三歳の自覚
私がハッキリと自分の存在が異質だと言うことに気づいたのは、三歳の頃だった。
三歳の私こと、ルチア・パラディンはふくふくとした小さな手を握りしめて、大きな水色の瞳にめいいっぱいの涙を溜めていた。
ふわふわの銀髪は太陽の光で淡く水色がかったきらめきを見せる。
丸い大きな瞳。
ふっくらとした唇。
スッキリとした鼻梁。
それらが絶妙なバランスで配置された顔は誰が見ても可愛らしい。
三歳児らしい丸みを帯びた輪郭から子供の幼さが抜ければさぞ絶世の美少女になるだろうと思われるような整ったものだ。
そんな、庇護されるべき幼児が今にも泣き出してしまいそうな雰囲気で涙をこらえていることに周りの大人は慌てていた。
けれど私の脳内は周囲の状況どころではなかった。
まわりを気にして涙を堪える事など出来ずに、せりあがる激情のままぼろぼろと大粒の涙を零しながら泣き出してしまった。
ぐちゃぐちゃとした大きな感情がなんなのか、まだ幼い発展途上の情緒では判別しきれない。
ただただ感情に流され泣くだけなのだが、それとは別にこのきもちをやるせなさと怒りであると冷静に判断する私が頭の片隅にいた。
その私は、私ではなかった。
正確には私がルチアとして生まれる前、普通に生きて、生活して、笑ったり泣いたりしながら日々を過ごしていた記憶と、それらで構成された人格だ。
そもそも私が今大泣きしているのはこの記憶に関係している。
三歳になるまでの私は成長が追いついていなかったのか、長く思考することが出来なかった。
今考えれば当然だ。
成人した大人の思考を生まれたばかりの赤ん坊が出来るはずもない。
その為この記憶と人格をハッキリと理解できていなかった。
それでも記憶の中のとおりの動きを無意識にしようとして、うまく出来ずに泣き、何かを考えようとしたらすぐにわけがわからなくなって泣く。
周囲の大人からしてみればお腹が減っているわけでも排泄をした訳でもなくただ急に泣いているように見えたはずだ。
そんなとても良く泣く普通の赤ん坊よりもさらに手のかかる赤ん坊だった。
一歳、二歳と成長するにつれ出来ることが増えた。
ままならないながらも動けるようになり、感情に直結していた思考も、長く考えることが出来るようになってきていた。
そして三歳になって、この記憶と人格をハッキリと自覚したのがつい先程だ。
生まれてからの三年間をしっかりと振り返ることが出来た瞬間に、自分の中にある異質さに気づいた。
その衝撃に三歳の未発達の脳内が耐えきれずに号泣している。
おろおろとしている大人の気配を感じるけれど、どうかもうしばらく泣かせて欲しい。
三歳の私の体は思考に追いつかない不安定さをため込めるほど成長していないのだ。
かつての私は、もう二十代後半にさしかかろうかというくらいの成人女性で、結婚を控えた恋人がいて、オタク趣味の親友がいた。
普通に生きていたその私の記憶はある日プツリと途絶えている。
たぶん、そのあたりで死んだのだろう。死因も経緯も分からないが、自分の死に方など覚えていたくもないのでそこについて言及する気は無い。
大事なのは、私は1度死に、そして、私の記憶と人格を持ったまま、ルチアとして生まれてしまったと言う点だ。
そして私には、ルチア・パラディンという名前に聞き覚えがあった。そして今の自分のこの見た目にも。
そう、私はこのキャラクターを知っている。
ルチア・パラディン。
それは、私の親友が作ったシナリオ選択型乙女ゲームの、ヒロインのデフォルト名だ。
よろしくお願いします。




