ゲッティン・スマイル
「はぁ~…やっぱ早まったかな…」
夏の日差しが残る午後、一人の青年がカウチに寝そべりながらため息をついた。そしておもむろに読んでいた音楽誌を放り出だした。
その雑誌は床に無残な形でバサリと音をたて落ちた。
「ったく、ろくでもないバンドしか載ってねーや。」彼は不満をぶつけるかのように、タバコに火を点け「ちっ、タバコもこれで終わりかよ。」と全くついていないといった様子で眉間にしわを寄せた。
ついていない上になんて蒸し暑いんだ、この部屋は。心の中で盛大にため息をついてみたが何も変わりはしない。
そんな状況にもかかわらず、青年は暫くカウチに寝そべったままタバコをふかしていたが、やがてゆっくり起き上がり伸びをしながら言った。
「ああっー!もうっ暇っっ!」
「そりゃそうだろ?学校も辞めて、何にもしてなきゃな。」ふいに背後から声がした。
青年は声の方向に振り向き「よぉー、レスおかえり。」と無邪気に答えた。
「お帰りじゃねーよロジャー。部屋中タバコの煙だらけじゃねーか。窓くらい開けろよ!だいたい暑くないのか?」
「暑いけど、面倒臭い‥。」ロジャーと呼ばれた青年は、すこしふくれ面で答えた。
「面倒臭いって、おまえ…」レスはやれやれといった様子で窓を開けた。すると夕方の涼しい風が一気に部屋に流れ込んだ。
「おっほーっ涼しーっい。レス、あんがとな。」と子供みたいに笑うロジャーの金髪が風に揺れた。そんなルームメイトを見て元々童顔ではあるが「ホント子供みたいなヤツ」とレスは心の中でクスリと笑った。
「で?どこかやっていけそうなバンドは見つかった?」ロジャーが放り出した雑誌を拾い上げながら、レスが訊ねた。
「無い、無い。全然っ無い。」とホント困ったよといった顔でロジャーは答えた。
ふ~んとレスは言って、そして少し躊躇ったように「あのな、ロジャー。怒らずに聞いてくれないか?」と続けた。
「おまえ、トルロに帰った方がいいんじゃないか?」
「は?な…なんだよ、いきなり?」レスの言葉にロジャーは、自分の心臓がドキンと鳴るのがはっきりと判った。
「おい、誤解するなよ?別におまえが邪魔だとかで言ってるんじゃないぜ。」
「じゃあ、どういう事だよ?」
「あのな、お前がトルロに帰ればリアクションだって復活するだろ?
リアクションなら、それなりに実績だってあるし、ファンも付いている。
何もロンドンで無理して、一からやり始める事はないだろ?」
リアクションとはロジャーが故郷で所属していたバンドの事だ。確かにそう、トルロでだったら自分はそのバンドのおかげでちょっとした有名人だ。
しかし、ここロンドンでは全くの無名で今現在プレイ出来るバンドすらない。
「そんなの判ってるよっ!判ってるけど、俺は…」少し間を置いて、ロジャーは言った。「俺は本気で、ミュージシャンになりたいんだ!ただのローカルバンドで満足したくない!終わりたくない!だから俺はロンドンで…っ」そこまで言うと、言葉に詰まった。
ミュージシャンになりたいと言う夢はかなり小さいころからのあった。それがどんなきっかけだったかはもう覚えていないが、そうなる事が自分にとって当たり前で自然な事だとずっと信じてきた。子供の頃はそれで良かった。
だが実際にロンドンに出てきて目の当たりにした現実。それなりに音楽の才能があるヤツなんて掃いて捨てる程いた。
今まで自分の才能とかそんなものを自信にして、突き進んで来たわけではなかった。ロジャー自身、自分に天性の音楽の才能が有るなんて思っていなかった。
だから人一倍練習もした。音楽に関してすべての努力は決して惜しまずにしてきた。
ロジャーにある自信はただ一つ、それは誰にも負けない音楽への情熱だった。
だから「掃いて捨てる程いるヤツら」の仲間入りだけはしたくない。
レスの言葉に不意に涙がこぼれそうになったが、必死で押さえた。なんでこんな時に泣くんだよ?子供か、俺!
