8話 夜の会
フライパンの上に、今朝収穫したばかりの卵を落とす。
じゅわりっと音を立てて、黄身がフライパンに広がった。香ばしい香が鼻孔をくすぐる。それと同時に、腹の虫がグゥッと鳴き始めた。昼に屋台で売っていた焼き鳥を食べたっきり何も食べていない。
外はすっかり暗くなっているから、お腹が空いているのも当たり前だ。
「まだ出来ないのかい?」
向こうの部屋から老婆の催促する声が、聞こえてくる。
まったく、催促するくらいなら手伝えっての!……という言葉が喉元まで出てくるが、グッと耐える。
私は居候させてもらっている身なのだ。老婆の機嫌を損ねるような文句を言える訳がない。
「はいはい、もうすぐ出来ますよ」
そう言いながら、半熟スクランブルエッグを薄く切った黒パンの上に載せていく。
用意された黒パンの数は3つ。家にいるのは、私とキーナと婆さんだけだからだ。
クレインは、とっくに『夜の会』へ行ってしまっている。
「キーナ、そろそろご飯だから来なさい」
フライパンを片手に叫ぶ。
すると、いつも通り少し遅れて甲高い返事が―――――――
「来ない」
何時まで経っても、返事が返ってこない。
聞こえなかったのだろうか?いや、そんなはずはない。もう一度、少し大きめの声で名前を呼ぶ。
だが依然として、キーナが応える様子はなかった。簡単な炒め物とパンを全て皿にのせ、コップに水を注ぎ終わっても、未だ反応を返さない。
……まさか、倒れているんじゃないだろうな。
「婆さん、ちょっとキーナの部屋まで行ってきます」
「早く呼んできな、ワシは待たされるのが嫌いだよ」
すでに椅子に腰を下ろしている老婆は、全く動かない。
私は決して遠く離れていないキーナの部屋に、足を運んだ。
「キーナ、夕飯の時間だけど大丈夫?何かあった?」
ノックをするが、扉の向こうから返事が返ってこない。
私は意を決して、部屋の中に入る。
太陽も沈んでいるというのに、燭台に明かりが燈った形跡もない真っ暗な部屋。
全く乱れていないベッド。そして、使い古された机の上には、何かが記された用紙の切れ端。私は燭台に灯りをともしながら、用紙に書かれた文字を読み、そして――
「あの馬鹿…!」
と呟いた。
くしゃり、と用紙を握りつぶす。
≪夜の会に行ってきます!後を追わないでください≫
そう記されていた用紙。
まったく、昼間からどこか静かだと思ったら、こんなことを企んでいたなんて。
そもそも、キーナはまだ13歳。この世界には13歳で大人として認められる地域もあるみたいだが、この辺りは14歳から大人の一員だ。よって、キーナはまだまだ子供。
そんな会に参加するなんて、義姉として認めるわけにはいかない。
「婆さん、ちょっとキーナを連れ戻してきます」
上着を羽織りながら、叫んだ。
すでに食卓についている老婆は、ムスッとした表情で私を睨むと
「ワシは先に食べる。早く連れて帰ってきな」
とだけいい、黙々と匙を動かし始めた。
まったく、孫娘を思う気持ちがあるのだか無いのだが……よく分からない老婆だ。
そんなことを頭の隅で感じながら、夜の闇の中へ歩みを進める。
「うぅ、寒い」
春先だからだろう。
少し肌寒いが、そんなことを気にしている暇なんてない。
私は、眼下に広がる街から聞こえる喧騒目掛けて走り出した。……私は、あの場所に招かれざる者だけど、キーナを連れ戻しに行くくらいならいいだろう。
見晴らしの良い丘の上に立ち、広場で踊る人々の中から見つけ出せばいい。それなら、あの場に入る時間も出来る限り減らすことが出来る。
「よっと!」
広場を見下ろすことが出来る丘の上に立ち、目を凝らした。
すっかり忘れかけていたが、転生時に貰ったチート能力のお蔭で視力も常人のそれを凌駕している。それがいいことなのか、悪い事なのか……この10年分からなかったけど、今はイイ事だ。
広場は、見たことがないくらい色めき立っていた。
『昼の会』の賑やかさとは異なる賑やかさ。昼の会は、子供っぽい賑やかさ……祭囃子が流れワイワイガヤガヤといった雰囲気だったのに対し、こちらはワイワイガヤガヤといった賑やかさがない。
流れの楽団が祝福するかのように笛を吹き、太鼓を叩き、歌を歌う。
その楽に合わせ、男女が円を描きながら踊り狂う。
そう、まるで湖に飛来した渡り鳥の求婚ダンスみたいだ。
「うわぁ……あの薬屋の馬鹿女、雑貨屋が好きだったのか。……あいつ、超尻軽遊び人だって知ってるのか?
