第九話 宿命的神選◆
「ほう、今年は五柱か」
目の前に緊張した面持ちで並んでいるのは若い姿の神たちが5人。それは、先ほど紀清が凡陸と王林の目の前で宣言した数と同じ数だった。紀清は静かに佇み目の前の神たちを見定めている…わけではなく、心の中で原作の場面に立ち会えた感動を噛み締めていた。
「お、紀清の読みが当たったな」
「はっ、きっと偶然でしょう」
王林に鼻で笑われたものの、この時紀清は目の前の少年少女の姿を目に焼き付けることに忙しく、王林の皮肉げに歪められた目線も視界に入ってはいなかった。王林は紀清からの反応がなにもないのをつまらなく思い、肩をすくめて紀清から視線を外す。
観察していくうちに、服装や仕草からこの中にいる主人公とヒロインの姿を見事見つけた紀清は思わず目を細めた。さすが主人公、オーラが違う。
(愛爛に、阿泥に吽泥。それにヒロインの霞ノ浦に…主人公の翠河。彼らが後々神派次世代組として絆を深めていく五人組か…!)
紀清が生前読んでいた原作改の方では、今目の前に並ぶ彼らこそが次世代の神々として凄まじい成長を見せ、見事全員が己の所属している神派の一番弟子の座についていたはずだ。まあ、主人公は闇堕ちして新しい神派を築いたわけだが。
紀清はこの時、愛読していた小説のこんな場面に立ち会えるなら紀清として過ごすのも案外悪くはないとさえ思い始めていた。
「ほラ、ではそこの左の少年からだ。神名と願いを言うてみナ」
逢財が一番左に立っていた少年の方をビシッと指さす。いきなり指名された少年は肩を揺らしたが、すぐに姿勢を正してキリリとした表情で五神の正面へとやってきた。
(うわー、さすが主人公。輝きが違うっていうか…でもまだ初々しいなあ。これがまさかあんなふうに成長………うん。今考えるのはよそう)
まだ初々しい少年然としたその姿に未来の禍々しい堕神へと変貌を遂げた姿が全く重ならない。
(是非とも彼にはこのまま成長していただこう…)
紀清は心の中でこのふわふわのわたあめのように真っ白な少年の心をこのまま守り通そうと密かに決意した。
「はい!私は神名を翠河と申します。こうして儀に来ることは叶いましたが、神としてはまだまだ未熟者です。つい一年ほど前に人間から神へと成りました。己の願いは…わかりません。それを知るために修行を積みたく、ここに来ました。」
翠河のその言葉を聞いた途端、五神の間にざわめきが走る。
そう、紀清の読んでいた原作改でも主人公の当初の目的は自分の神格を作り上げた願いを探すことだった。しかしそれどころではないことが本編で起きたため、結局その核の願いについては紀清も知らないのだ。これも伏線回収のしそびれなのだろうが…
(あいつなら知ってるかな)
紀清は氷雪丸が引きこもり生活から脱却した瞬間捕まえて改めていろいろと詳しく聞くことを決意した。
「驚いタ、神の存在意義とも言える己の願いを知らないとはナァ」
「たった一年で神選の儀に来れるほど信仰を集めたとは。なんと素晴らしい」
「しかし願い無くしてどうやって信仰を集めたのでしょう」
「自分の本来の願い以外の方法でも信仰を集められるなんてすごく優秀だわ。そんなこと私たち主神にしかできないと思ってた」
そしてここで冥炎の言った通り、自分の核となる願い以外で信仰を集めることはとても難しい技だ。しかし翠河はそれができるのだ。なぜなら、主人公だから。原作改の方でも妖相手に信仰を集めていたが、あれは主人公にのみ許された特別な力があったからできたことだった。
「翠河…河…水の名ね。じゃあ紀清のところかしら。良かったわね紀清、久々に入る子が優秀そうな子で羨ましいわ」
冥炎が頬に手を当てて揶揄うように紀清の方を流し目で見る。紀清は心の中は突然の指名に心臓が音高く脈打っていたが、表情だけはなんでもないような平然とした様子を装って「ふん」とそっぽを向いた。
紀清の名前を聞いた瞬間主人公が該当する人物を探すように五神の間を目を彷徨わせる。
「紀清様…と言いますと…」
