0016 殉死
いやいや、到底納得できるもんじゃない。俺の目の前で感情を馬鹿みたいに振れさせて、挙げ句の果てに首切って死んだ。誰がそんな法螺話を信じるのだろう。けれど目の前でさっきまで話してた人の形をした生き物だったものは血の流れるべき場所に水のような液体を垂れ流していて。その口は虚ろに開き、眼は死への感動など微塵もないようだと見るのが俺の限界で、それからはひたすら特に何も入ってない胃の中身をぶちまけ続けた。
胃液というか、身体中の液体という液体をぶちまけたような気もするほど最低なテンションの状態で俺は天幕を出た。すると数十人のガリガリの土精霊が俺の周りを囲んでいた。
俺があまりの急展開に混乱の極みにいると、
「族長が叱られた。」
と声が聞こえた。声の出た元はその生き物の群れの中だという事以外分からなかった。何故なら、
「族長が叱られた。」「族長のミスは部族のミス。」「怒りの感情を向けられる生き物など死ぬべき。」「死をもって償うべき。」「族長が叱られた。」
と右を見ても左を見ても族長が叱られたの大合唱。そこで俺は重大なミスに気がついた。が、もう遅い。
「「「死をもって!!」」」
全員が一斉に叫ぶと目の前の人物から生き物からただの有機物へと変わっていく。人間とかけ離れた、透明な液体を血の代わりに流しながら。
あっという間に俺の周りを土精霊だった肉塊が取り囲んでいる状況が出来上がった。
「あ、ああ、え?あああ?は?」
意味がわからない。意味がわからない。意味がわからない。あまりに滑稽で、三文芝居を見せられたようだ。だって、生きるって生きるって事だから、死ぬべき時に族長が痩せてるなら、死を超越した透明な液体が俺を取り囲んで、血の代わりに肉塊が動き出して、燃え出して、子供が草になって、ルッツが腕を切り落として、天幕からレッカー車が、族長を取り囲んだたくさんの透明な液体が、意味が、分からなかった。
世界が違う。比喩ではない。俺の今まで見えてた景色が一変した。つらい、つらい、暗い海の底。光の届かぬ世界で上を向くと、族長が首から海を垂れ流していて、周りで土精霊が首から上がない状態で踊っている。そこからは透明な液体が吹き出している。それを俺はまるで他人事のように眺めていた。
ああ、これが狂うという事なのだろう。なんて苦痛だろう。でも、俺は俺をやめるしかこの状況を脱せない。俺は願う。俺という存在が少しでも残ってくれるように。
脳内で俺は『支配者』と唱える。自らが他人の死に対して無関心になるように。
すると周りの首無し土精霊も、深い海も一瞬で消え、元の肉塊が周りを取り囲んだ場所へと戻ってきた。うん、まだ俺という人間はあまり変わっていないだろう。
人間にとって感情とは何か。それは防衛本能であり、攻撃的な要素であり、個性である。犬に襲われた時、勇猛なものなら犬を叩きのめすし、残虐なものは犬に激情を抱きグチャグチャにするだろう。臆病なものは叫んで助けを呼ぶだろうし、何も考えてないものはそのまま食い殺される。感情の違いは異なる結果を生み、異なる物語を生み出す。
俺の能力はまさに禁忌。人の物語を歪み、捻じ曲げて都合の良いものにする。例えば町の外で俺を取り囲んだ冒険者たちは今も無関心に、ただただ無関心に過ごしているだろう。ギルドで俺を取り囲んだ冒険者は、恐怖に全ての感覚を支配されながら、日々を送っているだろう。俺の能力はそれほど危険で、爆弾のようなものだ。
俺はその能力を自分に使った。他人の死という限定した範囲だが、それでも取り返しのつかないほど、俺は変わるだろう。が、仕方ない。俺は全ての考え方がリセットされることまで覚悟していたから、被害は軽微といってもいいだろう。
