表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/77

第五節 ガルドの独白

祭りが終わった夜、ガルドと二人で残った焚き火の前に座った。

本祭りの昼間が終わり、夕方から夜にかけて歌の時間があった。

里の人間が広場に集まって、古くから伝わる歌を歌う。

節回しがあって、全員が知っている歌と、特定の人間が歌う独唱がある。

真は歌詞を全部は知らなかったが、旋律を聞いているうちに体に入ってきた。

横でユナが静かに聞いていた。

歌の時間が終わって、人がそれぞれ宿や家に戻っていった。

ユナは「眠い」と言い、先に宿に戻っていた。眠くなると素直に言う。

言い訳をしない。眠いという事実を隠す必要がないと思っている。それがユナだ。

ガルドが「もう少し外にいるか」と言った。

「いますよ」と真は答えた。

広場の端の焚き火が、まだ燃えていた。祭りの残り火だ。

大きくはないが、安定した火で、周囲を照らしている。二人が火の前に腰を下ろした。

木の椅子ではなく、石の上だ。少し硬いが、構わなかった。

「いい祭りだった」とガルドは言った。

「そうですね」

「お前さん、生き生きしてた。料理を作っているときが特に」

「そうか」と真は言い、焚き火を見た。

「分かる」とガルドは言い、腕を組んだ。

「人間には、自分に向いていることをしているときの顔がある。向いていないことをしているときとは、明らかに顔が違う。お前さんの料理をしているときの顔は、他のどの場面とも違う顔だ」

「そんなに分かるものか」

「分かる」とガルドは繰り返した。「長く生きていると、人の顔を見てきた数が増える。剣を持っているときの顔、逃げているときの顔、金を稼いでいるときの顔、飯を食べているときの顔。色々な顔を見てきた。その中で、自分のやるべきことをやっているときの顔には、共通したものがある」

「どういうものだ」

「迷いがない。計算がない。ただそこにいる、という顔だ」とガルドは言い、少し間を置いた。「お前さんの料理をしているときの顔が、それだった」

真は焚き火を見続けた。

「コンビニとかいうところではしていなかった顔だろう」とガルドは続けた。

「したことはなかった。する機会もなかった」と真は言った。

「料理をする機会がなかったというより、何かに向かっている、という感触がなかった。毎日が同じで、同じことが続いて、どこにも向かっていなかった」

「それで五年間か」

「五年間」

ガルドが低く息を吐いた。

批判でも同情でもない息の吐き方だ。ただ受け取った、という感触の吐き方だ。

「ここでは向かっているところがある」と真は言った。

「言霊師のことか」

「それもある。ただそれだけじゃなくて、料理をする、刻印を刻む、誰かを助ける。一つ一つが向かっている感触がある。その積み重ねが、日本にいたときとは違う時間になっている」

「それでいい」とガルドは言い、また焚き火を見た。

「人間が生きるというのは、向かっているところがあるということだと、俺は思っている」

真は何も言わなかった。

焚き火の音だけがあった。薪がぱちりと音を立てた。炎が少し揺れた。また静かになった。

しばらく黙って火を見ていた。

ガルドが口を開いたのは、しばらく後だった。

「息子が生きていたら、この村の祭りに連れてきたかった」

静かな声だった。独り言のような声だったが、真に向けて言っている声だ。

焚き火を見たまま言った。

「あいつも甘いものが好きだったから、屋台を嬉しそうに回ったと思う」

真は何も言わなかった。

何かを言うより、聞いている方がいい、と思った。

ガルドが今言っていることは、誰かに向けて話したかった言葉ではないかもしれない。

ただ、今夜の祭りの残火の前で、自然に出てきた言葉だ。それを受け取ることが自分にできることだ、と真は思いながら火を見た。

「真剣だったんだ、あいつは」とガルドは続けた。

「何をするにも真剣で、それが空回りすることも多かったが、それでも真剣にやっていた。冒険者として一人前になろうとして、そういう仕事の最中に死んだ。最後まで真剣だったと思う」

「そうですね」と真は言った。

「俺が止めるべきだったかどうかは、今でも分からない。止めていたとしても、あいつは別の形で同じようなことに向かっていった気がする。止めた方が良かったのか、止めなかった方が良かったのか、答えが出ない」