……って、そんなの見ている場合じゃないな。早くキーナを探さないと」
「お前、こんな所で何やってんだ!!」
広場の方から、罵声が響いてきた。
てっきり、私に向けられたものかと思ったが違ったらしい。
盛り上がりを見せていた広場が、急速に静寂に包まれる。
「別にいいじゃない。私、来週には14歳よ」
「良くない!お前はまだ子供だろ」
広場の中心から少し外れたところで、クレインとキーナが睨み合っていた。
クレインにパートナーがいるようには見えないが、キーナは隣村の少年と手を握り合っている。隣村の少年は、困ったような怒ったような微妙な表情を浮かべていた。
「それに、お前……リアや婆さんが心配しているに決まってるだろ!」
「書置きを残してきたから、大丈夫よ。リアは分かってくれるわ」
「そうか?それでも駄目だ。リアがきっと連れ戻しに来るはずだし、お前はまだ子供――」
「子供!?いっつもいっつも弱虫なお兄ちゃんの方が子供じゃない!」
……広場に顔を出しにくい。
何故だろう。この場で私が顔を出したら、場が悪化するような気がしてならない。いや、悪化しないかもしれないし……
「…とにあえず、様子を見るか」
岩の影に座りこんだまま、眼下の広場を見下ろす。
クレインとキーナ兄妹による口論は、白熱を増していた。同じ年頃の人達は、少し遠巻き気味に視ている。
一方、周りの大人たちの反応は、様々だ。
クレインの肩を持つ大人もいれば、キーナの肩を持つ大人もいるし、酒の肴に傍観を決め込んでいる人達もいた。なんだか、2人の喧嘩が一種のイベントみたくなってしまっている様にも感じられた。
「いいから、もう帰るぞ」
強引にキーナの手を引こうとするクレイン。その手を、パシッという音を立ててキーナははじいた。
遠くからでも分かる。
キーナの充血した瞳からは、ぼろぼろと涙が零れ落ちていることが。
その涙に気が付いたクレインの表情が、いったん曇った。
「お前……泣くほど嫌なのか?」
「イヤだよ!嫌だ嫌だ嫌だ!!」
美しく編み上げられた髪を振り乱し、両手で隠すように顔を覆う。
「みんな…お兄ちゃんも祖母ちゃんも……みんなみんな子ども扱いして!もう、いいよ。みんな……みんな……」
「お、おい、キーナ?」
キーナの周囲に、バチバチっと火花が飛び散り始めた。
クレインも大人たちも突然の出来事に、慌ててキーナから少し離れる。私は思わず身を乗り出して、異変を睨みつけた。
「この現象って……まさか!」
身体中から血の気が引いていくような、薄気味悪い感覚が奔る。
怒りや悲しみなどの感情が一気に爆発することで、感情のコントロール及び魔力のコントロールが出来なくなることで起きる現象だ。最悪、魔力に身体が支配され、昏睡状態に陥ってしまう。
物語の中でも、ヒロイン魔術師が目覚めなくなってしまう回があった。
ヒロインを目覚めさせるための薬を求め、勇者はサバイバルコロシアムに参加するのだった――――
「あっ!」
私は思わず叫び声を上げる。
思い出した。
サバイバルコロシアム編。
それは、相手を殺さないと次に進むことが出来ない『死の大会』。
確か、3回戦目の対戦相手は、確か昏睡状態に陥った妹を助けるため、旅を続けるへっぽこ剣士。
そのへっぽこ剣士と妹の名前が――――――
「クレインとキーナ!」
キーナの魔力暴走を止めるため、一目散に走り出す。
あのまま暴走すると、キーナは昏睡状態に陥ってしまう。そうしたら、物語通りクレインは旅に出る。そして、あのサバイバルコロシアムに参加することになってしまうのだ。
すでに勇者がいない以上、4回戦までクレインは進めると思う。でも、決勝で戦う相手は『聖剣』じゃないと倒せない魔族だった。クレインでは、どう足掻いても死んでしまう!!
「キーナ、落ち着いて!」
身体中から眩いばかりの火花を発し続けているキーナに、叫ぶ。
キーナの虚ろな目が、私を映す。
「リアお姉ちゃんまで……私を止めるんだ!」
火花が加速度を増す。
最初は青色だった火花が、赤へと変わり激しさも増していた。
「違う!私は―――」
「嘘言わないで!私は……私は子供なんかじゃない!構わないで、誰も構わないで!!!!!」
赤い火花が、全てを拒絶するかのようにキーナから放射される。
手持ち花火の何倍も激しく音を立てて散る火花に、思わず伸ばしかけた手を引いてしまう。
その時には、もうすでに遅い。
キーナの身体は、真っ赤な火花に包み込まれて、見えなくなってしまった。