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第四節 収穫祭の料理

祭りの当日、真は暗いうちに目が覚めた。

部屋の窓から外を見ると、空がまだ黒かった。星が見えた。

里は静かで、人の動く気配がまだない。炉に火を入れるまでには少し時間があった。

しかし眠れなかった。

これが料理の前の感触だ、と真は思った。

仕込みをする前の、頭が動き始める感触。

材料の順番を確認して、手順を見直して、最初から最後まで一度頭の中で通す。

炉の火が通るまでの時間、煮込みを始めるタイミング、菓子の仕上げに何分かかるか。

全部を繋げて考えると、作業の中でどこが詰まりやすいかが見えてくる。

コンビニの夜勤の前には、こういう感触がなかった。

レジを打つ、商品を並べる、掃除をする。

作業の内容は決まっていて、考えることがなかった。しかし料理は考えることがある。食材の状態が毎回違う。火の通り方が変わる。

同じレシピでも、同じ結果が出るとは限らない。だから考え続ける必要がある。

それが楽しいのだと、最近になって分かった。

暗い天井を見ていると、扉をノックする音がした。

二回、間を置いて、また二回。

「起きてる」と真は言った。

扉が開いた。ユナだった。

「起きてた」とユナは言い、部屋に入った。手に水筒を持っていた。

「水」と言いながら真に渡した。

「ありがとう。お前こそ早起きだな」

「起こしに来ると言った」とユナは言い、窓の外を見た。

「まだ暗い」

「炉の火を入れるまで少し時間がある。座るか」

「立ってる」

「そうか」

少し間があった。外が静かだった。里の夜明け前の静けさだ。

「昨日、楽しみと言った」とユナは言った。

「言っていたな」

「修正を入れなかった」

「気づいていたか」

「気づいてた。でも入れなかった」とユナは言い、窓の外を見続けた。「入れなくていいと思ったから」

「そうか」

「まことの前では、入れなくていいと思っている」とユナは言い、一度だけ真を見て、また窓の外に視線を戻した。「なんとなく」

なんとなく、という言葉が付いていたが、それが照れではなく本当の意味でなんとなく、という感触だった。

理由を言語化できていないが、感触として確かにある、ということだ。

「それは俺としても良かった」と真は言った。

「なんで」

「修正なしの感想の方が、信頼できるから」

「ふうん」とユナは言い、また外を見た。

空が少しずつ青みを帯び始めていた。完全な黒から、濃紺に変わっていく。

夜明けが近い。

二人で暗い部屋の中にいた。声がなく、しかし居心地の悪さがない沈黙だった。

ここに来てから積み重なってきた時間が、この沈黙を居心地良くしている。

「行こうか」と真は言い、起き上がった。

炉の場所に向かった。二人で宿を出た。外の空気が冷たかった。

秋の朝の空気で、吐く息が少し白い。里はまだ静かで、人の動きがほとんどない。

広場の炉に着くと、ガルドがすでにいた。

「早いな」と真は言った。

「俺の方が早かった」とガルドは言い、炉の周りの状態を確認していた。

昨日、真が石を並べ直した炉だ。

「薪の準備はしてある。火打石はここだ。煙の向きを確認してから点ける」

「ありがとうございます」

「礼はいい。始めるぞ」

火を点けた。

薪が燃え始め、炉が温まっていく。

最初は小さかった火が、時間をかけて安定した熱を持ち始めた。

ガルドが薪の量と配置を調整して、火の強さを一定に保つ作業をしていた。

火を読む目がある。炎の色と動きで状態を判断している。

真は食材の準備を始めた。

前日に村長から受け取っていた食材が、炉の横の台の上に並んでいた。

根菜が三種類、鶏に似た鳥の肉、小麦粉のようなもの、木の実、蜜、香草が数種類。全部が里の食材で、質が良かった。

この里が豊作だということが食材の状態に出ていた。

まず根菜を切り始めた。

厚みを揃えることが最初の仕事だ。均一な厚みで切れば、火の通りが均一になる。

一つ一つが同じ速さで火が通る。煮込みスープに入れる根菜は大きめに切る。

見た目の存在感と、食べたときの満足感を両立する大きさだ。

「何を切ればいい」とユナが聞いた。

「この根菜の皮を剥いてから渡してくれ。

昨日、里の台所で皮剥きをやったと言っていたな」

「やった」

「じゃあできる。皮の内側の白い部分が見えるくらいまで剥く。

薄く剥きすぎなくていい」

ユナが根菜を手に取って、皮を剥き始めた。

包丁の使い方が、前日やったことが残っているからか、安定していた。手が丁寧に動いている。

「昨日の練習が活きているな」と真は言いながら切り続けた。

