表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/26

25 駄目な俺でもいいか

 気が付くタイミングは、幾らでもあった。初めて出会った時から、雨音詩織の様子は普通ではなかった。気が付かないうちに橋の上に着地していたこと。その下で起きた交通事故。まるで猫が飛び出したかのような交通事故の現場。飛び出したのは猫ではなく、雨音詩織本人だったのではないか。


 寒さに震える詩織の唇は、綺麗な桃色だった。


 自分は『ドーラー』だから、自由にはなれないと言っていた。もしも夢が叶うならば、料理人になりたいと言っていた。


「――――え?」


 水族館に行った時。尋常ではないほどに常識知らずだった。ホテルの利用方法、本の買い方さえ知らなかった。


 マグネ、ネットと戦った時。連れ去られた詩織は、何が起きても嘘のように沈黙していた。寒さに凍えたであろう夜の公園で眠ったままだった。平然と三上はそれを回収した。


 詩織のことなど、気にする素振りもなかった。


 何よりも、パルスドールの位置を確認することが出来るようになった時、四重郎はマグネ、ネットと、もう一人の所在を確認していたではないか――――


「馬鹿な……!! 誰が通した!?」


 三上が取り乱している。この状況では、誰が誰かも分からないだろう。詩織のパルスドールを造ることが出来たのなら、当然四重郎のパルスドールも制作することは可能だったというわけだ。


 強烈な吐き気の代わりに、四重郎は口から血を吐いた。真っ赤な血――パルスドールにはない鮮血が、刺した本人の詩織へと降り注いでいく。四重郎の意識は目眩と共に揺れ、そのまま倒れそうになる。


 言わなければならなかったことは、言えないままに。


 意識が暗転していく――――……


『お前はいつも諦めてばっかりだ!!』


 一馬の言葉が蘇った。仕方がないだろう、さすがにこの状況では。こればっかりは、どうしようもない。


 自分は、よく頑張った。


『本人は頑張ったって言うんだけど、あたしにはただ諦めが良いって言い訳して、なあなあで終わってるようにしか見えなくてさ』


 そんなことはない。人間、努力してどうにか出来ることと、出来ないことがあるのだ。諦めなければいけない、妥協しなければいけない瞬間はいくつもある。四重郎はただ、その『諦めなければいけないタイミング』を心得ていただけ。


『四重郎さんには――自由に歩くための足も、未来を掴み取るための腕も、真実を見破るための眼もあるのですから』


 それは、パステルの姿だったから得られたものだろう。


 本当に、そうだろうか?


 今まで、どれだけのことを諦め、どれだけの努力をしてきたのか。


 自由に動くための足は人の目に縛られ、未来を掴み取るための腕を自分自身で折り、真実を見破るための眼を一生懸命瞑ってきた。


 前に進むことを恐れたのだ。


『本当は、何だってできるんです。私には分かります。いつも、いつも、一生懸命になってしまうぎりぎりのところで、抑えてしまうんです』

『それは、どうして』


 また、駄目だったらどうしようか。そんなことを、心の中では考えている。何度やっても、どれだけ努力をしても、自分では無理なのではないだろうか。そんなことを決め付けている。


 何故なら、四重郎には未来が見えてしまうのだ。自分が失敗する未来。だから、見えてしまう未来が真実になることを恐れている。


『それは、本当の未来じゃないです。きっと、先があるはずです』


 あるのだろうか? 本当に、先があるのだろうか?


