南の島にて、アイイクイップ
俺氏、現在絶賛大ピンチ
もはや半分以上水に沈んでしまった自転車と一緒にぐるぐるぐるぐる渦巻くうずしおに呑まれては回される。
何とかして脱出をこころみるものの時すでに遅く、泳いでも泳いでも渦の中心へ吸い込まれてしまい完全にアウトである。助かる望みは限りなくゼロに近いだろう。
ああ、海なんて来るもんじゃあ無かったなぁ。
猛烈な勢いで海の水が暴れまわる最中において、混乱中の頭で何とか嘆いてみせる。
そんな嘆きも届かずに、次第に勢いを増す渦潮に飲み込まれ、かろうじて保っていた意識は、海の藻屑と消えていった。
▽ーーーーーーーーー
ぷかぷか、ぷかぷか。
俺氏、現在海に浮かんでます。
記憶は荒波との熱烈なハグを最後にプツリと途切れていて、その後どうなったかは全くと言っていい程に覚えていない。
どうしたものかと思考を巡らせると、一体何がどうなったのかだとか、何故こんな所にだとか、疑問は沸いて出てキリがないのでひとまず放置しておくことにする。
「まあ、生きてたし良しとすっか」
それに何より、さんさんと照りつけてくる太陽の柔らかな光を浴びていると、全てどうでも良いような気持ちになってくるのだ。
「休憩だ休憩、あー、考え過ぎて頭痛い」
海の水もこの日差しの中だと丁度いい冷たさで、浮かぶ体をひたひたと波打ちながらゆったりと揺り動かしてくれていた。
そんな小波に身を任せ、しばらくぷかぷかしていると、性懲りも無くまた別の疑問が一つ浮かんで来る。
そういえば、ここは何処なのだろうかと
あまり顔は動かせないが周りを見る限りでは、海が一面に広がっている事しか分からない。
気候から察するに南国のような気がするのだが、いまいちしっくりと来ない。
南国といえばやはり沖縄だろうか。そう思うとますます現実味が無くなっていく気がする。
さっきまで本州、それも割と北の方に居たのだ。どれだけ流されれば気がすむと言うのだろうか。
「う〜ん、泳いで帰ろうにも分からんことだらけだなこりゃ……てか、綺麗だな……」
浮かぶ背中越しに見下ろした海はかなり深めだが、海底がここからでも見えるほどに透き通っていた。
波の切れ目は日の光を余すことなく受け止めて、キラキラと光り輝いている。
海底には貝たちが宝石のように散りばめられており、その貝達を守るように様々なサイズの銀のつぶてが海中を泳ぎ回る。端々に見えるのは珊瑚だろうか。
「だぁ~~自然ってのはすげぇなぁ」
幻想的な世界が、海の下には広がっていた。
「てがふっ!」
と、そんな海中の饗宴の様子に呑まれていたからか、開けた口から打ち上がって来た海の水を思いっきり飲み込んでしまう。
海には呑まれても飲むなとは、なんて冗談だ。
「ぶはっ! やべっ! おぼえる! おぼえしぬっ!」
今までの安定感はどこへやら、焦りに一度乗っ取られた体は言うことを聞かないもので、先程までの浮力がウソのように消え失せ、強張った体は徐々に沈み始めてしまう。
「だばっ! あだっ! ……あ?」
動き回した手足に何かが触れる、もしや沈み過ぎて海底に到着してしまったのだろうか。
そう思ってそっと口を解き、目を薄らと開いてみる。
「息は……できる……ここは……」
周りを見渡す、膝下には穏やかに打ち寄せる波、足裏にはきめ細かい砂の感触、目に入ってきたのは南国を象徴するかのような背の高いヤシの木、それと、それと……
「島……なのは分かる、分かるけども」
陽気な日差しを受けながら、もう一度周囲を伺い見る。
目に入って来たのは大きなヤシの木と、それと、十畳程の砂の浜。その他に見えたものと言えば周りに広がる、広大な――
「この島っ! 狭すぎだろぉぉぉぉぉぉっ!」
ーー大海原だけであった。
▽▽ーーーーーーーーーーーー
「カチャン、カチャン」
貝殻が重なる小気味よい音が、十畳一間の無人島に響き渡る。
