0028 『心壊』
彼らは擬人族の村へと戻ってきた。ルッツはすぐにこの村を出て、八柳が納得のいくのに適当な場所を見繕っておきたいと思っていることだろう。
それに伴い、ルッツはとある人物に会いにいった。村の中で最も大きな建物に、ノックもなく入っていく。ルッツは入る直前に家の傍を覗いた。
「完璧だ。」
そこには確かに馬車が残っており、彼の時間調整が完璧であったことを示していた。そして未だにルッツの独り言は健在である。
扉の軋む音がして、ゆっくりとドアが開く。鼻の奥を擽る木特有の香りは、確かに戻って来たことを思い出させるには充分だった。相変わらず生活感の感じられない部屋にルッツはどうにも嫌な気分になる。相手が相手であるだけに尚更。
その部屋の中央。静かながらも存在を主張する机に、昼間に関わらず光るランタン。そして薄い色の木材でできた椅子。その椅子に『心壊』が座っていた。傍らには『希薄』と呼ばれていた人物も控えている。『希薄』は下を向き、対照的に『心壊』はこちらを見ている。ルッツには八柳のような人外じみた読心能力は存在しないが、それでも彼女はその瞳に怒りを宿していることは理解できた。
『心壊』が眉をひそめ、口を開く。
「貴方は何者なんでしょうか?」
単語そのものは敬意を払うそれであっても、刺々しい声音は全く隠されていない。まるで、目に入れるだけで気が狂ってしまうと言わんばかりの態度だった。
ルッツはいつもの笑みを浮かべ、言葉を吐きながらドアを閉める。言葉はわざと挑発的に。それは勝ちが確定した者だけに許される慢心にも見えた。
「まあまあ、まずは貴方のやらかした事について確認しましょうよ。貴方の能力はなんでしょうか?ちょっと僕には予想も立てられないのです。」
「……。」
「あっ、今予想が出来たんですけれど聴いていただいても良いですか?」
目の前にある椅子の座った後、白々しくルッツが告げても彼女は睨みつけたまま黙っている。
「元々、おかしいと思っていたんです。ヤツナギさんが馬車を見たときに『昨夜会ったことのある馬車だ』と言っていました。その後に接触したいとも。更に、僕の嫌いなものを目の前に突き出したり、僕の気絶した緊急事態とも言える時にあなた方に接触したり。ヤツナギさんらしくない行動が結構あったんですよね。いや、まあ虫についてはヤツナギさんが素でもやりそうですけど。」
ルッツの目の前にいる二人は微動だにしない。聞き入っているからなのか、怒りのあまりなのかはわからないが。
「決定打は、この場所で起きたことですよ。」
そう言ってルッツは立ち上がる。大仰に語るそれは、質の悪い劇のように感じるだろう。
「ヤツナギさんは貴方を目の前にして、取り乱しました。ヤツナギさんを会話に参加させなかったのは、僕の意識をそっちに向けるためにですかね。警戒心が強いと通用しないとか、能力の制限があるでしょう。そして僕の意識をヤツナギさんの方へと向ける事に成功した貴方は、確かに能力を発動した。いやぁ、それにしても派手な演出の能力ですねぇ。ありゃあ能力を使用してますってばれちゃいますよ?」
ルッツが彼女を覗き込むようにした状態で言うと、彼女は声を荒らげて言う。
「それは貴方が!私の能力を使っても平然としてるから!」
「そうですね。僕もちょっとヒヤヒヤしました。状況が違えばまんまとやられていたかもしれません。貴方の能力の有効範囲は広いようですから。」
「なんでそれを……!」
「僕にかかれば余裕です。まあ僕はヤツナギさんがおかしい原因が貴方にあると言う時点で即座にぶち殺してやろうと思ったんです。けれど、貴方がくたばった後でもヤツナギさんが貴方にゾッコンだった場合はまずいと思ったので、一旦泳がしたわけです。ある程度情報を集めようと思いましてね。確信を得るまでは、100%になるまで貴方は殺せないと思っていました。」
そういうとルッツはさっきまで座っていた椅子を全力で蹴り飛ばした。貧弱なルッツなれども蹴れば大きな音が出る。正面にいた二人は思わず身を縮める。
「『心壊』。貴方の能力は、『気にしないようにさせる』というものだ。対象は問わないのだろう。付与もできるとは驚きですよ。ヤツナギさんはこの席にいた間、ただの一度も貴方に目を向けなかった。」
そう言って『希薄』を睨みつける。ルッツは、その幼く見える身体から発せられるとは思えないほどに鋭い雰囲気をまとっていた。
