表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

・・・

 彼が来た5日後ほどの昼見世の時間、私は彼に手紙を書いていました。


”あの夜に主様のような優しきお方と逢えこれより嬉しきことは無さんした。

 そして、夜ごと主様のことを思うとわっちの胸が痛みんす。

 主様今度はいつ来てくんなます?”


 手紙を書き終わると封をして、私付きの禿に渡します。

禿は手紙を携えると男衆に渡し男衆はそれを一度読んで内容に問題がなければ

男衆が町飛脚に渡し飛脚が彼に手紙を届けるという事になります、

男衆が一度手紙を見るのは中身が心中や逃亡の相談などでないか確かめるためですね。


 遊女は手紙を常に書いているというのは皮肉ですが

客の気を引くために適切なタイミングで手紙を出すのは

手練手管として重要なことの一つです。

結局手紙は「私にとっては貴女が一番大切な人なの」というふうに

相手をたぶらかすために用いた手段が手練手管なのです。


・・・

 それから彼は週に一度くらい来てはそのたびに酒を飲み交わし、私を抱くことなく一緒に寝て

そしてそのまま帰るということを二月ほど繰り返したのです。


 その間の弥生(3月)には花見があり吉原の仲の町の真ん中に

大きな桜の木を植え並べて垣根をめぐらされ、提灯が飾られ、そこに夜桜見物に客が集まったのです。

私もその桜の花が散る中を花魁道中で歩き、夜桜の下で冬弥様と酒宴を開いたりもしました。


 あくる日の昼見世の時間私は太夫や格子の女達と雑談に興じていました。

その中でのことです


「それんしても、あの主様はわっちになぜ一度も手を出さんのでありんしょうな?」


 それを聞いた周りの女が顔を見合わせて訝しげな顔をしました。


「もう二月の間あんさんに手をださんとはほんにかえ?」


「いやいや、そんなんありえんすわ」


「もしやその御方あっちがたたんのでありんせんか?」


「もしやあんさんをだしにして、陰間揚屋(男娼の揚屋)の

 高級色子(高級男娼)に通ってるではありんせんか?」


「いんや、そんなことはありんせんわ」


 周りに言われて私はそう答えました、しかし言い返したものの根拠はありません。

しいて言うなら贈り物の金額が尋常でないしそんな素振りはないということぐらいです。


 しかし、太夫の中でも一番人気の者がいうのです。


「そりゃあんさん、あんさんのことをその御方がほんとうに大事に思ってるしるしやす。

 ほんにたまにそういうお方がおるんやけ。あんさんもその御方を大事ににしなんせ。

 たぶん二度とあることじゃありんせんさかいにな」


 彼女のその言葉を聞いて他の女たちは嫉妬と羨望が入り混じった視線で私を見ていました。


「ほんにうらやましおすなぁ」


「わっちもそんなお人が来て欲しいでありんすなぁ」


 その言葉を聞いて私はホッとしました、それとともに思う

確かに周りから見れば羨ましいことなのだろう。

だけど抱いてくれないことが本当に幸せなのだろうかとも思うのです。


 密夫(愛人のこと)がいない私にはわからないけど、

手すきの日に密夫と秘密裏に……けれど周りにはバレバレなんですが……、

逢瀬して密夫に抱かれていた私の姐さんはそのときすごく幸せそうな顔をしていたのです。


 私は客に触られることも抱かれることも愛の言葉をささやかれることにも

何も思うことはなかったのですが、何もしなくてもいいと言われると

ほっとするとともになにか残念で切ない気持ちになるなるのです……。

なのにあの人と過ごす時間を思うと胸がドキドキするし別れの時は胸がチクチクするのです。

これは一体なんなのでしょう。

・・・

 とある春の日の話です。


「おや良い香りがしますね」


 酒の席で床の間の方を見て彼は言いました。

そこには鉢植えの馬酔木が花をつけています。


「あれは馬酔木あせびの花でござんす。

 馬酔木の葉を刻んで燻すと虫よけになりんすよ。

 春になると虫がどことなくわいてきやんすから春になるとそうしんす。

 とは言え馬酔木は馬鹿も食わぬものとももうしんすが」


 馬酔の木の葉には毒があるので馬も鹿も食べないのです。


氷蚕ひょうさんは寒さを知らず、

 火鼠かそは熱さを知らず、蓼虫りょうちゅうは苦さを知らず、

 蛆虫しょちゅうは臭さを知らずとも言いますからね。