「一回やれば大体できる」とユナは言い、皮を剥いた根菜を真の方に置いた。

「そういうものか」

「物の扱い方は一回見れば分かる。人の気持ちの扱い方はなかなか分からないけど」

「物の扱い方と人の気持ちを並べて話すのか」と真は聞いた。

「同じ話だから」とユナは言い、次の根菜を手に取った。

「どちらも、扱い方を間違えると壊れる」

「確かに」

煮込みスープの準備が進んだ。

里が起き始めた。人が出てきて、広場の方に向かってくる声がする。

炉の火が安定してきたところで、ガルドが「状態がいい」と言った。

真は鍋を炉の上に置いた。

大きな鍋だった。

村長が用意してくれたもので、里の人間の分を作るための量に対応している。

鍋の中に水と食材を順番に入れていく。先に水を入れて、温まってから食材を加える。

根菜と肉の順番がある。火が通る時間が違うから、遅いものを先に入れる。

煮込み始めると、匂いが出た。

肉と根菜の旨味が水に溶け出していく匂いだ。

朝の冷たい空気の中に、温かい匂いが広がっていく。その匂いを嗅いで、ユナが少し顔を上げた。

「いい匂い」と言った。修正なしで言った。

「煮込みが始まったときの匂いだ。このあと食材がほぐれてくると、また変わる」

「変わるのか」

「食材の中の旨味が全部出てきたときに、匂いの質が変わる。最初は素材の匂いで、後から出汁の匂いになる」

「違いが分かるのか」

「慣れると分かる。鼻が記憶する」

ユナが少し考えた。

「回復魔法を使うとき、対象の状態を感じ取るのと似ているかもしれない。最初は何も分からなかったが、何度もやるうちに感じ取れるようになった」

「料理も魔法も、繰り返しで感覚が育つということか」

「そう思う」とユナは言い、鍋を見た。

「あとどのくらいかかる」

「この煮込みはあと一時間。その間に薄い生地を作り始める」

「手伝う」

「頼む。小麦粉と水を混ぜて、生地を作る。硬さの調整が大事だ。柔らかすぎると包めない。硬すぎると折れる」

「どのくらいの硬さが正しい」

「耳たぶくらい、と日本では言う」

「耳たぶ」とユナは言い、自分の耳たぶに触れた。

「これくらいか」

「そのくらいだ」

「分かった」とユナは言い、小麦粉の前に立った。

ユナが生地を作り始めた。最初は感触が分からず、水を入れすぎた。

真が「少し粉を足す」と言い、調整した。

何度かやり直すうちに、適切な硬さになった。ユナが耳たぶに触れて確認してから「これ」と真に見せた。

「そうだ」と真は言い、生地を確認した。「良い硬さになった」

「一回で覚えた」とユナは言った。

誇ることでもないというような口調だったが、確かめた事実として言った。

「覚えが早い」

「硬さを基準にすれば分かる。言葉より感触で覚える方が速い」

生地が準備できると、次は具の準備だ。

残りの肉と野菜を細かく切る。

細かく切るのは真の作業で、ユナが切った材料を受け取って混ぜる。

香草を加えて全体を合わせる。これが薄い生地に包む具になる。

「これを包むのか」とユナは生地と具を交互に見た。

「包んで、端を閉じて、炉で焼く」

「どうやって包む」

「見ていてくれ」

真が生地を丸く伸ばした。中央に具を置いて、端を折り合わせて閉じる。

端を指で押して密着させる。半月の形になった。

「こういう形か」とユナは言い、生地を一枚取った。

「やってみる」

「やってみてくれ」

ユナが真似をした。生地を伸ばして、具を置いた。端を折り合わせる。

しかし端の閉じ方が甘くて、隙間ができた。

「端を強く押す。力を均一に入れる」と真は言い、ユナの手元を見た。

ユナが端を押した。隙間がなくなった。

「できた」とユナは言い、真に見せた。

「できている。形が綺麗だ」

「そうか」とユナは言い、次の生地を取った。

「もっと作る」

ユナが次々と包み始めた。最初の一つより速く、形も整っていた

一回で感触を掴んで、次からは応用が効く。そういう学び方をする人間だ。

「コツを掴むのが速い」と真は言った。

「コツというより原理を理解すれば動ける」とユナは答え、端を押しながら言った。

「端を閉じる理由は焼いている間に具が出ないようにするためだ。だから端の閉じ方に均一な力が必要だと分かる。理由が分かれば手が動く」

「なるほど」と真は言い、煮込みの状態を確認した。

匂いが変わっていた。素材の匂いから、出汁の匂いに変わっていた。

さっきユナに説明した変化が起きていた。

「匂いが変わった」とユナが言った。

「気づいたか」

「さっきより深い匂いになった」

「そうだ。出汁が出てきた。もう少し煮込んで、仕上げに香草を加えれば完成だ」