レスに気付かれまいと、咄嗟に背中を向けた。
「ロ…ロジャー?」心配そうにレスが声を掛けてきた。
「なんだよ?まだ何かあるのかよ?」背を向けたまま、ロジャーは答えた。
「すまん、余計な事だったよな。たださ、なんかお前が心配でさ…。」それはロジャーも判っていた。レスが自分を心配して言ってくれた事くらいは。
泣けてきたのは多分レスだけでなく、自分の周りのいろいろな人にこうした心配を掛けているのだろうと痛感させられたからだ。
そう、特に母にはかなりの心配をさせている。
両親には歯科医師になるとメディカル・スクールに進むからと納得させロンドンに出て来た。
母が自分の将来の為にと奨めてくれたメディカル・スクール。それを勝手に辞めてしまった事は、ロジャーも申し訳ない気持ちで一杯であった。
そう思ったら、涙が落ちた。
「や、だから何も…」
「別に怒ってねーよ。」
「え、そう?いや、俺泣かしちまったのかと思った。」
げっ、バレてる。
「なっ泣くわけ無いだろっ!」と依然背を向けたまま怒鳴った。
「だったら、拗ねてないでこっち向けよ。」
「す…拗ねてなんかねーよっ!」尚も背を向けたままのロジャー。涙目の今、とてもじゃないがレスの方なんて向けるわけがない。
「なぁ、ロジャー…俺はお前とこんなゲイのカップルみたいな会話を延々としたくないんだが?」
「ああっ?誰がゲイだ!?誰が女みたいな顔だって!?」勢いでロジャーが振り返った。
「おい、女みたいなは言ってないぞ、ロジャー…。ん?なんだ、ホントに泣いてたのかよ。」
「えっ泣いてないし!これは…」慌てて反論をしようとしたロジャーを遮って、レスがカードを差し出した。
「ほれ、これ見ろよ。」差し出されたカードにはこう書いてあった。
『求む。ミッチ・ミッチェル、ジンジャー・ベイカータイプのドラマー。当方、新バンド。』
「これ、どこで?」熱心にカードを見入りながらロジャーが訊ねた。
「インペリアル・カレッジの掲示板。あっ、この連絡先のブライアン・メイってかなりギターが巧いらしいぜ。んでちょっとした有名人。」
「ふ~ん…。」まだカードを見入るロジャー。そのカードにすっかり魅入られたかのように見つめている。
「で、どうする?」少し大きめの声でレスが聞いた。
「え?何が?」現実に引き戻されたロジャーがキョトンとした調子で言った。
「何って、オーディションだよ。受ける気があるなら、このブライアンってのに連絡しておくぜ?」
「ああ…うん、そうか。うーん、そうだな…。」少し考えてから、ロジャーはこう言った。「オーディションの前にさ、どっかで話せないかな?」
「話すって何を?」
「何って音楽の事に決まってるだろ。バンドの方向性とかさ。それ以外に何があるんだよ?野郎の星座でも聞けってか?」
ロジャーは大真面目に答えたが、何故かレスには可笑しかったらしくゲラゲラと笑いだした。
「OK、デートのセッティングは任せておけよ。ロマンチックな店を探しておくからな。」
「あっ?何だよ、デートって?ブライアンって男なんだろ?気味悪こと言うなよ!」笑われている訳が全く解らないと困惑をしているロジャーを余所に、尚も笑い続けるレス。
「ああ、この間見かけた時は確か男だったよ!あはは…っ腹痛てぇ!」レスはそう言いながら、さっさと自分の部屋に戻ってしまった。
笑われている訳がまるで解らず、ぽかんとしているロジャーをリビングに残して。
「なんだ、あいつ…勉強のし過ぎじゃね?」頭の上に巨大な『?』マークを貼り付けながらロジャーも自分の部屋に戻った。
一方、部屋に戻ったレスはまだクスクスと笑っていた。
「あはは、ホントあいつって面白れーな。あんな顔してるけど中身はまんま男だけどな。
うん、やつなら男とデートしてても不思議はないな。なんてロジャーに言ったら、完璧殺されるけど。
さぁて明日はロジャーのデートのセッティングすっかなー。」そう言ってレスは一日の汗を流しにシャワーを浴びる事にした。
部屋に戻ったロジャーは、ベットに俯せて、例のカードを見つめていた。
「ミッチ・ミッチェルもいいけど、どちらかと言えば、キース・ムーンが好みなんだけどな、俺。」
しばらくそのカードを見つめてから仰向けになるとそれを枕元に置いた。
「ん~ともかくいい加減プレイできるバンド、探さなきゃな…。」そう言うと、ドラムスティックを取り出し握りしめた。