 馬酔木を好んで食す虫もいるのではないですか」


「そうでありんすな、庭師に聞けばくわしいこともわかりんしょうが

 馬酔木にもつく虫はいたはずでありんす」


蓼虫(りょうちゅう)葵菜(きさい)(うつ)るを知らずとも申しますね。

 可憐で人を寄せ付けぬ貴女はまるであの花のようだ」


 相変わらずキザなセリフを真顔で言う彼に私は照れながら


「わっちなぞにはおこがましいでありんしょうな。」


 と答えその言葉を聞いたあと私は小首を傾げ


「主様はわっちのどこがいいのでありんすか?」


 彼はニコリと微笑んで


「もちろん貴女の全て……ですよ。」


 といったのです。

その瞳は嘘ではないと思う、でも全てという言葉は曖昧すぎてすこし腑に落ちないのですが……。


「その言葉はずるいでやんすな。」


「嘘は申してはおりませぬよ、さ、夜も更けてきましたし

 今宵はそろそろおやすみなさい。」


 私はその言葉に頷くと今夜も仲良く二人で布団にはいって私たちは寝たのでした。

・・・

 そして時は流れ皐月(5月)隅田川の川開きが行われている夜のことでございます。


 床の間にはホトトギスの花を茶花として飾ってあります。

茶花というのはお茶にして煎じて飲む花というわけではなく

茶室に飾る花のことです。


 私は窓際に座布団をしいて彼を呼び寄せます。

窓の外に映るのは満天の星空と両国の隅田川で打ち上げられている花火。


「主様、こちらへはようきなんせ」


 馴染みになった日のように彼の盃に酒を注ぎながら私は言います。


「花火を見ながらの酒盃といわすのも粋でありんすな」


「ええ、そうですね。だけど天の星よりも川に映る花火よりも

 私にはあなたのほうが美しく見えますよ」


 うんあいかわらずキザな物言い、わたしはやはりくくっと笑いながら


「主様はほんに口がうまあござんすな。

 ほんにおかみさんやら他にいい人はいんせんか?」


「前も言いましたがいませんよ。」


「ほんにかえ?」


「神仏に誓って」


「あいわかりんした。」


 そして窓の外を再び見ると両国は隅田川のあたりに思いを馳せて


「わっちも生きている間に一度でようござんすから

 舟遊びというものをしてみとうありんすなぁ。

 川の船上から見る花火は一段と美しおすやろうし」


「なるほど、すぐには難しいかもしれませんが

 なんとか手配してみましょう」


「ほんにかえ?」


「ええ、待っていて下さい。

 きっと綺麗ですよ。」


「あいわかりんした、きっとでありんすよ」


「任せてください、約束を違えるようなことは致しませんよ」


 私はその言葉に大きく頷くと鏡台からかみきりばさみと袋を取り出して

彼に差し出しました。


「ならば、主様良ければわっちの髪をもらってはいただきしんすか。」


「髪は女の命と聞きますが良いのですか?」


「主様やからもらってほしいんす。」


「分かりました、小瑠璃殿の髪、いただきましょう。」


 結った髪の一部を崩すと彼がそれにハサミを入れ、袋へそれを入れました。


「その髪をわっちと思って、大事にしんせ。」


「ええ、私の家宝としますよ。」


 そして床に置かれた彼の手に私は手を重ね


「主様、わっちの体をほしいとはおもいんせんか?。」


 とくちづけをしようとしました。

しかし彼は人差し指でそれを遮り


「いや、やめておこう」


 と静かにそれを拒んだのです。


「主様はわっちに興味がありせんすか?」


「肌で触れ合わずともこうして貴女の顔を見て、話を出来るだけで

 私は十分楽しいよ、それにまだ早いみたいだしね。

 ゆっくり思い出してくれればいい。」


 思い出すとはなんのことでしょう。


「?」


「さあ、今日も疲れているのでしょう。

 ても少し熱いし、ゆっくりおやすみなさい」


「あい、わかりんした。

 主様もやすみんせ」


「ええ、そうしましょう。」


 そしていつもどおり寝ていつもどおり朝の見送りをして……

しかしその日を境に彼は見世に姿を見せなくなったのです。


「わっちが余計なことをしたから、主様のきにさわったでやんすか……。」


 しかしその後に伝え聞くところには彼の遊郭遊びに彼の父親が激怒して

縁談を進めるも彼が断っているばかりで蟄居を命じられているとのことでした。

