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0017 酷薄

俺が思うに、感情の起伏は数値化できると思う。喜びの感情がプラス、悲しみの感情がマイナスなど、数直線が伸びていて、その様々な数直線の中心に今の感情があると考えてる。数直線の中心、全てが0の状態は無関心だ。

俺はあの凄惨な自殺を0、無関心にした。何も感じぬようにしたのだ。それは、恐怖や混乱、背徳感や罪悪感というものがマイナスに振り切っているのを反対の感情を同じだけ重ねるということでバランスを保っているのではないだろうか。

俺はこれからも他人の死に深く触れる。それは間違いないだろう。では問題だ。あの最悪な、それこそ発狂するほどの凄惨な自殺を0にした分のプラスを普通の死にも適用した場合、感情はどうなるだろうか。振り切っていた分のマイナスを抑えつけるために同じくらい振り切ったプラスが必要だ。

そして、そのプラスのベクトル達は強い感情を生み出した。恍惚、正義感、そして興奮。それらは等しく数値化され、化学反応のように一つの感情を作り出す。

快感。正義を成している気持ちに、それに心を奪われ、気持ちが昂ぶる。その感情はかつてないほど、それこそ脳が溶けるほどの快感を生み出し、病みつきになる。

相手の胴体を破散させた俺はひどく驚いた。その爽快感に。感じたことのない深い快感に、クラクラした。性的なものではない。口で表せるようなことではないものだ。

やはり俺は変わったのだ。取り返しのつかないほどに。でも、良いのではないだろうか。欲の中に殺害欲が追加されただけだ。理性も残っている。殺害に酔って致命的なミスをしないようにすればいいだけだ。うん、むしろ人生を楽しむ要素が一つ増えただけだ。気にせずにいこう。


擬人族フェイクマンの集落に戻ってきた。いくつもの集落があるとの事なので迷うことも考えて道を覚えようとしていた。この集落から見てずっと向こうに屋根のようなものが見えている。どうやら間隔はそこまで遠くないのだろう。擬人族フェイクマンと見なされる人は多いようだ。

すると集落からは少し離れたところからルッツがやってきた。ズボンが何故か粗末なものになっているが、些細なことだろう。些細なことだ。

「お帰りなさいヤツナギさん。成果を聞かせてください。」

相変わらず敬語にしては不躾な物言いだ。無論向こうではこれがノーマルなことも、あるいは最敬語である事も考慮している。

俺は息を短く吐いた。

「大失敗だ。貴重な労働力を全滅させてしまった。残ったのは『あれら』の能力で掻き集められたいつ霧散するかわからない養分が溜まった土地だけだ。」

「へー、皆殺しにしたんですか。それとも消滅したとか。」

「違うとは少し言いづらいな。俺が交渉で有利に立とうと強気に出たら集団自殺された。」

そういうとルッツは聞いた言葉が右から左へ抜けていったような間抜けな表情を見せたが、すぐに元の薄い笑みへ戻った。

「つまりそれが彼らの『価値観』というわけですね。特大級の地雷を踏み抜きましたね。そもそも彼らは他種族に無利益で施しを行うような種族です。どうして高圧的な態度に?」

「仕方ないだろう、俺は交渉なんてした事ない。した事があっても『あれら』に媚びを売るのは勘弁だね。人間の姿を取った化け物って感じだよ、俺の価値観からしたら。」

人間の姿を取った化け物。俺にも当てはまる事だろうか。変心した俺は果たしてまだ『人間』なのだろうか。

「まだ修正可能な範囲です。それよりも僕たちには重大で、深刻で、生命に関わる問題があります。」

「ああ、その通りだ。俺らはいつ倒れてもおかしくない。」

今の苦痛に比べれば悩みも吹き飛ぶというものだ。

「「腹が減った」」

「限界ですよ、もう。あ、そこの方ー。」

そういうとルッツは近くにいた中年の男を連れてくる。

「ズボン、ありがとうございました。図々しいついででお願いなんですけれど、ご飯をいただけませんか?」


「いやぁ、2日も何も食ってないとはな。修行僧か何かか?」

目の前の男はそういうと笑う。それには快活さと、どうしようもない愉快な気持ちが見て取れた。

「いえ、ただの旅人です。」

俺はパンをひと齧りして答える。そのパンは小麦を砕き、発酵させたりとかしているらしく小麦特有の甘みが口の中に広がり非常に美味い。この世界には特殊能力なるものが存在するのだから『パンの美味い作り方が理解できる』とかあってもおかしくない。

