魔王、初めてのお出かけ
「〜♪〜〜♪」
枯れた大地に鼻歌が響く。
照りつける日光に大地は干上がり、無数のヒビを刻んでいるその地は決して散歩気分で足を踏み入れていい場所では無い。
「ねーねー、魔王ー。ボクねー?喉乾いたなー」
「チッ、水分補給は怠るな。脱水症状を甘く見ると痛い目に合うぞ」
大地から昇る熱で歪んだ輪郭。
もし、この光景を目にした者がいればきっと目を疑い、蜃気楼と勘違いするだろう。
髪と服。どちらも漆黒の男に蒼い髪の子供が肩車で歩いている。しかも手荷物等は何も無い。まさに散歩。
「ほら、これで喉を潤すが良い」
「魔王やさしー。んく、んく……冷たーい!美味しー!」
その二人は魔王と勇者。嘗ての敵同士が今は家族の様な仲睦まじさを見せている。
凝った作りの氷グラスに氷の浮かんだ水。
勇者が喉を鳴らし、やがて仕事上がりの一杯を終えた親父の様に息を吐き出す。
「ありがとー」
「何、気にするでない………気に……するわァァァっ!!!!」
勇者から受け取ったグラスが魔王の手の中でゴシャリと砕け散る。
魔王の表情は目から血を流さんとばかりに充血し、食いしばった口から伸びる牙にヒビが入る程。
「魔王ー、キャラ崩壊してるよー?」
「貴様のせいだろうがぁぁぁぁぁあ!!!!」
魔王の咆哮により、この熱砂の大地の温度がまた上昇した。
「……答えろ」
「んー、何ー?」
日差しを魔王の魔法で和らげ、常に周囲を勇者の適温と感じる温度に保つ。
それは勇者にとっては天国。魔王にとっては地獄な道中、勇者からのおねだりの受け答え以外は無口だった魔王が自ら口を開いた。
「貴様、その齢であれ程の技術を持っていたのか?」
その問いは勇者の戦闘能力。魔王にとっては今の勇者の容姿そのままの児戯だが、これが年月を経ればどうか。
児戯の腕前はやがて本当に魔王である己と拮抗する程になるのでは?そんな事をふと思った。
「あー、これねー?いや、なんかコレ。ボクも分かんないんだよねー?ボクって25歳だったんだよ?なのにさー、なんか魔王のあの黒い魔法を食らったらこんなんなってたー」
思考も大分昔寄りになってるねー。とのほほんと笑いながら答える勇者に魔王は溜息を吐く。
「魔王はさー?もし傷を負ったらどうやって治すのー?」
「……我が傷を負うことなど有り得ぬ」
「だから、もしだよー。もしー」
「頭の上で暴れるでない。落ちたらどうす、る……く、なんたる屈辱。ふん、わざわざ傷の場所を確認し、その箇所だけを治癒するなど面倒なことはせん。我の時間を数瞬前に戻すだけだ」
その言葉を聞いて勇者は魔王の頭に顎を乗せた。
「あー、それだねー。もうね、それしかないねーって感じだよ。魔王の治癒に対する認識がおかしいよー?それは治癒って言わないと思うんだー」
ペシペシと頭を叩き溜息を吐く勇者に魔王の眉間から数本の血管が切れて血が吹きでる。
「なんか魔王さー『……癒えよ』とか言って魔法放ったでしょー?だけど、それって『癒やす』んじゃなくて『時間逆行』だったんじゃない?んで、ボクの傷は巻き戻り、更にボクの身体も巻き戻り〜、巻きまきマキ〜って、お子様になっちゃった〜的な?感じ?」
「……………ふむ。貴様、頭の足りない喋り方の癖に回転が良いようだ」
顎に指を当て、あながち勇者の推理が間違ってないように思えて魔王は少し感心した。
「ぶー、ひどいんだー。ボク、別にバカじゃないよー?まぁ、今は身体に心が引っ張られてなんか昔みたいな感じだけどもー。バカだったら勇者なんて勤まらないし〜?力のゴリ押しで勝てる程魔物も魔人も弱くないんだよー?」
「ふん、我からしたら全てが指一本で滅ぼす事は容易い」
「……魔王って脳筋なんだねー」
「む、なんだその言葉は?ふん、今更我を讃えよう等とは虫が良いな勇者よ」
褒め言葉じゃないよー?という勇者の言葉は風に攫われて魔王の耳には入らなかったようだ。