「私だ」
紀清が静かに名乗りを上げる。すると主人公が紀清の姿を目に留めた瞬間目を輝かせた。
「…!なんと、あなたが紀清様だったのですね…!」
「…」
紀清は心の中で激しく狼狽した。こんなシーン原作にあったっけ…覚えていない。
そもそも八百万戦記は長編の大作小説であって、リアルタイムで連載を追っていた紀清にとって初めの頃の話を読んだのは年単位でだいぶ昔のことだ。のちの話に関わらないような細かい出来事をいちいち詳細に覚えていないのも仕方がないことであった。
「おそらく貴方様は覚えておられないでしょう…私が神へ成ったその日、天上界ではじめての場所故にどこに行けばいいか分からず途方に暮れていたところ、紀清様が名付けの神の元まで案内してくださったのです。その上足の怪我の手当てまでしていただき…あの時はありがとうございました」
そう言って深々と頭を下げる翠河の姿に、冥炎が驚いたように口に手を当てて紀清の方を振り返る。
王林は否定をしない紀清の様子を見て僅かに目を見開いて鉄扇を広げて口元を覆い隠した。
「あら、紀清そんなことしてあげてたの?」
「紀清殿にしては随分とお優しい。それともこうして彼がここに立っているということは…紀清殿には才能を見抜く目でもおありなのでしょうか?」
「ふん」
紀清は王林の皮肉はそっと無視をすることにした。しかし何故か他の五神からもほほう、と感嘆したような声が漏れ聞こえてくる。紀清は、自分が転生して入る以前の行動で何やら見直されてしまったためその視線に居た堪れなくなり無愛想な返事と共にそっぽを向いて腕を組んだ。
(そんなエピソードあったのかよ…!)
そういえば作者は翠河は慕っていた師匠の復讐を遂げる王道ストーリーだと言っていたな…。なるほど、師匠と弟子の親密度を上げるために初めの原作の時にはこの話が用意されていたのか。それで作者の氷雪丸が入った時にはその行動をしなかったから俺は知らないというわけだ。紀清は、こういったことが続くなら氷雪丸を意地でも、なんなら糸で縫い止めておけば良かったななんてことを考えつつ、感激したように言葉を紡ぐ翠河の方じっと見た。
「あれから私はあの時出会った神様に一目会ってお礼を言いたいと、まずは己の神格を高めようと思い信仰を集めここまでやってきました。しかし、まさか五神様の一人だったとは…」
「信仰なんてやる気があって集めれるものでもないのにねぇ。私、そういう一生懸命な子結構好きよ」
冥炎が翠河に顔を近づけるようにしゃがんでそういった。冥炎ほどの絶世の美女にどんな意味であろうと“好き“などと言われて頬を染めない男がいるはずもなく、まだウブな主人公も例に漏れず頬を少し赤くして慌てたように頭を下げて後ろへ下がった。
「イイじゃないカ、翠河は目的の人物に出会え、紀清は優秀な人材を手に入れると言うわけだ。双方にとってなんの損もナシ!というわけで翠河はお前のところで良いナ、紀清?」
「構いません」
(やっぱこうなるよな〜。てか王林とか原作改の紀清の一連の出来事全部主人公が神派に入ったことが原因で起こってるんだよな…さっきみたいに多少は違う流れになる可能性もあるけど、どっちにしろ主人公は何かしら事件を運んでくるんだろうな…)
だって主人公だもの。なんて思いながら紀清は翠河の隣に立っている女の子に視線を移した。彼女は『八百万戦記』のヒロインの女の子だ。まあ、原作改の方では最終話で死んでしまうのだが、正規ルートではきちんと主人公と結ばれて家庭を築くらしい(と氷雪丸が言っていた)
「次は隣の女子ダ。神名と願いを言うンだ」
「私は、霞ノ浦と申します。数百年前に豊作を願って祀られたお社由来の神です。能力というほどではありませんが、特性としてすでに種が撒かれている状態ならばその植物を好きな成長時間まで引き上げ止めることができます。」
