21 今回だけは諦めたくない #2
歪んだ玄関扉から隙間風が入ってくる。寒いのでパステルの入っていた段ボールで封鎖したところ、安っぽさが強調されて、ひどい見た目になってしまった。見た目は歪んだ時点でひどいことになっていたので、今更どうなろうと大した問題ではなかったが。
そんな四重郎の自宅に集まり、卓袱台を囲む数名の人間がいた。もちろん、そのうち二人は四重郎と利川恭平である。
もう一人は、少し頼りなさそうな眼鏡の男性――背は四重郎よりも低く、お世辞にも痩せ型とは言えない。小奇麗なドレスシャツとフォーマルなネクタイは、彼が腕の良い仕事人であることを表しているようにも見えた。彼が株式会社パルスの代表取締役なのだろうか。
残るは、巨大な袋の中から目を覚ました金髪の姉妹。どちらも、初めて会った時に詩織が着ていた――白いワンピースを身に纏っていた。四重郎は全員に簡単な飯を提供した。
「……さて、こんなもんかな」恭平はパルスドールに繋いでいた線を抜き、コンピュータを閉じた。
「そういうの見ると、機械なんだって気がしますね」
「限りなく人に近い成分、構成を持ちながら、人ではないボディだからね。美しく整った肉体、完璧な構成美。まさに、人の進化系と言っても過言ではないな」
恭平が胸を張ってそう言った。
「そういう機械オタク的な発言いいんで」
「一瞬にして価値がダダ下がりだよ四重郎君!?」
人数分のチャーハンを盆に乗せながら、四重郎は恭平の台詞に茶々を入れた。この人にも大分慣れてきた、と思う。
「えー? チャーハンなの? マジ安っぽさが強調されるんですけどおー」
「嫌なら食べなくて良いですが」
「いや、冗談です。本当にありがとうございます。助かります」
暗い顔をしていた金髪の姉妹が、少しだけ笑顔になった。今更だが、恭平の行動は場の空気を和ませるためのアプローチなのだと気付いた。
「それで、どうして磁石姉妹がここにいるんだい?」
「あ、やっぱりそうなんですか。三上から投げて寄越されたんですよ」
「……あの。ここは、どこでしょうか」
「ここは、どこなの?」
金髪の姉妹は少し怯えた様子で四重郎を見ていた。思えば、二人は四重郎の本来の姿を見ていなかった。
「パステルだよ」
「え?」
「あっと・パステルの中の人だ」四重郎は二人にスプーンを渡した。
「……おとこのひと、だったのですか」姉妹の左の方が驚いていた。
金髪の姉妹は驚いているようだった。無理もないだろう、パステルの見た目からは想像もできないはずだ。
「えーと、彼は今『パルスドール・サーカス』の問題を明らかにするために、協力してもらっている。枯草四重郎君だよ」恭平が補足した。
「わたしは、利川リズと申します」おそらく、四重郎から向かって左のこちらがネットだろう。
「ぼくは、利川イザベルだよ」話し方からして、右のこちらがマグネではないだろうか。
その名前を聞いた時、四重郎の中で何かに引っ掛かった。ごく最近、利川という苗字の人間と出会ったような――――
「ってええっ!? 娘!?」恭平に聞くと、恭平はいつものように曖昧な笑みを浮かべた。
「違う。子供だよ」
「かわらねーよ!! あんた何で子供を会社に放置してんだよ!!」
「仕方ないじゃないか、三上に使われていたんだから。僕の仕事は一刻も早く、代表に報告することだったろう」
「それにしたって、連れて行くとか――」
「彼女らには身寄りもパスポートもないんだ。仕方ないだろう」
「またパスポートかよ……もう全員分作っておけばいいのに……」
四重郎が落胆していると、金髪の姉妹の左――リズが言った。
「あの、わたしたちは、これからどうなるのでしょうか」
「ぼくたちは、これからどうなるの?」
わざわざ二人で同じことを繰り返し喋るのは、元からだったらしい。恭平が頷いて、ぽつんと座っていた男性に目を向けた。男性は目を白黒させて、事態に困惑しているようだった。
「そこで、この人だ。株式会社パルスの代表取締役、雨音宗之助さんだよ」
「……大変申し訳ありませんが、状況を説明していただけるとありがたい」
そう言って、四重郎を見た。そもそも無関係で巻き込まれている立場の自分が何故このような立場に立っているのか、四重郎は不思議でならなかった。
「えー……と、まず、三上清孝は『パルスドール・サーカス』を続けるつもりで、詩織さんを連れて行きました。収入の問題がどうとかで、催し物は続けなければならない。それを説明すれば、代表が見に来ても大丈夫だという判断でいるようです。こちらのリズとイザベルは、詩織を連れ戻す作戦に失敗したため、三上が不要だと判断したようです」
「……ふーん。随分と勝手が板についてきたな」恭平は面白くなさそうに腕を組んだ。
確かに、三上清孝という人間は責任者のわりには、他の事情を全く考慮せずに『パルスドール・サーカス』の収支に夢中になっているように見える。あまり適切な判断とは言えないような気もしたが、四重郎はその点に関しては触れないことにした。
「私には、たかが人形の舞台芸術がどうして問題なのかが不思議でならない」宗之助は難しい顔をしていた。
「舞台芸術と言えば聞こえは良い。実際に見てもらうために、無理をお願いしました」
実際は人殺しをやっているように感じている人間――雨音詩織という存在がいること。人形と言えど痛覚は感じるため、実際それはそこまで間違ってはいないということ。精神的に負荷が高いこと――などを、恭平が補足した。宗之助はその目で見てみなければ分からない、と言った。だが、不可解なことを呟いていた。
「そもそも、『パルスドール』はいつ廃棄してもいいんだ」
どういうことだろうか。パルスドールは会社の生命線、重要な技術ではなかったのだろうか? 思えば、話を聞く限りでは宗之助は『パルスドール・サーカス』について、一切を知らないように見える。
海外から呼び戻してきたというのもおかしい。会社が倒れそうだという時に、新たに投資して新規事業――……? それは、何故なのだろう?