数日後、ロジャーはインペリアル・カレッジ内にあるバーに向かっていた。例のカードの主、ブライアン・メイなる人物に逢うために。
バーに向かう道すがら、レスとのこんな会話を思い出した。
「なんだよ、レス。カレッジのバーのどこがロマンチックなんだよ?」すると又もレスは、ゲラゲラと笑いだして「なんだよ?ホントにデートしたかったのか?」と苦し気に言った。
この時になるとレスの大笑いをしている原因が、ロジャーにも判ってきた。
「てめえ…向こうに俺の事どんな風に言ってあるんだ?」レスの胸ぐらを掴み、凄みを効かせた。
「あはは…何って普通だよ。ドラムを叩ける友達がいるって普通にね。地元じゃ結構な有名人だって言っただけだよ。」さすがにこれ以上ロジャーをからかうと、本気で怒りだしそうだったのでレスは真面目に答えた。
「本当か?余計な事言ってないな?」ロジャーは疑わしげにじっとレスを見据え。
「あ~言ってない。まじ言ってないって。もぉさ、そんなデカイ目で睨むなって。」
「っるせー!好きでデカイわけじゃねえ。」そう言いながら、ロジャーはレスから離れた。
「ところでロジャー君、きみにとっての余計な事って、一体何なんだ?」
ロジャーはレスに素早く飛び掛かった。勿論、本気なんかではなくじゃれ逢う程度に羽交い締めにして、くすぐりまくったのだ。
「ぎゃー!止めろぉ、ロジャー!!ホントにゲイカップルと間違えられるぅぅ!」ロジャーの攻撃にレスはヒイヒイ言いながら、ねを上げた。
ロジャーはレスから離れると、彼の尻を蹴り上げ満足気に笑いながら部屋を出た。
「まったく一言も二言も余計なんだよ、あいつは。」そう呟きながら目的地に急ぎ、そうこうする内に、カレッジのバーについた。
「さて、ブライアンはっと…」ロジャーはキョロキョロと店内を見回した。奥のブースに居るとレスは言っていた。それとブライアンはかなり背が高いとも。
するとある事に気づいた。「座ってちゃ判んねーよ…」
たく抜けてるな、レスのヤツ。もっとも今気付いた自分の事は置いておこう。
しかし困った。カレッジにはそんなに知り合いも居ないし…と再び店内を見回してみたが、誰もがそれらしい人物に見えてきた。
仕方なく店の人間に聞こうと思った矢先、誰かが思い切りぶつかって来た。
「ああ、失礼。すまないね、君。」その人物はかなり長身の男だった。
「でけ…もしや?」と思ったが、その声があまりにも優しげだったので、とてもその長身の彼がロックバンドをやるようには思えなかった。
そんな事を考えていたら、長身の男が小声でこう言ってきた。「ここはお酒が出る場所なんだ。高校生は来ちゃダメだよ。」
途端にロジャーの顔が引きつり「そりゃご親切にどうも。でもな、俺は19なんだよ。おっさん!」と怒鳴っていた。
実はロジャーにこの手はセリフが禁句であった。彼は自分の童顔・女顔がある意味コンプレックスなのだ。
傍から見れば十分すぎる程整ったその顔立ちがコンプレックスとは、なんとも贅沢な話だが、今のところ本人にとってはあまりプラスになるとは思えないでいる。
そんな事情を知るはずもない相手が言い返して来た。「そうかい?それは失礼したな!だがな俺もまだ21だ!おっさんはないだろ!?」
「知るか!俺は近眼なんだよっ!」ロジャーは負けずに言い返した。
「君ね、君!憶測でだなっ…」
全くの見ず知らずの二人が顔を合わせて10秒でいきなりの険悪ムード。
とその時「おい、店の入り口でなに騒いでんだよ?ブライアン。」喧々囂々となりかけた二人の間に、別の声が割って入ってきた。
へ?ブライアン?こいつが?ロジャーは長身の男を見上げた。(え~マジですか?え~この状況ヤバくないすか?)
困惑のままブライアンを見つめる事5秒。しかし、気を取り直しこう言った。
「ハロー、ブライアン?僕、ロジャー・テイラー。丁度君を探してたんだ。」と。そしてその言葉に、とびきりのスマイルも添えた。
なんなんだ、こいつ?とブライアンは思った。
今まで、まるで虎が何かのように金髪を逆立てて怒ってくせに、今は人畜無害の子猫みたな微笑みを浮かべている。
しかもだ、どう見たってこいつはリードボーカルを取りたがるタイプだ。
俺たちが探してるのは、ロック・ドラマーであって、アイドルのポップス歌手じゃないんだぞ!
