10年越しの両想い
『10年越しの片想い』のその後。ホワイトデー小話として書いてみました。
話は連動していますが、単体でも話は分かるように書いた…つもりです。
「あれ、お兄ちゃん、何してんの」
久しぶりの実家。今は家族の物置と化している元の自分の部屋を漁っていると、ひょっこりと妹が部屋をのぞいた。
「よお。ちょっと探し物」
「ふうん。こんな日に?」
「うん、まぁな」
こんな日だからこそ、というべきか。
3月14日。世間ではホワイトデーと呼ばれる日。
小さいころは胸を高鳴らせていたこの行事が実は日本だけのもので、キャンディー業界の戦略にまんまと乗せられていただけなのだという事実を知っても、刷り込みのようについそわそわとしてしまう特別な日だ。
「それで? 何探してんの? 手伝おうか?」
3つ年下の妹は24歳だが、大学院生なのでまだ学生という気楽なご身分。ついこないだ卒業が確定したとかで、就職までの残り数週間は遊んで暮らすのだそうだ。
「いや、いい」
クローゼットを開け、思い当たる場所をくまなく探す。
「ふぅん。ごはん、食べてく?」
ごそごそと部屋を漁る俺の背に、妹が話しかけてくる。
「いや、ホワイトデーだから。今日は百合と食事する」
「ああ、そっか。百合さん元気?」
「うん」
「結婚式の準備、進んでんの?」
「まぁ、ぼちぼちな。まだ先だし」
百合は俺の婚約者で、今年の10月に結婚式を挙げることになっている。まだ半年以上あるし、百合がしっかりしているので結婚式のことはほとんど任せきりだった。
妹の声に適当な返事を返しながらクローゼットに積まれた段ボール箱を開けて覗き込む。
あ、あった。
俺の記憶が正しければ、この紙袋だ。
うっすらと埃をかぶった紙袋を取り出し、中をのぞいた。
よしよし。
「お兄ちゃん、ちゃんと準備手伝わなきゃだめだよ。結婚式の準備してる最中に喧嘩して別れる人、実は多いらしいよ。男の人が頼りにならなすぎて」
妹の助言は女性目線なので有難いが、時々耳に痛くて嫌になる。
「大丈夫だよ。百合はお前と違って優しいからな」
探し当てた紙袋を傍において段ボールを閉じ、クローゼットの扉を半分閉める。半分しか閉まらないのだ、俺のではない荷物がどんと置かれているせいで。
「それ、何?」
紙袋を指さして妹が問う。
「知らん」
「は?」
「中身は知らん」
厳密には、知らないのではなく覚えていない。
「何で? 誰かからの預かりもの?」
「まぁな。過去の俺からの……ってとこかな」
部屋の電気を消し、廊下に出たところでそう言うと、妹がウゲェという声を出した。
「なにそれ、ポエム?」
何とでも言うがいいさ。
俺は最近幸せなんだ。
妹にバカにされたくらいじゃ腹なんて立たない。
妹の質問をテキトーに躱して実家を出て車に乗り込むと、助手席にそっと紙袋を置き車を走らせた。
妹はキモがったが、助手席の相棒の中身は本当に、過去の俺からの預かり物だ。
俺は17歳の時に恋に落ちた。24歳の百合に。
そして今も恋をしている。24歳の百合に。
計算が合わないって?