そうやって淀みなく話す様子はとても落ち着いており、大変頭のいい印象を与える。自分の社が地上にあるということは、おそらく神格も高いのだろう。そして何より注目すべきはその美貌だ。浅葱色の髪の毛を靡かせ歩くだけで場が華やかになったようにすら感じ、その真白い肌に目尻と薄い唇に塗られた赤い紅が映えておりたいそう美しい。どこからかほう、とため息が聞こえてきた。
「“豊作の神“だけならば木谷派だが…神名は水だな。」
「水も豊作の要素の一部だからナァ。雨乞いを中心に願われた社だったのかネ」
そうして場の空気が“これはまた水泉派だろう”という雰囲気で纏まろうとした時、王林が鉄扇をシャンと音を立てて閉じて抗議するように片手を上げた。
「しかし、やはり能力に合わせた神派に入るのが良いのではないでしょうか。我が木谷派には植物に関する神が多くおります。彼女も馴染めるのではないかと」
しかし、すでに最大の決め手である神名が出てしまっているため、あまり王林の意見に賛同する声は見られない。
「神名は嘘をつかぬ。例年通り名代様の導きに従おうではないか。紀清、またお前のところだ」
その視線を受けて紀清は軽く顎をひいて頷いた。
なんせ、こうなることはとっくに分かっていたからだ。ヒロインは本編にて主人公と修行の日々を過ごすうちに段々と絆を深め最終的に恋愛にまで発展する…つまり、その条件を手っ取り早く満たすには主人公と同じ神派にならなければならない。ヒロインの所属神派は水泉派だ。
訴えも虚しく、自分の意見が袖にされてしまった王林は眉を顰めて唇を噛む。唇に血が滲んできたところで、そちらを見る逢財の視線に気がつき、ニコッと笑顔を返して広げた鉄扇でその視線を遮った。
逢財はその後もしばらく王林の方を眺めていたが、やがて諦めたように小さく息を吐くと改めてみんなの方を向き会話の輪に混ざる。
「それにしても、二人とも水泉派とは」
「そうだナァ。どちらも優秀そうで何よりダ」
そうしてそのまま選別を終え、ペコリと頭を下げて後ろに下がった霞ノ浦と入れ替わるようにそっくりな見た目をした二人が手を繋ぎながら前へとやってきた。
この二柱の獣の様な姿をした双子の神は阿吽像の付喪神で、名前は阿泥と吽泥。二人とも土の字を持っていたためすんなりと土丘派へ。最後に残った少女は恋の願いから生まれた神で愛爛。火の字を持っていたため無事火峰派へと入門した。
その後、入門を確実にするため複雑な段階を踏んだ儀式も無事終了し、ある程度の自由時間となった。
阿泥と吽泥が凡陸の元へやってきて片方はハキハキと、もう片方は小さな声で挨拶をした。
「「お世話になります、主神」」
「カハハ、よいよい畏まるな。我らが神派に来たとなれば上下関係などは不要、ただ互いにぶつかり合うのみよ。」
一方、冥炎に挨拶をしにきた愛爛は冥炎の姿を認めた途端はしゃいだ様子で自分の頬の横で両手を合わせた。
「私、こんなに美人のオネーサンのところに入門できちゃうの?やった、やった!よろしくお願いします、主神!」
「あら、うさぎのように飛び跳ねてかわいい子。それに、恋の女神だなんてロマンチックだわ。家に着いたら貴方のお話いろいろ聞かせていただける?」
その様子を見て、凡陸も冥炎も年下の神に懐かれて悪い気はしないのかいつもより機嫌が良さそうだ、と紀清は思った。
そもそも、皆に緊張した様子はあったものの、それは神選から落とされることを危惧した緊張ではなく、ただ目上の存在である五神に会えたことからの緊張だった。元々儀式の所まで上ってくる神がここで落とされることはほとんどありえない。つまりはただの形式上の顔合わせだった。
「と、いうことで今回残念ながら金岳派は一人も居なかったガ、皆神派に入ったからには主神の言うことをよく聞き、神格を上げる修行に励むのダ。」
「あら、そんなこと言って、別に残念でもないでしょう?逢財は去年の子たち全員引き取ってったんだから」
「馬鹿を言うんじゃアない、冥炎。我らが金岳派は世の財運を全て司っているンだ。人手なんて何柱分あったってたりやしナイ!零柱だろうと十柱だろうと、毎年全員掻っ攫っていきたいくらいダ!