相棒のティムがさっさとロジャーを連れてボックスシートに納まっても、ブライアンは立ったまま憮然としていた。
「おい、ブライアン。いつまでそこに居るんだよ?お前はカカシか?」お調子者のティムが言った。
「カカシっ言うなっ!」ブライアンはしぶしぶティムの隣に座った。
正面で金髪の小僧が、クスクスと笑っている。それが苛々するので笑うなっと言おうとしたら、ウェイターがオーダーを取りに来た。
ティムはジンを頼み、ブライアンは余り酒を飲まない質だったが、ロジャーの手前ビールを頼んだ。
ロジャーはと言うとメニューも見ずに「ウォッカトニック」を注文した。
ティムがワォと小さく称賛の声を上げたが、ブライアンは「無理すんなって。」と面白くなさげに言った。
そんなブライアンを見て「子供みたいなヤツ」とロジャーは思った。
「おいおい。いい加減にしろよ、ブライアン。聞けばお前が最初にロジャーに失礼な事を言ったんだろ?」ティムが子供を諭すにブライアンに言った。
「いえ、僕も悪いんですよ。せっかく親切で彼が言ってくれたのに食って掛かって。それにどう見ても年上の人に、逆らっちゃいけませんよね?」ニコニコしながらロジャー言った。
「ロジャー、君の方がよっぽど大人だね。」とティムが笑った。気付けばロジャーはすっかりティムを味方に付けていた。
愁傷な事を言ってるが、しっかり嫌味も入ってやがる。
どう見たって年上だと?お前が童顔なんだよ!2才しか違わないだろが!と苛々するブライアン。
当然、面白くない顔をロジャーに向けていたが、そんなブライアンを他所にロジャーとティムは楽しそうにお喋りを続けていた。
「へぇー、君もジミヘン・フリーク?」とティム。
「もち!彼は俺のヒーローだよ!」と大きな目をクリクリさせて語るロジャー。
気付けば完全に蚊帳の外になったブライアンが突然立ち上がった。
「ブライアン?」ティムが不安そうに聞いた。
「ションベン!」そう言ってブライアンは席を立った。
ったく、大して飲んでもいないのに…気分が落ち着かない。別にあいつ…ロジャーが全く気に食わないって訳じゃない。
なんと言うのか…このところ遊び半分でオーディションを受けに来るヤツが絶えない。
どんな理由でバンドやりたいなんて人それぞれだ。目立ちたいとか、女にモテたいとか。
あのロジャーなんて、まさにその典型に思える。
自分は、真剣に音楽をやりたい。その為なら今まで自分が手にしたキャリアを、捨てたって構わないと思ってる。
そこまで真剣にバンドに打ち込める、そんな仲間を探しているのにオーディションを受ける奴らとの温度差が余りにも有りすぎた。
そんな苛々が晴れないまま席に戻ると、ティムとロジャーは依然楽しそうに会話をしていた。どうやらティムはロジャーがかなり気に入ったようだ。
ますます面白くないとブライアンは思った。
「ブライアン、すごいぜ!ロジャーは前のバンドで、T・レックスやディープ・パープルのサポートしたんだってさ!」興奮気味にティムが言った。
さぞ得意になっているだろうとロジャーを見ると、意外な表情を見せていた。
彼はまるで褒められた子供の様に、無邪気な笑顔を見せていたのだ。
それが更にブライアンの勘に触った。
「へぇ、そうかい?だったらその見込みのあるバンドでやったらどうだ?こんな無名の俺らとやらなくてもいいじゃないか?」初めて正面からロジャーを見てブライアンは言った。
そのロジャーの表情を見て、ブライアンはハッとした。
ブライアンの言葉にロジャーの表情がみるみると変わったのだ。
「それじゃ、ダメなんだ…」消え入りそうな声でそれだけ言うと、ロジャーは黙り込んでしまった。ロジャーなら嫌味の一つでも言ってやり返して来るだろうと思ったブライアンは戸惑った。
そしてよせばいいのにと判っているのに、更に余計な事を言ってしまった。「ほう、ダメって何が?そうか、もしかしてそのバンドがダメになったのはお前が原因か?」
「違うよっ!」殆んど泣きそうになりながら、ロジャーが反論した。
「じゃあ、何で…」
「いい加減にしないか!ブライアン!」ティムが怒鳴って、その場を制した。
彼らのテーブルが暫く沈黙に包まれた。この沈黙はブライアンにとって、非常に跋の悪いものだったが、それを破ったのは、ロジャーだった。
「えっと…」
「うん、何だ?ロジャー。」気遣うようにティムが聞いた。
「トイレ。」こんな時にすまないと言った風に、ちょっとおどけ気味にロジャーは言った。
「ふ~っ」トイレでロジャーは盛大なため息をついた。全くあのブライアンってやつは、ジョークが通じないらしい。
まぁそれ以前に何か苛ついているようだ。どうもその元々の原因は自分ではないらしいが、増幅させたのは自分なのだろうと感じた。
