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エピローグ

 静かな風の音がする。全身は驚くほど軽やかで、寝覚めもよい。病室のような場所で、枯草四重郎は目を覚ました。静かに目を開くと、辺りを確認する。白い壁に二つのベッド。もう片方では誰かが眠っていた。視界に懐かしい友人の顔が入ってきた。


「四重郎」


 鳥取一馬だった。


「……一馬。何でこんなところに?」


 四重郎は身体を起こした。左手に点滴、窓がうっすらと開いている。冬の気候とは思えない程に暖かい。こんな日もたまにはあるものだ、と四重郎は思った。身体を動かそうと思ったが、思わぬ痛みが身体を貫いた。


「ってて……」

「まだ動くなって。二ヶ月の苦労が台無しになるだろ」

「……は?」


 ぽかんと口を開け、四重郎は一馬を見た。今、この男はなんと言っただろうか? 想像もできないような言葉だったように思えたが。


「よく、帰って来てくれたよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。全然意味が分からん」


 がしゃん、と皿のようなものが割れる音がした。四重郎と一馬が顔を向けると、明るい茶髪をボブカットに、ピンクのカーディガンを羽織った女性が立っていた。四重郎の顔を見て、震えていた。


「――東雲」

「嘘」


 真理は全力で四重郎の下に走り、べたべたと四重郎を触った。


「嘘じゃない!!」


 信じられない、と表情が語っていた。全く状況が飲み込めていない四重郎には何故そんなことをされているのか分からなかったが、とにかく鬱陶しいことは確かだった。


「……邪魔なんだが」

「バカ!!」真理は四重郎の背中を殴った。

「ぎゃあ!!」ただでさえ痛い身体が悲鳴を上げた。

「ちょっ」一馬が止めようとしたが、無駄だった。


「こっちがどんな思いでいたと思ってんのマジで!! ほんとマジであり得ない!! 死ぬ一歩手前だったんだよ!? 何でそんな無茶するかなあ!! もうすぐ春だよ!? おっさんどころか死体になるとこだったんだよ!? ほんと分かってんのマジで!!」


 言いながら、真理は涙を零していた。それを見て、四重郎はこれまでの時間の経過を察した。


「生きでだ――――」大泣きに発展する真理を見て、一馬が苦笑いをして背中を摩った。


 窓の外からは、ここがどこなのかを判別する手段がない。四重郎は辺りをきょろきょろと見回し、状況を確認しようとした。


「……ここは、どこだ? 今は何月? やたらと暖かいんだが」

「ヨンジューロ!!」


 金髪の二人組――リズとイザベルが四重郎の前に走って来た。何故だか懐かしいように思えるのは、自分が長い時間目覚めなかったからなのだろうか。リズとイザベルもまた、驚いていた。


「時は三月。ここは株式会社パルスの寮だよ。四重郎君」

「恭平さん」


 恭平は両手を顔の前に上げて、ポーズを取った。


「四重郎君、おっはー」


 相変わらずのテンションだった。


「……恭平さん、それめちゃ古いですよ」

「え、嘘!? ナウいと思ったのに!!」

「それも古いです。利川研究長」

「おっさん呼ばわりされた!!」恭平はショックを受けた。

「え!? おっさんはこっちでしょ!?」真理が反応した。訳が分からなかった。


 恭平は四重郎に近寄り、体温計を口に咥えさせた。ベッドの隣にあるテーブルには、小さなコンピュータが置いてある。それを恭平は起動した。丸椅子に腰掛けると、それぞれに目配せをする。


「ごめん、感動の再会は後にして。ちょっと調査するので、部屋を出て貰ってもいいかな」


 真っ先に真理が立ち上がり、頷いた。


「はーい。四重郎、あとでね。行こ、磁石姉妹」

「リズです」

「イザベルだよ」


 それぞれ違う名前を発する同じ顔に、真理は眉をひそめた。


「ええ、磁石姉妹でいいじゃん。どうせどっちがどっちか分からないでしょ」

「相変わらずキャンディさんは失礼ですね!」

「相変わらずキャンディは最悪だな!」


 憤慨する二人を無視して、真理は二人の手を掴んだ。


「どーどー。さっさと来なさい」


 真理が姉妹を連れて部屋を出て行くと、恭平は四重郎の口に入れていた体温計を抜き取り、体温を確認していた。立ち止まっている一馬に気が付く。


 静かなタイピングの音が聞こえていた。ふと、恭平が一馬の存在に気が付いた。


「鳥取君、君も」

「あ、はい。その前に、これ」


 一馬は鞄からいつかの参考書を取り出して、四重郎に渡した。


「一応、四重郎の部屋は直して貰ったんだけど。特にあの玄関扉」

「……あー」そういえば、そんなこともあった気がする。

「部屋に転がってたからさ。ちゃんと使ってくれよ」

「……おう」

「あと、これ。ポストにあった」


 一馬は四重郎に封筒を渡した。いつだか面接した会社の通知だ。黙って封を開けると、中には不合格の通知が入っていた。わざわざ書類にして送ってくれるとは。だが、やはり駄目なものは駄目だ。四重郎はため息を付いた。


