0000 天才たちの最期
雲ひとつ無い空は橙色に染まっている。文句なしの快晴である。
本日、俺――八柳 九龍――は某有名システム会社に入社した。
思えばここまでの人生は大変だった……。
俺は人より頭の出来が良かったと言えるだろう。だがまあ、空回った薄っぺらい人生を送って来たものだと自分でも感心する。
幼稚園の頃から俺はまさに孤独を行く男だった。周りにいる全員と話が全く合わなくて正直関わりたくなかった。俺はこう、もっと好きなテレビの話とかしたかったのだが、彼等は口を開ければウンコか仮面をつけたヒーローの話しかしない。
というわけで俺は幼稚園時代はドミノをしていた。とても楽しかった。なんというか、クリエイター精神を刺激されていた。親に頼み込んでドミノをバケツ一杯に買ったのは今でも覚えている。
小学生の頃は周りとの格差が酷い、という悩みを抱いていた。学校がつまらなくて仕方なかった。何故この勉強にここまで時間をかけるのか、なんて疑問がいくつも浮かび、まるで理解できなかった。
悩みに悩んだ俺は、『教師の怠慢』という結論を導き出した。今考えれば何を考えているのか分からなすぎて壁にヘディングをかましたくなるが、その当時はその考えが的を得ていると信じて疑わなかったのだ。
そして無駄に頭が回る俺は、教師の雑談に混じる僅かな粗を探し、その手がかりから職務の問題を見つけ出していったのだ。皮肉な事に小学生の5年生くらいまではこれで非常に充実した日々だったと覚えている。
そして5年生の時に俺は今まで貯め込んだ情報を教育委員会へと流した。逆恨みを警戒して徹底的に個人情報の秘匿に努めた上でだ。俺の情報で教師は半分以上が減給、もしくは異動。数人は自主退職へと追い込まれる大惨事になったが、俺は、
「今までクソみたいな授業した罰だ。ざまぁみろ。」
としか感じなかった。僅かな達成感こそあったが、結局授業のスピードは後任の教師も非常に遅くて落胆したものだ。
無論、そんな小学生時代を過ごした俺に友達なんか出来るわけがない。俺は一人でマグネット将棋やチェス、オセロなどで遊んだ。ネットで騒がれてたから前の担任の情報をちょっと流してやった。特定厨が探し当ててるだろう。
せっかくだから、その先の人生も語ろう。
中学生の頃から俺は自分の頭の出来を認識した。いや、どちらかというと周りとの差と言うべきだろう。
切っ掛けは受験。俺は親に頼み込んで、近所の中で一番偏差値の高い中学を選んだ。そこなら腐った教師は居ないだろうと思ったからだ。
近所の中学という事もあり、クラスメイトも何人かそこを目指す人間も居た。しかし、俺はそいつらよりも、というかほとんど勉強しなかった。必要性を感じなかったのだ。
まぁ結果は合格。確かに今までの授業には出ていない問題がほとんどでやり甲斐はあった。しかしどれも「習った事がない」というだけで少し考えれば答えがわかるようなものだった。それでも一割ほどは間違っていたのだが。
俺にとって『間違える』ということは非常に新鮮だった。負け惜しみっぽく聞こえると思うが、間違えた問題の全ては、答えの名称を知らない故のものだった。つまり、間違えたのではなく知らなかっただけのだが、それでも俺は未来に期待できた。
だが、同時に不審にも思った。それも、俺よりずっと努力したクラスメイト達は誰も受からなかったからだ。しかも合格発表の現場で俺を睨んでくる始末。
俺はそれはもう必死に考えた。何故彼らは俺に憎しみをぶつけてきたのか。それは俺が証明したどんな方程式よりもずっと難しく、その答えは全く思いつかなかった。
そんな時お母さんがやってきて、こう言った。
「貴方は人と付き合うべき。次に行く学校はきっと貴方とも話が合う。」
お母さんは無口な人だった。お父さんは単身赴任していたからお母さんとの二人暮らしだった。お母さんとの生活の記憶の中でこれほど心にストンと落ちた言葉はこれが一番だ。
その後、俺は全力で人付き合いについて考えた。俺は教師達をそこまでよく観察してきたから、行動パターンからの感情、性格、そういったものを論理的に割り出す術を身につけていた。それを行動に移すのは難しかった。色々試行錯誤したものだ。恐らくこの時が最も勉強した時だ。皮肉にも人付き合いという難しい問題を俺はずっと見落としてたというわけだ。
身につけたコミュ力を学校で存分に発揮し、友人が増えたのは嬉しかった。お母さんも心なしか嬉しそうな表情で俺の話を聞いていたのを覚えている。
テストでは決して一位を取らず、一桁と二桁の間を行ったり来たりした。無論人付き合いのためだ。高校入試に関わるテストは満点ではあったが。