まあ、彼が使った金額を考えれば当然ともいえますが。


 彼がいなくても客が全ていなくなったわけではありませんが、

私の心にはなにか大きな穴が空いたような感じでした。


「主様に一目会いたいでやんすなぁ……。」


 私の胸の痛みは一層強くなったのです。

それでも生きていくためには体を売らなかればなりません。


 今日の客は商人の旦那の太助です。

商人とは言え豪商というほどのレベルではなく身請けを出来るほどの財はありません。

彼は私の私室に入るとすぐに後ろから抱きついていいました。


「俺にゃあお前だけなんだ。

 今の俺に身請けできるカネはねえ、だが、絶対成功してお前を身請けしてみせる。

 だから待っててくれ。」


「うん、きっとでありんすよ」


 もう何度その言葉を聞いたでしょう、彼の言葉を聞いても私の心は冷たいままです。

いつもどおりやることをやって寝ると翌朝の見送りをして見世に戻ります。

戻った私に女将が言いました。


「ああ、もうあいつは素寒貧や、もう取るんやないで。

 わちらは空になった財布にかまっとれへん。」


「あい、わかりんした。」


 どうやら溜まっていたつけが払えないようになっているようですね。

つけは彼の店の大旦那なり親なりに代理で払わせるのでしょう。

金の切れ目が縁の切れ目はここでは顕著です。


 冬弥様は来られず、一人の客が手切れになり私の胸はちぎれるようにいたんだのです。


「あとどれだけこんな地獄が続きんすかね……」

・・・

 時は流れて文月(7月)冬弥様より文が届きました。


”やっと父上の了解が得られました。

 貴女が望んだ舟遊びにお誘いいたします。”


「久方ぶりに冬弥様にあえんすなぁ。」


 嬉しい気持ちでいっぱいになった私は上機嫌で花魁道中に向かいます

禿や新造、男衆、太鼓持ちなどを引き連れて船宿へ向かいました。

本来出れない大門を男衆が前後を固めてくぐり日本堤を歩いて指定された船宿へやって来ました。


そこでは久しぶりに冬弥様の姿を見られたのです。


「小瑠璃殿いろいろありまして大変遅くなりましたことをお詫びします。

 今夜は舟遊びと花火をぜひ楽しんでください」


「主様わっちの言葉を覚えていてくれたんでありんすな……。

 感謝しても感謝しきれへんおおきにな」


 そういって渡し板をわたって皆で屋形船に乗り込みます。

船宿から酒や食べものを持った雑仕女が船に乗り込むと船は堤防をゆっくりと離れました。

山谷堀さんやぼりを船がゆっくり下る間に花火が打ち上げられるのが見えたのです。

そして『たまやー』『かぎやー』という花火師の名を呼ぶ声があたりから聞こえてきました。


「ほんに花火というものは綺麗なもんでありんすなぁ。

 職人が丹精込めて作ってそして空に打ち上げられ

 大きな花を咲かせて散っていく……」


 まるで私達遊女のようだ、6歳から10年ほど見習いとして必死に研鑽し

17歳で客を取るようになって多くの者は23から24で死んでいく。

歳を重ねた遊女の末路は暗いのです。


 堀の周りに飾られた提灯の炎が揺らめき、花火ともに幻想的な雰囲気を引き立てています。


「小瑠璃殿、大事な話がある。

 船尾楼の個室に先に行ってほしい。」


「話……でありんすか?わかりやした、わっちはおさきにいきなんす。」


 私は冬弥様の言葉に従って船の船尾楼にある個室へ向かいました。


 そして個室へたどり着こうとした時に一艘の猪牙舟ちょきぶね

私たちの乗る屋形船に接舷し、その船から長ドスを携えた太助が乗り込んできました。


「やっと機会を見つけたぜ小瑠璃ぃ。

 俺から絞れるだけ絞りとって金がなくなりゃなしの礫。

 そのくせちゃっかり次の金づるを見つけやがって。

 俺は借金地獄もう破滅で地獄行きだ、だが俺だけじゃ地獄にいけねぇ。

 小瑠璃、お前も一緒に地獄に落ちてもらうぜ。」


「くっ、そんなのはここじゃ当たり前のことでありんせんか。

 わっちを恨むのは筋ちがいや。」


「うるせえ、死にやがれ!。」


 彼は鯉口を切ると長どすを抜いて私に斬りかかろうとしました。

そしてその刃が私に落ちてきます。


「そこまでにしてもらおうか!」


 その声がかかるとともにに白刃が一閃しながドスが弾き飛ばされ川に沈みました。


「冬弥様……」


 彼の姿が視界に入った時に私の意識は薄れていったのです。


(これは夢だろうか)