「とにかく、一度パルスの本社に行きましょう。話はそれからだ」恭平は空の皿を四重郎に渡して、立ち上がった。
「俺も行きます。恭平さん、パステルはもう使えますか」
「うん? 確かに直ったけどしかし、もう話をしに行くだけだよ?」
「詩織を先に助けたいんです。……きっと、三上に捕まってサーカスの練習なのか、本番なのか、させられているんだろうから。もし戦っていたら、割って入ろうかと」
あの様子では、詩織は人間扱いもされていないのだろう。人のことをアレだのコレだのと扱う人間に縛られているのだから。
「……そうか。わかった。パステルはもう大丈夫だ」
「あの、ぼくたちは」
金髪の姉妹は所在無く座っていた。四重郎がスプーンを渡したのに、手も付けようとしていない。まだ、緊張しているのだろうか――……。四重郎は二人の頭に手を乗せた。
「大丈夫だ、俺達があんたらの居場所を取り戻してやる。ここで待ってろ」
二人は不安そうに四重郎を見た。
「思えば本社、三上が管理するようになってから殺伐としてたからね。ここらでちゃんと、従業員に対する環境を整えないと」
恭平がそう言った時、四重郎の中に素朴な疑問が生まれた。
「……ていうか、中学生を働かせちゃ駄目でしょ。恭平さん」
「何を言っているんだい四重郎君? 二人共十八だよ? アルバイトできるよ」
ぎょっとして、リズとイザベルを見た。身長は詩織よりも一回り低く、幼児体型の二人。とてもそうは見えない。
「あと、この二人を識別する方法は? 似すぎてて、どっちがどっちなのか……」
「ない!」
「あんたが断言するなよ!!」
その時だった。唐突に携帯電話の着信メッセージが流れる。確認したが、誰のものでもなかった。音の出所は、パステルのポケットからだった――詩織の携帯電話? だが、その可能性しかない。四重郎がポケットを探ると、詩織の携帯電話が鳴っていた。電話番号は非通知だった。
一体、誰から――? 誰にも答えは出なかったが、四重郎は携帯電話の通話ボタンを押下した。
「……もしもし?」
四重郎が耳を澄ますと、電車の通る音が聞こえてきた。風が強いのか、ごうごうと音が聞こえてくる。
「四重郎さんですか!?」
その言葉に、目を見開いた。
「……詩織? 詩織なのか?」
「はい! 四重郎さん、ご無事ですか!?」
「俺は別に大丈夫だけど――」
「あの、ちょっと、今、大変で!!」
音は断続的に途切れていた。四重郎は眉根を寄せて、受話器を耳に押し当てた。
「どうした? 何がどう大変なんだよ」
「実は、どうにか逃げてきたんですが、また追われていまして!!」
四重郎の異変に気付いたのか、その場にいた誰もが不安そうな顔をして、四重郎と携帯電話を見ていた。詩織の状況については、誰もが気になるところだろう。四重郎は辺りに目配せをした。
「詩織、お前今どこにいる」
「えっと……あ、近くに水族館があります!!」
詩織と二人で出掛けた辺りだ。水族館までならば、ここからはすぐに向かうことができる。パルスの本社がどこにあるのか分からないが、よくこんな所まで逃げてきたものだ。
「分かった、すぐに向かう。とにかく、その追ってる奴を倒せば良いんだな?」
「すいません……ありがとうございます」
「気にすんな。相手はどんなパルスドールなんだ」
受話器の向こうから、信じられない言葉が聞こえてきた。
「キャンディさんです」