6話 3日目の朝に
今回だけ、試験的に3人称にしてみました。
たぶん、次回からは1人称に戻します。
「おい、婆さん!クレイン坊!キーナちゃんでも構わないから、開けてくれ!」
鍛冶屋の叫び声が聞こえた時、クレインは祖母や妹と一緒に夕食の席に着いたばかりだった。
温めたばかりのシチューを口に運びかけた祖母は、心底、不機嫌な表情を浮かべる。先程から祖母や妹のキーナの腹の虫は泣きっぱなしだ。せっかく食べられるというのに、お預けを食らったような気持ちなのだろう。……もっとも、祖母だけではなくクレインの虫も泣きっぱなしだったが。
「まったく、こんな時間に鍛冶屋の馬鹿息子が何の用じゃい。おい、クレイン。さっさと追いかえしな」
「祖母ちゃん、追い返すのは悪いだろ」
クレインは深いため息をつくと、木の匙を置いた。
祖母は村1番の『まじない師』だ。卓越した治療魔術の腕と、豊富な薬草の知識を持っている。なんでも、王都へ修行に行ったこともあったらしい。だから怪我をしたり病気になると、祖母を尋ねてくる村人が多い。きっと、鍛冶屋もどこか怪我を負って困っているのだろう。
大した怪我じゃないといいな……早く鍛冶屋に帰ってもらい、夕食を食べたい……そう思いながらクレインは、重たい玄関を開けた。
「鍛冶屋のおっちゃん、どうしたんだ?また、怪我でも……」
そこまで言いかけたクレインは、鍛冶屋が背負う塊を見て息をのんだ。
「おっちゃん……それって……」
「倒れてるのを、見つけたんだ」
鍛冶屋が背負っていた塊は、クレインと歳が変わらぬ少女だった。
この辺りでは珍しい黒い髪の少女で、キーナの人形みたいに白い顔をしている。所々穴の開いた服は泥まみれで、折れそうな手足からは血が、ポタリ…ポタリ…と流れ落ちていた。
「なんじゃい、この小汚いガキは」
「ば、祖母ちゃん!」
いつの間にか、祖母が隣に立っていた。
夕食のパンを噛みながら、少女の顔色を覗き込む。一見するとヤル気がなさそうな祖母の顔だったけれども、その瞳は珍しく、鋭い真剣な色が宿っていた。
「……おい、鍛冶屋の馬鹿息子。このガキは、何処に倒れてたんじゃ?」
パンを食べる手を止め、祖母は尋ねる。
『馬鹿息子』呼ばわりされてムッときたのだろう。鍛冶屋は少し声を荒げて、こういった。
「鉱石捕りの帰りだ。あの山の麓に倒れてたんだよ」
「……」
祖母は何も答えない。
黙って少女を診察する。祖母は、少女を床におろすようジェスチャーした。鍛冶屋は、ゆっくりと複雑に編まれたマットの上に少女を下ろす。こうやって見ると、本当に人形のようだ。祖母はエプロンから複数の薬草を取り出すと、その場で乳鉢へ放り込む。
「婆さん、もう夜も遅いから俺はいったん帰る。早く帰らないと、母さんが心配するからな。……後で、この子がどうなったか教えてくれ」
鍛冶屋はソレだけ言うと、去って行った。
困った人を見ると助けずにはいられないお人好し鍛冶屋だけれども、かなりの星が瞬いている時間だ。早く家に帰りたかったのだろう。祖母は薬草をすりおろしながら、軽く舌打ちをした。
「まったく、あの馬鹿息子め」
「祖母ちゃん、この子大丈夫?」
「まぁ、大丈夫じゃが……このガキは厄介者じゃよ。『魔族の刻印』が施されかかっとる」
「魔族の…刻印?」
『魔族』という言葉は聞いたことがある。
角が生えているとか、見上げるほどの巨漢だとか、子供を頭からバリバリ食べるとか聞いたことあるけど、実際に魔族なんて見たことない。
『●●村が魔族にやられた』
とか話しているのを聞いたことあったけど、おとぎ話の中の存在かと思う自分がいた。
クレインが首をかしげると、忌々しげに祖母は頷いた。
「魔族が付ける奴隷紋のようなモンじゃ。ほれ、首の後ろに刺青があるじゃろ」
なるほど。たしかに首の後ろに、2匹の蛇が絡まりあったような刺青が彫られていた。だけれども、その刺青は所々途切れていて、どことなく不完全に見える。そのことをクレインが呟くと、祖母は
「まぁ、完全に施される前に逃げたんじゃろうな。この程度なら、ワシの薬草を使えば破壊することは可能じゃ」
と、自慢げに囁いた。
「じゃが、『魔族の刻印』を施された人間は、滅多にいない。魔族に気にいられた人間ってのは、気に入られた段階で刻印を施され、死ぬまで魔族に仕えさせられるらしいからな。……その人間が帰る気力を無くすように、『帰る場所』を先に潰して」
祖母は、どこか力を込めて薬草を潰し続ける。もう草の原型は無く、いかにも苦そうな緑の汁が溜まり始めていた。
「じゃあ……この子、帰る場所がないかもしれないの?」