「今日で、十個目だ」
海チカ浜チカのこのアクセスフルハウスに住み始めてはや十日が経ち、ここでの生活にもある種のルーチンらしきものが生まれ始めていた。
無人島と呼べるかも怪しいこの小島に流れ着いて、まず最初に行ったこと。それは周囲に他の島、或いは通りがかった船舶があるか否かの確認だった。
少し乾き始めた体を縦に起こし、見えうる範囲の島影、又は船影を日が暮れるまで必死に探し続けた。
しかし結果は共に一つも見つからず、少しの歪みもないマリンブルーの水平線に焦燥感を覚えながら一日目は終わりを告げた。
そして二日目の朝、前日の結果を肯定するかのように澄み切った一面の海に、乾いた笑いを零しながらこれからの事へと頭を切り替えた。
この小島で生き残る、もしくは脱出する為にまず第一に必要となったのは水と食料だったのだが、この二つは思いもよらぬ所から手に入れることが出来てしまった。
「あでっ! ……いつももアリガトウゴザイマス」
軽く頭をさすりながら真上を伺い見る。そこにあったのはこの島に唯一佇む一本のヤシの木であった。
この島をまるで絵本や童話に登場するような『南の島』であるかのように錯覚させるに充分な高さを誇っているこの木は、毎日一つ、その大きく実った自らの果実を落としてくれていた。
十日目である今日で十個目のヤシの実、こんなにもハイペースで落ちて来て無くならないのかと心配したものだが、何故かたわわと実るその実は全く減る気配を見せなかった。
「ホント、不思議な木だよなぁ」
ぶつかった衝撃かヒビの入ったヤシの実を砂浜から小脇に抱え上げ、もう片方の手で木目を感じさせる幹に触れる。
その少しザラついた横っ腹を撫でると、木の幹から生えるヤシ特有のフサフサとした柔毛が手のひらを優しく撫で返す。
そのくすぐったい感触に目を細め、手を離し浜へと向かって歩を進めた。
「不思議って言えば、この竿もなんだよな……いや、つーか、この場所自体ーー」
数歩歩いた所に置いていた釣竿を空いている方の肩に掛け、ブツブツと呟きながら島の裏手へと向かい、腰を下ろす。周りは全て砂浜かと思っていたこの島だが、漂着した場所と逆の裏手側には、小さな岩礁が広がっていた。
「この竿も、いつのまにか砂浜に落ちてたし」
唇を少し尖らせながら声を漏らし、ヤシの実に入っているヒビを尖った岩に食い込ませる。
「毎日頭に落ちて来るのも案外気遣いだったりして……ってそりゃねぇか」
刃物のようにのように切れる岩先に慎重になりながら実の蓋を開ける。中から覗いたのは白い果肉を器にたっぷり溜め込まれたエキス。海に囲まれたこの島で唯一と言ってもいい貴重な水分の源だ。
空になった昨日の分の実の中にとぷとぷと中身を移し替え、残った分は飲み干して喉を潤す。
「うぷっ……しびぃ……」
ここに来て実際に口にするまで知りもしなかったが、ココナッツジュースは意外と渋いのだ。
もし無事に帰れたならスイーツ好きの友人にでも教えてやろうと心に決め、最後の一滴まで水分を吸い尽くす。
このような状況なのだ、行儀の悪いだとかそんなことは道端にに投げ捨てればいいだろう。今の自分にとっては水の一雫が何よりも大切なな宝なのである。
「っし、ごちそうさん」
残すは白い果肉のみとなったヤシの実を掲げ、生みの親であるヤシに感謝の言葉をかける。ヤシの木はさも当然と言わんばかりに風に揺られ、音を鳴らした。
「残りは作業しながらでも頂きますかっ、と」
水分補給を終え海面へと向き直り、傍に置いておいた釣竿を手に持ち、膝上に掛け、準備を始める。
実に残った果肉を手で取れるところまですくい取り口へと運び、残った硬い部分は岩を使ってこそぎ取ると、カラに入れておく。
白く潤った果肉はほのかに甘く、サトウキビのような味がした。
「実は美味いんだよな……」