どの道あんなに嫌われちゃ、このバンドでは無理だな。しかし…また田舎に帰れか。本当にそうした方がいいのかな…一瞬、そんな弱気な思いが過った。
「って違うだろ…そうじゃない。」その思いを振り払うかのように、ロジャーは激しく頭を振った。
「おい、なんだってロジャーが気に食わないんだ?明るくていいヤツじゃないか。それにルックスだって良い。バンドにもってこいだ。」ティムがブライアンに訊ねた。
「別に気に食わないって言うんじゃ…。あ、いや待てよ、俺らはアイドルやリードボーカルを探してるんじゃないよな?ロック・ドラマーを探してるんだろ?」
「おい、お前何聞いてんだよ。やつはドラマーだぜ。」
「へ?さっき前で歌ってたとか話してなかったか?」
「ドラム叩きながら歌ってたんだよ。前のボーカルが急に抜けてからずっとな。たいしたもんだよな。」
そうティムが言い終わった頃、ロジャーが戻ってきた。「じゃあ俺、そろそろ帰るよ。今日はありがとう、会えて良かった。」そう言ってティムに握手を求めた。
ティムはすまなそうに「そうか、今日はいろいろと…」と言い掛け時「平気、平気。」とロジャーが明るくて言ってティムの手を握り返した
一呼吸おいて、ロジャーはブライアンに向き直した。
「今日は時間を作ってくれてありがとう。良いドラマーが見つかるといいね。」とやはり握手を求めた。
ブライアンは言葉が見つからなかった。ロジャーの外見だけを見て、勝手な思い込みで彼に嫌な思いをさせた。
何か言わなければと、なかなか握手ををせずにいたら「そんなに俺の事、嫌い?」とロジャーが言った。
我に返って見たロジャーは、まるで捨てられた仔犬みたいに、悲しげだった。
「いや、そうじゃなくて…」とロジャーの手を握って驚いた。手のひらが、ゴツゴツしていたのだ。
ブライアンは思わず握っていたロジャーの手の平を返してまじまじと見た。
「な…何?なんかの占い?」戸惑いながらもロジャーはおどけてみせた。だがその言葉も無視してブライアンはロジャーの手の平を見つめた。
彼の手はマメだらけだった。丁度、スティックの当たる部分が。
「ね、ブライアン。もういいかな?あのさ、何か…みんな見てる。」
「あっ…ああ、すまん。」慌ててブライアンは手を放した。
それからロジャーは、じゃあと言って店を出た。
「全く、何なんだよ?今日のお前は?」ティムがブライアンに非難の声をあげた。
それを無視してブライアンは考え込んでいた。あれはドラマーの手だ。そしてあの手からロジャーの音楽に対する意欲が判ったような気がした。
今、自分が取るべき行動は?もちろん、これだろう。
そう思うと同時に、店を飛び出していた。
やつは、ロジャーはまだその辺にいるだろうか?辺りを見回すと、居た。
彼は店を少し出た花壇の縁に腰掛け、タバコを吹かしていた。
そっと近付くと彼は何やら歌っていた。何を歌っているのかは分からないが意外に上手い。
意を決して、ロジャーに声を掛けた。「歌、上手いな。」
不意に声を掛けられロジャーは驚いていたが、我に返ると決まりの悪そうな表情をして顔を背けてしまった。
「何?」ティムがいた時と違って横柄な態度だった。と言うより拗ねている子供のようだ。
「ひとつ、聞いていいか?」とブライアン。
「何?」相変わらず顔を背けたままロジャーは聞いた。
「住所、教えろ。」
「何それ。俺を口説いてんの?」思いもよらない申し出にロジャーはブライアンを見ていた。
「アホか。」とブライアンはペンを差し出した。
ロジャーはペンを受け取りクスクスと笑いながら、持っていた紙マッチの片隅に住所を書いた。
「はい、これ。でもさ、住所ならレスに聞けば判っただろ?っつか、手ぶらなのに、なんでペンは持ってんだよ?」とマッチを渡しながら、ロジャーはまだクスクスと笑っていた。
「うるさいっ、他にも聞きたいことがあったんだよ!」
「なんだよ、それ?ひとつじゃねーじゃん!あはは!で、何?他に聞きたいことって?」
「あー…あのな、その声、風邪かなんかか?」
「あーはっは!そんな事聞くために、わざわざ走って来たの?あははぁー!」
「笑うなっ!どうなんだよ!?ちゃんと教えろ!」
「え?あは、まじで聞いてたんだ。これは地声だよ、地声。変声期過ぎたら、こんな声になってたの。渋くていいだろ?」とロジャーは自慢げに答えた。
その顔からその声は想像がつかないけどな、と思ったがブライアンはそれは言わないでおいた。
「で、他には?」すっかり機嫌の直ったロジャーがにこにこ顔で聞いてきた。
「さっき歌っていたあれ、何だ?」
「ああ、あれ?あれは聖歌隊にいた頃の歌なんだけど…なんて題名だったかは忘れたな。」
「聖歌隊?誰が?」
