17 嘘の身体になりたい? #2
気が付くと、そこは暗闇だった。目を開いたが、何も見えない。きちんと目を開いていることを確認する。だが、辺りはすっかり暗闇――四重郎は混乱し、手探りで辺りを確認する。ヘッドセットを付けていることが分かる。どうやら、元の身体に戻ってきたようだ。だが、何も見えない――パルスドールになる手前、自分はどこに隠れただろうか?
ふと、縦に光の筋が入っている場所に気が付いた。
「……あ」
そして、全てを思い出した。間違いなかった。四重郎はキャンディに襲われる手前、自分の身体を襲われないようクローゼットに隠したのだ。そして――鍵を掛けた。
「やっべっ!?」
慌ててクローゼットを蹴り始める。パステルの姿でここまで帰って来るつもりでいた。もっとも、当時の状況ではそこまで考える余裕などなかったのだが。四重郎はクローゼットを蹴破ると、めり、という嫌な音がしてクローゼットの扉が割れた。四重郎は畳に転がり、辺りを確認する。先ほどまでと同じ夕方だった。唯一違うのは、ここがホテルではなく四重郎の家だということくらいだ。
「……あー」
自分が破壊したクローゼットを見る。扉は鍵の部分を縁取るように割れていた。もう一度鍵を掛けるのは無理だろう。接着することも困難かもしれない。
その向こう側に、歪んだ玄関扉と破壊されたチェーンが見える。呆然と眺めていたが、よく考えると只事ではない。四重郎は立ち上がると、玄関扉に走った。
「ひっで……」
外側に開くはずの扉が、外から殴られて内側に曲がっていた。当然動く様子もなく、四重郎は途方に暮れた。
もういいや、と思い、四重郎は深緑のジャンパーを羽織った。どうせ金はない、このまま詩織の待つホテルへ向かってしまおう。
「腹、減ったな……」
いつものように鍵を閉めようと四重郎は家の鍵を取り出したが、閉める扉がなかった。途方もない話である。一日に扉を二つも壊す羽目になるとは。四重郎は諦めて、その場を立ち去った。
「四重郎君じゃないか」
駅へと向かう道の途中、四重郎は声を掛けられた。振り返ると、そこには薄ピンクのワイシャツに茶色のジャケットを羽織った、中年と呼ぶには少々年を取った男性が立っていた。
「渋沢さん」
いつも通っていた喫茶店のマスターのはずなのに、何故だかとても懐かしい気持ちになった。思えば詩織と出会ってから、まだ一度も彼の店には足を運んでいない。四重郎は軽く会釈をした。
「良い豆が手に入ったんだよ。一杯、飲んで行かないかい?」
「ごめん、今はちょっと。急いでいて」
「そうか。それは残念だな」渋沢は紙袋を開いて中身を見ながら、そう言った。
渋沢の提案は四重郎にもとても魅力的な提案だったが、今はコーヒー一杯などと言っている状況ではなかった。一刻も早く、詩織のところへと向かわなければ。そんな四重郎の意思が伝わったのか、渋沢は笑顔になり、左手で顎髭を撫でた。
「四重郎君、何か目的を見付けたような顔だね」
「目的?」
「格好良い顔をしているよ」
何を思って渋沢がそう言ったのか、四重郎には分からなかったが。
「……そうかな。まだ、全然駄目なんだけど」
「駄目でも良い。腐っているよりは、はるかに良いことさ。やりたいことを見付けたのかな」
四重郎はポケットから小銭を取り出して、渋沢に渡した。渋沢は何の金か分からず、目を丸くしていた。
「前回、閉店過ぎに行った時。お金、払ってなかったと思って」
「良いのに」渋沢は笑った。
「やりたいことは、見付かってない。……でも、やらなきゃいけないことができた」
「そう。頑張ってね」
手を振り、駅へと向かった。
はやる気持ちを抑えながら、四重郎は電車に乗った。ホテルまでは、そこまで離れていなかった。急ぎながら四重郎は、これからの自分について考えていた。
電車を降りて、ある考えがまとまった。四重郎には趣味がない。目標もない。ならば、目標のある人間を支えてやりたい、と四重郎は思った。それがたった一つ、自分にできること――……。