ジュースと果肉の味の差にどこか釈然としないモノを感じながら、手先にたぐり寄せた釣り針に先ほど削った硬い果肉を刺しとめていく。
この硬い部分の果肉は繊維質が多く、初めのうちは吸ってから捨てていたのだが、ある日何となく釣り針に括り付けてみたところ、面白いように魚が釣れ、釣りの効率は格段に効率が上がっていった。
白い餌の付いた針をもう一度確認すると、目の前の岩礁地帯へと放り投げる。
ここ数日で獲物のいそうな場所は数カ所目星を付けており、今日はそこを重点的に攻めていくつもりである。
そして糸を投げてから数十分が立ち、風が肌を通る感触にも飽きた頃、糸の続く場所からピクンと波紋が波立った。
「っし! 取り敢えず晩飯第一号! 」
今日初めての当たりに声を上げ、手を力強く引く竿を握りしめると、腰を入れてかかった何かをこちらへと引き寄せる。
「ぐ、重ぇ、こりゃ思ったよりデカいんかもしんねぇな」
手に感じる重みはなかなかのもので、竿から垂れる糸は右へ左へ揺れ動き、引き手たるこの身にも振動が伝わってくる程であった。
どんな獲物がかかったのだろうかと期待しながら、最後の踏ん張り所に力を注ぐ。
どっぱーん! そんな豪快な音とともに海中より姿を現したのは、この小さな岩礁のどこに潜んでいたんだと思うほどの大きな魚だった。
浜に打ちあがった巨体は鈍く光る銀色をまき散らし、地を嫌うようにビタンビタンと跳ね狂う。
予想外の大きさに少したじろぎながらも、遅れて沸き起こる嬉しさに、歓喜の声は自然と発せられた。
「うおおおおおおおいドえらいでけぇ! 初めて釣ったぜこんな大きさの奴……」
流石に疲れたのか少し大人しくなってきた魚を改めて瞳に映す。
銀の魚体は全体的にぷっくりと丸みを帯びており、尾びれに行くにつれてシャープになるというとても変わった形をしていた。
「……相変わらず見たこともねぇ魚しか釣れねぇんだが、やっぱここは海外なんか……?」
ここ数日、釣り糸を垂らすごとに新たな魚が脳内魚図鑑に追加されていくというとても刺激的な生活を送っていたので、もはや見慣れた初めて見る魚であったが、今回ばかりはその大きさに少し驚かされていた。
「俺の腕くらいあんじゃねぇのかコイツ、よく釣れたもんだな」
自らの腕と目の前のまんまるとした魚を見比べながら、解体すべくその大きな体を引きずり上げる。
「あ、コイツひげ生えてら……」
ぷっくりとした口の傍に生えていたひげのような感覚器を見つめ、何かを感じ取ると、また作業へと戻る。
「ひげ提灯……いや、ひげ風船か……?」
この日も、無事脳内魚図鑑へと新しい魚が登録された。
▽▽ーーーーーーーーーーーー
夜、目の前に燻るたき火の後に、ふぅと吐息を漏らす。
僅かに積もった灰の傍には魚だったものの残骸がでんと積まれており、先程まで行われていたささやかな宴の様を静かに語っていた。
そんなどこか緩んだ雰囲気の中、パチパチと弾ける火の粉を背景に、しーしーとヤシの実の繊維で歯を磨く男がいた。男は満足げに腹を抑え、口を開く。
「ふぃ〜〜、食った食った……いやぁ、美味かったなぁひげ大臣」
昼間に釣り上げたあの巨大な魚。あの見た目でまさかの赤身魚だった事には驚いたが、更に驚いたのはその味。
脂の乗った溶けるような身に、焼けば香り立つ食欲をそそる匂い。その味たるや名前がひげ提灯からひげ大臣へと格上げされた程であった。
「なぁ、お前もうまかったんじゃねぇのか」
幸せの余韻そのままに、振り返った先に屹立するヤシの木へと語りかける。
ざざあと打ち寄せる波の音に合わせて、ヤシも合わせて音を鳴らす。その根元には、ひげ大臣の焼き身が置かれていた。
「ま、栄養程度にしかならねぇかもだが、日ごろの礼だ、遠慮なく味わってくれや」
ゆらゆらと言葉をかわすように揺れるヤシに、こちらの声が届いているのかどうかはわからないが、この島に来てから一番お世話になっている存在だ。