「俺よ、俺。決まってるだろ。」ロジャーは懐かしそうに目を細めタバコをふかした。
「聖歌隊?お前がぁぁぁ!?」
「なんだよ、驚きすぎだぞ。で、まだあるの?聞きたい事。」
「あ、そうね…」ブライアンはそれを聞くか戸惑ったが、やはり聞くことにした。
「さっきさ、俺が来た時…お前、歌いながら泣いてた?」
途端にロジャーの顔が暗がりでも判る程、真っ赤になった。
「なっ泣くかよっ!もう帰るっ!」そう言ってロジャーは立ち上がりスタスタと歩きだした。
「おい!中で飲み直さないか?」
「もう帰るんだっ!」
「あ~判った、手紙書くよ。」
ロジャーが振り返った。「手紙?何で?」
「今日話せなかったからだよ。」
「もしかして…俺への愛の告白?」ロジャーはニヤニヤと笑っていた。
「アホか。音楽の話だ。」ブライアンは呆れ顔で答えた。
「あは。そうか。」とやけに嬉しそうな顔をすると、タクシーで帰るからとまた歩きだした。
ブライアンが店に戻ろうとすると、後ろからロジャーが怒鳴った。「熱烈なラブレター待ってるぜーっ!」
「なっ?」ブライアンが振り返ると、ロジャーはもう元気良く走りだしていた。
ブラウアンが店に戻るとティムがニヤニヤしながら待っていて、ロジャーが座って居た向いの席に腰を下ろすとこう言った。「ずるいよなー、ブライアンばっかり。」
「なんの話だよ?」
「何って、かわいこちゃんと上手く行っちゃってさー。」
「かわいこちゃん?誰の事だ?」
「ロ・ジャ・ァー」
「アホか…お前は。あれはどう見たって男だろ?あの声聞いたか?地声だってよ。」
「え?セクシーで良いと思うぞ、俺は。あの顔とのギャップがまたいいじゃないの。」
「あ~もうお前と話してると頭がおかしくなりそうだ…。」そう言いながらブライアンはロジャーへの手紙の事を考えていた。
その日、ロジャーは熱を出して寝込んでいた。「ロジャー具合はどうだ?」心配そうにレスがロジャーを覗き込んだ。
「ん…判んね…。」ロジャーはモゾモゾとベットの中でけだるそうに動いた。
「お前さ、こんな時看病してくれる彼女とか居ないの?ほら、夏前に付き合ってた、シェリーはどうした?」
「別れた…っつーか、振られた…。」
「あら?何故また?」
「夏の間、田舎に帰ってバンドやってたろ…放っておいたもんだから男作ってた…。」
「あらら、そりゃまた悲惨ですな、ロジャー君。」
「レス…」
「あん?」
「世話焼く気がねーなら出てけ…。」
「ほいほい。あっ手紙置いておくぞ。後欲しいものがあったら、呼んでくれ。」
「お~…あんがとな、レス…。」
手紙?たぶん母親からだろう。だが今は…読む気力がない。具合が良くなったら読んで返事を書けばいい。そしてロジャーはそのまま眠り込んでしまった。
翌日になっても、ロジャーの具合は良くならなかった。目を覚ますとレスがリビングのテーブルに、キュウリのサンドイッチとメモを置いていってくれた。
『ともかく食え。』メモにはそう書かれていた。
ロジャーはレスのサンドイッチを抱えてカウチに腰掛けた。「ははっあいつってば、なんかおフクロみたいだなよな。」
「好きでおフクロしてるわけじゃないぞ。」
「あれ?居たの。お前学校は?」
「ん?午後の講義が休講になってさ。まぁ、たまには家でゆっくりするかと思ってな。」多分、ロジャーが心配で戻ってきたのだろ。
いや、休講の話は本当なのかもしれないが、それでもロジャーが心配で帰って来たのは間違いないだろう。
「俺さ、最近なんでだか男にモテるんだよね。」ロジャーはニコニコしながら、レスのサンドイッチを食べ始めた。
「へえ?そうなんだ。」納得した顔でレスが紅茶を持ってきてくれた。
「ありがとな、レス。本当おフクロみたい。あっおフクロと言えば、手紙が来てたな。」
「ああ、そう手紙!ブライアンがさ、お前は手紙を読んだかって聞いてきたぞ。」
「ブライアン?手紙?」
「ああ、昨日ベッドの脇のテーブルに置いただろ?ブライアンにはお前は寝込んでるから、まだじゃないかって言っておいたよ。」
ロジャーは慌てて自分の部屋に手紙を探しにいった。テーブル置かれていた手紙は、母からではなくブライアンからのものだった。
手紙を開けると、そこにはブライアンの音楽に対する考えが、事細かに情熱をもってぎっしりと書かれていた。意外だったのはその文字がせっかちに書かれていた事だ。
いや、レスに手紙を読んだかなんて訊ねるくらいだ、本当にせっかちなのだろう。
その手紙を、ゆっくり丁寧に何度も読み返した。
ロジャーの中で、何かわくわくするものが沸き上がった。
「ロジャー?」振り向くとレスが、部屋の戸口に立っていた。
「何か食べて早く寝ろよ。また熱が上がるぞ。」