里の人間が広場に集まり始めていた。

炉の周りに集まってくる人間が増えてきた。匂いを嗅いで「いい匂いだ」と言う人間がいた。子供が覗きに来て、「これは何だ」と聞く声がした。

ガルドが「今作っているから待て」と子供たちをあしらいながら、炉の火の管理を続けた。ガルドが炉にいることで、火の安定が保たれていた。

菓子の準備は最後だった。

木の実と蜜と小麦粉を合わせて、丸く形を作って炉の端の部分で焼く。

炉の中心より温度が低い場所で、ゆっくり火を通す。

急いで仕上げると、中が生焼けになる。時間をかけることが大事な料理だ。

「これは時間がかかる」と真はユナに言った。

「この間に煮込みと薄皮包みを仕上げる。菓子は最後に出す」

「順番がある」

「料理には順番がある。一番時間がかかるものから始めて、一番早く仕上がるものを最後に作る。全部が同時に完成するように逆算する」

「それはコンビニの仕事と似ているか」と言ったのはユナだった。

「似ている部分がある。複数の作業を並行して進める感覚は、夜勤で身についた」

「コンビニの時間が役立っているのか」

「そういうことになる、ここでは」と真は言った。

日が上がっていた。

広場が人でいっぱいになってきた。

里の全員が出てきているのではないかと思えるくらいの人数が集まっていた。

屋台が全部開いていて、声が重なっている。子供たちが走り回っていた。前日の静けさと全く違う景色だ。

祭りが始まっていた。

「もうすぐ完成だ」と真はユナに言った。

「全部が同時に仕上がりそう」とユナは言い、三つの料理を見渡した。

「そのつもりで作った」

煮込みに最後の香草を加えた。香りが立った。薄皮包みが炉の上で焼き色をつけていた。菓子が炉の端でゆっくり火を通していた。

真は三種類の状態を同時に確認した。どれも仕上がりが近い。

「あと少し」とガルドが言い、火の強さを少し調整した。

数分後、全部が同時に仕上がった。

炉の火から外した。ガルドが台の上に並べるための場所を確保してくれていた。

三種類の料理が並んだ。

煮込みの湯気、焼き菓子の甘い匂い、薄皮包みの焼けた匂い。それが混ざって広場に広がっていった。

「できた」と真は言った。

周囲にいた里の人間が一斉に向いた。

「食べていいか」と子供の一人が言った。

「食べてくれ」

最初に子供が手を出した。薄皮包みを一つ取って、口に入れた。

一秒の間があって、子供が「美味しい」と言った。大きな声で言った。

それを聞いて、周囲の大人も手を伸ばした。

「これは食べたことがない」という声が出た。

「何という料理だ」という声も出た。

「また作りに来てくれ」という声も出た。

真は料理を皿に取り分けながら、その声を聞いていた。

声が届いている。作ったものが人に届いている。その感触が手から体に伝わってくる。

コンビニで夜勤をしていたとき、この感触がなかった。

ユナが隣で料理を分けていた。

「美味しい」と言われるたびに、ユナが真の方を見た。

「言ったとおりだった」という目だった。何を言ったとおりかは分からなかったが、何かを確認している目だった。

村長が料理を食べてから真の前に来た。

「これは本当においしい」と言い、深く頷いた。

「特に、この包んで焼いたものが食べたことのない美味しさだ。どういう料理だ」

「日本の餃子に近いものです。元の世界の料理をこの世界の食材で作った」

「餃子」と村長は繰り返した。

「里に広めたいが、作り方を教えてもらえるか」

「明日、教えます」

「約束だ」と村長は言い、もう一つ取った。

また作りに来てくれという声が続いた。また来ます、と真は答えた。

約束が一つ増えた。

料理を作り終えた真は、少し離れた場所に移動して、広場を見た。

里の人間が食べながら話している。笑い声が続いている。子供たちが走り回っている。祭りが続いていた。

ガルドが横に来た。

「お疲れ」と言い、隣に立った。

「ありがとうございました。炉の管理がなければできなかった」

「俺の仕事だ」とガルドは言い、広場を見た。「いい顔をしている」

「誰が」

「お前さんが」

真は自分の顔が見えないから分からなかった。

しかし、生き生きとした顔をしていたかもしれない、と思った。

料理を作っているとき、頭が動いていた。体が動いていた。声が届いていた。

コンビニでは一度もなかった顔だ。

ユナが料理の残りを整理しながら、ちらっと真を見た。

何か言いたそうだったが、言わなかった。

それでもその目に、今日のことを確認した感触があった。


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