第六節 三層への挑戦
ダーレムに向かう途中で、もう一度霧の洞窟に入ることにした。
ガルドが提案した。前日から少し間を置いて、朝の鍛錬を終えてから向かった。
「今度は三層まで行け」とガルドは言い、入口の手前で立ち止まった。「俺はここで別の依頼をこなす。二人でボスを見てこい。勝てなくても、見るだけでいい。引いても構わない。ただし無理はするな」
「二人で行くのか」と真は確認した。
「それが経験になる。俺がいると頼りにしてしまう。二人の連携を確認するためでもある」
「分かった」
ユナに確認した。「行くか」
「行く」
「無理そうだったら引く」
「当然」
二人で霧の洞窟に入った。
一層と二層は既に知っている道だ。昨日一度通っている。どこで絡み草が出るか、通路の分岐がどこにあるか、大体分かっている。その「分かっている」という感覚が、昨日より動きを楽にしていた。初めての道と二度目の道では、体の使い方が違う。
魔物を倒しながら進み、二層の奥に出た。前回よりも動きに余裕があった。昨日経験したことが体に染みついている。ユナとの連携も少し自然になっていた。声をかけるタイミング、距離の取り方、どちらが前に出るか後ろに控えるか。それが事前に相談しなくても自然に決まっていくようになってきた。
三層への通路は、二層の奥のさらに下へ続いていた。
石段を降りていくと、霧が一段と濃くなった。松明の光が前の足元を照らすのが精一杯で、視界が一メートルを切った。空気の重さが増した気がした。湿度が高く、息を吸うたびに水分が入ってくる感じがある。
「足元に注意」とユナが言った。「石段が湿ってる」
「分かった」
一段一段確認しながら降りた。
三層に入ると、分岐があった。左右に通路が分かれている。どちらが正解か分からない。右から行くか左から行くか考えていると、左の通路から石の転がる音がした。
「そっちに何かいる」とユナが言った。
「俺が見てくる。ここで待ってろ」
「一人で行くの?」
「すぐ戻る。何かあったら叫べ」
「逆でしょ」とユナは言った。
「お互いな」
真は左の通路に入った。
霧がさらに濃く、ほぼ何も見えない。松明を高く掲げて、足元に気をつけながら歩く。音を殺して歩いていくと、通路の先に広い空間があった。
空間に入った瞬間、そこに何かがいると分かった。
声はない。気配とも言えない。何かが在る、という感覚だ。体の皮膚が感じ取っている何かだ。松明を向けると、中央に石の巨人がいた。
高さは真の倍以上ある。岩が積み重なってできたような体で、形は人に似ているが人ではない。継ぎ目のない石の塊が人型に組み上がっているような形だ。動くたびに石が擦れる音がする。目に当たる部分が鈍く赤く光っていた。
「でかい」
声に出した瞬間、赤い目がこちらを向いた。
気づかれた。
巨人が動き出した。速くはない。しかし重い。足を踏み出すたびに地面が揺れた。地面が揺れるほどの質量が動いている。足元の石畳が振動で小刻みに揺れる。
真は後退した。通路に引き込めば巨人が通れないかもしれないと思ったが、腕が長かった。通路の幅より腕の届く範囲の方が広い。通路に入っても腕は届く。
拳が迫った。
横に転がって避ける。拳が石床を叩き、衝撃で床が割れた。石の破片が飛んでくる。腕を顔の前に上げて防ぐ。破片がいくつか腕に当たった。痛い。しかし深傷ではない。壁に手をついてなんとか踏みとどまった。
短剣を構えた。石の体に刃が通じるかどうか分からない。刻印の力で行けるかもしれないが、確証がない。相手の弱点がどこにあるか分からない。石で出来た体のどこを狙えばいいか。
「砕けろ」と叫ぶことを考えた。
しかし誰のために言う。何のために言う。感情が乗らなければ出ない。昨日の練習で分かった。感情なしで叫んでも何も起きない。
後退しながら考えた。石の継ぎ目を狙うか。目の部分を狙うか。しかし高さが問題だ。巨人の体の弱点がありそうな場所は全部、真が届かない高さにある。
「まこと!」
背後からユナの声がした。
待っていられなかったのか、あるいは音で異変を感じ取ったのか、ユナが通路を通ってきていた。
真はその声を聞いた瞬間、思った。
ここに来させたくない。
その感覚が、昨日練習したときよりずっと強く、ずっと鮮明に来た。昨日のガルドへの練習では、思い出して感情を作ろうとした。しかし今は、作っていない。最初からそこにある。ユナに何かが起きることへの拒絶が、考える前に体全体に満ちた。