 私の目の映るのはまだ父とともに住んでいた頃の幼い私。

何かの使いの帰り道でみかけたうずくまっている品のいい武家の子どもと

それを取りかこむ数名の武家の子供。

品のいい武家の子供はなにか小さなものをかばっているようだ。

私は取り囲んでいる男の子たちに突進して一人をつきとばした


『こぉらぁー、てめえら寄ってたかって何やってがんだ!』


 そうすると男の子たちがはやし立てた


『なんだとー、お前こいつの味方するのか?』


『生意気おんなめー』


 私はにやりと笑い拳を構えた


『あたしとやるってのかい。いい度胸だね。』


 そして幼い私は囲んでいた男を殴り蹴り投げ飛ばして退散させた。

このくらいの歳だと男より女のほうが強いのだ。

そしてうずくまっている男に声をかける


『あんた、大丈夫かい?』


『え、ええ、助けてくれてありがとう。』


 彼がかばっていたのは巣から落ちたツバメのひなのようでした。


『僕は武家の長男なのにみっともないよね。

 皆には軟弱者と笑われてる

 でも、弱いものをほおってておくことは僕にはできないよ』


 自らを蔑むように言う彼に私は言い返しました。

ツバメの巣を見つけると彼は雛を手のせ巣に返します。

まあ、私が肩車をしてるんですが。

そして彼を下ろしてちっちと指を振りながら私が言います。


『別にいいんじゃない。

 腕っ節が強いだけが人間の価値じゃないし。

 優しいってていうのもこの泰平の世の中じゃ必要だよ』


 彼はその言葉に目を見開いてからはにかんだように笑って


『ありがとう、そんなことを言ってくれたのは君が初めてだ』


 そう言って彼は袖から小さな青い石と鈴のついた赤い紐を取り出したのです。


『これは僕の宝物なんだけど、君に上げる。

 今日ボクを助けてくれたお礼。

 もし何かあった時は屋敷に来てこれを鳴らして

 その時は今日のお礼に僕が助けるから』


 そう言って笑った少年は……幼いころの冬弥様でした。


 そして私は屋形船の中で目を覚ましました。


 太助は縄で縛られて転がされてるようです。

しかし大夫である私と旗本である彼に刃を向けた以上

良くて遠島流し、普通で死罪でしょう。


 そして太助を組み伏せて倒したらしい冬弥さまが

私の方を心配そうに覗き込んでいました。


「小瑠璃殿怪我はありませんでしたか?」


 私はこくこくうなずき答えます。


「わっちより冬弥様は大丈夫でありんしたか?」


 彼はほっととしたように微笑んで言いました。


「ああ、僕は大丈夫、良かった、今度は間に合った。」


 その言葉に私は紐が切れた青石と鈴のついたお守りを手に持って差し出した。


「主様が言っているのはもしやこれのことでありんせんか?」


 私の言葉に彼はうなずきました


「ようやく思い出してもらえたのかな。」


「つい先程、でありんすが。」


 コクリとうなずいて私は答えたのです。


「あのとき私は貴女を助けるといったのにその約束を守れなかった。

 そして貴女が売られたと聞きずっと探していた。

 私達が小さい頃は尾張に住んでいたから

 京か大阪だと思っていたんだ。

 だがどこにも見つからずお勤めで江戸に来た時

 君に出会った、私のことは忘れられていたと思うけど

 それも仕方ないことだと思った。

 年も経ちすぎていたし昔の私はよわかったから

 体を鍛えることもした。」


「なんで今まで言ってくれなんせん?」


「怖かったんだ、約束をまもれなかった私のことをもしかして君が恨んでるんじゃないかって。」


「そんなことありんせん。」


「それに私のことを完全に忘れているようにも見えたし……」


「すまんかった、それは否定できひん」


「だから、時間をかけて思い出して欲しかった。

 こんなことになるとは思ってなかったけど。

 僕はあの時に君にあった時から君が好きだった。

 だから、今なら言える。

 君を身請けして妻に迎えたい。」


 その言葉に私はこわばりました。


「その言葉非常に嬉しんす。

 けど、わっちは主様の優しさを利用しようとしただけの浅ましい女やす。

 ほんにわっちでええんすか?」


「君だからいいんだ、そして君じゃなきゃダメなんだ。」