この木がなければ死んでいたかもしれない、命の恩人というべき奴であろう。
「ん? でも木だから恩木か……? おんき……おんぼく……ダメだ、しっくりこねぇ」
砂の上に寝転がると、空に浮かぶ満点の星空が目に映った。
最初はどうなることかと思ったが、一本の木と過ごすこの生活も、そこまで悪くないのかもしれないと、ここ数日よく思うのだ。
この先どうなるかわ全く分からないが、この島を離れることができるか、或いはここで果てるか、それまでの間は精々楽しく生きてみようと、そう思い床に着く。
「くぁ〜〜ぁ、今夜は寝るのにうってつけだな、こりゃ」
星の照らす薄闇の中、ヤシの葉の鳴る音は、ざわざわと夜の空に鳴り続けていた。
▽▽ーーーーーーーーーーーー
朝が来る。
ここでの朝を体験するのももう慣れたもので、砂の布団から身を起こすと、固まった体を伸ばすべく伸びをする。
そして昨日残しておいたジュースを喉に通し、渇きを癒すと目の前に広がる海に顔を向ける。
「~~~っ、今日も晴れてんなぁ……ん?」
今日で十数日が経過した無人島の朝は、相も変わらずポカポカ陽気に包まれている。ただ、今日は肌に感じる風がいつもと違い少し湿り気を帯びていた。
「十五個目……船とか全然通らんなぁ、やっぱ」
貝殻を積み重ねながら、肌にまとわりつくジメジメとした空気を手にとめる。
ここに来てからというものずっと雲一つない快晴であったため、久しぶりに感じた水気ではあるが、やはりジトつくその感覚は相変わらず心地の良いものではなかった。
「懐かしいっちゃ懐かしいけども、やっぱカラッてした空気の方が気持ちいなぁ」
ぐちぐちと言いつつも手は動かす。今日も今日とて釣りである。
ざあざあと打ち寄せる波の音に意識を向けながら糸を垂らす。すると、ジィっと海面を見つめるその頰に、一筋の汗が伝った。
「あちぃ……暑さのベクトルが違うだけで、こんなに変わるもんなんか……」
ここにやって来てから早2週間が経過したが、食糧や水の問題は解決しても、未だ体を洗ったり等という優先度の低い事については出来る目星は付いていない。
昨日までは快適に過ごせるような気候が続いていたので我慢ができないと言うほどでは無かったが、今日の湿度を伴った暑さは、少し堪える所があった。
「しゃーねぇ、身体はさらにベタついちまうけど、後で海で汗流すか……」
海で体を洗う、という行為は三日目に耐えられずに強行した。その結果海に入る前よりも身体がベタつくという本末転倒な事になってしまったのだけれども。
それからは海に入ることは極力控えていたのだが、汗と湿気のジメジメした煩わしさは、それを上回る程に大きかった。
「こうもジメってえと喉も渇いてくんな……そいや、今日はまだヤシの実貰って無かったな」
いつもは釣りに入る前には貰っていたのだが、今日は木に向かうのを忘れていたようである。
釣り餌もまだ残っていたので気に留めなかったが、やはり湿度の上昇は思考を鈍くするのかもしれない。
持っていた竿を足元に倒すと、木の元へと向かう。このまま釣りを続けるにせよ何にせよ、水分と食糧を兼ねる実は優先すべき物だ。
向かうと言っても数歩の距離、一息の間に辿り着き、早速今日の分の実を探す。
「ん〜? 今日はまだ落ちて無いんか? ……って事はまた上から落ちて……は? 」
木の上を見る。風に吹かれるヤシの葉の部分、その根元に水分がたっぷり含まれた実が付いている……ハズだった。
「ヤシの実が……ねぇ……ッ! 」
どういう事だと理由を探しても、頭はこんがらがるばかり。昨日は確かに実はあった、それも十分な数が実っていたハズだ。
「海に落ちたんか? それかやっぱどっかに落ちて……」
昨日までの様子を思い出せば出すほど益々混乱し始める頭、そんないっぱいいっぱいな状況を更に掻き乱すように、大きな音が鳴り響いた。
バチャン!!!!
