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5 常識知らずと恥知らず #1

 六畳一間、ベッドはない。それが枯草四重郎の一人部屋のスペックだ。飾り気もへったくれもない羊色の玄関扉は、妙に集合住宅暮らしのそれを連想させる。四重郎はこの部屋に、あまり人を招いたことがない。入ったことがあるのは一馬くらいで、自慢出来るような家ではないので招待もしなかった。


 そもそも部屋に招待するような友人はいなかったが。


「……あまり、期待するなよ」


 四重郎は一応、釘を刺した。


 七階建てのマンションの最上階。階数が高いのに賃料が安いのは、エレベーターが付いていない古い物件だからだ。この階段は宿命だと思い、我慢することにしていた。だが、人を招くとなるとこの階数は大変だ。


「高いところに住んでいらっしゃるのですね」

「エレベーターがないから、安いんだよ」


 四重郎は息を切らしながら、七○二号室の鍵を開く。


「わあ……!!」


 何が面白いのか全く分からなかったが、詩織は楽しそうにしていた。四重郎は黙って部屋の明かりをつける。すると、詩織が驚きの一歩を踏み出した。


「ち、ちょっとあんた」

「……はい?」

「靴。脱いで」


 四重郎が指示すると、詩織は不思議そうにした。


「そういう、ものなのですね」何やらしきりに頷いている。


 理由は全く分からないが、どうやら一般常識を持っていないようだった。丁寧な言葉遣いが、より不思議な印象を際立たせている。今更ながら、彼女が敬語を使うのに自分は良いのだろうか、などと四重郎は考えた。


 四重郎は詩織を招き、空調機のスイッチを入れた。冷たく冷え切った室内に、少しずつ暖かさが伝わってくる。東京で生活を始めてしばらくは仕送りも十分にあったし、バイトもしていた――空調機は、その時の名残だ。今では電源を入れることはほとんどない。


 道中で買ったコンビニ弁当を詩織に差し出し、四重郎は座布団を用意した。


「じかに、座るのですか?」

「……あんた、洋風の家にでも住んでいたのか?」


 ふと思い付いて、四重郎はそんなことを聞いた。詩織は苦笑いをした。四重郎は返答がないようだったので、コーヒーを淹れ始めた。ふとバスルームを発見して、詩織は目を輝かせた。


「あの、シャワーを借りても?」


 四重郎は口を開けたまま、固まってしまった。一体、どういう教育を受けてきたのか非常に気になる。


「……駄目とは言わないけど」

「すいません。あまりに寒いもので」そう言いながら、詩織はいそいそと脱衣所へ向かった。


 程なくして、シャワーの当たる音が聞こえてくる。


「……仕方ねえなあ」


 四重郎は仕方がないので、一人コーヒーを持ってベランダに出ることにした。室内用の上着を羽織り、コーヒーを持ってベランダに出ると、つんと冷えた空気が四重郎を包んだ。雪でも降るのだろうか。吐く息が白い、長くはもたないだろう。早く出てきてくれないだろうか。四重郎はコーヒーをすすった。


「――そういやあ、今日ってクリスマスイヴか」


 おかしな日だ。バイト先が潰れ、道端で友人に出会い、クレープを渡され、自販機でコーヒーを買い、得体の知れない少女に出会った。その少女が何故か自分の家でシャワーを浴びている。常識はずれも良いところだと思う。


「あーあ、寒いなあ。寒さを感じない身体だったら良いのに」


 益体もないことを考えながら、ベランダの外を見る。七階だけあって、視界は広い。遠くでクリスマスイヴよろしく、賑やかな音が聞こえてくる。自分と同世代の人間たちは今頃、忘年会でもやっているのだろうか。


「荷物、まとめないとなあ」


 口にすると余計に実感が湧いてくる。やりたくない、ではない。やらなければいけないのだ。東京での生活も、これで終わりなのだから。四重郎が空を見上げると雪が降ってきた。先程思った通りではないか、と四重郎は思った。


 ただ、ぼんやりとその雪を眺めていた。


「あれ? 四重郎さん、何してるんですか?」


 ベランダを開き、白いワンピース一枚の少女が頭にタオルを乗せて出てきた。四重郎は気が付くと頭に雪を乗せ、手に持ったコーヒーは空になっていた。


「……おせーよ」

「すいません。でも、外にいると思わなくて」

「なんか、気まずいだろ」四重郎はため息をついた。


 部屋の中に入ると、すっかり部屋は温まっていた。文明の力とはすごいものだと改めて感じつつ、四重郎はコーヒーを温め直して詩織に提供した。


「気まずい、ですか?」


 惚けた顔をして首をかしげる詩織に、四重郎は眉根を寄せた。


「……あんた、どういう人なんだ? 申し訳ないが、あまり常識があるようには見えない」


 四重郎が聞くと、詩織は黙り込んでしまった。答える気がないのであれば、仕方がない。ふと長い髪が全く拭けていないことに気が付いて、四重郎は頭の上のタオルを掴んで詩織の髪を拭いた。また寒がられてはかなわないと思ったからだ。