「ああ、そうだな。」ロジャーが素直にうなずいた。
「あのさ、レス。頼みがあるんだけど。」
「なんだよ?改まって。」
「このフラットにブライアンとティムを呼んで、簡単なセッションをしたいんだ。いいかな?」
「ああ、別に俺はいいよ。で、いつ頃呼ぶんだ?」
「明日か…無理なら明後日かな?丁度週末だし。」
「何言ってんだよ?お前、まだ熱も下がってないのにセッションなら来週だっていいじゃないか?」レスは呆れた様子で反対した。
「でも、もたもたしてたらその間に別のドラマーが見つかるかもしれないじゃん!」熱で赤くなっていロジャーの頬が、いっそう赤みを帯びた。それに見るからに立っているのも辛そうだった。
そんなロジャーの必死な様子にレスが折れた。「判った、ブライアンに連絡をしておくよ。だからもう、お前は寝ろ。」
このレスの忠告には、ロジャーも大人しく従った。
日曜の午後、ロジャーはいそいそと簡単なドラムセットを用意していた。熱は思った程下がらなかったが、そんな事は気にならなかった。
夏以来のセッションに心は飛んでいて、熱が有ろうがまるで構わなかった。
程なくしてアコースティックギターを抱えたブライアンとティムがフラットに到着した。
ロジャーはドラムをセットしながら、殆んどのドラムセットはまだ実家に置いてあって、今回はこのセットでセッションをする事を詫びた。
「それはいいんだが、お前具合が悪いんじゃなかったのか?」ブライアンが心配そうに聞いた。
「あ?うん、もう平気だよ。ちょっと熱があっただけだから。」ロジャーは笑ってみせた。
そして3人は直ぐ様セッションに興じた。
簡単なパーカッションのセットではあるが、久しぶりのセッションをロジャーは大いに楽しんだ。そしてブライアンとティムはロジャーの実力に驚かされた。
そして今度はインペリアル・カレッジ内のジャズクラブで本格的なセッションをする約束をし、今回は2時間程でお開きにする事にした。
「えー、もう少しやらないか?」ロジャーは駄々をこねたが、ブライアンはキッパリと言った。「いや、駄目だ。次までちゃんて治しておけ。まだ熱がまだあるんだろ?だから今日はここまでだ。」
この時のブライアンには、何故か逆らえず、ロジャーは大人しく従うしかなかった。
次は本格的セッションが出来る。それなら焦って今無理をする必要も無い。
それに正直言ってかなり辛く成ってきた。
「判った…。ふぅ…」ロジャーはカウチに崩れるように座り込んだ。
やれやれといった表情のレスが近寄って来た。「あ~ほらまた熱が上がったんじゃないか?」
その後はブライアンとティムへの挨拶もそこそこに、レスにベッドに押し込まれた。
ベッドに横たわったロジャーは思った以上に熱が上がって苦しかったが、気持ちは軽くなっている事に気づいた。
何しろ自分のバンドが見つかりそうだなのだ。しかもブライアンはアコースティックギターでもあれだけの聞かせるテクニックがある。
もっとブライアンのギターが聞きたい。熱で体全部が沸騰しそうだったが、さっきの彼の演奏を思い出すだけで、すぐにでも治りそうな気がした。
そんな時レスが額に冷たいタオルを当ててくれたので、とても気持ち良くなり、彼に礼を言うと、そのままスヤスヤと寝入ってしまった。
「レス、今日は色々ありがとう。いや、今日に限らずだな。」ブライアンがにこやかに言った。
「お姫様は夢の中かい?」ティムがおどけて言った。
「お姫様って…そんな事ロジャーに言ったら、蹴りが飛んできますよ。」
「え?そうなの?」
「駄目、駄目。カッコいいとかなら良いんだけど、可愛いとか子供っぽいとか言われるとキレますから。キレたら怖いんだ、また。」
ブライアンとティムはだからあの時と顔を見合わせて笑った。
「で、ヤツはどうなんですか?その…。」
「もちろん、うちのバンドに来てもらうよ。なっブライアン?」ティムが直ぐ様答えた。ブライアンも勿論と頷いた。
「ただ、この事は俺たちから直接伝えたいんだ。だから暫くは知らないふりをしていてくれるかな?」ブライアンのこの提案にレスも同意してくれた。
そして二人はロジャーのフラットを後にした。
帰る道すがら、ティムが言った。
「火花が散ったのかと思ったよ。ロジャーのドラムには完全に圧倒されたな。」
「ああ、俺はドラムをセットしていただけで思ったよ。まさにぴったりのヤツだってね。」
2人もロジャーと同じだった。早く3人で本格的なセッションをしたいと。それよりも先に、お前はもう俺らの仲間になったんだと、伝えたかった。
「で、いつ言う?」ティムがややおどけて言った。
2人は顔を見合せニヤリと笑った。そして同時にロジャーのフラットに引き返した。
その頃ロジャーは、2人より先に夢の中でセッションを楽しんでしていた。
