10話 アウトドア
頭上の太陽が少し傾き始める頃、水の流れる音が微かに聞こえてきた。
その音をクレインも感じ取ったのだろう。先程まで辛そうに歪んでいた顔が、一気にぱぁっと明るくなった。
「リア、聞こえたか?今の音って川の音だよな?」
死人のようだった目を輝かせながら、クレインは私の方に顔を向ける。私は静かにうなずいた。
私から久しぶりに同意を得られたことが、物凄く嬉しかったのだと思う。クレインは、どことなくスキップをしながら森の中を走りだした。……先程、『もうだめだ、歩けない』と言っていたのに……水があると分かった瞬間、こうも元気になれるとは……
「変な奴……いや、これが普通なのかもね」
ポツリ、と呟き私もクレインの後を追う。
足場の悪い森をしばらく進むと、木々の隙間から川が視えた。その川の水面は、太陽の光を穏やかに反射している。
クレインは身を屈め、すでに水を飲み始めていた。
「ここの川、大丈夫なの?」
クレインの隣に腰をおろし、尋ねてみる。
基本的に、川の水は飲める場合が多いのだが……万が一ということもある。転生前の現代日本程汚れた川は(少なくとも、このあたりには)ないが、非常に強い毒性のある水が流れる川もあるのだ。
川から顔を上げたクレインは、髪から水をポタポタたらしながら頷いた。
「平気さ。鳥も飲んでたし、魚も泳いでる」
クレインが指をさした先では、なるほど。確かに小さな小鳥が水を飲んでいる。その向こう側では、ぴしゃりっと音を立てて跳ね上がった魚の姿を確認することが出来た。
魚も生息していて、鳥も飲む水であれば……まぁ、安全というところか。
私も両手を合わせ、水を掬う。その水が指の隙間から零れ落ちる前に口に含むと、どこか甘くて冷たい感覚が広がった。爪先から頭のてっぺんまで、すうっと透明になるような感じもした。……こういう状態のことを、『生き返る』というのだろう。気のせいか、視界までクリアになった気もする。
「ぷはぁ――!生き返った!!」
両手を挙げ、そのまま後ろ向きにクレインは倒れた。
……こいつ、本当に15歳なのか?と思いながら私は空っぽの水筒に水を詰めはじめた。
「ほら、クレイン。いつまでも休んでないで水を補充しなよ」
「もう少し休んでから。行く直前で良いだろ?」
クレインは立ち上がる気なんて、さらさらないらしい。
私は小さくため息をつくと、クレインに背を向けた。
「……入れ忘れても、分けてあげないから」
そう言いながら、近くを転がる大きな岩に登り、地図を広げてみた。
……住んでいた村から出発して、そろそろ2週間。隣村を出てから1週間といったところだ。森の中を進み、最初に出会った川……つまり、この川を下っていけば次の町に辿り着くことが出来る。クレインにはああ言ったが、しばらく水に困ることはないだろう。
問題は、水より食料だ。
保存食の残量が、そろそろ危ない。
隣村でもう少し買い足していればよかった、と少し後悔する。都会で金を使うだろうから、なんて理由で金をケチらなければ……
私は頭を振るう。
後悔しても仕方がない。打開策を考えなければ。
そう思い水面を見下ろす。
何匹かの魚が、ちらほら泳ぐシルエットが目に飛び込んできた。
……魚を釣った経験は1度もない。
魚って……どうやって釣るんだ?私は岩の上に座り込んだまま、考え込んでしまった。
紐の先に虫か何かを吊り下げるのか?それとも、ルアーのようなものが必要なのか?そんな都合の良い虫も、ルアーも私はもちろんクレインも持っていない。
いっそのこと、手づかみで採るという手があるじゃないか。クレインの長剣でグサリと一突き、という手もある。よし、それで行こうか。
「…ん、待てよ」
立ち上がりかけた時、また新たな疑問が浮上する。
捕まえた後、どう下拵えするんだ?
獣の捌き方なら、この世界に来てから学んだが、魚の捌き方なんて知らない。鱗の取り方もあいまいだし、内臓の取り出し方も……あれ?魚って内臓を食べていいんだっけ?
転生してから魚を食べたことなんて、無いに等しい。だから、私にとっての魚とはスーパーの切り身魚であり、寿司のネタ。……こんなことになるくらいなら、もう少し母親の料理の手伝いをしておけばよかった。チート能力を肉体強化に全てあてずに、料理技能にしておけばよかった。
ああでもないし、こうでもない。
解決法が一向に思い浮かばず、徐々に頭が混乱してくる。
私は、悩みを吹き払うように頬をバンッと叩いた。
どうするんだ?これではキーナを救う以前に、私達が餓死してしまう。1日2日食事を抜いても死にはしないが、敵への反応速度が確実に落ちることは確かだ。
魔王が強大な力を持つこの時代、反応速度の低下は命取りに繋がる……と、本に書いてあった。だから、私もクレインも食事を抜くことをしてはいけないのだ。だが
「解決案が思いつかないんだよな」
はぁ、とため息をつく。
川を覗いても、食べられそうな貝は見当たらない。では、森に戻ってキノコか何かを取ってくればいいではないかという考えも浅はかだ。野生のキノコで食べられるものは、ごく一部。大多数が『食べてはいけない』に分類されるキノコなのだ。それは、1人で旅(という名の逃避行)をした時、身に染みて感じた経験だ。……あの時の体験は、思い出したくもない。
私は頭をガシガシ掻いた。
「なんで私が、頭を悩ませないといけないんだよ」
クレインは未だに何も考えず、川原で寝ている。私はクレインを思いっきり睨み
「クレインも少し食料について考えて」
と、言ったのはいいが……
クレインは、そこにいなかった。
長剣以外の荷物は置きっぱなしだが、肝心なクレインの姿が見当たらない。
「クレイン?」
辺りを見渡す。
私のチート視力を持ってしても、クレインの姿を見つけ出すことが出来なかった。
岩陰にもクレインらしき人影を見つけることが出来ないし、川に落ちたようにも見えない。そもそも、この川は私の膝下の水位だ。私より頭1つ分以上背が高いクレインが、溺れるわけなかった。
「クレイン?」
もう一度、今度は少し大きめな声で名前を呼ぶ。
だが、返事が返ってこない。……嫌な予感が胸を横切る。私はいつでも攻撃態勢に移れるよう気を引き締めながら、先程までクレインがいた場所へ歩みを進める。
争ったような痕跡は見つけられなかった。というか、争っていたなら気がついたはずだ。気がつかないほど、集中して長時間考え込んでいたとは思えない。
地面に顔が着くくらい近づけ、足跡を探る。
すると、一旦川原に来た足跡が、再び森へとつながっているのが見て取られた。
「……森に戻った?」
一体なぜ、私に一言も告げずに戻ったのだろう?
荷物が置いてあるということは、ここに戻ってくるという意味だと思うが……
「リア!」
クレインの声だ。
声の方向に振り返り、私は絶句する。思わず、拳を強く握り直してしまった。
腰を低くし、いつでも走り出せるように体勢を整える。
「クレイン、アンタ何をした!?」
クレインは少し震えながらも、しっかりと長剣を握りしめている。
クレインの眼は、私を見ていない。クレインの眼が捕えているのは、彼の目の前に立ちふさがる血走った2つの眼。
「面倒を連れてきやがって」
本当にクレインは、キーナを救うことが出来るのだろうか?
一抹の不安を振り払うように頭を振るうと、拳を握り直して私は走り出した。