0029 心変わり
昼前には、すでに村についていた。ルッツと、そして今一緒にいるであろう『心壊』に出会うために予想地点へ向かう。
村の中で最も大きい家が彼女の本拠地だ。今、そこは玄関からすでに血の匂いが漂う恐ろしい場所になっている。後で幽霊屋敷っぽくしてみようかなと幼い思考が首をもたげる。
ドアを開くと、やはり二人がいた。床には『希薄』だったものがあるのだろう。目には入れたくないから倒れている場所を予想して目線をずらす。どうせルッツが手前の席に居ただろう。そして『希薄』は突っ込んでいったと。
「あー、やっぱり俺の予想外れてたのね。」
その声に二人とも気がついたようで、ルッツはいつも通り貼り付けたような笑みを、『心壊』は蜘蛛の糸を掴んだかのような表情を浮かべた。
「あ゛あぁ!やづなぎざん!たずげで!だずけで!」
と叫ぶ。『心壊』はずっと俺のことを騙してたことなるので、少々腹が立っている。まあ少々ではあるが。
「安心してください『心壊』さん。もう大丈夫ですよ。」
声に出すと、色々な『嫌がらせ』が頭に浮かんだ。思わず笑みが浮かんでしまう。
『心壊』がこちらに這いずり、近づこうとするのをルッツは背中を踏みつけることで阻止する。衝撃が加わったことで彼女から情けない音が出た。
「お帰りなさいヤツナギさん。少し遊びますので待っててくれますか?」
俺はルッツを制止して、『心壊』に向き直る。
「地図はどこにあるんですか?」
「棚に!助けて!やつなぎさん!」
棚に向かい、引き出しを開けると確かに地図が入っていた。する事がまだあるので覚えるだけに留めておく。自慢させてもらうと、覚えるだけなら数秒で済む行動だ。
俺が動いている間もジタバタ暴れる『心壊』の脇腹を、ルッツは蹴りつけた。骨の折れる嫌な音が響く。
そしてルッツが倒れた。どうやら骨が折れたのはルッツのようだ。どんな軟弱な体をしていたらそうなるのだろうかと、今まで生き残っていたことが不思議だと変なところに感心してしまった。
バキンバキンと音が鳴る。ルッツの骨が新たに作られている音だ。曲がったら曲がったまま再生されるのだろうか。……そのままなのだろう。
『心壊』はルッツが倒れたことで一瞬の隙ができたのを感じ、脱兎の如く逃げ出そうとする。目指すは俺の背後にあるドアだ。
「どけ!どけええええ!!」
女の子としてその口調はどうなのだろうか。あの時は素敵に見えただけに残念であり、やっぱり少し腹が立ってくる。
「この門をくぐるもの、その他一切の望みを棄てよ……なんてな。」
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予想外だ。もはや考えれる頭なんて微塵も残っていない。
『心壊』はいたって普通の町人だった。確かに相手の認識能力を破壊するなんて物騒な能力を持っていたが、そんな能力を使用するほど腐った人間ではなかった。心優しい、礼儀正しい人間だったからだ。
日常は変わる。
ある日、『心壊』が家から出ると同時に豪華絢爛な馬車が家の前で停まり、中から一人の男が出てきた。その男は片眼鏡を左側につけ、綺麗な装飾が施された杖をついていた。その顔は優男と言って差し支えないが、目がいけなかった。
『目は口ほどに物を言う』ともいうように目というものは感情を写す鏡になる。生物である限り感情という枠から抜け出すのはほぼないと言っていいだろう。感情が抑圧されていることはあっても、心の奥底では燻っているものなのだ。
しかしその男はどうだ。もはや何かを写しているとは思えない。いや、確かに『心壊』を見て優しげな笑みを浮かべているが、その顔が、目が、意識がこちらに向いているが、それでも認識していないだろうと――そう思わずにはいられない。そんな目だった。
気づけば目隠しされた状態でどこかに連れていかれていた。その時に『心壊』が運ばれていると認識していたわけではないが、次に解放された時が違う場所だったのだから運ばれていたと考えるのが妥当だろう。