もちろんブライアン、ティムと自分の3人で。
それからブラウアン、ティム、ロジャーの3人が『スマイル』として現実にバンドをスタートさせるまで、それ程時間は掛からなかった。
The End
《後書きと言う名のいいわけ》
スマイル結成までのお話は本当どの書籍にも簡単にしか、書かれてません。
そんなに元ネタも無いし、続くはずがないと、踏んでましたが、まあまあな長さになりました。。
参考にした『果てしなき伝説』(しかし凄い邦題…)は何度か読んでるんだけどね…今回、参考にするに当たって前とは違う読み方が出来ました。
なんか行間を読むって意味が、判ったような気がします。
読みすぎ?妄想し過ぎ?な感はありますが…。
さてここからは、本文中に引用した事実と想像の整理を、して行きたいと思います。
◎ロジャー
ロジャー・テイラー
言わずと知れたクイーンのドラマー+魅惑のハスキーヴォイスの持ち主。
本文中、結構メソメソするシーンがありますが、ロジャーがそんな泣き虫だった事実はございません。
特にロジャーは絶対男の前では泣かないだろう。
泣くんだったら、彼女とか嫁の前でしょうね~。
天性のプレーボーイだから。
元聖歌隊(子供時代)の話はホント。しかも奨学生のエリート。
◎ブライアン
ブライアン・メイ
クイーンの名ギタリスト。クイーンと言えばこのブライアンとそのギターとフレディ。
本文中の登場当初は、かなりのわからず屋キャラにしてごめんなさい。初対面の時にロジャーと喧嘩した事実も無いです。
実際はとっても優しくて、親切な人だとか。ただ音楽に対してのこだわりはもの凄くあって、わりと粘着質な発言もしちゃうトコ、あるんですよね…。
◎レス
レス・ブラウン
ロジャーがロンドンに出てきた時の最初の同居人。
どの書籍にも、ブライアンの例のメンバー募集カードを渡した人物としてしか登場しません。
なのでロジャーをあんなに世話してたとか、あの辺りは全く私の想像。
◎ティム
ティム・スタッフェル
スマイルのメンバー。
この人の記述もあまりありませんが、果てしなき伝説にお調子者とあったので、なるべくその方向に書きました。
ブライアンより先にロジャーを気に入ったかどうかは判りません。あの辺もフィクションです。
◎リアクション
本当にロジャーが在籍したバンド。ここで、ドラマー兼リードボーカルをしてた事やディープ・パープル等の前座をした事、ロジャーがロンドンに行ってしまったので、解散したのは全て事実。ハリー・ポッター的ファンタジーの街、イギリス・コンウォールで活動してました。
◎メンバー募集カード
あれを知らなきゃクイーンファンじゃない!という…。しかし、今だにミッチ・ミッチェルって誰だっけ?な私…。
◎初対面はインペリアル・カレッジのバー
これは本当。でもロジャーとブライアンが喧嘩した事実はありません。
極めてお互い好印象だったらしいです。
しかしロジャーって当時19才。バーなんかに出入りしていいの!?ってか、イギリスの飲酒可能な年齢って何才なの!?
◎ブライアンからロジャーへの手紙
これも本当。ただし喧嘩して話せなかったからではなく、多分バーでの対面の時に、語りきれなかったからでしょうね。ブライアンらしい…。
◎初セッションはロジャーのフラット
これも本当。但しロジャーは風邪引いてません。多分元気一杯でセッションしたんじゃないかな?この時点でスマイルの加入は決定してました。
◎本格セッションはカレッジのジャズクラブ
これも本当。この下りを何故書かなかったかと言うと…音楽的知識が私に無いから。
フラットのセッションで、ロジャーを風邪っぴきにしたのも、その辺が判からんから、サクと流すためなのよ。あははー。
◎ロジャーをお姫様扱い
無い無い。あり得ない。
当時彼は既に19才。確かに欧米人男性としては童顔だったけども。大体あの声ですから。
それにメジャーになる前なんて、髪ボサボサでホントお金ありませーん的な。まぁボサボサだろうが美形ではあるけど。
何より近眼なせいか、藪睨みな写真も多い。近眼って結構目付き悪いとか言われちゃうんだよね。ってなんの話だっけ?
◎キュウリのサンドイッチ
フレディの本にこれでおもてなしをするってあったので。イギリスではメジャーな食べ物なのか?ってか億万長者なんだから、キャビアのサンドイッチでも食べさせてよ。フレ様。
◎GFのシェリー
誰それ?まったくの架空人物。話の進行上出してみました。
※上記あとがきも2007年当時のほぼまんま。本編同様今にして思えばかゆーくなる表現もそのまんま載せました!
いや、若干力入り過ぎなとこは修正してみました。
(2013/9/7)
☆ホントにおわり☆