第四節 公開討論
王都滞在五日目の朝、王宮からの使者が宿に来た。
使者が持ってきたのは封蝋のある書簡で、宛名に真の名前が書かれていた。
開くと、丁寧な文字で書かれた招待状だった。
「幻の種族の末裔である可能性がある旅人の処遇について、各方面の代表を集めた議論の場を設けたい。つきましては木下真殿にも出席いただきたく、王宮大広間にて明日の午前に開催いたします」
招待者の名前が連なっていた。
エルフ使節団、神聖国の代表、貴族数名、神話研究院の研究員。
そして真自身の名前。
「断れるか」とユナが言った。
書簡を横から見ながら言った。
「王からの招待だから、断れば外交的な問題になる」とオリヴィアが言った。書簡を確認して、差出人の印を見た。
「ただし、この招待自体は宰相の発案ではなく、王の側近からのものです。宰相が関与していない可能性が高い」
「それが分かれば安全か」
「完全な安全ではありませんが、宰相の罠ではないということです。王の側近は宰相とは別系統です。父上がまだ一定の判断力を持っているなら、この招待は父上の意志に近いところから来ている可能性があります」
「行こう」と真は言った。
「何を言われるか聞いてみる価値がある。それに、断った場合に相手が何を考えるかより、行った上で自分の言葉を言う方がいい」
「まことらしい判断だ」とガルドが言い、腕を組んだ。
翌朝、王宮に向かった。
王宮は高台区の奥にあった。
これまで外から見るだけだった建物の正門を、今日は通った。
衛兵が招待状を確認して通してくれた。
石畳の通路を案内の者について歩き、大広間に通された。
大広間は天井が高く、石の柱が左右に並んでいた。
陽光が高い窓から入って、石の床に長い影を作っている。
二十人ほどがすでに席についていた。
長い机が中央にあり、それを囲む形で椅子が配置されている。
端に議長席がある。
真はユナと並んで奥の席に通された。
ガルドは別の席に案内された。リリアが真の近くに座った。
席についてから、周囲を確認した。
エルフ使節団のエリスが向かいの席にいた。
昨日と同じく整った表情で、視線がこちらに来たとき、微かに動いた。反応したことを悟られないように、しかし確認した。
神聖国の代表が右手側の席にいた。
白い法衣を着た三十代の男で、穏やかな顔をしている。
しかし穏やかさが表面だけのものかどうかは、まだ分からない。
アストラが部屋の隅の席にいた。
目が合ったとき、老人が小さく頷いた。
議長が開会を宣言した。王宮の儀礼的な言葉が続き、議題が告げられた。
「幻の種族の末裔と見られる転移者の処遇について、各代表の意見を聞き、方向性を議論する」という内容だった。
エルフ使節のエリスが最初に発言した。
「エルノア連邦として、この問題についての立場を述べます」とエリスは言い、背筋を伸ばして全体を見た。
「幻の種族に関わる者は、長年の歴史的経緯により、エルフ族の保護下に置かれるべきです。三万年前の記録にも、言霊師とエルフ族の関係が明記されています。木下真氏をエルノア連邦に移送し、適切な環境で保護と研究を行うことを提案します」
「保護と研究」という言葉の順番が、昨日の「管理と保護」から変わっていた。聴衆に向けて言葉を選び直している。
神聖国の代表が手を上げた。
「神聖国も発言します」
議長が頷いた。
「神聖国も古い記録を保有しています」と代表が言い、法衣の袖を整えた。
「言霊師という存在は、特定の種族の管理下に置かれるべき存在ではなく、世界全体の遺産です。エルフ族への移送には反対します。木下真氏の意志を尊重しつつ、神聖国との協力体制を構築することを提案します」
エリスが即座に反論した。
「神聖国の記録は断片的なものに過ぎない。エルフ族の図書館にある完全な記録と比較すれば、管轄の正当性は明らかです」
「記録の量が管轄の正当性を決めるという論理は成立しません」と代表が返した。
二者の言い合いが始まった。
貴族の一人が口を挟んだ。
「いずれにしても、ガルディア王国の国土で発見された転移者を、外国に引き渡すことには問題があります。まず王国としての立場を定めるべきでしょう」
別の貴族が反論した。
「国際的な問題になりかねない。慎重に対応すべきです」
神話研究院の研究員が根拠を述べ始めた。
資料を持ってきていて、数字を引用した。
議論が複数の方向に広がり、声が重なり始めた。
真は聞いていた。
全員が真について話している。
真の処遇、真の力、真の管理。
しかし真に向かって話しかけている者はいなかった。
招待しておいて、当事者ではなく対象として扱っている。
「発言してもいいか」と真は言った。
声は大きくなかった。
しかし部屋の空気の中に届いた。
いくつかの声が止まり、議長が真に目を向けた。
「どうぞ」と議長が言った。
真は立った。
椅子を引く音がした。
部屋の視線が集まった。
二十人の視線が一点に集まる感触がある。
それを受けながら、真は前を向いた。
「俺は誰かの管理下に置かれるつもりはない」と真は言った。
声が均一に広がった。前に向かってだけでなく、部屋全体に届く感触があった。
ユナが言っていた「面で届く」という感触だ。
意識したわけではなかったが、体がそうした。
「理由を三つ言う」
部屋が静かになった。