 そういって彼は私の体をぎゅっと抱き寄せ

私の顎をくいと引くと唇を重ねてきたのです。


「主様、わっちも主様が大好きでありんす」


 そして私たちは肌を重ね、今宵無事に結ばれたのでした。

・・・

 翌朝私達が起きて個室から出た時


 拍手とともに祝福の言葉がみなからかけられました


「おめでとう。」

「おめでとうございます。」

「姐さん、ほんにめでたくありんす。」


 どうやら周りに全て聞かれていたようです。

私たちは二人で顔を赤くしながらその祝福を浴びながら郭に帰ったのでした。

・・・

 そのご私の身請けは無事成立いたしました。

私についていた禿や新造、男衆は新たに太夫になった遊女についたり

一番人気の姐さんが引き取ったりして新たな体制になりました。


 私たちは大門を出ると冬弥様の乗る馬に二人で乗り屋敷へ向かったのです。


 冬弥様が調べた所、私の祖先は武田家のそれなりの位にあった家臣であったと

私の住んでいた家の家系図を冬弥様の父上にお見せすると

私と冬弥様の婚姻は承認されました。

ただし名目もあって私は妾としてとしての扱いでした。

武家屋敷での生活は穏やかに過ぎて行きました。

私は花魁時代の経験を活かし書や琴などの芸事、教養などを

教えることで屋敷に馴染んでいったのです。


 やがて私は冬弥様との子供を身ごもりました。


 そして十月十日後のこと……


 無事女の子が生まれました。

少々小さい体ではあるものの元気な女の子です。

しかし……。


「どうにかならないのか!。」


 冬弥様の声が遠く聞こえます。

私の体は長い遊女生活でボロボロでした。

そして出産時に傷がついた産道からの出血が止まらずに居たのです。


 私の意識が遠くなっていくのがわかります。


「冬弥様、申し訳ありません。

 せっかくあなたに救っていただいた私の命もこれまでのようです」


「何を言ってるんだ、これからだ、これから幸せになるんじゃないか!」


「私は吉原の大門をくぐったあの日地獄の日々から、

 心を閉ざし諦めることに慣れすぎてしまいました。

 神仏の加護などなく吉原の色地獄に落ちたものに

 手を差し伸べてくれるものなど居ない。

 ならば希望など抱かず人として生きるのではなく

 男に抱かれるだけの肉の傀儡として

 生きればいいのだと。

 でも、今はこう思うのです。

 私は今まで何のために生きてきたのだろう。

 幸せってなんだろう、私には何があったのだろう。

 冬弥様、あの地獄にあってあなたと過ごした

 時間だけが私にとっての幸福でした。

 そうでなければ心を持たぬ私は心なく死に

 なにもないまま、誰も私を覚えるものも居ないまま

 消えていったでしょう。

 あなたが、あなただけが私を忘れずにいてくれたこと、

 私に優しくしてくれたこと

 心を失って居た私があなたの優しさにつけこんで

 あなたから財産をむしりとろううとしていた

 こんな私でも……。」


「瑠璃!もういい、しゃべるな。医者をよべ、早く!」


「冬弥様、私たちの子供をお頼みします。

 私が得られなかった幸せを与えてやってください。

 あなたは本当に私にような女にはもったいない方……。」


「瑠璃?」


「だから……これは……あなたに……お返し……致し……ます……。」


 私は青石のお守りを手に取り彼に渡そうとしました。


「瑠璃?!死なないでくれ?!瑠璃ぃー!」


 すでに何も見えず力も入らず、でも私はあなたとの子供をなせ

あなたのそばで死ぬことができて本当に幸せでした。

ありが…とう。

・・・

 こうして苦界から抜けだした花魁は最愛の人に見守られながら果てました。

彼女の部屋には馬酔木とホトトギスの花が残されていました。


「わかったよ瑠璃、君と私の子供はきっと幸せになれるように育ててみせる。」


 その言葉通り彼は娘を幸せにするべく大切に育てることになります。


 その後に蘭学を学んだ医師が屋敷に訪れた時彼は屋敷の片隅で咲き誇る

馬酔木とホトトギスをみてこうつぶやきました。


 その花言葉は「二人で旅をしよう」と「永遠にあなたのもの」と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