4 さておき、金がやばい #3
クレープを食べながら、夕暮れの道を歩く。秋の日は釣瓶落としと言うが、結局のところ夕方という現象そのものが長く続くことなどない。あっという間に夜は更けていく。冷たい空気が四重郎の肌を刺した。家に帰れば良いのだが、今までバイトをやっていた時間に急にフリーになってしまうと、その時間に家に居ることは耐えられないと思った。
ふいに飲み物が欲しくなり、四重郎は自販機でコーヒーを買った。財布の中には二千円しか入っていない。給料前なのだから、仕方がない。
潰れたバイト先のおかげで、給料日になっても大して入る訳ではないのだが。
「ねえ、この後どこいくー?」
「まだ十九時だから、二次会しよーぜ!」
橋の上で騒いでいるのは、学生だろうか。日曜日なのでその判別は付かないが――明日から通常通り学校だというのに、元気なものだ。四重郎は彼らとすれ違い、彼らを眺めていた。
「……帰るか」
実家へ。全ての願望を捨て、目標を捨て、自分を蔑むあの場所へ。そう考えると、涙が込み上げてくるから不思議だ。まだ、自分に期待しているということなのだろうか。思わず橋の欄干に寄り掛かった。
瞬間、橋の下から風を感じた。四重郎の前髪が揺れ、盛大にクラクションが鳴った。
クラクションの音に思わず下を見ると、どうやら事故が起こったようだ。後ろから追突されたのか、二台の乗用車から人が降りて話をしている。
「……なんだ、ありゃあ」
急ブレーキでも踏んで盛大に衝突したような事故現場だった。猫でも飛び出したのだろうか。前の車から出てきた男が、何やら一生懸命後ろの男に話をしていた。辺りが騒がしいので、内容まで聞き取る事は出来ないが――……。
「……さ、さむい」
背後で声がして、四重郎は振り返った。振り返ると、予想外の光景に眉根を寄せた。
白い――ブラウス? ワンピースと言うのだったか? そのような服を着た少女が歩いていた。
まるで人形のように美しい黒髪は、今にも地面に付きそうなほどに長かった。だが、そんなことよりも四重郎には彼女が真冬の二月にそのような格好をして道端を歩いていることが不思議で仕方がなかった。たった一枚羽織られた、飾り気のないワンピースは半袖。鳥肌の立った両腕が見るに耐えない。追い剥ぎにでも遭ったのだろうか?
「もう……だめ」
そのまま、少女は橋の上に崩れ落ちた。
「ちょっ、ちょっとあんた! 大丈夫か!」
四重郎は少女に駆け寄った。すると、がたがたと震えながら、小さな桃色の唇が動いた。
「寒いです」
とにかく、強烈な表情だった。鼻水を垂らしながら、必死で震えていた。
「……ああ、そうだろうな」
あまりに予想外の光景に、四重郎は何故か納得してしまった。マフラーをして上着を羽織っていても寒いこの季節にワンピース一枚では、こうなっても仕方がないだろう。
四重郎はリュックを一度降ろして、いつも来ている緑色のジャンパーを少女に着せてやった。先ほどまでがたがたと震えていた少女が、四重郎のジャンパーを強く体に巻きつけ、ほっと一息ついた。
「あたたかいです」
「……ああ、そうだろうな」
多少なり、ましになったのではないだろうか。四重郎の思考は止まってしまい、納得することしか出来なかった。
四重郎がジャンパーを脱ぐと、冷たい真冬の風が直接当たるようになった。四重郎は身震いした。ジャンパーを脱いだだけでこれなのだから、きっとこの少女は余程寒い思いをしていたに違いない。
「……じゃ、なかった! ごめんなさい、ありがとうございます、これ、お返ししますね」
慌てて少女が四重郎のジャンパーを脱いで、四重郎に返した。瞬間、強い風が吹いた。
「……!!」少女の表情が固まった。
「……無理すんなよ」
無理もない、と四重郎は思った。四重郎は見兼ねて少女に再びジャンパーを巻き付けると、少女を立たせた。
「……うち、近くにあるから。ちょっと寄って暖まって行くか? このままじゃあんた、死ぬぞ」
長い黒髪の少女が反応した。やはり、見知らぬ男の家に上がり込むのは勇気が要るものだろうか。傍目には無理矢理誘っているようにも見えなくはない。四重郎は嫌な顔をされたら、すぐに引き上げようと思った。
「……良いんですか?」
意外にも、少女は期待をするような眼差しで四重郎を見ていた。
「あんたが嫌なら、止めないが」
「いえいえいえ嫌なんてことは」
これも何かの縁だ。まずは、話を聞こう。四重郎は、そんな事を考えた。
「あの、あなたは?」
「枯草四重郎。あんたは」
「……雨音。雨音詩織です」