15 カラミティキャンディ #3
「分かった? 正直、初めて動かす程度じゃあたしに勝つのは無理だよ。平日五連勤になって、もはや自分の半身なんだからね」
ドリルを片手で弄びながら、キャンディは言った。四重郎はめり込んだ頭をどうにか上げた。四重郎が操作しているパステルの、長い赤髪が視界に入る。顔を上げる前に、四重郎の頭はキャンディに再度踏み付けられた。
「あんた、ドーラーじゃないでしょ? 動きが鈍すぎるよー。ふつーの人間みたい」
「……だったら、どうした」
力を入れようとするが、全く首を動かすことが出来なかった。踏み付けられた姿勢のまま、四重郎は苦しい声で抗議した。
「諦めて、雨音詩織を寄越しなよ。こっちは仕事でやってんだからさあ、立場が違うの。必死でやらないといけない度合いも違うの」
彼女――彼女、なのだろうか。それさえ四重郎には分からなかったが、キャンディの中にいる人間は雇われ人だと言っていた。
「一日ちょっと頑張ったくらいじゃ、あたしには勝てないって」
何故だろうか。その言葉を聞いた時、四重郎の中に変化が生じた。
「……そんなこと、やってみなけりゃ、分からないだろうが」
「お遊び気分で『ドーラー』やられちゃ、かなわないんだけどな。面白いのは認めるけどね?」
ずっと、先を越されてきた。自分よりも先に物事を始めた人間には、敵わないものだと何度も思い知らされた。結局、全ては努力した年月の長さと、才能によるものだと。その結果が、四重郎だった。
「居るんだよね、ちょっと頑張った気になって、できる気分になっちゃってる奴。そんなにすぐプロと張り合えるつもりなの? あんたにはどれだけ才能があるの?」
『あなたは、何も頑張っていない』
何故か、面接官の顔が脳裏に浮かんだ。
「分かったら、さっさと――」
「馬鹿にするなよ」
その言葉は遮られた。胸の奥に、熱いものを感じた。
「なに?」
「一生懸命追い付こうとしている奴を、馬鹿にするなよ」
四重郎は腕を突き、精一杯の力を込めた。
首がほんのわずか、動いた。
「お前等プロには分からないかもしれねえよ。今のお前からしたら、全然頑張ってないって笑いたいかもしれねえよ。でも、その時は必死になっていたことが、うまくなった後は簡単にできるってだけだ。必死になっていた時がお前にもあったんじゃないのか」
じわじわと、四重郎の首は足の力に反発し始めた。とにかく、この女を黙らせたかった。人の立場を分かろうともしない連中。この女もまた、彼らの一部なのだと思った。
「人には人の立場と距離があんだよ。馬鹿にするなよ。お前の足元で一生懸命戦っている人間を、遥かに上手いお前が馬鹿にするなよ」
その時、得体の知れない力が四重郎の胸に宿った。そうだ、あの面接官にも、この言葉をぶつけてやりたかった。四重郎にはたった一つ、言わなければいけない言葉があった。
「『諦めたい』なんてなあ、誰も思ってねえんだよ!!」
パルスドールの胸に宿る熱い何かと、四重郎の意識が重なった気がした。
四重郎の首はキャンディの力を押し返し、キャンディを退かせた。パステルを操作している四重郎には気付かなかっただろう。パステルの茶色の瞳は紅に染まり、下方から生まれる気流で長い髪が揺らめいていた。
「――なに、これ」詩織が呟いた。
キャンディも驚き、四重郎の様子を見守っていた。四重郎はキャンディに向かって歩いた。
「何? それは。新しいモード? ただの演出だったら面白いんですけど!」
その呟きを、四重郎は無視した。驚いたキャンディは慌てて戦闘態勢に入り、ドリルを構えた。大きく右腕で振り被り、パステルの心臓目掛けて叩き付ける。だがその攻撃を、四重郎は持ち手の部分を捕まえ、勢いを殺した。いとも容易く受け止めてしまった。
「うそ」思わず、キャンディの口から言葉が漏れた。
高速回転するドリルは持ち主の下に帰ろうと暴れたが、四重郎はそのドリルを持ち主目掛けて投げ付けた。キャンディはそれを受け取ることが出来ず、ドリルはコンクリートに突き刺さった。
四重郎はそのまま、『カラーリングガン』をキャンディに向ける。
「そんなオモチャでどうするつもり!?」
キャンディは果敢に四重郎に飛び掛った。四重郎は冷静に――近付いて来るキャンディの目に向かって、ペイント弾を放った。
「ぎゃっ!!」キャンディは転がった。
今の今まで、動きすら捉えられなかった。四重郎の目には、キャンディの動きがとても遅くなったように感じた。全身の神経が鋭くなったようにも思える――四重郎はためらわず、下のアクショントリガーを引いた。
「四重郎さん!!」詩織が叫んだ。
「えっ……」キャンディは、咄嗟のことに対応が出来ないようだった。
瞬間、爆発が起こった。どういう構造になっているのか、キャンディ自身は大破したというのにダクトやエアコンの室外機には傷一つ付かない。そういう仕組になっているのだろうか――キャンディが破壊したコンクリートだけが、不気味に残っていた。
爆発が落ち着いた頃、四重郎は静かに緊張を解いた。揺らいでいた赤髪は次第に重力に従い、四重郎は落ちた髪留めを拾った。辺りを見渡すと、キャンディは跡形もなくなっていた。何が起こったのか分からないが――そこには、血が飛び散った形跡もない。
そういえば、パルスドールから血は出ないのだったか。
逃げられたのだろうか。四重郎はふう、とため息をつき、その場に座り込んだ。全身から力が抜けていく。
「お疲れ様です、四重郎さん。ありがとうございました」
気が付くと、隣に詩織が立っていた。四重郎は座ったままで、その顔を見上げた。
「パステルさん」
「あ、すいません。つい……」
四重郎は笑って、その場に寝転んだ。とにかく、どうにか最後まで守り切ることが出来たのだろうか。他に追っ手が来る様子もなかった。
「キャンディは、どうなった?」
「分かりません。爆発の瞬間、ビルから落ちたようにも見えました」
破壊した、とは言えないのかもしれない。もう一度来たら勝てる自信もないが、ひとまずは一段落したようだ。
「ちなみに、壊れた場合ってどんな風になるんだ?」
「意識は持ち主のもとへ帰ります。壊れたパルスドールは、誰かが回収しなければ基本的にはそのままですね」
「……そうか」
「死んでしまったように、動かなくなります」詩織は屋上から下を眺めた。表情は見えなかったが、悲しそうな声音だった。
「ごめんな。必死で」
「いえ。助かりました」
いずれにしても、どこかへ身を隠す必要はありそうだ。近くにホテルなどあっただろうか――詩織は金を持っている、ある程度は高い所でも問題はないはずだ。四重郎はそんなことを考えながら、屋上のコンクリートに寝そべった。
「パステルさん、すごいです。人間の限界を越えるには、かなりの訓練が必要なんですよ。知らずのうちに力をセーブしてしまいますから」
「……まあ、パルスドールってすごいんだってことは分かったよ。元の身体に戻っても、問題ないんだよな」
「はい。でも、間違えて電車から飛び降りないでくださいね」
四重郎は笑った。