第六節 シドウの神話級と次の街へ
影の商会の件は、テムザリア商人組合を通じて決着がついた。
ユナを取り戻した翌日、真はシドウと共に作っていた刻印入りの短剣一本を、ガルドを通じて商人組合の重鎮に渡した。
重鎮は短剣を見た瞬間に言葉を失い、鑑定石を当てて金色の光を確認してから、椅子に深く座り直した。
「組合として、木下真という人物を保護対象に指定します」と重鎮は言った。
「影の商会に対する捜査を開始します。これは組合の権限の範囲内で行います」
翌日には商会への捜査が入り、組合の名で「木下真への接触を禁ずる」という通達が出た。
商会は動けなくなった。
「神話級一本でこれほど動くのか」と真は言った。
「神話級の価値はそういうものだ」とガルドが言った。
「国が動く、というのは言い過ぎかもしれないが、この街の商人組合を動かすには十分だ。持っているものを適切な場所で使えば、金貨何百枚にも勝る」
「物の使い方を知っていることが大事だということか」
「そういうことだ」
シドウの工房に戻ると、シドウが炉の前で待っていた。
「解決したか」と聞いた。
「解決した」と答えると、「なら仕事をしよう」と言い、素材を並べ始めた。
その夜、真はシドウと並んでしばらく刻印作業に集中した。ユナが誘拐されて取り戻した一日だったが、体の疲れはあっても、精神的には落ち着いていた。
シドウの工房の熱さと音が、集中を助けた。
炉の音、金属の音、自分の短剣の先が素材を刻む音。
れだけが世界になる時間だ。
シドウが素材を用意し、真が刻む。
二人でやり取りしながら最初に仕上げたのは短剣だった。
刀身の平たい部分に、真は「斬」「速」の二文字を刻んだ。
一文字目を刻んで、その感触を確かめて、二文字目を刻む。二つの文字の間隔と、それぞれの形の均一さに気をつける。
刻み終えると刃がわずかに光った。
シドウが鑑定石を当てた。
「神話級・複合エンチャント」とシドウは言った。
声が静かだった。
感動を抑えようとしているのではなく、受け止めている声だった。
「「斬」と「速」が同時に宿っている。
複合した神話級など、文献にすら出てこない」
「二文字を同時に刻んでもいいものか、不安だったが」
「いい。むしろこれが本来の形だと思う」とシドウは言い、短剣を持ち上げて炉の灯りに透かして見た。光を受けた刃が、わずかに揺れているように見えた。刻印の力が視覚的に表れているのか、あるいは炉の光の揺れが映っているだけなのか、どちらとも言えなかった。「ワシの三十年の鍛冶と、お前の刻印が合わさった。これが今ワシが出せる最高の一本だ」
短剣を真の手に渡した。
「持っていけ。お前のために打った」
「受け取っていいのか」
「受け取れ。代わりにまた仕事をしろ。それだけでいい」
真は短剣を腰に差した。
これまで使ってきたエルムの里で揃えたものとは重さが違う。
均整が取れていて、持つだけで手に馴染む感じがあった。
ち手の長さ、重心の位置、刃の角度が、使う者の体を想定して作られている。
シドウが真の体格を見て、それに合わせて打ったのだと分かった。
「ありがとう」と真は言った。
「礼はいい」とシドウは言い、次の素材に向かった。
テムザリアを出る朝、シドウが工房の前で見送りに来た。
早朝だったが、すでに炉の火を入れていた。
仕事が始まっているのに、それでも見送りに来た。
「王都に行くなら、ガルディア城下の鍛冶師街を寄ってみろ」とシドウは言った。
「ワシの兄弟子が工房を持っている。ワシの名前を出せば無碍にはしない」
「ありがとう」と真は言った。
「また来い。次は鎧を打つ。お前の刻印を入れた鎧だ。体に合わせた鎧を、時間をかけて作る。最高のものを作る」
「楽しみにしている」
シドウが短く頷いた。
それ以上は言わなかったが、顔に満足している色があった。
やりたかったことに向かっている、という満足だ。
四人が歩き出した。
テムザリアの城門が後ろに遠くなっていく。
朝の城門は人の出入りが少なく、見送りの声もない。
ただ門を出て、街道に出る。
「スローライフって、あの工房みたいな時間のことを言うのかもな」と真は言った。
「炉の前に一日立ってスローとは言わないと思うけど」とユナが言った。
「感覚の問題だ。熱くて、うるさくて、集中して、でも自分のペースで動いていた」
「刻印しているときのまこと、楽しそうだった」とユナは続けた。珍しく、言いたそうにして言った感じがあった。普段のユナは、自分から感想を言うことが少ない。しかしこれは言いたかった言葉だ、と真は感じた。
「楽しかった。シドウが面白い人間だし、形になっていくのが好きだ」
「料理と同じだね」
「同じかもしれない。素材があって、手を動かして、形になる。その過程が好きなんだと思う」
「それがまことのスローライフ」
「そういうことかもしれない」と真は言った。
ユナが前を向いたまま、少しだけ口角を上げた。
真の横顔が見えていた。
見えているが、直接見ていないような角度だった。
見ているのか見ていないのか分からない。しかし口角が上がっていた。
リリアが横を歩きながら手帳に何かを書いていた。「テムザリアで分かったこと」という見出しが見えた。旅の中でも記録を続けている。
ガルドが前を歩きながら言った。
「次は王都だ。ガルディア王国の中心に入る。これまでとは規模が違う」
「どう違う」
「権力の密度が違う。王族がいる。貴族がいる。それぞれの思惑がある。エルムの里や霧の洞窟とは動き方が違ってくる」
「俺には関係ない話だと思いたいが」
「関係ない話にはならないだろう。お前さんが何かを持っている限り、誰かが近づいてくる。それは街の大きさに関わらず同じだ。むしろ王都の方が、動く人間の格が上がる」
「格が上がると、どう変わる」
「影の商会のような組織ではなく、国家の機関が動いてくる可能性がある」
「それは確かに別の話だな」
「構えておけ」とガルドは言い、先を歩き続けた。
次の目的地はガルディア王国の王都だ。
真は前を向いて歩きながら、シドウに贈られた短剣の感触を確かめた。
腰に差して一日経ったが、もう馴染んでいる。
年も使い続けたもののような感触だ。
王都に着いたら何が起きるか、このときの真にはまだ分からなかった。




