第五節 ガルドの独白
祭りが終わった夜、ガルドと二人で残った焚き火の前に座った。
本祭りの昼間が終わり、夕方から夜にかけて歌の時間があった。
里の人間が広場に集まって、古くから伝わる歌を歌う。
節回しがあって、全員が知っている歌と、特定の人間が歌う独唱がある。
真は歌詞を全部は知らなかったが、旋律を聞いているうちに体に入ってきた。
横でユナが静かに聞いていた。
歌の時間が終わって、人がそれぞれ宿や家に戻っていった。
ユナは「眠い」と言い、先に宿に戻っていた。眠くなると素直に言う。
言い訳をしない。眠いという事実を隠す必要がないと思っている。それがユナだ。
ガルドが「もう少し外にいるか」と言った。
「いますよ」と真は答えた。
広場の端の焚き火が、まだ燃えていた。祭りの残り火だ。
大きくはないが、安定した火で、周囲を照らしている。二人が火の前に腰を下ろした。
木の椅子ではなく、石の上だ。少し硬いが、構わなかった。
「いい祭りだった」とガルドは言った。
「そうですね」
「お前さん、生き生きしてた。料理を作っているときが特に」
「そうか」と真は言い、焚き火を見た。
「分かる」とガルドは言い、腕を組んだ。
「人間には、自分に向いていることをしているときの顔がある。向いていないことをしているときとは、明らかに顔が違う。お前さんの料理をしているときの顔は、他のどの場面とも違う顔だ」
「そんなに分かるものか」
「分かる」とガルドは繰り返した。「長く生きていると、人の顔を見てきた数が増える。剣を持っているときの顔、逃げているときの顔、金を稼いでいるときの顔、飯を食べているときの顔。色々な顔を見てきた。その中で、自分のやるべきことをやっているときの顔には、共通したものがある」
「どういうものだ」
「迷いがない。計算がない。ただそこにいる、という顔だ」とガルドは言い、少し間を置いた。「お前さんの料理をしているときの顔が、それだった」
真は焚き火を見続けた。
「コンビニとかいうところではしていなかった顔だろう」とガルドは続けた。
「したことはなかった。する機会もなかった」と真は言った。
「料理をする機会がなかったというより、何かに向かっている、という感触がなかった。毎日が同じで、同じことが続いて、どこにも向かっていなかった」
「それで五年間か」
「五年間」
ガルドが低く息を吐いた。
批判でも同情でもない息の吐き方だ。ただ受け取った、という感触の吐き方だ。
「ここでは向かっているところがある」と真は言った。
「言霊師のことか」
「それもある。ただそれだけじゃなくて、料理をする、刻印を刻む、誰かを助ける。一つ一つが向かっている感触がある。その積み重ねが、日本にいたときとは違う時間になっている」
「それでいい」とガルドは言い、また焚き火を見た。
「人間が生きるというのは、向かっているところがあるということだと、俺は思っている」
真は何も言わなかった。
焚き火の音だけがあった。薪がぱちりと音を立てた。炎が少し揺れた。また静かになった。
しばらく黙って火を見ていた。
ガルドが口を開いたのは、しばらく後だった。
「息子が生きていたら、この村の祭りに連れてきたかった」
静かな声だった。独り言のような声だったが、真に向けて言っている声だ。
焚き火を見たまま言った。
「あいつも甘いものが好きだったから、屋台を嬉しそうに回ったと思う」
真は何も言わなかった。
何かを言うより、聞いている方がいい、と思った。
ガルドが今言っていることは、誰かに向けて話したかった言葉ではないかもしれない。
ただ、今夜の祭りの残火の前で、自然に出てきた言葉だ。それを受け取ることが自分にできることだ、と真は思いながら火を見た。
「真剣だったんだ、あいつは」とガルドは続けた。
「何をするにも真剣で、それが空回りすることも多かったが、それでも真剣にやっていた。冒険者として一人前になろうとして、そういう仕事の最中に死んだ。最後まで真剣だったと思う」
「そうですね」と真は言った。
「俺が止めるべきだったかどうかは、今でも分からない。止めていたとしても、あいつは別の形で同じようなことに向かっていった気がする。止めた方が良かったのか、止めなかった方が良かったのか、答えが出ない」
「答えが出ることは、もうないかもしれない」と真は言った。
「そうだな」とガルドは言い、薪を一本焚き火に足した。答えが出ないことと一緒に生きていくのが、残った人間のやることだ」
炎が少し大きくなった。明るくなった分、二人の影が後ろに伸びた。
「旅の途中で余計な話をした」とガルドは言った。
「そんなことはない」と真は言い、ガルドを見た。
「息子さんの話を聞かせてくれてよかった。聞いていなければ、ガルドさんが何を背負って旅をしているか分からないままだった」
「分かる必要があるか」
「ある」と真は言った。
「一緒に旅をしている人間が何を背負っているかを知らないのは、その人間のことを知らないということだ。俺はガルドさんのことを知りたい。旅の仲間として」