「しかし、勇者。貴様……女だったのか」
「えー、いまさらー?別に勇者は男しかなれないなんて差別はないですよーだー。てかねー?何で判断したのー?あ、ちっちゃい胸ー?頭に当たってるので分かったのー?ヤダー、えっちー、少女趣味ー、エロ魔人ー、あ、魔王かー」
「今、我は貴様を何故あの時に瞬殺しなかったのかとても……とても、後悔しておる」
初めて体験した後悔と云う感情にそう静かに呟いた魔王の言葉は、とても最強とは思えぬ程弱々しかった。
「ねーねー、そういえばさー」
「……なんだ」
「何処に向かってるのー?」
勇者からの素朴な疑問。
「知らん」
「えー、無計画なのー?」
「そもそも……我はあの場所以外知らぬ」
あの場所というのは嘗ての大国があった場所。魔王はそこに住み、そこから他の地へ行った事などなかった。
「あー、自宅警備員ならぬ自国警備員的なー?なんか兵士さんが激怒しそうだねー」
「ふむ、貴様が我を侮辱している事は理解した」
住処を破壊した張本人からの侮辱に魔王の拳から骨の軋む音が響いた。
「ならさー?王都に行かないー?」
「………何処の王都だ」
「ボクを勇者に選んだとこー。ルツェリナ王国だよー。魔王の討伐依頼をしてきた王様に勇者代わりましたって伝えないとー」
その新勇者が討伐対象の魔王なのだが、そんな己が行っていいのだろうかと思ったが直ぐにどうでもいいと思考を放棄した。
魔王は歩く。空気中の魔素が有れば睡眠も飲食も疲れもしない身体だ。
勇者をおぶさり、勇者が食事を摂る時以外はひたすら歩く。
現在勇者と魔王は大樹が生い茂る巨大な樹海にいた。
「空を飛んだ方が早くないー?」
「……そうだな」
赤い果物を齧り、その垂れた汁が魔王の頭から額を流れ落ちる。魔王の表情は無である。
だが、勇者のその提案に魔王は少し乗り気でないように頷いた。
「なになにー、なんか微妙な反応ー。あ、まさか飛べない、とかー?」
「ふん、馬鹿にするな。飛ぶことなぞ造作もないことよ」
フワリと浮き上がりグングンと上昇する魔王と勇者。
「おぉー、凄い高いねー。ボクは浮遊とかの魔法苦手だから羨ましいなー」
「………………」
少しテンションの上がる勇者に対して魔王は無言だった。
「んー?どしたのー?あ、まさか高い所が怖――」
「…………美しい、な」
ポツリと零れた魔王の言葉。
勇者は成程と思った。魔王の住処は城以外は荒れ果て、生命など存在しなかった国。
そんな物悲しい場所へ何千年といたのだ。
今、魔王の視界に広がるのは嘗て住んでいた場所とは正反対。瑞々しく茂る樹木に草花、枝から飛び立つ色彩鮮やかな鳥、そしてその樹海の内部には様々な生き物の鳴き声。
ここは生命の輝きに満ち溢れていた。
「………そだねぇ」
魔王があの寂しい場所で何を想いながら暮らしていたのかは勇者には分からない。
だが今、目の前の光景に意識を奪われている魔王の頭に勇者はそっと手を置いた。
「ゆっくり行こっかー」
「……ふん、仕方無いな」
さて、そんな勇者の提案に満更でも無さそうに頷いた魔王達は再び降りて樹海を進む。
「魔王は食べないのー?これ、美味しいよー」
「興味無い」
樹海には様々な危険に満ちている。
凶暴な魔物、幻覚や混乱を引き起こす植物、毒を持つ草や果実。
そして、この樹海で一番危険なモノがいる。
「……何だこれは?」
「なんだろねー」
目の前に木の枝に動物の骨を組み込み、鳥の羽で飾ったモノ。
「……あ、コレはあれだねー」
「…………」
勇者が何かを思い出すと同時に魔王の足元に細い棒の様な物が刺さる。
「コレはある種族の縄張りを示すヤツでー……あははー、囲まれてるねー」
木の枝の上や草陰、魔王達を囲む様に幾つもの気配が現れる。
「貴様ら、動くな。ここから先は我らトゥ・ラ族の領域だ」
聞こえた言葉の方へ顔を向ける。そこには太い枝の上に立つ男が弓を構えて魔王達を見据えていた。