「答えが出ることは、もうないかもしれない」と真は言った。

「そうだな」とガルドは言い、薪を一本焚き火に足した。答えが出ないことと一緒に生きていくのが、残った人間のやることだ」

炎が少し大きくなった。明るくなった分、二人の影が後ろに伸びた。

「旅の途中で余計な話をした」とガルドは言った。

「そんなことはない」と真は言い、ガルドを見た。

「息子さんの話を聞かせてくれてよかった。聞いていなければ、ガルドさんが何を背負って旅をしているか分からないままだった」

「分かる必要があるか」

「ある」と真は言った。

「一緒に旅をしている人間が何を背負っているかを知らないのは、その人間のことを知らないということだ。俺はガルドさんのことを知りたい。旅の仲間として」

ガルドが短く頷いた。それ以上は言わなかった。

焚き火の前の沈黙が、また来た。しかし今度の沈黙は最初のものと質が違った。

最初は静かな沈黙だった。今は何かが通じた後の沈黙だ。言葉が届いた後の、静かな時間だ。

薪がまたぱちりと音を立てた。

火が小さくなってきていた。燃やすものが減ってきている。しばらくしたら消えるだろう。今夜の焚き火の終わりが近い。

「ガルドさん」と真は言った。

「何だ」

「一緒に来てくれてありがとうございます。本当に助かってる」

ガルドが焚き火を見たまま、少し間を置いた。

炎が揺れた。また揺れた。

「礼を言うな」とガルドは言った。

「こっちが助かってる」

声が少し低かった。感情を出さない出し方の声だ。しかしその言葉の重さは分かった。

ガルドがこういうことを言うときの言葉の重さを、真は旅を通じて学んでいた。

短い言葉に、多くのものが入っている。それがガルドの言葉の使い方だ。

「どう助かっているんですか」と真は聞いた。

「お前さんと旅をしていると、先のことを考えなくなる」とガルドは言い、焚き火を見続けた。「一人で旅をしていたとき、旅の目的が曖昧になっていた。息子が死んで、弔いを終えて、次に何をするかが分からなかった。目的なく歩いていた」

「今は」

「今は次の日に何があるかを考えている。お前さんとユナが何かを引き込んでくる。

その何かに対応することが、旅の形になっている。それが助かっているということだ」

「俺たちが厄介事を引き込んでいるということか」

「そういうことになるが、悪い意味ではない」とガルドは言い、初めて真の方を向いた。「人間というのは、目の前に何かがないと動けない生き物だ。あれをやろう、これをやろうと思っていても、目の前に何もなければ動かない。お前さんたちがいると、目の前に何かが来る。それで動ける」

「それは俺たちがうるさい、ということか」

「そうとも言う」とガルドは言い、また焚き火を向いた。

口の端が少し動いた。笑い方を忘れかけている人間が、少し笑った感じの動きだった。

真は見て見ぬふりをした。

焚き火が小さくなっていった。

残り火が、最後の熱を出している。炎ではなく、赤い火種が残っている状態だ。

ここから薪を足せばまた燃えるが、足さなければ消える。消えてもいい時間だった。

「明日、料理の作り方を村長に教えるんだろう」とガルドが言った。

「約束しました」

「それが終わったら出発するか」

「ダーレムに戻る」と真は言い、空を見た。

「リリアが待っている。研究の続きがある」

「言霊師の謎に近づくための研究か」

「それと、エルフの図書館へのルートを考えること。オリヴィアが外交的なルートを探してくれると言っていた。その進み具合も確認したい」

「先が長い旅だな」

「そうですね」と真は言い、焚き火の残り火を見た。

「でも、急ぐ必要はないと思っています。一つずつ片付けながら、進んでいけばいい」

「スローライフがしたいと言っていたわりには、スローなのかファストなのか分からない旅だ」

「分かりません。ただ、今日の料理を作っている時間は、俺の中でスローだったかもしれない」と真は言い、少し考えた。

「急いでいるのに落ち着いている、という感触があった。やることが決まっていて、それに向かっているから、焦りがなかった」

「それがスローライフの本質かもしれない」とガルドは言い、立ち上がった。

「急いでいるかどうかじゃなく、自分のやるべきことをやっている感触があるかどうかだ」

「ガルドさんにしては詩的なことを言う」

「たまには言う」とガルドは言い、宿の方に向いた。

「休め。明日は早い」

「おやすみなさい」

「ああ」とガルドは言い、歩き始めた。

真は一人、焚き火の残り火の前に残った。

火が小さくなっていく。赤い火種が少しずつ暗くなっていく。

消えるまでの時間を、真は一人で見ていた。

この世界には、様々な重さを持つ人間がいる。

ガルドが背負っている重さ、ユナが抱えている重さ、オリヴィアが一人で持ってきた重さ。それぞれが違う形で、しかし確かにある重さを持って生きている。

自分がコンビニで深夜に座っていたとき、同じように重さを持って生きている人間がいたはずだが、真は誰にも届いていなかった。

レジの前に来た人間の顔を見なかった。声をかけなかった。

顔を覚えなかった。ただ作業をして、また一人になった。

しかしここでは、少しだけ届いている気がする。

料理が届いた。言葉が届いた。言霊が届いた。ガルドの話を聞いた。

ユナの「楽しみ」という言葉を受け取った。オリヴィアの安堵が見えた。

少しずつ届いていることが、積み重なっている。

焚き火が消えた。

赤い火種が最後に一度明るくなって、消えた。暗くなった。星明かりだけが残った。

真は立ち上がり、宿の方に歩いた。足元の石畳が、星明かりで薄く見えた。宿の灯りが見えた。その灯りの中に、今夜帰る場所がある。

それが今夜の全部だ、と思いながら歩いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