そして、そのうちには、自分の目標も立て直したい。
パルスドール・サーカスに参加している人間はキャンディのように、パルスドールを玩具だと思っている人間ばかりなのかもしれない。だが、恐らく詩織は違った。パルスドールをさも代わりの肉体であるかのように捉えている。だから、壊すことに罪悪感を感じるのだろう。
『そもそも、商品価値に問題があると判断されたようなんだ。それをひっくり返したのが三上清孝で、彼に一任されているというわけさ』
何故、そういう判断が下ったのか。何故、三上清孝という人物はパルスドールを利用しようと考えたのか。何故、詩織が追われるのか。その本当の理由を、四重郎は追いかけて見たくなった。それが、詩織を自由にするための鍵になるのであれば――。
「いらっしゃいませ」
「最上階に泊まっている雨音詩織の同居人です。通していただけませんか」
受付の女性は多少驚いているようだったが、笑顔になって言った。
「失礼ですが、ご本人様に確認するため、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「枯草。枯草四重郎です」
受話器を取り、ダイヤルをしていた。今頃、最上階の電話機が鳴っているのだろうか。早く、詩織が無事であることを確認したい。
そう思っていた矢先の出来事だった。
「……申し訳ございませんが、お客様がお出になりませんので、少々お待ちいただけますか?」
そんなはずはない。四重郎は時間を確認した。あれから一時間ほど経過していた。たとえ晩飯を買ったとしても、もう戻っている頃ではないか。
「確認して参りますので」
何かがあったのだろうか。
「いえ、大丈夫です。ちょっと、そこのソファで休ませていただいても?」
「え……? はい、大丈夫ですが」
四重郎はソファに走り、倒れないように座った。鞄からヘッドセットを取り出すと、慌てて装着し電源を入れた。
今更ながら、音楽を聴いているように見せ掛けられるのはとても便利だと思う。
視界が暗転し、スイートルームで四重郎は目を覚ました。ベッドに寝かされており、四重郎はすぐに起き上がって辺りを見回した。強い風がパステルの赤髪を揺らす――強い風? 四重郎は、風の出所を探した。
そして、驚くべき光景に目を見開いた。
「……なんだこれ」
立ち上がり、窓へと走った。ガラス張りになっていた壁は粉々に割れ、大きな穴が開いていた。ホテルの最上階、誰かが侵入したようにも見える――。四重郎は詩織の姿を探した。目的の人物は部屋の中のどこにもいなかった。
部屋の中を歩いていると、四重郎はあるものを発見した。二人分の弁当――詩織が購入したものだろうか。無造作に床に袋ごと落ちていた。四重郎はそれを拾い上げた。コンビニ袋に入った弁当には水滴が付いている。
「……まだ、暖かい」
真冬のホテルの最上階、既に太陽は落ちている。窓が割れたことで室内気温はかなり下がっていた。四重郎は赤いジャケットを羽織り、割れた窓を目指した。窓から下を眺めると、途方もない街並みが広がっている。四重郎はコンビニ袋を片手に、割れた窓から飛び降りた。
つまり、詩織は窓を割った何者か――パルスドールに連れ去られた。コンビニ弁当など、レンジで温めた程度の温度では冷めるのにさほどの時間は掛からない。連れ去られてから、まだ時間は経っていないはずだ。
着地し、すぐに受付へと向かう。自動扉を通ると、受付の女性が不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。四重郎は笑顔で、ソファに眠る男の下へと歩いた。
「この馬鹿、こんなところで眠ってたのね」
「雨音様でいらっしゃいますか? 先ほど、電話を――」
「すいません、うちの馬鹿が迷惑掛けて。明日の朝まで、ちょっと部屋には入らないようにお願いします」
それだけ話して、四重郎は眠る自分を抱え、自動扉から出た。
「どちらへ……?」
朝までに、必ず連れ戻す。四重郎は、そう決意していた。