そう、合わない。
百合はタイムトリップというやつができるらしい。
時空を超える。
何てファンタジックな能力なんだ。
でも百合はその能力の存在を特に喜んではいないようで、使ったことはたったの3回しかないと言っていた。
1度目は、幼いころに亡くなったお母さんに逢いたくてたまらなくて泣いていたら、勝手に過去に飛んでいたらしい。それで自分の能力に気付いたそうだ。
2度目は、自分が生まれたばかりの頃へ。やっぱりお母さんに逢いに行ったという。
そして3度目。先月のバレンタインデーに百合は10年前に飛び、そこで17歳の俺に会った。そして17歳の俺は、24歳の百合に恋に落ちたというわけだ。
通りなれた交差点を抜け、いつもの信号を右に。
アパートの前に、百合はいつも通りに立っていた。
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「百合、はいこれ」
婚約者とのディナーを終えて彼の家にお邪魔すると、唐突に紙袋を差し出された。
あ、これってもしかして……
「ホワイトデー」
「あ、あの、でも、私……」
「今年はバレンタインにチョコもらってないけどな」
そう言って私の婚約者はにやりと笑った。
今年のバレンタインの日、私は彼にチョコをあげなかった。
タイムトリップをして10年前の彼にチョコをあげてしまったから。
それに彼が「それよりも10年越しの欲しいものがあるんだ」って言って、別のものを欲しがったから。
別のものが何かはまぁご想像にお任せするとして……
「チョコをあげてないのに、そのお返しなんてもらえないよ」
「百合、そこは『もらっちゃっていいの?』って小首を傾げてウルッとするとこ」
婚約者はそう言っていたずらっ子みたいに笑う。
つい一か月前に会った高校生の彼と全く同じ笑顔で。
あまりにも眩しくて私はつい目をそらしてしまった。笑顔が自分に向いているのが嬉しくてたまらなかったから。
「それにこれ、10年前にもらったチョコのおかえしだから。ちゃんと合ってるんだよ」
続いた彼の言葉に、私はえっ?と声を上げた。
「10年前に24歳のお姉さんがくれたチョコへのお返し」
「……どういうこと?」
「10年前のホワイトデーに買ったんだ。24歳の素敵なお姉さんに似合いそうなものをね。俺の10年越しの片想いの証みたいなもんだよ」
あまりに予想外の言葉に私は泣きそうになりながらその紙袋を見つめた。
中には綺麗にラッピングされた箱が入っている。
「あ……このデパート……」
経営破たんして、5年前に他のデパートに統合された店の包装紙。
10年前に買ったっていうのは本当なんだね。
「実家に行って取って来たんだ。先月百合がバレンタインに渡したチョコのお返しとしては、やっぱこれでしょうと思って。高校生のお小遣いで買ったからたいしたもんじゃないと思うけど。ぶっちゃけ中身覚えてないんだ。買ったデパートと、買うときに相談に乗ってくれたデパートのお姉さんのことだけ良く覚えてる」
「……デパートのお姉さん?」
「すっげ胸でかかったんだよ。あ、百合、睨むなって。なんたって思春期真っ只中の高校生ですから、当時の俺」
「はいはい」
軽く睨みつけてはみたものの、こんなに嬉しい贈り物を前に不機嫌になれるはずもなく、私はドキドキしながら紙袋からそっと箱を取り出した。
こんなにわくわくする贈り物をもらったのは人生で初めてかもしれない。
包装紙を破かないように慎重にテープを剥がし、丁寧に開けていると彼が隣で笑った。
「包装紙なんて破いちゃっていいのに」
「ううん。せっかくもらったものだから」
小さい時から、包装紙も紙袋も捨てられない人間なのだ。彼にもらったものなら尚更。
ゆっくりと現れた可愛い箱から出てきたのは、ホワイトデー近くなるとデパートで売られるブランド物のギフトセットだった。ポーチとハンカチが可愛く並んでいて、これを買うとき高校生の彼はどんな顔をしていたんだろうと思うと自然と顔が緩んでしまう。
「可愛い」
シンプルなデザインだから、10年経った今でも問題もなく使えそう。さっそく使っちゃおうかなぁ。それとも、大事に取っておこうか。
「うわぁ、俺こんなの買ったのか。高校生にしては生意気なチョイスだな」
手元を覗きこんだ彼が照れたように言う。
「胸の大きなお姉さんのアドバイスがあったからじゃない?」
「うわ、何か棘あるな」
「わざと」
そんな会話をした後、紙袋をたたんでおこうと思って何気なく覗いて、その底に何かを見つけた。