 ならば、言わなくては。


 顔を上げ、胸を張り、前を向き、風を切り、横っ腹が痛くなっても、


 もう一歩だけ、前へ。




「――――駄目な俺でも、いいか?」




 四重郎は突き刺さった剣を抜かず、そのままで詩織を抱き締めた。まだ詩織には何が起こっているのか分かっていないようで、呆然と空を見上げている。


 恭平と宗之助が屋上に現れた。その尋常ではない光景に顔をしかめた。遅れて、リズとイザベルが扉から顔を出した。


 三上はただ、四重郎を見ていた。


「一生懸命頑張って、それでも駄目だったら、どうしようもないけど」

「……四重郎さん?」


 鈍い痛みはやがて鋭いものに代わり、勢いによって死んでいた衝撃は確かな痛みとなり、四重郎の思考をどす黒く染めていく。それでも、四重郎は喋ることをやめなかった。


「やっぱ、失敗するのは、怖いから」


 誰もが、自分のことを頑張っていない、みたいに言うから。沢山の人たちが、自分から離れていく気がするから。


 一人になるから。


「どうして? ……どうして、こんなところにいるの?」

「駄目な俺でも、一生懸命、やるからさ。そばにいてくれよ」


 膝をついた。何しろ傷が深すぎて、どうしようもない。そのまま、横向きに倒れた。


「やっぱ、そんなんじゃ無理かなあ」


 四重郎は目を閉じた。


「救急車を!! 早く!!」恭平が叫んだ。


 リズとイザベルが走って屋上から出て行った。四重郎の意識は遥か彼方に飛んで行ったまま、動かなくなっていた。四重郎のそばで呆然と四重郎を見ていた少女が、呟いた。


「――――いますから」


 パルスドールの少女が、呟いた。


「ずっと、そばに、いますから」


 四重郎は目を開くことはない。小さな少女の瞳から、涙が溢れた。


「駄目じゃない、ですよ? 四重郎さんはずっと、ずっと、頑張っていますよ?」


 まるで、そこに人がいるように。


「――――どうして?」


 恭平が憤怒の表情で三上に詰め寄った。一体どうしていいのか分からないようで、三上は目を逸らしていた。恭平が三上の胸倉を掴む。抵抗する素振りもなかった。


「何故、こんなことをした!!」


 苦し紛れに、三上は言った。


「……仕事を、続ける、ためだ。これは事故だ」

「過失だ!! 四重郎君がここに来たら刺されるよう、仕向けていたんじゃないだろうな!!」

「なっ!? そんなことをするか!!」


 四重郎のそばで、パルスドールの少女が泣き叫ぶ。目を閉じている四重郎には、その言葉が届くことはなかった。


「お願いです!! 目を開けてください!!」


 恭平が四重郎のそばで語り掛ける少女の存在に気付き、元凶を放置する。青白くなっていく四重郎と紅に染まっていく床を見て、絶望の表情になる。


「恭平さん!! 四重郎さんを助けてください!!」

「……そんな」


 恭平が戸惑いの瞳で四重郎を見た。状況は絶望的だった。


「三上さん!!」


 三上は歯を食い縛り、目を背けた。


「研究室へ、連れて行きなさい。利川恭平」


 パルスドールの少女の背後から、声が掛けられた。恭平が気付いて、顔を上げる。眼鏡を掛けた白髪の男性だった。頼りなさそうに見えていたはずの彼は全くこの状況に慌てず、四重郎を見ていた。


「社長」恭平が呟いた。

「救急車は間に合わない。パルスドールの基本的な成分は人間と全く同じだ。なら、君にはそれができるだろう」

「駄目だ。パルスドールは改良を重ね、既にかなりの部分が変わっている。人に使うことはできない」


 三上が言った。驚いた宗之助が三上を見たが、恭平は気付いて立ち上がった。


「いや、できる」恭平は自分自身が信じられないようだった。


 風向きが変わった。恭平は流れるように、そのパルスドールを見た。雨音詩織もまた、恭平を見詰め返す。


「詩織ちゃん、四重郎君を担いで!! 研究室へ!!」

「えっ……!? は、はい!!」

「まだ間に合う!!」


 詩織が四重郎を担ぐ。恭平はそのまま、扉へと走った。詩織もそれに続く。


「……無駄だ。替えのボディは存在しない」


 去りゆく恭平を見て、三上がぼやいた。残されたのは宗之助と、三上の二人だった。三上は思わぬ失態に何も言えずにいたが、宗之助は三上を責める訳でもなく、屋上から外を見ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