「一つ目。俺はここに来て自分で判断し自分で動いてきた。その結果として誰かを助けられた場面があった。管理下に入れば、その自由がなくなる。管理する側の都合で俺が動かされることになる。それは俺が求めるものではない」
エリスが何かを言おうとした。
真は続けた。
「二つ目。俺の力が誰かの利益のために使われることを望まない。言霊の力は、感情と意志が源になる。命令されて使う力ではない。使いたいと思ったときに、守りたいと思った相手のために使う。その主体が自分にある限りにおいて、力は正しく働くと思っている」
貴族が何か言った。
真は聞こえていたが、止めなかった。
「三つ目。俺がどういう存在で、なぜここにいるのかを、まだ自分で解明していない。言霊師という存在が何者で、なぜ三万年前に消えたのか。なぜ俺がこの世界に来たのか。それを自分で調べている途中だ。その答えが出る前に、誰かの枠に入るのは順序が逆だ」
言葉を止めた。
部屋が静かだった。
誰かが何かを言いかけて、止まった。
その止まった間が、少し長かった。
「自分で解明するとは、どういう意味か」とエリスが言った。声が平坦だった。感情を制御している声だ。
「言霊師の記録は、個人が調べられる範囲を超えています。エルフ族の図書館への立ち入りがなければ、完全な情報には辿り着けない」
「そうかもしれない」と真は言った。
「しかしエルフ族の図書館に入るためにエルフ族の管理下に入る必要があるという論理は、条件と目的が逆転している。情報が欲しければ頼む。管理下に入ることと情報を得ることは別の話だ」
「我々は情報を提供する準備があると申し上げています」
「昨日も同じ言葉を聞いた。その前に管理下に入ることが条件として来た。条件が変わったなら、改めて聞く」
エリスが口を閉じた。変わっていない、ということだ。
真は続けた。
「もう一つ言う。エルフ族が日本語の記録を保有していることは知っている。その記録を三万年間独占してきた理由が何であるかは分からない。しかし情報の独占は、その情報が解決できる問題を解決できないままにする。俺が協力できることがあれば協力する。それはこちらから申し出る。管理下に入ることとは別の話だ」
声が出た瞬間に、何かが走った。
電流ではなかった。
もっと静かなものだ。
水が染みていくような感触だった。
部屋の空気が変わった気がした。
議論していた全員が、少し表情を変えた。
言葉に力が乗っていたかどうかは確認できなかった。
しかし伝わったものがある感触があった。
主張の正しさとは別の、言葉としての何かが届いた感触だ。
真は座った。
議論は続いた。
エリスが再び発言し、神聖国の代表が反論し、貴族が条件を出した。
しかし移送という話は立ち消えた。
エリスは終始険しい顔をしていたが、それ以上の強引な要求はしなかった。
神聖国の代表も、具体的な管理の提案を引いた。
会議は一時間ほど続き、「各代表が引き続き協議を行う」という曖昧な結論で終わった。
決定は何も出なかった。しかし移送という話が消えたことは、一つの結論だった。
会議が終わり、人が動き始めた。
アストラが近づいてきた。
周囲の人間が散けるのを待ってから来た。
「よく言った」と老人は言った。声が小さかった。
「さっきの言葉に、少し言霊が乗っていましたよ」
「そうか」と真は言った。「自覚が薄かった」
「気づいていなかったですか」
「言いながら、何かが違う、と思った。いつもより落ち着いていた。感情的になっていなかったが、力は出ていた感触がある。それが言霊が乗っていた、ということか」
「そうです」とアストラは言い、真を見た。
「感情が荒れているときより、静かに確信している言葉の方が、力の通りが良い場合がある。あなたは今日、それを経験した」
「静かな確信が力を持つ」
「言霊師の段階的な成長の一つです。最初は強い感情が必要だった。徐々に、静かな確信でも届くようになる。更に進めば、感情の起伏に関わらず常に力が出るようになる。今日のはその途中の段階です」
「鍛えなさい」と老人は言い、笑った。
「あなたの言葉はもっと強くなれる。今日見せてもらっただけで、それが分かった」
アストラが人込みの中に戻っていった。
ユナが横に来た。会議中は少し離れた場所にいたが、部屋が空き始めてから近づいてきた。
「見ていた」とユナは言った。
「どうだった」と真は聞いた。
「言葉が届いていた」とユナは言い、部屋を出る方向に歩き始めた。
「感じ取れた。あなたの言霊が、部屋の中に広がっていく感触があった。意図していなかっただろうけど」
「意図していなかった」
「それでいい」とユナは言い、廊下に出た。
「意図しなくても出るようになれば、それがLv.3への入口だと思う」
「根拠はあるか」
「ない。ただそう感じる」
「お前の感覚は信頼できる」と真は言った。
ユナが少し前を向いたまま、「そう」と言った。
それだけだったが、受け取った感触があった。
王宮の廊下を歩きながら、真は今日の言葉を頭の中で確認した。
三つの理由を言った。
言いながら整理できていた部分もある。
しかし根本にあったのは、整理より前にある確信だった。
管理される気はない。
その確信が先にあって、言葉がその後についてきた。
確信が言葉を引き出した。
それが今日の力の出どころだったかもしれない。




