昼休みのバルサン①
次の日、俺は朝日が昇る前に起床して炊事洗濯を終わらせ、惰眠を貪る妹を八つ当たり気味に叩き起こしてから家を出た。グラウンドを走る野球部の朝練の声を聴きながら登校し、誰もない教室の宮水の机に、アンダースローで手紙を投げ入れた。
文面は一行だけだ。
『昨日の事で話がある。今日の昼休み、屋上で待つ』
相変わらず昼休みの屋上は静かだった。
まあ、俺が入口のドアを開けた瞬間、バルサンを焚かれたゴキブリの如く、カップルが逃げていくからなんだけどな。凄い殺虫成分だ、あまりの効力に鼻の奥がツンとして目が滲んできやがった。
……一人がなんだ、挫けるな、まだ戦いは始まってもいないぞ。
崩れそうになる足に力を入れ、俺は秘密道具をポケットの中でギュッと握る。
「あの、お待たせして、ごめんなさい」
鈴を転がす様な可愛らしい声がして、屋上のドアから宮水が現れた。
青空を吹き抜ける風に、乱れる髪を手で押さえる姿さえ絵になるんだから、美人は本当に役得だと思う。
「悪いな、呼び出して」
「い、いえ! 明人君が呼んでくれるなら吝かではないですし!私も伝えなきゃいけないことが、残っているというか、その……」
昨日は、突然の事態に後れを取ったが、今日は違う。
場所も時間もこちらが決めた。向こうのペースに合わせてなるものか。
そして俺には茉莉から預かった頼りになる《《こいつ》》がいる。
妙にソワソワしながらが、近づいてくる宮水に、俺は距離をとる様に秘密道具を目の前に突き付けた。
妹から託された、対変態最終兵器。
卵型のクリーム色した、ヒモを引くと大音量の警戒音がなる防犯グッズ。
小学生が良くランドセルにくっ付けているあれだ。
「え、それは……明人君が使うんですか?」
反応は上々。宮水は防犯ブザーに戸惑うような視線を向けてくる。
持っているだけで防犯になるなんて、流石は日本の誇る警報装置だ。
「俺はちゃんと話がしたいだけなんだ。だから、また昨日みたいに強引に迫って来るなら、俺だって容赦はしないからな」
「……先生方が来たら、私は全力で明人君の弁解をしますけど。庇いきれる自信がないのですし、止めておいた方がお互いのためだと思うんですが……」
「おい、何で襲われる俺が弁解される側なんだ」
ちょっと考えれば分かることだろ。
確かに、自分を客観視するのは難しいだろうが、自分が変態だって理解してないのか、こいつは。
防犯ブザーが鳴り響く屋上。
どよめく校内。
駆け込んでくる教師陣。
そこに居るのは、学年有数の優等生と不良の二人が組み合っている姿。
誰の目にも一目瞭然じゃないか。
あ、警察に連れてかれるの、俺の方だわ。
脳裏に、俺を指さして笑う茉莉の姿浮かんでくる。
「こっの、役立たずが!」
俺は中庭に向かって全力で防犯ブザーをぶん投げた。
綺麗な弧を描いて池に落ち、傍のベンチに座っていたカップルが悲鳴を上げているが、知った事か。
何が『私が女の子に有効な秘密道具を貸してあげるよ』だ。
確かに宮水が使えば有効だよな! どっちみち俺が連行されるけどな!
妹を信じた俺が馬鹿だった、家に帰ったら覚悟していろ。
「あの」
ビクッ
そうだ、報復として茉莉がマットレスの下に隠しているレディースコミックを、机の上に並べておくなんて、考えている場合じゃなかった。
「私、昨日のことを明人君に謝りたくて、本当にごめんなさい!」
ブンと音がしそうな程、宮水は強く頭を下げて、声を上ずらせなながら謝ってきた。
「初めてちゃんと話しが出来たから、舞い上がっていきなりとんでもないことを言っちゃって。本当は普通に告白しようと思っただけで、つい魔が差しただけなんです!」
へー、女子高生って魔が差すと指を舐めたくなるものなんだ。知らなかったよ、勉強になった。一生使う予定のない雑学だ。
本当にごめんなさいと、反省したようにペコペコと何度も頭を下げる宮水の姿を見ていると、段々と俺も落ち着いてくる。
まあ、SNSの郁人とは大分違うが、憧れた人が目の前に居たら、多少正気を失ってもおかしくはないか。昨日の話からすると相当入れ込んでるみたいだし。
「別に怒ってる訳じゃないから、そんな謝るな。指を舐めたいってのが本気じゃないって、分かっただけで充分だし、俺も突然言われたから焦ったわ……」
「え?勿論、舐めたいですよ?」
何、当然ですよねって顔してんだよ。
どこの変態部族の常識だよ。こいつ、何も反省してねーな。