そしてようやく思考がまとまってきた時、異変に気がついた。
身体に違和感があるのだ。言うなれば全身の血液が外へと押し出されようとしているような感覚。力に満ち溢れているといえば聞こえはいいが、暴発しそうな危ない雰囲気の方が強い。心当たりはない。いや、門番先生の話とは違うが一つだけ。
「霊力……。」
門番先生はトドメを刺した人間に霊力が取り込まれると話していた。俺はトドメを刺したと言えるのだろうか。というか普通に考えてトドメとは物理的な問題だろう。借金で追い込んで自殺させても借金取りに霊力が入るわけがない。あまりに滑稽すぎる。
だが、今考えても結論の出ないものだ。推測こそいくつか立つが、確実性はない。要するにどうしようもないのだ。
ふと、息を吸う音が聞こえた。
その方向へ勢いよく顔を向け、近づいていく。この惨劇を俺のせいにされたらたまらない。いや、俺のせいであるのだが、危険視されることが危険なことである。口を塞ぐ交渉のキーがない今、もし全て見られていたなら、感情を弄らせてもらうしかないだろう。
嫌だ。例え人間でなくても、生物として大切なものを俺個人の事情で奪うのは忍びない。が、それが間接的な死因になるのなら、相手を殺すしかない。例えそれが『死』という形でなくても。
残り数メートルと言ったところで、ガリガリの男が出てきた。手には包丁。歯は噛み合っていないのかガチガチと音を立てていて、足も小刻みに震えている。ただ目が。視線が俺へ明確な殺意を向けていた。
俺はその姿を見ると急激に頭が冷えていった。
さて、今日において人間が禁忌としているものは何か。共喰いや屍姦は忌むものとされている。殺人も好んでする者はほぼいないだろう。それらは理由を求めるべきものではない。ならぬ事はならぬ事だ。
そしてそれらを躊躇いなく行える者をなんと呼ぶか。異常者やサイコパス、そして人でなし。人間が持つ価値観を無視する者は極々少数なのだ。
では正面にいる男は人でなし、いや、グノーメでなしというわけだ。土精霊達が有していた『困らせてでも困っている人を救う』という価値観や、さっきあった、言葉にするならば『怒りを絶対的な罪と認識する』事と『罪を部族で共有する』、『死をもって罪を償う』といった価値観がないのだろう。目の前の男は土精霊特有の価値観を持たないはぐれ者。言葉で表すならば擬土精霊とでも言うべきか。まぁどうだっていい事だ。
目の前の男は包丁を持つ右腕を伸ばし、こちらに突撃してきた。俺はその右腕を掴み、ひねり上げる。男が怯んでいるうちに感情を書き換えようと、俺は『支配者』と頭の中で唱えた。
『支配者』について、俺が知ることを説明しよう。
『支配者』は相手に触れている方が確実性がある。というか圧倒的に触れていた方がいい。範囲で感情を弄ることは出来るが、非常に不完全な上に、霊力を消費する。この世界で霊力は力となるものだ。消費はない方がいい。前回はたまたま上手くいっただけなのだ。
『支配者』の感情制限にはプロセスがある。感情を覗き、感情の変化をなくし、感情を書き換えるのだ。
俺は感情を書き換えるため、その男の感情を覗いた。
男の感情の色は赤。全く穴も、淀みもないただただ赤。そのあまりの異常さに俺は怯んでしまった。
生物の感情が一つになることなど稀だ。思考できる程度の賢さがある生物ならば尚更。
その男は手がおかしな方向に曲がるのも構わずに俺の足に掴みかかってきた。俺はその死を恐れぬ迫力に驚き、反射的に蹴りつけてしまった。
足に伝わるのは、外殻が粉々に砕け、内部をグチャグチャにする感覚。肉体的能力が大幅に上がってしまった故の弊害。その男の腹部は吹き飛び、二つに分かれたのだった。




