愛すクリーム
寒い冬のある夜、T氏は気まぐれで高級アイスの詰め合わせを買って帰宅した。
無論、愛しい奥さんと息子の喜ぶ顔を見たくての買い物である。
「また遅い帰宅です事……」
帰宅したT氏に、出迎えの奥さんは辛辣である。
「残業です。遊び歩いていたわけじゃありませんし、しっかり残業代も稼ぎましたんで月末の給料日は期待してください」
T氏は柔やかに言い、手に持ったアイスの詰め合わせを差し出した。
差し出されたアイスを見て、奥さんは顔を顰める。
「冬にアイスクリームって……それにコレ、砂糖や乳脂肪が大量に含まれてる高カロリーな高級アイスじゃない?」
別に太ってはいないが、奥さんは体重を気にしていたのだ。
無論、それを知らぬT氏では無い。
「意外と知られていませんが、アイスって実は低カロリーな食品なんですよ?」
難色を示す奥さんに、T氏は自信に満ちた態度で言う。
「大量の砂糖に乳脂肪……外箱に表示されてるカロリー。コレ、ミニカップなんだけど、一個あたり少なくとも二百数十キロカロリーあるじゃん。物によっては三百キロカロリーに迫ってる……」
ミニカップとは言え一個で一般的な成人男性が一日に必要とするカロリーの一割前後。女性なら一割を余裕で超える高カロリーなアイスクリームである。
「夏のアイスなら奥さんの言う通りです。でも今は冬です……寒さに身を凍えさせる季節」
自信満々に言うT氏に、奥さんは胡乱気な視線を向ける……もう言葉を交わす気は、無さそうだった。
それに気づき、慌てたようにT氏は奥さんに声を掛ける。
「冷たいアイスを食べると体温が下がる。体温が下がると人間はどうなります?」
「寒さで震える……ナニを言ってんだか?」
興味無さ気に奥さんは言い、難しい顔でT氏から受け取った高級アイスの詰め合わせを眺める。
食べたいが、カロリーを気にして躊躇しているわけである。
「その通り、寒さで震えます。そうして身を震わせカロリーを使って体温を維持しようという働きが体の中で起こるわけです……つまり、そういった体温維持のためのカロリー収支まで考慮した場合、冷たいアイスは実は低カロリーな食品になるわけですよ?」
奥さんは、その言葉で躊躇無く高級アイスの詰め合わせを開封した。
「……なるほど。そうだったんだ」
感心したように奥さんは呟き、玄関からアイスを持って台所へ引っ込んでゆく。
そんな奥さんを、T氏は戸惑った……と言うか、困ったように見送り、そして我に返って靴を脱いで追いかけるのである。
T氏が追いつくと、奥さんは既にアイスに手を付けていた。
さすがに一個以上は食べる気は無いようで、残りは冷凍庫に収納済みであった。
「あのですね……奥さん。先ほどの説明ですけど、実を言うと物凄い屁理屈なので真に受けちゃ駄目ですからね?」
アイスを食べる奥さんの手が止まる。
そして言うのであった。
「旦那の話は信じちゃ駄目。それは知っていたはずなんだけどなぁ……?」
諦念……を含んだ口調ではあったが、そこからは抑えきれない怒りが感じられた。
「いや、言ってる事は間違ってませんが……言うほど人間は体温維持にカロリー使ってないってだけで。だから人間は寒いと暖房使ったり厚着したりするわけですね?」
奥さんは、大きな溜め息を吐く。
「単にアイスを買ってきてくれただけなら普通に感謝したんだけどね……」
奥さんの言葉にT氏も反論する。
「普通に感謝してくれたなら、興味を引くための屁理屈なんて並べなかったんですが。でも、私は貴女を愛すクリーム……なんつって」
直後にT氏は奥さんにブッ飛ばされたワケである。
幸い、既に就寝していた息子には、この遣り取りが目撃される事は無かったのであった。
実体験なワケですが、T氏のシリーズで使いたかったけど話が見えずお蔵入りしていた話をエッセイとして公開してました。
コレですねhttps://ncode.syosetu.com/n9771lu/
それが突然、仕事中、普通にT氏で使えるじゃんと……で、書きましたよ。
元ネタ。私の切なく悲しい実話をエッセイとして公開したのが『ただ彼女に笑ってほしかっただけ』です。
T氏も、ただ奥さんに笑ってほしかっただけ……そう考えると、これも切なく悲しいお話になるのかなぁ?