「今度はなん……だあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
振り返ったその目に映ったのは水面に残る大きな波紋、それと何も残らぬ浜辺のみ。先程まで握っていたはずの第二の生命線とも言える釣り竿が、綺麗さっぱり消えていた。
「嘘……だろ……」
この島に辿り着いて、終わったと思ったが、毎日落ちてくるヤシの実や、何故かそれだけ漂着していた釣竿のお陰で、何とかその日その日を楽しめるようになっていた。
それが、ほんの一瞬でその両方が消えてしまった。ヤシの実が何故消えたかは不明だが、結果として二つを一気に失う事になってしまった。
それは汗がどうだとかそういう思考を吹き飛ばして、考えるということ自体を立ち止まらせるには十分な出来事であった。
「は……はは……どうすんだ……これ」
呆然としたままその場に腰を落とす。物言わぬ白色の砂浜がズズズと浅く沈み込む。
「どうする……どうすんよ……俺……」
フラフラと視界を彷徨わせ、いつも通りに打ち付けてくる波を見つめる。それに合わせて揺れるハズのヤシの木は、僅かな音も鳴らさず静かに佇んでいた。
▽▽ーーーーーーーーーーーー
「雨だ」
あれから竿が岩礁に引っかかってないだろうかと見て回ったり、海に落ちたのならと辺りの浅瀬に潜りヤシの実を探して回ったりと、この小さな島を駆け回ったが、思う成果は何も得られはしなかった。
それどころか晴れていたはずの空はみるみるうちに曇り始め、遂には雨の雫がポツリポツリと降り始めた。
「水、溜めねぇと……」
この島で経験する初めての雨、もし降ったならこうしようと構想は練っていたのだが、今はそれを嬉々として行おうという気分でもなく、ノロノロと近くに転がっていたヤシの実の殻を手に取ると雨水を受けるように上へと向けた。
「なんか……あれだな」
そこで手は止まり、何をするでもなく空を見上げる。
「こうなってくると、逆に笑えて来るっていうか」
雨に打たれる横顔に、上がる口角が色を指す。
南の島での生活に、余裕などというものはなかった。
昨晩のような大物が釣れたのはあれが初めてであったし、水分も食料も欲を言えばもっと欲しかった。
でも、そんな中であってもここでの生活は楽しかったし、何より今まで感じたことのないような満ち足りた感覚が心の中にずっとあったのだ。
だから夜中に空腹で目が覚めても苦には感じなかったし、むしろ明日はどうやって過ごそうかと妄想にふける時間は楽しくすらあった。
だから、そうやって心の奥底に積もらせていた不安や諦めが、精神的にも身体的にも支えになっていた二つの物の消失とともに、こうして溢れてくるのだろう。
「水だけで、生きていけっかなぁ」
水さえあれば、人は一週間ほど生き続けることができる。
どこかでそんな話を聞いたことがあった。だか、それは十分な水便を摂取できていればの話だろう。そもそも、一週間生き延びたところでどうしろというのだ。
「ハハ……雨だけでも、結構溜まんじゃねぇか」
パラパラと降り出した雨は、いつの間にか強くなっていたようで、手に持っていた殻の中にはそれなりの量の水が溜まっていた。
「こりゃいいや、汗も流せて一石二鳥だ……あ?」
半ばやけになっていた思考がスッと冷まされる。
妙に冷たく感じていた足元に、水が打ち寄せていた。
「あーー……マジか」
雨が降ったらどうしようか、そう考えていた時に、水を溜める事ともう一つ考えていたことがあった。それは水かさが増えるかもしれないということ。そしてそれによるこの島の浸水。
その想像が、最悪の形で現実になろうとしていた。
「ま、どっちにしろ先はもう見えねぇんだ、むしろちょうどいいのかもな」
そう言って濡れた顔に渇いた笑みを貼り付ける。
「海で溺れ死んで無人島に流れ着いた男の最後が、溺死だなんて、笑えるじゃねぇか! なぁ!」
ズリ、ズリ。
砂を掻き進む音が雨に消える。
「神様っていんのかなぁ! いたら今の俺見て笑ってんだろうな! 偉そうなご身分だぜ! まったくよ!」
ズリ、ズリ。
