始まりの朝
鳥のさえずりが聞こえる。
カーテンのひかれるささやかな音に目が覚めた。
涼しい風がふわりと部屋を揺らす。
精霊に祝福された地特有の心地よい風だ。
瞼をあげて目に飛び込んだ見覚えのない天井に、ああそう言えば昨日から寮だったとぼんやり思った。
「おはようございます、ルチア様」
「ん、おはよう」
起きたばかりの私に少し遠くから挨拶をして、目覚めの飲み物を用意し終わったライアンが部屋を出る。
水差しに薬草茶、紅茶、アイスティー、ミルク、果汁、水……と取り揃えられている様子を見て、従者になってすぐはコレしかなかったなと思い出しながら薬草茶を選んだ。
ライアンは私の目覚めと共にカーテンをひき窓を開け、朝の一杯の準備をしてから部屋を出る。性別が違うので着替えの手伝いはできないので、屋敷では侍女に引き継ぎ、それ以外では私が自分で着替えるのを待つ。
そして朝食の準備をしにまた戻ってくるのだ。
ふわりと香る薬草茶に口をつける。
新しい環境になってもこの薬草茶を飲むと落ち着けるのは、7年の長さを感じるなあ。
昨日の入学式と寮分けはとんでもない衝撃だった。
しかも何故か爆発イベントはそれ自体がなかった。
あの爆発の原因は上級生なので入学式の最中の新入生にはどうしようもないイベントだと思っていたのだけど、どういうことか。
予想外の事態に困惑したり反省したり、旅の間に臨機応変に動くことには慣れたつもりでいたけれど、まだまだだったらしい。
それでも今こうしてライアンのお茶を飲んでいるとまあなんとかなるかと思えてくるから不思議だ。
薬草茶の独特の風味が寝起きの頭をスッキリとさせてくれる。
着替えをすませて少ししたらライアンが朝食を持って戻ってきた。
さて、この学園、勿論食堂があるのだが、従者と入学した貴族が使うことはほとんど無い。従者が主人の部屋までわざわざ運ぶからだ。
貴族としての体面と、もし知り合いに会ったり格上の人に会ったりした時の貴族的な挨拶をしたりしていれば食堂が混雑して仕方ない。
学園には平民も他国の人間もいるのだ。
なので基本的に食事は自室でとるのだが、この通例がとあるフラグの回避にとても役立つ。
そう、食堂イベント。
そして手作りお弁当イベントだ。
食堂イベントは攻略対象と仲良くなる為に共に朝か夜に食事をし、手作りお弁当イベントはその発展で好感度が一定以上になった相手と昼に発生する。
「貴族が手作りお弁当って、無理があると思うのよ……」
「は? 」
「いえ、なんでもないわ」
思わず心の声が漏れてしまった。
いや、何度考えてもこのイベントは無理がある。
前世の時から思っていたけれど、貴族が手作りお弁当が作れる、しかも人に振る舞えるほどの腕前。
当然、家では料理場になんて入れてもらえないし、そもそも料理する必要がない。
この学園にきてからも食事は食堂があるので基本的に料理する必要なんてないのだ。
一部の学生のために学生用調理場があるので、料理することは可能だが。
前世の親友曰く、ヒロインは意中の男性(攻略対象)の為に一生懸命料理して、相手はヒロインの為にちょっと焦げてようと美味しく食べてくれる。
それを成立させる為に必要なのは貴族の矜恃を乗り越えるほどの好感度、らしく。
故に好感度確認イベントは手作りお弁当イベントなのだ。
何度も言うが、無理がある。
この世界で貴族として生きてきたから余計に思う。
貴族のわがままはある程度許されるが、決して踏み込めない部分が存在するのだ。
それが、下位の者の存在意義を奪うこと。
たとえば一人で着替える必要のない場面で着替えてしまえばメイドや侍女の仕事を奪うし、掃除をすれば掃除係の仕事を奪う。
料理はそのひとつで、しかも料理人という専門職がある以上貴族が料理をすることは余程の緊急時でもないとしてはならないことなのだ。
今の私も、料理はしたことが無い。
料理は技術なので、多分やればできるだろうけれど、しない。
そんな貴族としての地雷イベント、手作りお弁当イベントは好感度依存なので前提の食堂イベントをおこさなければ、つまり自室で普通に食事していれば避けられるのだ。
これほどしっかりと解決策のあるイベントは少ないので、私はこれからも必ず朝夕の食事は自室で食べるつもりである。
普段の昼は混雑防止と授業の合間なので貴族ルールは適用外なので問題ない。
昼の食堂ではイベントが発生しないはずだ。
ライアンが持ってきた食事の最後の一口を口に入れると、そっと食後のお茶が横に置かれた。
「ありがとう」
「勿体ないお言葉です」
柔らかく笑うライアン。
朝の陽射しも相まってものすごく眩しい。
「頑張りましょう」
「はい」
これからの学園生活を、の言葉の裏に含ませた別の意味には気付かないで返事をしたライアンを横目に、お茶を飲み干した。
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