「でも貴方のところ多過ぎよ。一体何千柱いるの?この前お邪魔した時びっくりしたんだから」
「それだけ金の字を持った神が生まれているということヨ。金の願いは絶えぬ、ってことだナァ」
そうしてはっはっはと笑う逢財にふうん、と呆れたように肩をすくめる冥炎。
しかし…紀清は思う。日本に金という概念ができてからずっと存在している逢財に対してこんな態度を取れる神は何処を探してもきっと冥炎くらいだろう。
「では、今年の儀も終わったということならば我は新たな子らを案内するので失礼させていただこう」
「私もそうさせていただくわぁ。ほら、こっちへおいで?愛爛。私と一緒に新しいお家へ行くわよ」
そうして新たな神々を連れ立って二柱はそれぞれの領地へと帰っていった。
すると鋭い視線を感じ紀清は後ろを振り向く。そこには鉄扇で口を隠しているせいで表情は分からなかったが、王林が目を一瞬鋭くしてそのまま何も言わずに立ち去っていった。
突然前触れなくそんな視線を受けた紀清は訳もわからず足元がふらつくように感じたが、新たな師弟たちの手前そんな姿を見せるわけにもいかず目を軽く伏せて堪えた。そのまま逢財の元へ歩いていき挨拶を告げる。
「では、私も失礼します」
「お、そうかイ。数年ぶりに新しい神がきて良かったナ紀清。」
それにペコリと会釈を返し、主人公とヒロインを隣に連れ立ってきた道を戻ろうとした時、「ちょっと待テ」と逢財に声をかけられ耳を貸せというジェスチャーをされる。紀清は疑問に思いつつも言われた通り近くに寄り、逢財の身長に合わせて少ししゃがんだ。
「なんでしょうか」
「のう…王林のことなんだガ、あいつは昔お前と仲が良かっただろウ?だから何かわかるかと思ったのだガ…あやつ、今回のことで随分と気落ちしているんじゃないだろうかと思ってナ。なんせ数十年未だ木谷派には新しい神が居らぬ」
そう言われて、紀清は先程の鋭い視線を思い出した。
そういえばそうだった。確か、それも相まって新しい神を得た(しかもその年において特に優秀な二柱)紀清に嫉妬し、同時に年が経つごとに実力を上げていく翠河と霞ノ浦のことも妬んでいたのではなかったか。だから原作改において氷雪丸の入った紀清と王林が結託したあの出来事が起こったのはこの神選びの儀から数年は経った後の未来だったはず。
それにしても…紀清は思う。そうか、数十年誰も入っていないのか。運といえばそれまでだが、あの時必死に霞ノ浦を木谷派に引き入れようとしていた理由もそれを知って納得できた。
しかし本物の紀清ではない自分が王林について語れることなんてメタ知識しかないわけで、彼が気落ちしているかどうかなんてわからないし、なおさらかける言葉なんてものがあるわけもなかった。
「…王林とは、もはやすでに道を違えた身。私に語れることはありません」
「…そうカ。すまんな、引き止めてしまっテ。さて子らヨ、此奴は気難しいがイイヤツなんダ。是非いうことを聞いてやりナ」
いつの間にか近くに寄ってきていた翠河と霞ノ浦に向かって逢財が声をかけると、二人は揃って「はい」と元気に返事をした。
それにしても、王林。原作では誰一人自分のことを気にかけてくれる奴なんていない、皆が皆自分を見下しているんだと嘆くセリフがあったが…一人でいたのを気にしていた凡陸や、逢財。それに友人として変わらず接してくれている冥炎…紀清がどう思っていたかはわからないが、なんだみんな気にかけているじゃないか。
案外王林が素直になってさえいれば、何の惨劇も起きなかったんじゃないかと思うんだが。
紀清は背後に控えている二人に前を向いたまま声をかけた。
「それでは行こう。我が神派が収める土地…水泉へ。」