「『希薄』。貴方に能力なんてない。正確にはほとんど役に立たない能力だ。ヤツナギさんは貴方に会ったことと、情報交換したその内容しか話してくれませんでしたから能力の予測はつきませんが。『心壊』がヤツナギさんに『認識できない』影響を与えたのでしょう。ヤツナギさん以外にはしていないのですよね?『敬仰』は確かに貴方を睨みつけていましたからね。」
そう言い終わるとふっと鋭い雰囲気は霧散し、元々の貼り付けたような笑みが戻ってきた。
「それにしても、貴族ねぇ……。あなた方が擬人族って設定だったの記憶に残ってます?擬人族は人間に差別され、その動きを拘束するために交易の制限や土地の制限など、ここの全員の生殺与奪を握られている状態なのに……。」
そこまで言うとルッツは、クククと笑いだした。その笑いには純粋に面白いと思っているよりも煽っているといった方が正しいものだったが、怒りに前が見えていない『心壊』に気づくことはできなかった。
「擬人族が貴族なんて権力の持った存在になるのは不自然でしょう!しかもその不自然な敬語もどき!いやあ、あの時は本当に笑いを堪えるのに必死で集中できませんでしたねぇ。能力で狂わせたヤツナギさんの意識の中でもおかしく感じているんですから本当に、クフフフフ、ハハハハ!」
まるで耐えられなかったと見せて笑う。その後に「ゴホッゴホッ」と咳き込んだのはわざとなのか、自らの虚弱体質が祟ったものなのかはさっぱり分からなかった。
「あなたは……!『希薄』!早く私を馬鹿にするこいつを殺して!」
怒りのあまり顔を真っ赤にした『心壊』が唾を飛ばして命令する。それに『希薄』は、
「こ、この私には正面から戦った経験なんてありません…ッ!彼に勝てるかどうか……。」
と返した。『希薄』はルッツがさっきまで纏っていた鋭い雰囲気に完全に萎縮してしまっていたのだ。
「早く!」と『心壊』が叫ぶのと同時に、その右手に眩い光が現れた。それは風が巻き上がるような音とともに『希薄』に向かって飛んでいき、パンという音とともに消えた。残ったのは一見何も変わらないように見えるが、明らかに殺意を見せている『希薄』のみだった。
『希薄』はテーブルを避けてルッツに向かい、懐から取り出したナイフを首元目掛けて一直線に突き出した。影から現れ一撃で首を搔き切る事に慣れていた『希薄』は、一瞬姿がふっと消えたルッツに戸惑いを覚えた瞬間に、どこから取り出したか針で腹部を切り裂かれ内臓をぶちまけた。
「ああああああああああ!!!痛い!痛い!痛い!腹から何か出てる!ああああ!痛いいいいいぃいいいいい!!!!助けてくださぁ、ゴホッゴホッゲホッ!」
その叫び声とともに激しく吐血した『希薄』は、二度三度激しく痙攣した後、指先やまぶたをのぞいて動かなくなった。それでもまだ息があるのか、「あぁ」といったうめき声が漏れている。
ルッツは返り血を浴びた状態で『心壊』に振り返り、いつもと同じ笑みを浮かべた。
「大丈夫です。あなたはこんな簡単に殺しませんから。ヤツナギさんを害したんですから、脳だけになっても殺して、狂わせて、生かして、壊してあげますよ。心配なんていりませんよ。」
そういって一歩、一歩と『心壊』に近づいていく。
「や、やめてぇ……、やだぁ、来ないでぇ……!」
そう言いながら『心壊』はずりずりと後退する。彼女は涙や鼻水に汗をダラダラ垂らした上失禁しており、比較的美しかった容姿はもう見る影もない。
彼女の背が遂に壁にぶつかる。それは逃げ道がないことを表すのと同時に、彼女にとって無限の地獄が始まることを示してもいた。
「ああ、こんな別次元に飛ばされて実は気が立っていたんだ。ヤツナギさんの存在がなければこの辺りを海にしてやるところでしたよ。少しくらい魔術の実験に体を使わせていただいても良いですよね?」
そう言い終わりルッツが針を取り出したところで、後ろからドアの開く音がした。
「俺の予想やっぱり外れてたのね。」
それは八柳 九龍だった。その存在を目に入れた『心壊』は彼が洗脳にかかっていたことを思い出し、光明が見えたかのように言葉を紡ぐ。
「あ゛あぁ!やづなぎざん!たずげで!だずけで!」
それはもはや叫び声。だが、洗脳に掛かっている者には通じるものだろう。
「安心してください『心壊』さん。もう大丈夫ですよ。」
『心壊』にはその笑顔が、まるで神の微笑みのように思えた。