「可能性が高いの。……ほら、さっさと夕食を食べてきな。食べ終えたら、キーナと一緒に寝るんじゃよ」
邪魔だと突き放すように、祖母は呟く。だけど、クレインは首をゆっくり横に振った。
「ここにいたい」
何故だかわからないけど、ここにいたかった。
クレインは、少女の頭の横に座りこむ。よく見ると、少女の胸は、僅かに上下していた。でも、その呼吸は、本当にか細く、今にも止まってしまいそうだ。
「……勝手にしな」
祖母はソレだけ言うと、クレインから顔を逸らした。
それ以来、治療が終わるまで祖母は口を開かなかった。ただ、黙々と少女に薬を飲ませ、泥のついた傷を洗い、余り布を巻いた。
「薬の副作用で高熱が出るじゃろうが……まっ、あとは小娘次第じゃな」
それだけ言うと祖母は、少女を床に置き去りにしたまま寝床へ去ってしまった。
だけどクレインは、少女の横に、とどまり続けた。
そのうち、頬が果実の様に真っ赤で、せわしなく息をし始めた。祖母が言った通り、副作用で高熱を出したのだ。少女は苦しそうに、身を絞るような呻き声を上げる。クレインは、水を濡らした布で、汗がびっしり浮かんでいる少女の顔を拭った。
「お兄ちゃん、そろそろ寝たら?」
用を足しに起きたキーナが、瞼をこすりながら尋ねて来たけれども、クレインは何も答えなかった。
ただただ、少女につきっきりで……自分の分の果汁を与えたり、汗をぬぐったり、薄い毛布をかけたり……思いつく限りの看病を続けた。
朝が来て、太陽が真上に来て、月が上って、また朝が来て、月が上って――――――
「クレイン、そろそろ寝るんじゃよ」
祖母は初めて、クレインを止めた。祖母は、クレインの肩にしわくちゃの両手を置いた。まるで、悪い事をするクレインを、諌めるかの様に。
「イヤだ」
クレインは首を横に振った。
少女の呼吸は、いまだに苦しげで、目を離すと死んでしまいそうな気がしたのだ。前に、母親が病気で苦しげに呼吸を繰り返したときのことが脳裏に浮かぶ。
『早く寝るんじゃ』
祖母に言われて布団にくるまり、起きたら母親が死んでいたのだ。
リリーの少し上の弟も、クレインが眠っている間に高熱を出して動かなくなってしまったし、キーナのすぐ下の妹も、クレインが目を離したすきに死んでしまっていた。
だから、なんとなく眠ったらいけない気がするのだ。
「この子が起きるまで、僕は寝ないよ」
そっと祖母の手をのけると、丸い汗を拭きだし続ける少女の額を布で拭った。その様子を祖母は黙って見つめていたが、やがて呆れたように息を吐いた。
「クレインは、弱いくせに言い出したら辞めないんじゃよな」
祖母はクレインと同じ目線まで腰をかがめると、低い声で囁いた。
「こいつは、『魔族の刻印』がつけられたガキじゃ。鍛冶屋が『金を払う』と言ったから、ワシは助ける薬草を飲ましたんじゃ。じゃがの、それ以上のことはやらん。情を移すな」
「情をうつす?」
よく分からない。
「よく分からないけど、たぶん……この子、帰る家がないんだろ?だったら、僕たちの家で一緒に暮らした方がいいと思う。キーナも『お姉ちゃんが欲しい』って言ってたし、村の他の家より生活にゆとりあるし。それに、働きでが増えた方が、祖母ちゃんもイイと思わない?」
必死に訴えかけてみる。
だけれども、厳しい色を眼に浮かべたまま祖母は断言した。
「駄目じゃ!」
「どうして?僕達の家で引き取ったらいけないんだ?」
クレインが首をかしげると、祖母は辛そうに顔を歪め、眼を閉じる。
「引き取ると、面倒事に巻き込まれる可能性があるんじゃ。もちろん、働き手が増えるのは助かるんじゃが……この娘を取り返しに、魔族が襲ってきたら偉い迷惑じゃよ」
「……でも……」
放っておけない。
自分と大差ない年頃の少女なのだ。こんな高熱で放り出すことなんてできないし、治ったとしても村の外へ放り出すなんて想像できない。8歳児が1人で生きていくことが簡単に出来る世ではないことくらい、クレインでも知っていた。
「……ワシは責任を持たん。何かあったら、お前の責任じゃからな」
祖母はため息を溢すと、部屋へ去って行った。
しばらく、祖母が消えた部屋を見つめていたクレインだったが、すぐに少女へ視線を戻した。
「絶対に、死なせないから」
高熱でうなされる少女に呟くと、再び額の汗をぬぐう。
責任云々は、まだ6歳のクレインには分からなかった。ただ、目の前の少女を死なせたくない。このまま『はい、さよなら』で終わらせたくない。たったそれだけなのだ。
だから、その夜も、夜通し少女の看病を続けるクレインの姿があった。
朝露に濡れた草の香りが、風に乗って漂ってきた。
