表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/26

20 今回だけは諦めたくない #1

「あれ? いらっしゃい」


 扉を入って右側にはカウンターの席が八席と、左側には四席掛けのテーブルが二組。どちらも木製で、入ってきた扉や外にあった看板とイメージの統一を図っている。ちかちかと光る、今時珍しいブラウン管のモニターに野球の試合を映して、いつもマスターは綺麗すぎる円形の皿を布巾で拭いている。革靴を履くと、ギシギシ、と古めかしい音がする。そんな木製の床の上に規則正しく鎮座している椅子は赤色。


 カウンターの反対側はいつも外の光景が眺められるようになっていて、映り込みの良い強化ガラスの向こうでは、せせこましく日常に追われた人々が横断歩道の前で立ち止まっては渡っていく。二階にあるから、通行人からはあまりこちらに意識がこないことがマスターのこだわりなのだという。


 四重郎のお気に入りの喫茶店だ。


「大丈夫かい? 疲れているようだけど。可愛い顔が勿体無いよ」

「コーヒーを、いただけますか」


 パルスドールには、ある程度の自己修復機能があるらしい。あの時全く動けなかったパステルの身体も、三上との一件を終えた後に動作させてみると、痛みを覚えながらもある程度は動かせるようになっていた。パステルに意識を移した四重郎は巨大な袋を持ち帰り、すごすごと家まで戻った。三人分の人を運ぶには、パステルの姿でなければ成し得なかった。


 そして中身を確認した後、事の重大さを抱え切れなくなった四重郎は渋沢の喫茶店に来ていた。とにかく今は、自分ではない何者かになりたかったのだ。


 巨大な袋の中身は、双子の姉妹だった。年齢は中学生くらいだろうか。鮮やかな金髪で、日本人には見えなかった。二人ともそっくりの、癖のある長髪だった。その双子を見た時、四重郎にはある確信があった。マグネとネット。双子のパルスドールの中身ではないかと。


 つまり、用済みだからいらないということなのだろうか? 彼女らは結果を出せなかったから。自分と同じだから――そう言われているように感じた。


「どうしたの」


 コーヒーが差し出された。渋沢は普段の四重郎への対応と全く変わらない様子で、パステルの身体である自分に話し掛けてきた。いつもの、お節介な優しい渋沢だった。いつもこうなのだろうか。もしかすると、ここは彼に相談を抱えた人が集まる場所なのかもしれない。


「ずっと、自分ではない何かになろうとしていたんです」


 お茶を濁したような発言をした。あまり話題の内容について悟られたくなかったということもある。


「諦めてきた自分が嫌で。結果を出したい。結果を出して、人から認められる自分になりたい。……でも、気付いたんです」

「気付いた?」

「結果を出すことと、人から認められることは、必ずしもイコールではない」

「そうだね」小奇麗な皿を拭きながら、渋沢は微笑んだ。

「初めて、自分の努力が認められたんです。それも、結果とは全然関係のないところで」


 諦めてばかりだった四重郎の人生を、初めて頑張っていると言ってくれた。


「そんな大切な友人が、夢を叶えられないでいる」


 それを救いたいと思った。自分のことばかり考えて、そして折れてきた自分が、初めて認めてくれた人のために頑張りたいと思った。


「でも、私はやっぱり駄目で。相変わらず、一歩前に出られなくて。それで、逃してしまった」


 あと一歩のところで、三上からは逃げられた。後に残ったのは戦いの残骸と、傷付いた身体。求めていたものは手に入らず、『また』、自分だけが残ってしまった。何も救えず、取り逃がしてしまった。相変わらず自分には結果が付いてこない――……。パステルの姿のまま、四重郎は涙した。


「諦めたくない」

「うん」渋沢は微笑んだ。

「諦めたくないよ、渋沢さん。今回は、今回だけは、諦めたくない」


 渋沢はブラウン管のスイッチを消した。部屋の隅にある、置物のようなスピーカーの電源を入れる。置物だと思っていたが、実用に足る代物だったのだろうか。渋沢がレコードを操作すると、ジャズが流れた。壮大な迫力はなかったが、居心地の良くなる音楽だった。