言葉が口から出ていた。
「砕けろ!」
叫んだ瞬間、全身を何かが走り抜けた。
昨日「止まれ」と言ったときとは比べものにならない電流だった。脊髄から指先まで、一瞬で全部走り抜けた。声が空気を震わせて、その震えが空間全体に広がる感触がある。ただの音ではなく、声が持った力が空気の中に溶けていく感触。
巨人の体の中心から亀裂が走った。
石と石の継ぎ目が裂け、内側の赤い光が漏れ出した。亀裂が広がる。一カ所ではなく、継ぎ目の全部に同時に亀裂が入った。巨人が動きを止めた。一秒、二秒。
それから内側から崩れるように、岩の破片が飛び散りながら崩壊した。
轟音が洞窟を揺らした。破片が壁に当たり、床に落ち、霧が爆風で散った。しばらくの間、破片が落ち続ける音がした。
やがて静寂が戻った。
霧が元に戻ってくる前の、少し視界の開けた空間に、石の残骸が転がっていた。巨人だったものが、砕けた石の山になっていた。
真は立っていた。
右手が震えていた。指先の痺れが、さっきより強かった。手の甲から前腕まで、しびれの感触が広がっている。それが気持ちいいかどうかと言えば、気持ちいいとは言えなかったが、嫌でもなかった。何かが自分の体を通り抜けた感触だ。
「まこと!」
ユナが駆け込んできた。
真の腕を掴んで、顔を覗き込む。松明が揺れて、光がユナの顔に当たった。いつも穏やかな表情が、少し崩れていた。急いで来たことが、普段は外に出ない感情が、少しだけ顔に出ていた。
「けがは?」と言いながら、掴んでいる手に力が入っていた。真の腕を確認している。破片が当たった場所を確認している。
「ない。大丈夫だ」
「大丈夫って……あれ、倒したの?」
「倒したと思う」
ユナが崩れた石の山を見た。それから真を見た。複雑な何かが目の中にある。安堵と、何かもう一つの感情が混ざっている。それが何かは、真には分からなかった。
「……すごい」
ぽつりと言った。それきりだったが、真にはその一言が届いた。こもった言い方だった。感想として言ったのではなく、見たことへの純粋な反応だった。
「ユナの声が聞こえたから出た」と真は言った。
「私の声が?」
「来させたくなかった。それが先に来た」
ユナが手を放した。さっきまで掴んでいた手の感触が、消えていく。少しの間があった。
「……そう」とユナは言い、前を向いた。
洞窟の出口でガルドが待っていた。二人が出てくるのを見て、ガルドが石の残骸が巨人のものだと見当をつけて聞いた。
「三層のボスを倒した」と真が言うと、ガルドが目を細めた。
「どうやって」
「砕けろと叫んだ」
「声の言霊か」
「そうだと思う。刻印ではなく」
「確認しよう」とガルドが鑑定石を取り出した。真が触れると、光が出た。
「言霊付与、Lv.2」とガルドは言い、真の肩を叩いた。「上がった」
「ユナが来る声が聞こえて、叫んだだけだ」
「なんでもいい」とガルドは言い、空を見た。「感情と意志が乗れば力になる。それがお前さんのスキルの本質だ。なぜ出たかを理解していれば、次も出せる。忘れるな」
「忘れない」
ユナが隣で何も言わなかった。
ただ、耳が少し赤くなっているのを、真は気づいていた。気づいているが、何も言わなかった。言う必要がないと思った。言葉が届いていれば、それで十分だ。
三人で街道に戻った。
ダーレムまでの道が、また続いている。空が西に傾いていた。今日の鍛錬と戦闘と、Lv.2の達成と。一日の中に多くのことが詰まっていた。コンビニの一日とは全く違う密度で、全く違う疲れ方をしている。しかしその疲れが嫌ではなかった。
「明日はダーレムに着く」とガルドが言った。
「リリアに会える」と真は言った。
「会えば、お前さんの力のことがもっと分かる。楽しみにしておけ」
「楽しみだ」
ユナが前を歩きながら、振り返らずに言った。「着いたら、まず何か食べたい。ちゃんとしたご飯を」
「着いたら作る」と真は言った。「材料が手に入れば」
「手に入れる」とユナは言い、また前を向いた。
三人の足音が街道に続いていく。
木下真の、この世界での日々が、一つずつ積み重なっていった。
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おっさん、戦国時代で絵を描いたら無双した件〜のんびり平和を目指していたはずなのに〜
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