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第四節 影の商会

テムザリアに来て五日が経ったころ、最初の接触があった。

その五日間、真はシドウの工房に毎日通った。

午前中は工房で刻印の作業をして、午後はガルドと市場を回り、夕方にリリアと研究を進める、という流れができていた。充実していた。

忙しかったが、充実していた。

コンビニで深夜に立ち続けていたときとは全く違う種類の忙しさだ。

あちらは時間を消費する忙しさだった。

こちらは時間を積み上げる忙しさだ。

一日が終わると、何かが増えている感覚がある。

刻印の作業は、シドウが素材を用意して真が刻む形で進めた。

最初は練習も兼ねて、革の端切れに刻む作業から始めた。

文字が素材に入っていく感触が、紙に書くのとは違う。

紙はただ表面に乗るだけだが、革には厚みがある。

その厚みの中に言葉を押し込む感触だ。

「力加減が大事だ」とシドウが言った。

「薄く刻んでも力が宿る。深く刻んでも同じ力だ。大事なのは均一さだ。文字の形が均一であること。どこかが歪んでいると、力の流れが乱れる」

「文字の形が力の容器だということか」

「そういうことだ。容器が歪んでいれば、中身が漏れる」

真は一文字ずつ丁寧に刻んだ。

「斬」「守」「速」「重」。

それぞれが異なる効果を持つ。

シドウが鑑定石で確認しながら、効果の強さを評価する。

そのフィードバックを受けて、次の刻印に反映させる。

職人二人の共同作業だ、と真は思った。

種類は違うが、どちらも職人として向き合っている。

五日目の夜、宿の食堂で四人が夕食を取っていると、見知らぬ男が隣の席に座ってきた。

食堂の他の席が空いているのに、隣に来た。

それだけで普通ではないと分かった。

四十代か。身なりはいいが目が笑っていない。

服の質が高い。

商人の服だが、商人の目ではない。

椅子を引く動作が静かで、こういう仕事に慣れていると分かる動きだった。

動作に余計な音がない。

体の使い方を知っている人間の、意図的に静かにした動きだ。

「木下真さんですね」と男は言った。

声量が低かった。四人に届く声量で、しかし隣の席には届かない声量だ。調整されている。

「そうだが」

「私は商会の者です。あなたの刻印の評判はすでに街に広まっています。神話級を量産できるとなれば、興味を持つ方が多い。商機があれば動くのが商人の性分というものですが、直接来てしまいました。失礼をお許しください」

「何が言いたい」

「取引がしたい。月に神話級を十点。報酬は金貨百枚。いかがでしょう」

金貨百枚がどれほどの価値か、真にはまだ完全には分からない。

しかし隣でガルドが少し体を固くしたのが分かった。

食事を続けながら、しかし手の動きが止まりそうになっている。

大きい数字なのだと推測できた。リリアも反応していた。

眼鏡の奥の目が、一度テーブルを向いた。

「考えさせてくれ」と真は言った。

「もちろんです。お急ぎでなければ、ゆっくりご検討ください」と男は言い、名刺のようなものを置いて立ち上がった。

去り際も静かだった。

音がなかった。

来るときと同じように、音を消して去った。

男が完全に見えなくなってから、ガルドが声を落して言った。

「影の商会だ」

声が普段より低かった。

「表向きは普通の貿易商だが、裏では禁制品の取引や暗殺の請負もやっている。この街では知る人間は知っている組織だ。表の顔が綺麗な分、裏が深い」

「関わるな、ということか」

「そうだ。金貨百枚という数字に釣られるな。あの組織の取引には、必ず別の条件がついてくる。最初の取引が終わったら、次はもっと深い要求が来る。抜けられなくなる前に断れ」

「返事はどうする」

「明日、使者を通じて断れ。直接顔を出す必要はない。ただし断った後が問題だ。諦める組織ではない」

「どうするんだ」

「注意しながら動くしかない。シドウの工房は安全だ。外を動くときは常に複数で動け。一人にならないように」

その翌日から、視線を感じるようになった。

市場を歩いていると、同じ男が二度同じ通りにいた。

一度目に見たとき、覚えた。

小柄で帽子をかぶった男だ。

特徴のない外見だが、二度目に同じ通りで見たとき、意図的に近くにいると分かった。

ユナが先に気づいて「後ろ」と小声で言った。

真が振り返らず、自然に横の路地に入ると、ユナがすでに角で男の動きを確認していた。

建物の角を利用して、見られずに観察している。

どこで覚えた技術なのか、と真は思いながら横に立った。

「尾行されていた」

「最初から気づいてた」とユナは言い、通りを確認してから歩き出した。

「なぜすぐ言わなかった」

「どう動くか見たかった」

「試したのか」

「大事なことでしょ」

真は返す言葉がなかった。

正論だった。

危機に際してどう動くかは、訓練や準備だけではなく反射に近い部分がある。

その反射を見たかったのだろう。

リリアが街の各所に照会をかけ、影の商会の動きを調べた。

ダーレムで培った情報収集のネットワークを使って、二日で情報を集めた。

情報によれば、商会は真の身柄を確保して専属にすることを計画しており、断った場合は脅迫か実力行使に移る予定だという。

「脅迫が来る前に先手を打つか」とガルドは言った。

「どんな手がある」

「商会の上にはテムザリアの商人組合がある。組合に圧力をかければ商会の動きを制限できる。ただしそのためには、組合の重鎮に貸しを作る必要がある」

「神話級アイテムを一つ渡せば動くか」

「それだけで十分だ。神話級を持っていれば、組合の重鎮にとっては国一つが動いたも同然の価値になる」

「分かった」と真は言い、その夜シドウの工房で刻印作業を行った。

シドウが「何か問題が起きたか」と聞いた。

真が状況を説明すると、シドウが短く「工房にいる間は安全だ。

ワシの名前はこの街で効く」と言い、また鎚を持った。

それだけだった。

余計なことは言わない。

しかし確かな後ろ盾があることを示してくれた。


高評価ブックマークをよろしくお願いします。


こちらもよければお読みください。 

おっさん、戦国時代で絵を描いたら無双した件〜のんびり平和を目指していたはずなのに〜

https://ncode.syosetu.com/n1327lu/

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