18 マグネットシスターズ #1
一日パステルに意識を移すことで何も口にしていなかった四重郎はとても衰弱していたため、四重郎はまず詩織の買ったコンビニ弁当を慌てて口にした。自分自身が腹一杯になったところで、再びパステルに意識を移動。どうやら、肉体的にはともかく精神的にはそれなりに疲労を要するもののようだ。
風が冷たい。四重郎は自分の本体を抱え、ビルからビルへ飛び移っていた。それだけの跳躍力が引き出せることは、既に把握していたからだ。飛び回りながら、辺りに同じような人影が居ないかどうかを確認する。夜なので、辺りは暗い――パルスドールにはどれだけの能力が眠っているのだろうか? スピードが遅いと言われたキャンディにあれだけのスピードがあったのだ。能力を解放することで、今よりも色々なことができるようになるのかもしれない。
試しに四重郎は、足や手ではなく耳に意識を集中してみた。ふと、水の音のような何かを感じた。すると、超音波のようにその音は四重郎を中心に広がっていき、そして――発見した。
「キャンディが的確に俺を探し当てたのは、これか」
パルスドール同士は、お互いを認識することができる、ということだろうか。僅かなものではあったが、四重郎はパルスドールの気配を確認することができた。二人組のパルスドール。そして、それに抱かれて眠る詩織の意識。彼女らは止まっている――……。いや、相手からもパステルを認識する手段はあるはずだ。ならば、自分を待っているのではないだろうか。
「っと……」
四重郎は立ち止まった。もしも本当に自分を待っていて返り討ちにしようという作戦ならば、こちらも考えなければならない。相手は二人居るのだ。本体を抱えたこの格好のまま出て行けば、やられるだけだろう。
相手はドーラーだ。自分よりも動けることを前提に考えなければならない。四重郎は、慎重にビルの向こうの様子を確認した。
ビルの向こうは広い公園になっている。洒落た花柄模様の道路が広い公園の案内代わりになっていた。広い芝生と、ベンチ。そして、ベンチの向こうにいる二体のパルスドール。さて、どうしたものか――――……。
「追ってこないね」
「さっきから、ずっと止まっているわね。何をやっているのでしょう」
三十分後。パステルの姿の四重郎は、二体のパルスドールの様子を伺っていた。真夜中の公園。ベンチに二人は腰掛けている。隣には眠っている詩織の姿もあった。木の影に隠れて、隙が出来るのを待った。既に思いつく限りの手段は考えてある。四重郎は喉を鳴らして、準備しておいた手袋をはめた。
「ねえ、隠れていても意味はないと、わかっているのでしょう?」
「出ておいでよ。相手してあげるつもりなんだからさあ」
緑色の髪をした、双子のようなパルスドールだった。片方はショートヘアで、真っ白いなシャツに赤いネクタイ、髪色と同じ緑のベスト、短パンという格好で、さながら少年のようだった。顔は少女なので、おそらく肉体的には女性なのだろう。もう片方はロングヘアーで、ストレートに降ろした髪は緩やかにカールしていた。ネクタイではなくストールを巻き、緑色のロングスカートを履いている。
どうにも特徴的だった。思えば、パステルの格好も鮮やかな赤が基調になっている。そういうものなのだろうか。
四重郎は意を決して、二人の前へと歩いた。
「あ、新型だよ」
「新型ね。おなまえは?」
「……あっと・パステル」
「そうなんだ。ぼくは『あっと・マグネ』」少年のような格好をした少女が言った。
「そうなの。わたしは『あっと・ネット』」可憐な出で立ちの少女が言った。
磁力に関係するパルスドールなのだろうか? 単調な言葉が続く。二人はベンチから立ち上がり、前へ出た。詩織は眠っているようで、ベンチから動かない。
二人はまるで感情を持っていないような、あるいは初めから何かを覚悟しているような、不思議な印象だった。眉根を寄せて、詩織を指差した。
「詩織をどうした? 動かないようだが」
「君には関係のないことだよ」
「関係のないことよ」
話していても、仕方がない。四重郎はそう思った。意識を集中し、いつでも攻撃に備えられるように準備をした。
「キャンディを倒したってね」
「キャンディがやられたそうね」
二人が構える。同様に、四重郎もファイティングポーズを取った。
「悪いが、なめてると痛い目見るぜ。詩織は返してもらう」
「だめだよ、仕事だから」
「だめよ、仕事だから」
二人はどういう武器を使うのだろうか。四重郎はごくりと喉を鳴らして、二人の様子を見守った。――とにかく、作戦通りにやるのみだ。そう覚悟して。
「武装発現『プラスランス』」マグネが身の丈ほどもある矛を取り出す。
「武装発現『マイナシールド』」ネットが身体をすっぽり隠せそうな盾を持ち出した。
嫌な予感がした。矛と盾。プラスとマイナス。名前の語呂から、ある程度の予想をすることができる。既に四重郎は力を感じていた。全力を込めて、四重郎はバックステップをした。
「いくよ、姉さん」
マグネが矛を四重郎に向かって投げる。四重郎は身体を捻り、それをかわした。その間に、ネットが四重郎の目前まで迫っていた。四重郎が着地すると、ネットは四重郎に向かって盾を構えている。
やはり、と四重郎は思う。ネットの構えた盾には、何かがはまるような窪みがあった。何かとは、つまり――四重郎は投げられた矛と盾の間に居る。慌てて、横に跳ねた。