「別の誰かになりたかったのは、今の自分に自信がなかったからだ」

「……はい」

「自信は、人から与えられるものではない。自分が心の底に持つものなんだよ」


 コーヒーサイフォンにお湯を注ぎながら、渋沢はコーヒーの香りを確認していた。少し蒸らし、時間を置いてから、再度お湯を注ぎ始める。辺りに香ばしい香りが広がった。


「顔を上げて胸を張り、前を向き、風を切り、横っ腹が痛くなってももう一歩だけ、前に進みなさい」


 四重郎の涙が止まった。渋沢は微笑んだ顔のままでいた。


「限界だと思うと、そのもう一歩が踏み出せない。人の目を気にしていたら、足は前に出ない。自分を信じて、もう一歩だけ、前に進んでみようよ」

「……前、に」

「それがとても大事なことなんだよ、お嬢さん」


 そう言って、四重郎の隣にコーヒーが差し出された。四重郎は釣られて横を向く。するとそこには、


「渋沢さん、ちーす。元気?」


 東雲真理がいた。相変わらずの奔放な話し方で、渋沢に手を振っていた。かと思うと、四重郎の肩に腕を回し、身体を揺すってきた。


「なんだよなんだよ。泣くなって。元気出せー」

「東雲」

「ん? 会ったことあったっけ?」


 しまった、と思った。自分は今、パステルの姿なのだ。慌てて目を逸らしてしまった。真理は気にした様子もなかった。


「どしたの? あたしで良ければ話聞くよ?」


 珍しく好意的だった。やはり、四重郎の姿ではないからだろうか――……。迷ったが、四重郎は口にした。


「大切な人がどこかに行ってしまって。それを助けたいんだけど……自信なくて。何度も失敗していて、また駄目だったらどうしよう、って」

「しゃらくさい!!」


 真理は思い切り四重郎の背中を叩いた。思い切り気管支に入り、四重郎はコーヒーを吹いた。


「痛いわ!!」


「知り合いにさ。すぐに投げ出す奴がいてさ。本人は頑張ったって言うんだけど、あたしにはただ諦めが良いって言い訳して、なあなあで終わってるようにしか見えなくてさ」


 直感的に四重郎のことだと感じた。はっとして、四重郎は話を聞いた。


「嫌いなんだそういうはっきりしないの。それって、超本気で頑張ってないんだよ。一度くらい、超本気で頑張ってみればいいじゃん。そいつのこと見るたびにあたしは苛々して、なんか文句言いたくなるんだよね。もうほんと、お前おっさんだなって。めちゃおっさんだなって。むしろおっさんに失礼だなって」


 余計なお世話だ、と思った。


「今ここで追い掛けない奴なら、きっと仲良くなる必要すらなかったって相手も思うよ。でも、諦めないで追い掛けたら、それほど自分が必要とされてるんだなって、思うと思うよ」


 そんな風に、ごく一般的に何気なく、真理はすごいことを言った。それは、四重郎の決意を確固たるものに変化させるには十分すぎる言葉だった。


「なあなあ、どうなのさ?」真理は四重郎を見て、にやりと笑った。


 四重郎は涙を拭いて、立ち上がった。


「……ありがと。がんばる」


 渋沢に軽く会釈をして、四重郎は喫茶店の扉を出た。階段を下りると、そこは戦場だ。自分が戦うべき戦場――喫茶店という名の、心の安息を求める地から。迷っている暇はない。一つずつ解決していこう。


「カズ君から伝言!!」


 大声で後ろから呼ばれた。四重郎が驚いて振り返ると、真理が仁王立ちをしていた。


「二年待つ」

「……はあ?」

「だから、二年待つ、ってば。次の受験に失敗したら、もうチャンス無いから。あたしら、先に行くかんな」


 ある予感が四重郎の中を駆け巡った。


 もしかして、一馬が平日の真昼にバイトをしていたのは。大学生でありながら、平日の昼間にバイトをしていたのは――そして、バイト帰りに四重郎と鉢合わせた。スーツ姿の四重郎を見て、一馬は言った。


『また、諦めんのかよ!!』


 四重郎は拳を強く握った。


 本当に、涙が出るほどお人好しな奴だと思う。


「あと、あたしとカズ君は別に付き合ってとかないから。勘違いしないでよね」

「聞いてねーよ」四重郎は笑った。

「カズ君への返事はどーした!! 答えてみろ!!」


 四重郎は振り返り、真理に向かって強く握った拳を突き立てた。


「全部取り返して!! やるだけのこと、全部やって!!」


 自分を信じてくれる、全ての人たちへ。


「もう一度、大学目指すからな!!」


 四重郎は、宣戦布告した。


 自然と声が大きくなってしまう。真理の声も大きくなっている気がした。周囲の人間がこちらを見ていた。


「絶対諦めないか!!」

「絶対諦めねえよ!!」

「ほんとだな!?」

「ほんとだ!!」


 真理は嬉しそうに笑った。こんなにも嬉しそうにするのは、初めてだと思った。


「頑張れよ、おっさん」


 程なくして、足音が聞こえた。こちらに向かってきていた。金髪に眼鏡を掛けた、白衣の男性――こちらを見て、驚いていた。それもそうだろう、パルスドールである四重郎が大声で叫んでいるのだから。


「パステル!!」

「恭平さん」


 恭平は長い距離を走って来たのか、両膝に手を突いて肩で息をしていた。というか、運動不足ではないと言いながら、やっぱり運動不足なのではないだろうか。


「玄関扉はへこんでるし、君も詩織ちゃんも居ないし。しかも、部屋に居る金髪の二人はドーラーじゃないのかい?」

「すいません、恭平さん。いつ戻ってくるのか分からなくて」

「いや、こちらこそ遅れてすまなかった。代表を連れてきたよ。詩織ちゃんは?」

「……これから、助けに行かないといけないんです」


 恭平は四重郎を見た。そして、全てを察したようだった。呼吸を整え姿勢を正すと、四重郎に指で合図した。


「僕が反発するのは予想済みか。一旦家に戻ろう、作戦会議だ。事情を共有して、これからのことを決めなくちゃね」

「はい!」


 四重郎と恭平は喫茶店を離れ、四重郎の家へと向かった。


「……あれ?」


 振り返ると、既に真理は居なかった。今更ながら、どうして自分が四重郎であると見破られたのだろうか。一度も名前は言っていなかったはずだが――……。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