――何だろう。
トイレに立った彼を尻目にそれを取り出してみると、メッセージカードだった。
ああ、ギフトを買った時にもらったのをそのままここに入れておいたのかな。
そう思ったけど、何気なくそのカードをひっくり返して驚いた。
「お姉さんへ。
チョコうまかったから、お礼に買ってみた。
喜んでもらえるかわかんないけど」
丁寧だけど少し幼い文字。カードにちゃんと線を引いて文字が曲がらないようにしてから、シャープペンで下書きをしたらしい。
きっと後でボールペンでなぞるつもりだったんだろう。
なぞられることなく紙袋に入れたまま、10年経った今ではきっと彼はこの存在すら忘れてしまっているようだ。
カードの存在は思いのほか私の胸をあたたかくした。
こんな風にずっと想ってくれていたんだ。
彼は10年前のバレンタインの日から、ずっと私を想ってくれていたのだという。10年越しの片想い。
私は彼のことを知ることなく22歳まで生きて、そこで初めて25歳の彼に出会った。だけど彼にとってそれは奇跡の再会だったらしい。
彼は「あ、ごめん10年間っていっても、他の人と付き合ったこともある。でも再会を願ってたのは本当だ」とも言ったけど、そんなの全然気にならない。
だって高校生の彼が、こんなにも一生懸命私のことを想ってくれていたのだから。
私はトイレの方に視線を投げ、まだ彼が出てこないことを確認してからそのカードをそっとポケットにしまった。
彼に見せたら照れて取り上げられてしまいそうだから。
うれしい気持ちと同時に、ほんの少しだけ罪悪感が首をもたげた。
こんなに想ってくれていたのに、私は1か月前まで彼の気持ちを信じられなかった。2年前に(私にとっては)初めて出会って以来、不自然なほどの勢いで「好きだ」と言われたせいかもしれない。
それにはちゃんと理由があったとわかった1か月前から、私の心は信じられないほど軽くなっていた。
「あれ、どうしたの? 泣いてる」
トイレから戻ってきた彼が私の顔を覗きこんだ。
「だって、嬉しくて」
「そんなに喜んでもらえて俺も嬉しいよ」
プレゼントも嬉しかったけど、それだけじゃない。
誰かに心を預け、寄りかかる安心感。
人はこれを得るために恋をするのだろうか。
穏やかな愛情に包まれる、この感触を得るために。
「俺10年前から百合の泣き顔にはマジで弱いんだよ。その、零れそうで零れない涙がやばいんだ。必死でこらえてる感じが。どうしてもぬぐいたくなる。あ、10年前と違って今はぬぐってもいいのか」
そう言って彼は服の袖を伸ばして指でつまみ、私の目尻をすっとなぞった。
こうやって10年前の彼の気持ちを教えてくれるたびに、私はほんの少しだけ申し訳ない気持ちになる。
「ごめんね、気持ちを疑ったりして」
「別にいいよ。百合が不安に思って俺に会いに行ってくれたおかげで10年前の俺は百合に出会えたわけで。ああ……やばい、ここは考え出すと頭がぐちゃぐちゃになるから考えないようにしてるんだけど……たぶん、そうなるようにできてたんだ。百合が不安になってそれを乗り越えるようにって」
私自身ですら受け容れるのに随分と時間を要した「タイムトリップができる」という事実も、彼はあっさりと受け容れてしまった。そして、笑うのだ。「俺だったら悪用して金儲けとか考えちゃうけど、その力をむやみに使わないところが百合だよな。ああ、そういう奴だからその力を授かったのかもなぁ」と言って。「気持ち悪くないの?」と聞いたら、「何で?」と逆に聞き返されて、それ以上何も言わなかった。
「恋愛してたらさ、不安にならない奴なんていないよ。俺だってときどき、思うよ」
「何を?」
「他にすげぇかっこいい奴が現れたらどうしよう、とか、かな」
どんなにかっこよくたって、関係ないよ。
10年も前から私を好きだったのはあなただけ。
あなたが何気なく言ってくれるひとつひとつの言葉が、どれだけ嬉しいか。
「結婚するのが待ち遠しくなっちゃった」
そういって抱きつくと、彼は私の体に腕を回してぽんぽん、と背中を優しくたたいてくれた。
「俺は婚約するずっとずっと前から、待ち遠しいと思ってたよ」
ポケットにそっと手を当てて私は誓いを立てた。
絶対にこの人を、幸せにしよう。
この二人のその後については余韻を残して終えるつもりだったのでバレンタイン短編のみの予定だったのですが…
いつも応援してくださる読者の方がご結婚されると聞いて何だかうれしくて、続きを書きたくなってしまったのでした。
お楽しみいただけましたら幸いです。