その情報はどこから出てくるんだと言われると首を傾げざるを得ないが、そういうものだと思考を放棄するしかない。そういった事は世紀単位で研究してようやく端の端が見える程度なのだ。

「ヤツナギさん、意味もなく彷徨うからなぁ。」

「行き先がないんだから致し方ないだろう。それともルッツには行く先があったのか?」

「ないですよ。だけどもうちょっと情報を集めるとかあってもよかったと思うんですけども。」

「だってまさか被害が継続して俺らまで飛び火するとは思わなかったじゃんか。」

二人で言い合っていると正面の男が話しかける。

「ヤツナギとルッツって言うのか。俺は『酷薄』って呼ばれてる。これが酷い能力でな。相手に恐れを抱かせるほど肉体的能力が向上するってのなんだ。虐殺、拷問、方法はなんでもいい。エグいことすれば強くなるっていう戦に身を置くものなら使えるかもしれない能力だな。」

だが、と目の前の男はいう。

「俺はあいにく平和主義なんだ。血どころか赤色を見るのも無理だ。」

それはもはや病気の類いではないかと俺は思ったが、そんな事は気にせず男、『酷薄』は話し続ける。

「お前らは常識に疎そうだから教えてやるが、自分の特殊能力を自由に扱える人間の方が少数派だ。能力のほとんどはゴミみたいなものだからな。俺が聞いた中で一番ひどかったのはあれだな。『布を触った場合、その重さを正確に感じ取れる』ってやつ。それでどうしろって話だ。」

「それはそれで使えそうですけどね。」

ルッツが呟くと『酷薄』は呆れたように首を横に振る。

「本人はひどく不器用だったんだ。服を織ることはおろか、ありゃ布を裁つだけで指が取れるね。」

俺は、目の前の男は意外と世界を見てきたのだなと一人変な感心をしつつスープをまた飲み込む。意外と塩味が効いていて美味い。俺は今の話を聞いて、『身体中の穴という穴から塩が出てくる能力』を想像してしまった。

うえ、気持ち悪いな。

「しかも中にはマイナスの能力だってある。『人死に関心を抱けなくなる』だとか、『死ねなくなる』だとか、『人の嘘が確実に見抜けるだとかな。一見プラスに見えてもマイナスな能力だってこの星にはいくらでもあるんだ。お前らは知らなかっただろう。」

そういって笑う。そこには明らかに悪意が含まれている。俺は席を立ち、ルッツの手を引っ張って距離を取る。敵かは分からないが、敵である確率としてはその辺の人間とは比べ物にならない高さだ。警戒に越した事はないだろう。

「お言葉を預らせて頂いている。『この世をかき乱せ。成したいように成せ。この世界を変えてみせろ。』との事だ。望みを叶えてみせろ。」

そう一方的に告げると消えた。比喩ではない。その場からまるで最初から幻覚を見ていたかのように消え失せたのだ。

「やばいですねヤツナギさん。僕たちもう何回分死んでると思います?」

「三回は死んでるな。つくづく運がいい。もう擬人族フェイクマンたちをあの村に行かせたら退散しよう。」

「そうですね。どこかあてはありますか。」

「前の街の反対側はどうだろう。前の街こそあのチンピラもどきのせいで出禁だが、向こうにあるであろう街までは大丈夫だろう。」

「じゃあそうしますか。」

俺らは家屋を出る。これから大量の人間を連れて道案内することを考えると、やはり憂鬱な気分になってくるのだった。

――――――――――――――――――――

時間をください。言い値で買います。

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