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第二節 祭りの準備

里に着いた翌日から、準備が本格的に始まった。

朝に起きると、窓の外がすでに動いていた。

前日より屋台の数が増えていて、広場の方向から木を組む音が聞こえてきた。宿の食堂に降りると、里の人間が忙しそうに出入りしていた。

宿が準備の拠点になっているらしく、食堂のテーブルに道具や飾り物が並んでいた。

真は朝食を済ませてから外に出た。

広場に向かうと、大人も子供も何かを運んだり組んだりしていた。

指示を出している人間がいて、それに従って人が動いている。

効率のいい準備の仕方だ。

毎年同じことをやってきた里だから、役割分担が体に染みついている。

「手伝えることはあるか」と真は近くにいた大人に聞いた。

男が振り返って真を見た。黒い髪と目を一度確認してから、

「ああ、真さんか。来てくれた」と言った。前回の滞在で顔を覚えていてくれていた。

「力仕事が一つある。あの机を運ぶのを手伝ってくれないか」

指差した先に、重そうな木の机が積まれていた。祭りで使う長机だ。

屋台の間に置いて、料理を並べたり食事をする場所に使うらしい。

真が一方を持ち、男が反対を持った。二人で運ぶと、思ったより軽かった。

「体が変わったな」と真は自分の腕を見ながら思った。

エルムの里に初めて来たとき、この世界の空気と水と食物を取り込むことで体が変わる、とガルドが言っていた。

実感が薄かったが、今は少し分かる。コンビニで深夜に立ち続けた体と、今の体は違う。重いものを持つときの感触が違う。疲れにくくなっている。

机を五回運んで、次の仕事を聞いた。

飾り付けの布を木の柱に結ぶ作業だった。

柱の上の方に布の端を固定するために、高いところに手が届く人間が必要だという。

真の身長が里の平均より高かったため、声がかかった。

脚立を借りて、布の端を柱に結びつけていく。里の女性が下から「もう少し左」「そこを引いて」と指示を出してくれた。指示が的確で、作業が進む。

三本目の柱に布を結んでいるとき、下からユナの声がした。

「まこと」

脚立の上から見ると、ユナが地面に立っていた。何かを持っている。

「何だ」

「昼食」とユナは言い、布を包んだものを掲げた。

「今は作業中だが」

「一時間以上やってる。休憩してと言ってくれた人がいた」

「誰が」

「さっきの女の人」とユナは言い、里の女性の方を顎で示した。

女性が「昼になったから、お休みください」と言った。

作業の切れ目を見計らって声をかけてくれていたらしい。

真が気づかなかっただけで、休憩の機会を作ってくれていた。

脚立を降りた。

ユナが持ってきたのは、宿の食堂で包んでもらったものだった。

黒パンと干し肉と根菜の煮物が入っている。

広場の端に並んだ長椅子に二人で腰掛けて食べた。

「手伝いをしていたのか」と真は聞いた。

「少し」とユナは言い、パンを齧った。

「どこで」

「台所の方」

「料理の手伝いをしたのか」

「野菜の皮を剥いた」とユナは言い、特に感慨のない口調で言った。

「頼まれたから」

里の人間に頼まれると断れない、ということか、あるいは頼まれたのが嬉しかったのか。

どちらとも言えない口調だったが、「頼まれたから」という言い方は断る選択肢がなかったような語感がある。ユナが自分から動いた、ということだ。

「ガルドさんは」と真は聞いた。

「市場の方で話をしていた。情報を集めている」

「あの人はどこに行っても情報を集めるな」

「そういう人なんでしょ」

昼食を食べながら、広場の様子を見た。

作業している人間が一部休憩に入り、広場に人が増えた。

子供たちが広場に出てきて、木の柱の間を走り回っている。

大人が追いかけて「邪魔だ」と言うが、子供は聞かない。いつも同じだ。

「祭りの準備って、こういうものか」と真は言った。

「どういうもの」

「みんながそれぞれ動いていて、全体として形になっていく。

誰かが全部を管理しているわけじゃないのに、できていく」

「村長が方向を決めていて、あとは慣れた人間が自分で動いている」とユナは言い、広場を見た。「毎年やっているから、誰が何をするかが体に入っている。新しい人間は聞けばすぐ教えてもらえる」