「……雨音、詩織といいます」

「それは聞いた」

「株式会社『パルス』の人間です」


 四重郎は、その会社の名前をどこかで聞いた気がした。どこで聞いただろうか。あまり記憶に留まるような聞き方ではなかったような気がする、などと四重郎が考えていると、詩織は口を開いた。


「四重郎さんは、『パルスドール』を知っていますか」


 その言葉を聞いて、四重郎の脳裏に映像が蘇った。巨大モニターに映っていたニュースで、そのような内容が報道されていた。


「『人間を再現した』とかいうやつか。さっきニュースでやってたな」

「そうです、その会社です」

「てことは、社員なのか?」


 四重郎が聞くと、詩織は気まずそうに目を逸らした。四重郎は詩織の髪を拭き終えて、卓袱台を挟んで向かい合わせに座った。


「ええ……まあはい、一応」


 あまり、普通の反応ではなかった。社員であることを隠す必要などないだろうに、どうにも腑に落ちない。四重郎が怪訝な目で詩織を見ていると、詩織は慌てて話題を切り替えた。


「では、『パルスドール・サーカス』のことは?」


 そちらは、あまり耳に馴染みのない言葉だった。


「さあ……知らないな」

「えっ!? うそ!! あんなに話題になったのに!?」


 詩織は卓袱台を盛大に両手で突いて、四重郎に向かって身を乗り出した。四重郎は腕を組んだまま、唐突な詩織の行動に呆然としていた。


「……すまんな、無知で」


 何故か自分が悪者のように聞こえて、四重郎は少し機嫌が悪くなった。詩織は四重郎の態度に気付いたのか、苦笑いをした。


「すいません。思わず」

「まあ、いいけど」


 四重郎はため息をついて、詩織に座るよう促した。詩織は頷いて、再び座布団に座った。


「『パルスドール・サーカス』というのは、人間を再現した人形『パルスドール』によるアクションショーです。そこで役者をやっていた私は、逃げて来たんです」


 着の身着のまま逃げ出したように見えたが、あれは言葉通り逃げ出していたということか。


「何で逃げたんだよ」

「……ちょっと、色々。ありまして」

「……まあ、いいけど」


 どうにも、それは話したくないものらしい。ならば、聞くべきではないだろう。あまり他人の事情に介入するべきではない、そろそろ帰す時だろうか。四重郎がそんなことを考えていると、詩織はふと気付いたのか、再び四重郎に向かって身を乗り出した。


「では、しばらくの間、泊めていただけませんか!」


 四重郎はコーヒーを吹き出しそうになった。


「……何でだよ」

「じ、実は逃げ出したはいいものの、どうやって生きていけば良いのか分からなくて困っていたところなんです」

「ホテルかなんかにでも泊まれば良いんじゃないか。金はあるのか?」

「お金は、ここに」


 詩織がワンピースのポケットから小銭入れを取り出すと、中を開いた。小銭入れではどうしようもないだろう、と四重郎は思っていたが、その中には折り畳まれた札束が入っていた。驚いて四重郎は取り出された中身を見る。十枚、いや百枚はあるのではないだろうか。もちろん千円ではない――……


「これで、足りますか」


 取り出された札束は、全て万札だった。四重郎は目を丸くした。開いた口が塞がらず、詩織と札束を交互に見てしまった。あり得ない、この少女が恐るべき大金を持っていたということも、少女が金の使い道を全く知らないという所も。


「足りるけど」

「ならば、どうやってホテルに泊まれば良いのですか」

「……本当あんた、今までどうやって生きてきたんだ」


 詩織は捨てられた子犬のような目で四重郎を見た。女性というものに良いイメージを持たない四重郎には面倒そうだ、というようにしか思えなかったが。何れにしても、この場で見捨てて追い出すのは少し気分が悪い。


 どうせ乗りかかった船だ、と四重郎は思った。東京を去るついでに厄介事に関わるのも悪くないなどと、まるでそれが他人事のような気持ちでいた。


「好きにしろよ」


 詩織の表情が明るくなったことは、言うまでもなかった。


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