「割れない盾を突きなさい」
ネットが呪文のように唱えると、投げられた矛は百八十度方向を変えて盾へと向かった。四重郎は間一髪、矛の猛攻を交わし――そして、転がった。
「姉さん、こいつわりと素早いよ」
「慣れてきているようね。キャンディと戦っているから、戻ってくるのには慣れているのでしょう」
ネットの盾に刺さった矛をマグネが抜き取った。すると、何故か盾の破壊が元に戻っていた。何者も貫く矛と、絶対に壊れない盾。つまりは、そういうコンセプトなのだろう。敵を追い掛けながら、お互いがお互いを引き寄せ合う。すなわち、それは磁力であり、『矛盾』だ。
「一応、聞くが。お前たちも三上清孝という人物に言われて、詩織を狙っているのか」
「狙っているんじゃないよ。連れ戻しに来たんだ」
四重郎は二人が自分を追い掛けるよう、誘導した。
「本人がそれを望んでいないとしても?」
「関係ないわ。それが仕事だから。結果を出さなければ、私たちがクビになるだけよ」
「お前たちは、どう思っているんだ」
「考える必要なんかないよ」
結果を出さなければ。それは、なんと重い言葉だろうか。もしかすると、四重郎もあのまま仕事を探していたら。仕事を見付けることができていたら。同じ言葉を使ったのだろうか。
四重郎は二人を鼻で笑った。二人の眉が動いた。
「くだらねーな、社会の犬が」
渋沢が言っていた。仕事をすると、自分を変えるチャンスがなくなると。それは逆に言えば、四重郎が自分を変えたいと思っていたことを渋沢は見抜いていたということだ。
「クビになるよりは良いってか。そこに自分の意思は関係ねえってか。くだらねえよ、本当くだらねえ。だったら黙って人形ごっこしてやがれ」
まるで、一昔前の自分に説教しているようだ。
詩織が言っていた。失敗を恐れていると。一生懸命になるぎりぎりのところで、無意識に自分を抑えてしまっていると。何故なら、一生懸命になって駄目だった経験があるから。
「踏み倒せるものなら踏み倒してみろよ」
二人の怒りを煽った。詩織のことを片時でも忘れ、自分を破壊することに注意を向けさせる――それが、四重郎の作戦だった。
四重郎は思う。自分のために頑張ることは出来なかった。だが、他人のためならば。少なくとも、大切に思う身近な人間のためならば、四重郎は頑張れるのではないかと。
「折れねえぞ、俺は」
歯を食い縛った。
「殺そう、こいつ」マグネが言った。
「ええ。やりましょう」ネットが返した。
四重郎は笑って、二人に背を向けて走り出した。
追い掛けてくる二人の猛攻をかわしながら、四重郎は公園を走り回った。二人を同時に機能停止させるためには、四重郎はトラップを掛けておく必要があった。広い公園には、花柄模様の描かれた道路がある。芝生を抜け、木々の間を滑り、二人の攻撃をかわしながら、四重郎は自分が描いた円へと向かった。
背中から飛んでくる矛を避けるが、続いてネットが目の前に現れた。
「潰れなさい」
巨大な盾でネットが殴り掛かってくる。その身をすっぽりと覆うほどの盾は防御も兼ねているのだろう。四重郎はネットを飛び越えるが、絶対にネットは背中を向けない。辛い戦いだ。ふと、マグネがその場所に居ないことに気付いた。四重郎が気付くよりも一歩早く、マグネは背中から四重郎を貫いた。
「プラスランス!!」
間一髪で矛の攻撃を避ける。赤いジャケットが貫かれた。
「割れない盾を突きなさい!!」
ネットが叫ぶ。四重郎のジャケットは貫かれ、身動きが取れなくなっていた。ネットが盾を構えると、矛はネット目掛けて引き寄せられ――その展開はまずい。四重郎はジャケットを貫かれたまま、矛と共に引き寄せられていった。ジャケットを脱ごうとするが、間に合わない――――……
「マイナシールド・インパクト!!」
そのまま、矛ごと殴られた。鈍い音と共にパステルの骨が折れる。たった一撃。だがその破壊力はすさまじく、ジャケットはあっさりと千切れ、四重郎は道路に叩き付けられた。叩き付けられた道路にひびが入り、そのまま転がる。
「姉さん、やったよ」マグネは無表情のままだ。
「当然よ。武器も発現していないようなパルスドールに負けてたまるもんですか」
四重郎は起き上がろうとしたが、指一本動かすことが出来なかった。全身を強烈な痛覚が襲う。四重郎はかろうじて円の中に入ったが、二人は少し離れた位置から四重郎を見ていた。
「なるほど。それがトラップだったのかしら。浅はかすぎるわね」
「……全く、動けん」
苦し紛れに声に出してみたが、余計に痛みが深くなるだけだった。陸に上がった魚のように悶える四重郎を見て、初めてネットが笑った。呆れているようにも見えた。
「武器発現の仕方も知らないで、どうやってキャンディを倒したのか聞きたいところね」
「武器発現の仕方も知らないで、キャンディが倒せたのが驚きだね」
四重郎はどうにか二人を見た。二人は花柄模様の描かれた道路に立ち、円を避けて四重郎を見ていた。
「このままトラップを起動させたら、どうなるんだろうね?」
「このままトラップを起動させたら、あの娘壊れちゃうかしら」
そうだ。このままトラップを起動させたら、大変なことになるだろう。四重郎はポケットを探る。四重郎の意識は遠のき、視界が暗転していく――……
最後に四重郎は、パステルの姿で笑った。