い放った。


紀清がそこまで素直にお礼を言うことはたいそう珍しいことだったので、時雨は目を見開いて一瞬驚いたものの、すぐに何を言われたのかをじわじわ理解していき、心に温かいものが広がるのを感じ満遍の笑みを浮かべた。


「えへへ、好きでやってることなので」


時雨には紀清への返しきれない恩があるのだ。

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