ガルドが短く頷いた。それ以上は言わなかった。
焚き火の前の沈黙が、また来た。しかし今度の沈黙は最初のものと質が違った。
最初は静かな沈黙だった。今は何かが通じた後の沈黙だ。言葉が届いた後の、静かな時間だ。
薪がまたぱちりと音を立てた。
火が小さくなってきていた。燃やすものが減ってきている。しばらくしたら消えるだろう。今夜の焚き火の終わりが近い。
「ガルドさん」と真は言った。
「何だ」
「一緒に来てくれてありがとうございます。本当に助かってる」
ガルドが焚き火を見たまま、少し間を置いた。
炎が揺れた。また揺れた。
「礼を言うな」とガルドは言った。
「こっちが助かってる」
声が少し低かった。感情を出さない出し方の声だ。しかしその言葉の重さは分かった。
ガルドがこういうことを言うときの言葉の重さを、真は旅を通じて学んでいた。
短い言葉に、多くのものが入っている。それがガルドの言葉の使い方だ。
「どう助かっているんですか」と真は聞いた。
「お前さんと旅をしていると、先のことを考えなくなる」とガルドは言い、焚き火を見続けた。「一人で旅をしていたとき、旅の目的が曖昧になっていた。息子が死んで、弔いを終えて、次に何をするかが分からなかった。目的なく歩いていた」
「今は」
「今は次の日に何があるかを考えている。お前さんとユナが何かを引き込んでくる。
その何かに対応することが、旅の形になっている。それが助かっているということだ」
「俺たちが厄介事を引き込んでいるということか」
「そういうことになるが、悪い意味ではない」とガルドは言い、初めて真の方を向いた。「人間というのは、目の前に何かがないと動けない生き物だ。あれをやろう、これをやろうと思っていても、目の前に何もなければ動かない。お前さんたちがいると、目の前に何かが来る。それで動ける」
「それは俺たちがうるさい、ということか」
「そうとも言う」とガルドは言い、また焚き火を向いた。
口の端が少し動いた。笑い方を忘れかけている人間が、少し笑った感じの動きだった。
真は見て見ぬふりをした。
焚き火が小さくなっていった。
残り火が、最後の熱を出している。炎ではなく、赤い火種が残っている状態だ。
ここから薪を足せばまた燃えるが、足さなければ消える。消えてもいい時間だった。
「明日、料理の作り方を村長に教えるんだろう」とガルドが言った。
「約束しました」
「それが終わったら出発するか」
「ダーレムに戻る」と真は言い、空を見た。
「リリアが待っている。研究の続きがある」
「言霊師の謎に近づくための研究か」
「それと、エルフの図書館へのルートを考えること。オリヴィアが外交的なルートを探してくれると言っていた。その進み具合も確認したい」
「先が長い旅だな」
「そうですね」と真は言い、焚き火の残り火を見た。
「でも、急ぐ必要はないと思っています。一つずつ片付けながら、進んでいけばいい」
「スローライフがしたいと言っていたわりには、スローなのかファストなのか分からない旅だ」
「分かりません。ただ、今日の料理を作っている時間は、俺の中でスローだったかもしれない」と真は言い、少し考えた。
「急いでいるのに落ち着いている、という感触があった。やることが決まっていて、それに向かっているから、焦りがなかった」
「それがスローライフの本質かもしれない」とガルドは言い、立ち上がった。
「急いでいるかどうかじゃなく、自分のやるべきことをやっている感触があるかどうかだ」
「ガルドさんにしては詩的なことを言う」
「たまには言う」とガルドは言い、宿の方に向いた。
「休め。明日は早い」
「おやすみなさい」
「ああ」とガルドは言い、歩き始めた。
真は一人、焚き火の残り火の前に残った。
火が小さくなっていく。赤い火種が少しずつ暗くなっていく。
消えるまでの時間を、真は一人で見ていた。
この世界には、様々な重さを持つ人間がいる。
ガルドが背負っている重さ、ユナが抱えている重さ、オリヴィアが一人で持ってきた重さ。それぞれが違う形で、しかし確かにある重さを持って生きている。
自分がコンビニで深夜に座っていたとき、同じように重さを持って生きている人間がいたはずだが、真は誰にも届いていなかった。
レジの前に来た人間の顔を見なかった。声をかけなかった。
顔を覚えなかった。ただ作業をして、また一人になった。
しかしここでは、少しだけ届いている気がする。
料理が届いた。言葉が届いた。言霊が届いた。ガルドの話を聞いた。
ユナの「楽しみ」という言葉を受け取った。オリヴィアの安堵が見えた。
少しずつ届いていることが、積み重なっている。
焚き火が消えた。
赤い火種が最後に一度明るくなって、消えた。暗くなった。星明かりだけが残った。
真は立ち上がり、宿の方に歩いた。足元の石畳が、星明かりで薄く見えた。宿の灯りが見えた。その灯りの中に、今夜帰る場所がある。
それが今夜の全部だ、と思いながら歩いた。