海に向かってありったけを叫ぶ、今の顔は、笑っているのか、泣いているのか。
「もし運命なんてもんがあるんなら! クソくらえだぜ! ファッキューだ!」
ズリ、ズリ……トン。
背に当たる木の肌の感触。体は無意識のうちに後ろへ後ろへと後ずさっていた。
振り返ると、見慣れた木が、静かにそこに立っていた。
「なぁ……なんで、木の実落としたんだ、俺に」
海はますます勢いを増し、座った体の腹にまで押し寄せる。
「毎日毎日さぁ、よく無くならなかったもんだよな」
体ごと向き直り、幹をつかむ。
手のひらに返ってきた感触は、想像していたより弱々しかった。
「知ってるか? お前の実のジュースってすっげぇしびぃんだぜ? まぁ、実の方は美味しいけど」
ずっと静かだったヤシの木が、ゆらりその身を揺らした。
風も強くなって来たみたいだ。
「まぁでも、でもさ」
もう首元にまで、水面が上がって来ていた。
ここまでくると逆にあきらめがつくもので、いつも通りの様子で、口を開いた。
「楽しかったよ、ありがとな」
そう言って、木の幹を軽くたたく。
その瞬間、ついに顔にまで到達した波がその身を海へと飲み込んだ。
視界が、滲んだ青に染まる。
水の中は案外明るかったが、底に行くほどに暗く冷たくなってゆく。
一度目に海に飲まれたときは、必死にもがき苦しんだ。
だけど今は、何故か穏やかな気持ちで意識を手放せる気がした。
そう、そんな気持ちで――
――――――
――――――
――――――
――――生きたい
楽しさがそこにはあった。
今まで感じることができなかった喜びが、そこにはあった。
だからーーーー
声が、聞こえた
――じゃあ、それで満足なの?
イヤだ。
――もう、満ち足りてしまったの?
まだ、見たい、世界を。
教えてもらった、色づいた世界を。
――じゃあ、行こう
刹那、海が――――“光った”――――。
暗くよどんでいた水中はまばゆい光に満ち、身を照らす。
沈み続けていた身体は一転、ぐんぐんと水面へ突き進む。
そして海面を突き破ったその先に、光の源はあった。
未だ荒ぶる波の上に立ち、それを見据える。
「よぉ、さっきぶりだな、ヤシさんよ」
ヤシの木は――いや、剣は揺れる。
「キミ、さっきまで死にかけてたよね」
海よりもさらに青い刀身に、二筋通った紫電のような筋。
柔らかな光を放つ一振りの剣が、海の上に浮かんでいた。
「ホラ、さっさと握りなよ、早くしないと逃げちゃうよ?」
「お、おお……っってぇ! 喋るんかい! 」
「アタリ前だろ、ボクを何だと思ってるんだ」
「……剣、もしくはヤシの木」
「確かにそうだった……って! そじゃなくて! ホラ! 来なよ! セカイ! 見にいくんだろ! 」
海の上、促されるままに、手を差し伸ばす。
そして触れた持ち手には、どこか温かみが感じられた。
「よし! よし! ……言っとくけど、ボクを使うのは難しいぜ?」
得意げに笑う剣にこちらもつられて笑みをこぼす。
「持ってから言うなよな! ……あ、ん? ワリ、使い方分かったかもしらん」
剣を握った瞬間に感じた、自分の中の何かが目覚めるような感覚。
そのおかげかどのように振るえばこの剣を使えるかが何となくわかったような気がした。
「うんうん、難しいだろう難しいだろう、よし、ここはボクが一つアドバイスを……」
剣を握り、体から溢れるナニカを感じ取る。
「アドバイスをだね……」
そしてそのナニカを剣へと注ぎ込む。すると、剣と自分が馴染んでいくような、そんな不思議な感覚がーー
「あっコラ、ヤメろ、やめ給え! これは神聖なモノで、ボクもまだ準備が出来てな……にゃっ!」
まるで導かれるように剣にそれを注いでいると、それまで口を開き続けていた青剣が、糸が切れたかのように静かになってしまった。
「使い方って、これで合って……大丈夫か?」
「……うっ、うぅっ、大丈夫も何も、ボクはこれでキミのモノだよぉ」
「え゛っ……なんか、すまんかった……」
「う、ううううううう、もう知るかい! 使い方は分かったね! まずはコノ海域を抜けるんだ! さぁいくよ!」