「そういう仕組みが自然にできているのか」

「長い時間をかけて作られたものだから」

「日本でもそういう場所があった気がするが、俺はそこにいなかった」

「コンビニ?」

「そうじゃない場所の話だ」と真は言い、パンを食べ終えた。

「祭りとか、地域の行事とか。夜勤のシフトに入っていると、そういうものに参加する機会がなかった。昼間に人が集まる場所から外れていた」

ユナが少し真を見た。責めるような目ではなく、確認している目だ。

「今は」とユナは言った。

「今はここにいる」と真は言った。

それだけだったが、ユナが頷いた。小さな頷きだったが、確認した、という意味の頷きだ。

昼食が終わると、また作業に戻った。

午後は別の仕事を頼まれた。本祭りで使う炉の周辺の石を並べ直す作業だ。

炉の周りに石を敷いて、火が広がらないようにするためだ。

重い石を一つずつ運んで、指定された位置に置く。

石の重さが以前と違う感触で手に来た。重いが、体が受け止めている。

魔素による体の変化は、こういうところにも出ている。

夕方になって、村長が手伝いをしている真を見つけて言った。

「助かっている。でも明日と明後日は休んでいてください。祭りを楽しんでほしい」

「手伝いたいのですが」

「あなたは本祭りの日に料理を作ってくれる。それが一番大事な役割だ。それ以外は休んでいてくれ。疲れた状態で料理を作らせるのは申し訳ない」

「そういうものか」

「そういうものだ」と村長は言い、笑った。

「来てくれただけで里は喜んでいる。手伝いまでしてくれたら、もう十分だ」

宿に戻ると、ガルドが食堂で宿の主人と話していた。

真が入ってくると「お前さん、一日中手伝っていたのか」と言った。

「頼まれたから」

「そういうところが正直だな」

「ユナも言ってたが」

「それはガルドとユナが同じことを思ったということだ」とガルドは言い、椅子を引いた。「座れ。今日の情報を話す」

市場で集めた話では、この周辺の農村が今年は豊作だったという。

増税で苦しんでいる地域もある一方、エルムの里の周辺は比較的影響が少ない。

村長の管理が良いのか、あるいは里の位置が良いのか。

いずれにしても、祭りを盛大にできる余裕があるということだ。

「増税の影響が届いていないのか」と真は言った。「届いていないわけではない。ただ、ここは農地の質が良くて収穫量が多い。多少税率が上がっても、基礎の豊かさでカバーできている。農村の中では恵まれた方だ」

「オリヴィアが言っていた農村の疲弊は、もっと条件の悪い場所の話か」

「そうだ。この里は例外的にいい状態にある。里の人間が誇りを持って祭りをできるのも、それが背景にある」

夕食は宿の料理だった。

今日は真が作る番ではない。宿の主人が作った煮込み料理が出てきた。

素朴な味で、食材の旨味が出ている。丁寧に時間をかけた料理だ。

「これはいい火の通し方をしている」と真は言いながら食べた。

「時間をかけて煮込んでいる。急いで仕上げた煮込みと違う質感がある」

「料理の話をするとき、目が違う」とユナが言った。

「そうか」

「楽しそうな目をしている」

真は自分の顔が見えないので分からなかったが、そうなのかもしれないと思った。

料理のことを考えているとき、頭が動く。考えることが楽しい。

それが顔に出ているなら、それはこの世界で初めて見つけた「楽しい顔」かもしれない。

コンビニで五年間、楽しい顔をしたことがあったかどうか、思い出せなかった。

「本祭りで何を作るか、決まったか」とガルドが聞いた。

「大体決まった」と真は言い、頭の中の計画を言葉にした。

「三種類作る。一つは煮込みスープで、この里の食材を活かしたもの。シンプルだが量が作れる。二つ目は薄い生地に具を包んで焼いたもの。この世界でまだ見たことがない形で、食べやすい。三つ目は甘い菓子で、里の木の実と蜜を使う」

「三種類を一人でやるのか」と言ったのはユナだった。

「量が多ければ手伝ってもらえるか」

「やる」とユナは即座に言った。

「ありがとう」

「料理の手伝いをしたことはあまりないから、指示してくれないと動けない」

「それで十分だ。指示する」

ガルドが「俺は炉の管理をする」と言った。

「火の強さを一定に保つことなら任せろ。その間にお前たちが作れ」

「ガルドさんも手伝ってくれるのか」

「当たり前だ。チームの仕事だろう」

真は少し間を置いた。チームの仕事、という言葉が頭の中で繰り返された。

コンビニの夜勤は一人の仕事だった。チームで何かをする、という感触を、ここに来るまで持っていなかった。

「ありがとうございます」と真は言った。

「礼を言うな」とガルドは言い、煮込みを食べた。

「食べろ、冷める」

その夜、真は部屋で本祭りの料理の詳細を考えた。

分量を書き出して、手順を整理した。

ユナとガルドが手伝ってくれることを考えて、役割を決める。

炉の管理はガルド。材料の準備と一部の調理補助はユナ。全体の調理と仕上げは真。

メモ帳に書いた。

この世界に来て初めて、料理のメモを書いた。日本語で書いた。

この世界の誰にも読めない文字で、料理の計画が書いてある。

何かがおかしい気もしたが、それでいいと思った。

窓の外から、里の夜の静けさが入ってきた。

明後日が本祭りだ。

真は計画を確認しながら、少し楽しみだと思っていた。

楽しみ、という感情が自然に来るようになったのは、この世界に来てからだ。

日本ではこれが来ることがほとんどなかった。

それだけで、ここにいる意味がある気がした。


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