 だが、書類の隙間から手紙が出てきた。それを開くと、四重郎は驚いた。面接をした男性からの、手書きのメッセージだった。


『やっぱり、大学に通ってから仕事を始めてください。お金がないからというのは、どうにか工面して欲しい。そして、仕事をするために大切なものを見付けてから、できればもう一度、この会社の扉を叩いて欲しいと思います』


 あの時は四重郎が取り乱してしまい分からなかったが、落ち着いた親切な人だったのだろう。


「大学、目指すんだろ。真理から聞いたぜ」


 四重郎は一馬に渡された参考書を眺めた。次は、大丈夫なのだろうか? そんなことは誰にも分からなかったが。少なくとも、四重郎は諦めることを辞めた。ならば、いつか報われるだろうか。


「ああ。――行くよ」


 次は、必ず。四重郎は、言外にそう付け加えた。一馬は笑顔で四重郎に言った。


「あいつ、お前に一目惚れして俺に付いて来たんだぜ。思ったよりも格好悪かったとか言って、ずっとキレてたんだけど」

「余計なお世話だ」

「理解してやれよ。それでも大学で待ってくれてるんだから」


 それだけ話して、一馬は部屋の扉に向かった。話の筋が理解出来なかった四重郎は、冷静に噛み砕いて一馬の言葉を解釈した。


 信じられない内容が四重郎の頭に入ってきた。


「え、あいつって誰!? ちょっと!!」


 一馬は微笑んで、手を振った。四重郎は呆然と取り残された。


「うーん、ばっちり予定通りだね。もう大丈夫じゃないかな」

「治った……んですか?」

「四重郎君、落ち着いて聞いて欲しい」


 改まって、恭平は四重郎に向き直った。四重郎は面食らってしまい、姿勢を正した。


「何でしょう」


 恭平は四重郎に人差し指を向けた。


「君は『パルスドール』に進化した」


 眉根を寄せた。


「……という、冗談ですか?」

「いや、本当に」


 恭平は至って真剣な表情だった。……本当に? 信じられないが、そうなのだろうか?


 あまりに唐突なことで、開いた口が塞がらなかった。


「まあ、そうは言っても特別何が変わった訳ではないんだけどね。あの後のこと、話しても良いかい?」

「ええ……まあ」四重郎は複雑な心境で頷いた。

「詩織ちゃんに刺された君はひどい怪我で倒れ、意識を失った。救急車を呼んだけど間に合わない、どうにかして助ける方法はないかと言われ、僕が立ち上がった」

「はあ」

「と言っても、何かが出来る訳ではなかった。パルスドールは研究の末、初期こそ人間に近いかたちでいたものの、最近では色々な部分に手が加えられていた。だから、パルスドールの技術を使ってヒトの怪我を治すことはできない。でも、人間の身体に適用できる成分を使ったパルスドールが、一人だけ居たんだ」

「……それは?」

「雨音詩織。『あっと・クラシック』のモデルさ」


 四重郎は恭平の話に聞き入ってしまった。


「もう仕入れていない素材を使った、最初にして最後のモデルだった。詩織ちゃんは自分のパルスドールを犠牲にしても、君を助けようと思ったんだよ」


 それは、途方もない話だった。四重郎が倒れてから後のことは、何も認識出来ていなかった。


「で、あっと・クラシックを使った初めての人体改造に無事成功した君は、近日中に目覚める前提で体力の回復に努めていたと。いやあ、会社に医師がいて良かったねえ。協力して貰って、どうにかなったよ」