どこかは知らぬ冷たい部屋で、一生分の感情を吐き出した。一生分の生も、一生分の死も吐き出した。
『心壊』は一週間に渡って拷問を受けた。拷問をする相手はあの男で、常に優しげな笑みを浮かべていた。それが逆に恐怖を印象づけたのだろう。
一日目で絶対的な恐怖を覚えた。
二日目で絶望を覚えた。
三日目で感情が崩れた。
四日目で自分の名前を忘れた。
五日目で自分の居場所はここだと感じ始めた。
六日目でその男が神に思えた。
七日目で今の『心壊』が出来上がった。
『心壊』にとって全てはあの男以外は全て色褪せて見えた。感情も、人間も、自分自身でさえ男のために捧げられれば後悔はないという考え方は歪むことはなかった。八柳 九龍に会わなければ変わらないはずだった。
しかし現に今、怒りに我を忘れ、痛みに恐怖を覚え、逃げられるであろう状況を喜んでいる。ヤツナギさんに助けを求めてよかったと、『心壊』はあの男と同じくらい八柳 九龍を神格化した。ある意味『心壊』は元の人間に戻ったと言っていいだろう。
そして『心壊』は勢いよくドアを開いた――。
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俺は目の前の『心壊』に話しかける。
「心が壊れていく過程を感じたことがあるか?」
『心壊』の応答はないが、それでも話し続ける。
「俺が村に来てからした行動に必要性なんて全くなかったんだ。むしろしないほうがよかった。死んでしまったら取り返しはきかないんだからな。」
『心壊』はこちらを向こうともしない。
「武力の強化も、霊力の補充も、戦闘力の確認も必要だった。でも今じゃなくてよかった。でも確かに思ったんだ。」
俺は『心壊』の眼があった場所――今はそこにどの部位がわからない細い骨が刺さっている――を覗き込む。
「俺は目の前の惨劇を見ても心が動かないってな。」
『心壊』の切り裂かれた首元から舌が落ちていく。ベチンと音を立てて床に叩きつけられる様子は滑稽にも見える。
「俺は変わったんだ。前の世界の俺はもっと人間らしいやつだ。でも俺は、俺の不利益にならなければどうでも良いと感じる。これは化け物と言えると思わないか?」
『心壊』が首をかしげる。実際には骨が頭の重さに耐えられずに倒れたことで首が重力に引っ張られただけであるが。
「ああ、一人語りをするような人間でもないな。こればかりはシオンに引っ張られてると思えるんだが。」
『心壊』は今やオブジェだ。題名をつけるならば『絡まった操り人形』だろうか。俺に名前をつけるセンスはないからなんともいえない。
全身に骨が刺さっている。痛覚が敏感なところを狙わせたし、それでいて死ににくいように調整したのだがそれでももう死んでしまっているようだ。
胸がすいたかというと、微妙なところだ。人格が変わったことを考慮してプラスマイナスゼロといったところか。
「ルッツ、行くぞ。モネグロと反対側。目指すところは中規模の街、トーンだ。」
ここの街『トーン』は実にハメやすい位置関係だ。根をはるならここだろうか。
「はーい、すぐ行きまーす。」
ルッツの足元で何かが強制的に引きちぎられる音がしたが、意識を割くほどの事でもない。ルッツは『心壊』が逃げ出した瞬間に意識を『希薄』に向け、遊びだしたからだ。何をしているかは……まあこの血の匂いでなんとなくわかるだろう。
道を塞ぐ『死損じたもの』を退かし、表へ出る。もうこの村にいる限り血の匂いからは逃げられないだろう。
近くの村は気にする必要はない。『敬仰』と『警鐘』を洗脳し、壊滅させに行かせた。もう終わりだ。
太陽と思わしきものは中天を超え、僅かに傾きだした。この日、モネグロ伯爵領から『擬人族』の集落は消えたのだ。
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書いては決してを繰り返してて遅くなりました。お話に限らず全ての文章においてはゴールを決めてから書き始めるべきだと深く実感いたしました。皆さんも気をつけてください。