「もしかして、怒って」
「怒ってない!」
「さ、さいですか……」
今度はちゃんと聞いてからするようにしよう、そう心に決めて視線を前へと向ける。
相も変わらず、嵐の様相を呈している海。ジッと見つめると、剣を握り直した。
「なぁ、これどうやって前に行けば……」
「……」
「行けば……」
「……へん、行きたければ行けばイイじゃないか、キミなんて雨に濡らされながらシブシブ進めばイイのさ」
「……すまんかった、今度はちゃんと聞いてからする、詫びとして俺にできる事なら何でもするから」
どうやら思っていたより剣は怒っていたようで、先程の事はそれほど重大な事だったのだろう。
どうすればと思い悩み、謝罪の言葉を青の刀身にかけ続けていると、不意に、剣が口を開いた。
「……名前だよ」
「名前?」
「そう、ボクは聖剣、キミと真名を交わす事で、チカラを使うことができるんだ」
「名前、そっか、名前か……」
「どうしたんだい?」
「いんや、何でもねぇ、俺は巡、潤観里 巡だ、お前は?」
息をのむ、空気が少し変わった気がした。
「ボクは聖剣、万物に通じ、海を統べる、古の海龍神の牙……真名は『キトス』だよ。」
そう言い放つ聖剣の言葉には、一つ一つに圧が込められていた。
「『キトス』か、いい名前じゃねぇか」
「キミだって、メグル、うん、イイ名前じゃないか」
「ありがとよ、さてと、じゃあ、行くとしますか」
「おうともさ! そうそう、ボクを使う時は、こう叫ぶんだ、万物変換ってね」
「おおぅ、お前、そんな能力持ってたんか……」
「さっき言ったろ? 万物に通じてるってさ、ジツを言うとヤシの木になってたのもこのチカラのせいなんだ」
サラッとずっと抱いていた疑問の答えを口にする青剣。何の気ないように言うものだからこちらも戸惑ってしまう。
「せいって、もしかして元に戻れなかったとか」
「そうさ、ボクはあそこで長い間ああして風に揺られてたんだ、剣はジブンじゃ動けないし、縛られて居たからね」
「縛られていたって、何にだ?」
「ん〜、昔の約束ってとこかな、ま、いずれ話してあげるよ、それよりホラ! 使ってみなよ!ボクたちのチカラ!」
早く早くとせかされる様に剣を構える、なんだか誤魔化されてしまった気もするが、悪い気はしなかった。
「じゃあ、行くぜ? 3、2、1で一緒にサケぶんだ、準備はイイかい?」
「おう、いつでも来やがれだ!」
剣を握る。身体から溢れる力と、剣から溢れる力、二つは一つになって、混ざりあってゆく。
「それでこそボクのマ……うぅん……アイボウだ! 3、2、1、いくよっ! 」
「「万物変換!!!」」
遥か太古、海を統べ、万物に通じた海龍神は人々から恐れられ、戦かれ、崇められた。
曰く、其のチカラは海を自在と操ったと。
曰く、其のチカラは空をも割り開いたと。
そして曰く、其のチカラは万物を生み出した、と。
今、幾千もの時を超えて、その力が振るわれた。
眩く光る海上に生み出されたのは丸木をいくつも繋ぎ合わせて作られた立派なイカダ。そして、イカダ。そして……イカダだった。
「どっちにしろ濡れんじゃねえか!!! 」
そう叫ぶ顔面に、絶賛土砂降り中の雨が降り注ぐ。
「ちっ、違うんだ! あのだね、ボクもホラ、寝起きみたいなモノだし! ほ、本来のチカラならこの雨雲を吹き飛ばすくらいは出来るんだけどもね、 今はコレでガマンというかなんというか……」
先程までのテンションは何処へやら、どんどん尻すぼみになっていく青剣の言葉に、どこか笑えて来てしまう。
「まあ、いいか、イカダでもよ、ゆっくり進んでくとしますか……あっ、もしまた海に落ちたら、そん時はヨロシクな」
「うううううう、このイカダも悪く無いんだぞ! マストが付いてるから休む時も落っこちる心配は無いし! 推進力だってマリョク式だ! 乗り心地もイイんだぞ!」
軽口を返しつつ、海に浮かぶイカダへと足を乗せる。すると今まで浮かんでいた身体が嘘の様に浮力を無くし、丸木の上にふわりと降り立った。
「おお、確かに悪くないかもな、ありがとよ……って、魔力って何だ?」