 時は三月らしい。四重郎が記憶していた季節よりも、大分暖かい。恭平の言っていることは嘘ではないのだろう。


「……じゃあ、詩織は?」

「今、代理の身体を作っている最中だ。本人が望むので、意識はそちらに移したまま製造しているよ」


 四重郎の問いに答えたのは、恭平とは違う声だった。出入り口を見ると、雨音宗之助が入ってきていた。四重郎は驚いた。


「雨音さん……いや、雨音社長?」

「雨音さんで良いよ。本当に、目覚めて良かった。うちの会社から死人が出たら、どうしようかと」


 宗之助は窓から外を見た。


「三上は責任感の強い男だった。どんな手段を使っても結果を出すと言っていた。……それが、今回は迷惑を掛けてしまった。すまないね」

「……三上さん、は?」

「クビにはしないよ。根は真面目な良い奴なんだ。もう一度『パルスドール』の存在価値から、彼とも一緒に考え直そうと思っている」


 宗之助はそう言って、四重郎に笑い掛けた。初めて宗之助に出会ってから、四重郎はどうしても気になっていたことを聞いた。


「聞いても、良いですか」

「何でも、どうぞ」

「どうして雨音さんは、『パルスドール』から手を引いたんですか」


 予想外の質問だったらしい。宗之助は一瞬目を丸くした。だが、ふと目を閉じて微笑んだ。


「パルスドールは、元々動けない人に動ける身体を提供するための企画だった」

「動けない人に、動ける身体を」

「詩織は全身麻痺だった。意識を持っていながら、身体の一切を動かすことのできない人間だった。だから、はじめはそれを助けるために開発したんだ」


 それを聞いた時、四重郎は何故か納得してしまった。詩織がずっとパルスドールとして四重郎と接していたのは。何も常識を知らなかったのは。


「結果、とても詩織にそっくりな――いや、『同じ』身体を開発することに成功したんだ。そして、雨音詩織は代理の身体――『パルスドール』を手に入れた」

「……詩織は、どこに」

「この部屋にはね、本来私しか入ることは出来ない。君が倒れてから、詩織の希望があってここで治療をしていた。――そこにいるだろう、あれが『雨音詩織』だよ」


 四重郎は隣のベッドを見た。点滴や色々な機械に繋がり、安らかに眠る少女の姿がそこにはあった。筋肉のない腕、痩せ細った身体は違ったが、顔だけはあの雨音詩織と同じだった。


「――でも、パルスドールに入った自分の娘が私に笑い掛けた時、私はいつしか笑顔を返せなくなってしまったんだよ。私がどれだけ年を取っても、決して作った段階からは成長のしない身体だったから」


 パルスドールからは血は出ない。厳密には、人のそれとは違う。


「ボディを変えれば、擬似的に成長させることは可能だろう。だが私の後ろで、すくすくと育っていく本当の娘を見て、私にはどうしても目の前で私に笑いかける『それ』が『雨音詩織』であると、私の娘であると、言い切れなかった」


 それが本体であると、示すことが出来なかった。そういうことなのだろうか。


「私はとんでもない過ちを犯したと思ったんだ。私がそう思うくらいなのだから、中で操作している詩織は私よりもそれが『偽りの身体』だと感じているのではないか、とね」


 四重郎は悩んでしまった。確かに、そういったこともあるのかもしれない。宗之助はパルスドールについての商品価値を見い出せなくなり、パルスドールの一切から手を引いた――つまりは、そういうことなのだろう。


「あるいは、君ならどう思ったかな。――その時、三上が私に言ったんだ。『パルスドール』を預けて欲しい、必ず利益の出る、商品価値のあるものにしてみせると」


 三上も必死だったのだろうか。自分達で開発したものの存在価値を見い出せなくなってしまうというのは、とても苦痛なことである気がした。


「詩織が逃げ出した時、内心では焦っていたのだと思うよ。素振りは見せていなかったかもしれないけれど――本体のあるこの部屋に入ることが出来るのは、私と世話をするためのごく一部の人間だけだ。私に連絡する訳にはいかなかっただろうからね」


 一生懸命努力をしても、結果が得られない。そんな様子を見て取ることができたから、四重郎は三上のことを近い存在だと思ったのだろうか。


「少なくとも、詩織は『パルスドール』を自分の身体としていて、一切の不自由を感じていませんでした。俺も詩織が『パルスドール』だと、気付かなかった。だから雨音さんの開発は間違っていなかったと、俺はそう思います」


 四重郎がそう言うと、宗之助は笑った。


「君からその言葉を聞けて、良かったよ」

「詩織は、今どこに?」

「意識の方かい? それなら、廊下をずっと行って、突き当りの部屋だよ」


 四重郎は立ち上がった。全身に痛みが走り、思わず顔をしかめてしまう。


「四重郎君! まだ――」恭平が止めようとしたが、四重郎は構わず歩いた。


 廊下を出て、突き当たり。全く遠い距離ではなかったはずなのに、今の四重郎にとっては山を越えるような思いだった。よたよたと転びそうになりながら、四重郎は目的の部屋を目指した。


 やがて、突き当たりの部屋に辿り着いた。


 扉を開くと、いくつもの機械に囲まれて、雨音詩織はそこにいた。テーブルの上に本を広げていたが、扉を開く音に気が付いてこちらを向いた。


 その目が見開かれるまでに、然程の時間は掛からなかった。


「きゃっ!? えっ!?」


 まともな部分は上半身だけで、他は骨組みのようなものしか無かった。左の腕はなかった。一切を身に纏っていない詩織は突然の来防に慌てた。


「よ、四重郎さん!? 目覚めたんですか!? すいません、あの、私――」


 構わず、その偽りの身体を抱き締めた。




 何故か、暖かい気がした。



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