高校生活は特筆すべきものは無い。いわゆるモテ期が来ていて告白を何回かされたが、中学時代に磨いたコミュ力を発揮し、相手を傷つけずに撃退する術を身につけていた。というか、中学時代の勉強の一環で心理学も学んだ俺は、恋心という特別な何かを感じることがなかった。所詮人間ってのはこんなもんだ。
大学では、プログラミングについて学んだ。というのも、この頃にラノベやアニメ、ゲームなどの日本のオタク文化にのめり込んだのだ。どのくらいかというと、自分でラノベを書き出すくらいというくらいと言えば分かってくれるだろうか。
プログラミングについて学びたかったのも『ゲームが作りたい』という欲に支配された考えからだ。自分の好きなことだったため、自重せずに学んだ。それでも人付き合いの勉強の時よりもずっとずっと楽しかった。
すると半年もすると大学で学ぶこともなくなってしまった。他の人間でもついてこれるようなレベルでしかないのだから当然ではあるが。
そこで俺は大学を中退、就活の準備を始めたのだ。
俺は大学を中退という汚点を背負った。そこで、就職試験で実技の項目がある会社を選んだ。俺の能力が高いことはわかっていたから、実技で平均より高い技術を駆使すれば受かると思った。
そして思惑通り俺は内定をもらい、今日、遂に入社したのだ。
俺は新たに始まる新生活に夢を抱き、家へと帰って行く。
急ぎすぎていたのだろうか。俺は曲がり角から出てきた時にチャリとぶつかった。まだ日暮れだ。明かりをつけてないため気づかないのも致し方なかっただろう。
182cmで59kgのひょろ長青年の俺は1メートルほど吹き飛び、道路へと投げ出された。
肋骨が折れ、肺にささったのだろうか。呼吸が出来ない。痛みと恐怖に動けずにいると、レッカー車がやってきた。俺はレッカー車の重量と俺自身の肉体の強度を鑑みて、絶望したところでレッカー車に踏みつけられ、カエルのようにその生を終えた。
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僕はルッツ。この街『チェーカー』に住んでます。
元々15歳にもなると独立するんですけれど、僕は人より賢いと言われてきたんです。だからこの世界の解明されていない『神の領域』のひとつである魔法の原理を解き明かそうとしていました。
かつてこの世界の人間、それも僕よりずっと時間を過ごしてきた奴らが成しえなかった事に立ち向かい、解き明かす。それは自らの力が他の人間とは違うと証明されるようで、いつかの日の言葉、決して出来損ないではないと証明できるようで楽しいものです。
この街について少し説明しましょう。
この街は先ほど述べた通り『チェーカー』という名の街です。城壁は10メートルを超す高さであり、また城門も非常に堅牢な作りになっています。また、魔法の力を結集して作られたであろう球体が乗った巨大な塔が城壁の四隅に設置されていて、心得があるものが見ればその球体の容量に度肝を抜かれる事だと思います。
と、自らの考えに浸っているうちに鐘の音が聞こえてきました。この街では朝の6時、正午、夕方の6時に鐘が鳴ります。
魔法の力を宿した道具、いわゆる魔道具の中には時刻が分かるものがあるらしいです。あの鐘もその一つらしいのだけれど、僕の考えでは時間と一緒に変わっていく影が時計の代わりになるのではないかと考えています。
空は雲ひとつなく、橙色に染まっている。
夕方の6時、いわゆる3の鐘の刻は基本的に店じまいの時間です。この街は浮浪者に非常に厳しいですから。3の鐘がなった後はこの街の衛兵が街を見回り、浮浪者は捕まり奴隷に落とされます。早く帰らなければ。
急ぎすぎていたのだろうと思います。僕は曲がり角から出てきた時に何かにぶつかりました。
この街は冒険者と呼ばれる日雇い何でも屋というべき野蛮な者たちがいるんです。街の外は危険が多いことからでしょうが、力が強くガタイの良い人間が多いのです。
僕が当たったものの候補として最初に上がったのはそういった者たちだったのですが、今ではもう分かりません。
とても体が細い僕は、ボールのように大通りへと吹き飛ばされたんです。肋骨が折れ、肺にささったのだろうと思います。呼吸が出来ない。
痛みと恐怖に動けずにいると、立派な馬車がやってきた。恐らく支配者階級のものだろうと思います。
僕は馬車の重量と僕自身の肉体の強度を鑑みて、絶望したところで馬車に踏みつけられ、カエルのように内容物をぶちまけて死にました。