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前世はゾウリムシ

「み、みや、みや。みみみやみ」


 落ち着け俺、ウミネコの鳴き声みたいになってるぞ。

 宮水とまともに会話したのは、今日が初めてなんだ。きっと俺の名前を間違えて覚えているだけに違いない。

 クラスカーストの最底辺を、滑る様に低空飛行の日々を送っている俺と、最上位のグループで、話題の中心に居る宮水とは正に天と地の差がある。

 容姿は勿論のこと、成績優秀であり、スポーツ万能。素直で擦れていない性格で学校でも五指に入る人気者が、そこら辺に居るなんちゃって不良の名前を勘違いしたって不思議じゃない。


「……宮水、俺が森谷だってことは知ってるよな。名前も分かるか?」


「勿論です、森谷明人ですよね。告白した相手の名前が分からないなんてこと、ある訳ないじゃないですか!」


 OK、その通りだよ。出来たら間違いであって欲しかったんだけど。


「だったら、郁人って誰の事だ?」


「え?だから明人君が、郁人君ですよね?」


 不思議そうに宮水は頭をこてんと傾ける。


……危ない、可愛さで一瞬だけ。『ま、いっかな』と思ってしまった。

 何も良くねえよ、現在進行形で不運ハードラックダンスっちまってるよ。

 当たり前のことだが、俺には生き別れの双子の兄弟なんていない。名字も名前も変わってないし、有名人の様な芸名なんてもってない。

 恐らくだが、前世でも恋人とのドラマチックな死別もしていないだろう。

 一つ下の妹が言うには、俺の前世はゾウリムシらしいからな。

 理由を聞いたら、脳なしだから。馬鹿で悪かったな。


「あ、もしかして隠してるって設定なんですか?なら私も合わせた方がいいですか?」


 ポンと手を打合せ、私もそれぐらい気を遣えますよと、フンスと胸を張る。

 設定盛り込んでのはお前の方だろ、何でこっちが押し付けてるみたいな扱いなんだ。

 俺が両手で頭をかきむしる姿が見えていないのか、宮水は両手を胸の前で組み合わせ、教会でシスターが祈る様な姿で幸せそうに語りだした。

「私ずっと見てたんです。郁人君は料理が得意で、洗濯や掃除も親御さんに頼らないで全部自分一人でやって凄いなって、憧れてました。それに妹さんを口では邪険にしながら、本当は大切にしてあげる優しい人柄にドキドキさせらて、目が離せなくて」


――おい、ちょっと待て。流石にそれはシャレにならないだろ。


「でも、この気持ちを直接伝える事はないんだろうなって、叶わない初恋になるって諦めてたんです……。だけど私は見つけました、明人君と同じクラスになった次の日、私が数学のプリントを回収する時、向けられる手をみて、郁人君だって気付いたんです!」


 確かに家事は得意だ。恐らくそこいらの熟年主婦にも引け劣らない自信はあるし、ナマケモノに似た妹の面倒も見ている。宮水の言ってることは何一つ間違ってない。

 だけど、《《そんな姿は学校で一度も見せたことがない》》。


「明人君の男らしく、少しゴツゴツしたささくれのある手。美味しそうな料理も、口に入れたら幸せになれそうなお菓子も、繊細だけど温かさを感じる裁縫も、全部この手が作ったんだと思ったら、もう伝えずにはいられませんでした。



あの時感じた、私の正直な気持ち。  


あ、この指舐めたいって」


俺も思ってるよ。あ、こいつヤバイ奴だって。とんでもない地雷踏んでるって。

幾らはにかむ様に笑っても、全く共感出来ねえよ。


「……悪いが、お前の頼みは聞けないし、郁人なんて名前じゃない。今日の事は俺も忘れるから、もう関わってくるな」


 今まで通り、同じクラスのあかの他人として振舞おう。

 今日は何もなかった、それでお願いします。

 わざわざ睨みを利かせて言ってるが、俺の膝はガクガク震えている、だって怖えもん。


「そんな、酷いじゃないですか! 期待させるだけさせて、お預けなんて!」


「いつ期待させたよ。俺、ほとんど喋ってないからな! 勝手に一人で盛り上がってただけだろ!」


「指全部なんて、贅沢は言いません! 人差し指の第二関節、いえ第一関節まででいいので!」


「範囲が問題なんじゃねえよ! 舐められることが嫌なんだよ!」


「先っぽ、先っぽだけで良いですから!」


 こじらせた童貞みたいな発言をしながら、宮水は俺の腕を掴んでくる。

 くそ、外れない。力つえーな!?

 情けないが、多分このままだと、無理やり指の童貞が奪われる。

 言ってて意味が分からないが、貞操の危機だ。

 あ、ちょっと涙出てきた。何で俺がこんな災難に遭わなくちゃいけないんだよ。


「くそ。わ、分かったよ。指先だけだからな!」


「ホントですか!?」

 

 離された腕を抱きしめる俺に、キラキラとした瞳を宮水は向けてくる。

 花の咲くような笑顔だ。俺にとっては食虫植物だが。


「あ、ああ。だけど俺も恥ずかしいし……目を閉じてくれるか?」


「はい!」

 ひな鳥が、エサを待つような恰好で宮水は口を開ける。

 普段だったら、目をつぶって口を開けてる無防備な女の子って、ちょっとエッチだなんて思うところだが、そんな余裕一切ない。

 宮水が動かない事を確認して、俺は慎重に教室のドアへと向かう。

 いいか、落ち着け。野生の熊と会ったら、相手から目線を離さず、ゆっくり離れるんだ。

 並べられた机を巧みに避け、俺は何とか、ドアの前まで音をたてずたどり着く。

 宮水は言われた通りの、アホみたいな姿勢を維持している。

 ここからが勝負だ。滑りが悪くなった、教室のドアを音を立てずに開けなきゃならない、正にミッションインポッシブル。

 だけど、今の俺だったらやれる。いや、やらなきゃ、やられる。

 俺は体を出入口に向け、そっとドアの取っ手に指を掛けて、ゆっくりと横へスライドさせ……


「くちゅん」


 背後の可愛らしいくしゃみに目もくれず、俺は力いっぱいドアを開け、全力で廊下を走った。

 必死な俺の顔を見て、すれ違う奴らが引きつった声を上げてるが構うもんか。 

 階段を三段飛ばしで駆け下りて、一階の窓から校舎を出た。

 下駄箱にも寄らず、上履きのまま俺は学校から自宅までの、帰宅最速パーソナルベストを出し、そのままゴールテープのベットに潜りこんだ。

 震えながら泣いた、男泣きだった。


「男子の純情をもてあそびやがって、何だよあの電波女は……」


「すっごい音させて帰ってきたりして、どうしたの兄さん? うっわ、なんか泣いてるし……虐めてくれる友達でも出来たの?」

 

 ドンと、ドアを蹴り開けながら、妹の茉莉まつりが俺の部屋に入ってきた。

 乱暴な開け方は止めろよ、ドアの蝶番が歪むと直すの大変なんだからな。


「茉莉、俺には恋愛なんて無理だよ。もう恋なんて絶対しない……」


「失恋ソングのサブリミナル音楽聞きすぎて、トランス状態にでもなった?」


「素直に、頭おかしくなったのって聞けばいいだろ、本当に辛いんだよ。誰だよ郁人って、そんな奴しらねえよ……」


「あれ、何で郁人の事兄さんが知ってるの? 私教えたっけ?」


 ……おい、こら。もしやお前が犯人か。

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