「うえっ!キミ、マリョクを知らないのかい?」
「知らないも何も、今初めて聞いたワードだ」
「うう、参ったなぁ、ホラ、さっき使っていたじゃないか、ボクのナカに流し込んだヤツさ」
「ああ、アレ、魔力って言うんだな、突然湧き出て来たから何かと思ったけど」
初めて耳にした魔力、と言うワード、普通なら何をと捨て去る言葉だか、今ここにおいてはこれでもかと言うほどの現実味を持っていた。
「やっぱ、違う世界……なのかもな」
「うん? 何か言ったかい? 」
「いいや、何でもねぇよ」
もしここが違う世界であるのなら、いつかこの小うるさい聖剣にも話してやろう、向こうの世界の事を。そう心に留め、魔力というものを漂うイカダに込めてみる。
「おおっ、スゲェ、動き出した……」
「ふふん、だから言ったろ?このイカダも悪くないってさ」
「ああ、みてぇだな」
魔力が込められたイカダは音も無く前へと進み始める。
オールも何も付いていないイカダが波を切りスイと進む様子は何とも不思議なものである。
「やっぱりイイねぇ、旅って言うのは、ココロが踊る様だよ」
「旅?」
「違うのかい? コレはボクとキミの旅、ボクはそう思っているよ、セカイを楽しむためのね」
「そっか、旅か……なんかいいな、こういうの」
ザアザアと波を切る感覚に、ココロが踊る、何となくその言葉がわかって来る様な気がした。
そのまましばらく揺れるイカダに身を任せていると、いつの間にやら辺りの様子が変わっていることに気が付いた。
「メグル、メグル、空を見てごらんよ」
「おぉ……スゲェな……」
「ふふ、ボクらの旅の門出に相応しい、イイ天気じゃないか」
空を見上げる。
割れた雨雲の間からは真っ白い日の光が差し込んでいて、これから進む海の道をキラキラと照らしていた。
「なぁ、陸に着いたら、何がしたい? 俺は肉が食いてぇ、ここの所、魚しか食べてなかったからさ」
「そうかい? ボクはまだまだ食べ足りないよ、と言うか、あのカラダじゃご飯もロクに食べれなかったからね、キミがくれたひげ大臣、もう一度ちゃんと味わってみたいな」
「お前……メシ、食えんの……?」
「失礼な! ボクがその気になれば食事くらい楽勝さ! ヒトガタにだって万物変換出来るんだからなっ! 」
「お、おぉ、やっぱやスゲェ奴なのかもな、お前」
「なのかもじゃない! 凄いヤツなんだ! ……あと、そのお前って言うの、ヤメてね、名前、教えたじゃないか」
「あぁ、すまねぇ、……キトス……」
「うしし、それでイイんだ、よし! さっそく釣るよ! ひげ大臣! 物質変換! 〈ツリザオ〉!〈ヒトガタ〉! 」
「あっ、バカ、そんな一気にやったら」
穏やかな海に、大きな物がひっくり返る音が鳴り響く。
ーーしばらくして、海中から二人の頭が顔を出した。
「バッカ! 少しは考えてからやれよ!」
「うううぅ、ゴメぇ〜ん」
ひっくり返ったイカダは、柔らかい太陽の光を浴びて、プカプカと浮かんでいた。
◯あとがき
初めまして、ゆうせんと申します。
突然ですが「後書き」と言うものを、皆さんはどう思っていますでしょうか。
読後の弛緩した空気の中で流し見する人、はたまた作者の人柄が知れて面白いと読み進める人、本編以外はいらねぇ! とあとがきの「あ」の字が見えた瞬間に本をファイナルフラッシュなさる人ももしかしたらいるかも知れません。
因みに私は後書きは流し見するタイプの人間です。じっくり読むでもなく、ほぼ、見もしないのでもなく、ダラダラと読むあの時間が好きなのです。
今回、短編という形でこの物語を書かせて頂いたわけですが、今このあとがきが、皆さんにとってのそういう空気を感じ取れる場所であれば嬉しいなと思います。
本編の内容ですが、初めは海に落ちる、南の島、ヤシの木、聖剣、それだけのワードを頭に浮かべながら書き始めました。
それだけに途中で書き直したり、色々と大変でしたが、楽しくもありました。
ここまで読んでくださった画面の前のそこのあなた、拙作をこんなに深く読んでくださり、ありがとうございます。
それでは、また。