ゆっくりと目を開けると、黒い瞳と目が合った。どこまでも吸い込まれていきそうな黒い瞳が、クレインを覗き込んでいる。
「う、うわぁっ!」
いきなり目の前に黒い瞳が現れたので、思わず飛び退いてしまった。
余りにも勢いよく飛び退いてしまったので、ガシャンっと音を立てて壁に頭をぶつけてしまう。
「いってぇ!!」
ズキンズキンと痛む頭を抱えるクレインを、黒い瞳の少女はボーっと見つめる。もしかしたら、少女も寝起きなのかもしれない。どことなく地に足がついていない雰囲気を漂わせていた。
「……起きたんだ。よかった、そのまま死んじゃうんじゃないかって思ったんだ」
少し落ち着いたクレインは少女に話しかけながら、近くの瓶を取る。昔、母親が使っていたコップにオレンジ色の果汁を注いだ。
「飲みなよ。気分がよくなるから」
そう言いながら、注いだばかりの果汁を少女に渡す。少女は震える手で受け取ると、コップに口をつけかけた。……が、何か思い出したかのように素早く口を放す。
「まさか、山高帽の仲間?」
警戒するように、少女は身を引く。
ヤマタカボウっていうのが何だか分からなかったクレインは、首を横に振った。
「僕はクレイン。ヨーナーシ村で、『まじない師』の祖母ちゃんとキーナっていう妹と一緒に暮らしているんだ。君は?」
「ヨーナーシ村?……クレイン?」
何かを思い出すかのように、少女は考え込む。コップが割れそうなくらい握りしめながら、必死に記憶の糸を探っているかのようだった。
「駄目、知らない。……モブか」
「もぶ?…君、『もぶか』って名前?」
「違うよ」
ふっ、と緊張の糸の切れたように、表情を和らげた。
先程まで、どこか強張った表情か苦悶の表情だったからだろうか。笑みを浮かべると、自分より少し幼いように思えた。
「私は…………リア」
「へぇー、『リア』って言うんだ」
名前を言うまでに、何故か間があったけれども、気にしない。
きっと、起きたばかりで口が回らなかったのだと、クレインは考えた。ぽんぽんっと膝を叩き立ち上がると、クレインはリアに手を伸ばした。
「これから、朝食なんだけど……リアもどう?食べられそう?」
リアは、クレインの誘いに一瞬、戸惑ったような表情を浮かべた。半分手を伸ばしかけているのだけれども、その手を握り返していいのかどうか迷っている。
「どうしたんだ?まだ、具合が悪いのか?」
「……本当にいいの?」
「クレインと小娘!!」
祖母の怒鳴り声が広くない家に響き渡る。
余りに突然の怒鳴り声だったので、クレインもリアも飛び上がりそうになった。
「食べるなら早く来るんじゃよ!」
祖母が扉の前に立っている。余りにも凄い怒声だったので、魔王の形相かと思い恐る恐る顔を上げるクレインだった。が、不思議なことに祖母の表情は、普段とあまり変わらなかった。わずかに皺が寄っただけで、いつも通りの無愛想な表情だ。
「小娘、名前は?」
「り、リアです」
祖母は、リアに近づいていく。どこか表情が強張ったリアは、ピシッと背筋を伸ばした。祖母は鼻と鼻が当たりそうになるくらいまでリアに近づいてようやく、歩みを止めた。
「宿代じゃ」
「は、はい?」
「宿代代わりに、家の雑用をやれ。その代り、衣食住は保証してやる」
祖母は凄味のある声で宣言すると、にっこりと笑みを浮かべた。
呆気にとられたような顔のリアだったが、慌てたように首を横に振る。
「あの…とっても嬉しいんですけど、これ以上、その……厄介になるわけには……」
「さっさと返事をするんじゃ!リア!!」
「は、はい!よろしくお願いします!!」
胸倉をつかみかかられたリアは、ぶるぶる震えながら叫ぶ。半ば、強引にリアの了承を取る祖母は少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「分かればいい。……さっさと食事をとって、畑に出な」
それだけ言うと、くるりと2人に背を向け部屋から出て行った。
「じゃあ、行こうリア!」
座ったままのリアに、クレインは再び手を伸ばす。リアは呆気にとられた表情のまま、
「本当にいいんですか?」
と呟いた。まだ、リアは悩んでいるようだ。そんな彼女の様子を見たクレインは、呆れた様に息を吐く。
「いいんだって言いってるだろ?ほら、早く行かないと、また祖母ちゃんに怒られるって!」
少し、おどけた仕草で、クレインは笑う。
リアは安心したような笑みを浮かべると、差し出された手を握りしめた。
暦1103年…ここに、6歳となったリアの冒険が幕を閉じる。
そして幕が再び開くのは――――――――――――――
―――まだまだ、未来の話―――
幼児編は、今回で終了です。
次回から、本章が始まります!!