第六節 旅立ちの朝
二日後の朝、三人はエルムの里を出た。
その二日間は、依頼をこなしながらエルムの里で過ごした。
ガルドが選んだ依頼は、近隣の農地に出るスライムの追加駆除と、村外れの倉庫修繕の手伝いと、薬草採取の三件だった。
戦闘が必要なのはスライム駆除だけで、あとは体を動かす仕事だ。
薬草採取は、ユナが詳しかった。
採取に向いている株の選び方、根を傷つけない引き方、保管方法。
一つ一つを聞くと丁寧に教えてくれた。
説明の仕方が、感覚ではなく論理で構成されていた。
この植物が薬になる理由、採取の時期が決まっている理由、保管の方法に理由がある。
ただ覚えているだけでなく、理解してから覚えている人間の説明だ。
「どこで覚えたんだ」と真は聞いた。
「本で読んで、実際にやってみた」とユナは答えた。
「最初は失敗した。本に書いてあることと実際は違うことがある。試してみないと分からないことが多い」
「そういう経験が積み重なって今の動きになっているか」
「そういうこと」
倉庫の修繕では、ガルドが板の貼り方を指示し、真が手伝った。
肉体労働は五年間ほぼしてこなかったが、やってみると体が動いた。
コンビニの棚卸しで重い段ボールを積む仕事は毎日あったので、腕に力がないわけではなかった。
二時間の作業を終えると、体から汗が出ていた。
悪い感じではなかった。
その夜、真は初めてこの世界の食事を自分で作った。
宿に台所が借りられるか聞くと、快く貸してもらえた。
市場で買ってきた食材を並べた。
根菜が三種類、この世界の香草が五種類、塊肉が一つ。
肉は赤みが強く、日本の牛肉より固そうな色合いだ。
香草の一つを指で千切って嗅ぐと、バジルに似た香りがした。
同じではないが、似ている。使えると思った。
根菜を薄く切り、肉を一口大にして表面に焼き色をつけてから煮込んだ。
香草を最後に加えて、少し塩を足した。
仕上げに、市場で見つけた粒の細かい塩を追加した。
食べたガルドが「今まで食った中で上位に入る」と言い、三杯おかわりをした。
ユナが「また作って」と言った。
それだけだったが、真には十分だった。
旅立ちの朝、村長が見送りに来てくれた。
白髪を後ろに撫でつけた老人は、三人の顔を順番に見てから言った。
「また寄ってくれ。あなたたちが来てから、村が明るくなった気がする」
「大げさですよ」と真は言った。
「スライムを退治して、飯を作っただけです」
「それだけじゃない」と村長は言い、少し笑った。
「強い人が通り過ぎていくだけでも、村には力になる。それを言いたかっただけだ」
何と言えばいいか分からず、「また来ます」と答えた。
その言葉が出たとき、本心だと分かった。
また来る、という気持ちが確かにあった。
最初に降り立った場所だから、というだけではない。
この場所で初めて何かを成し遂げた、という感覚があるから、また来たくなる。
礼だと言って食料の入った袋を持たせてくれた。
黒パンと干し肉と保存の効く根菜が入っている。ずっしりと重かった。
街道に出て、三人で歩き始めた。
晴れた朝だった。街道の両側に草が茂り、遠くに山が見えた。
夏と秋の境目のような空気で、朝は涼しく、動き始めると体が温まる。風が吹いて草が波のように揺れる。
真は深く息を吸った。
この世界の朝の空気が、もう少し体に馴染んできた気がした。
最初の朝は、密度が高くて戸惑った。
今は、その密度が普通になってきている。
「スローライフ感がある」と真は言った。
「これから二日歩くけど」とユナが言った。
「道中の話だ」
「足が痛くなるけど」
「そこは言わなくていい」
ガルドが低く笑った。
「賑やかなやつらだ」と言い、少し先を歩いていた足を緩めて二人と並んだ。三
人で歩く。縦に並ぶのではなく、自然に横に広がった。
真は空を見上げた。
蛍光灯ではなく、本物の青空の下を歩いている。
コンビニの制服ではなく、村で買ったこちらの世界の服を着ている。
昨日、ガルドが「冒険者として動くなら、それらしい格好の方が動きやすい」と言って、市場で揃えてくれた。革のブーツ、厚手の上着、腰にベルトと短剣。鏡で自分を見たとき、少し笑えた。五年前、就職活動をしていたころ、スーツを着て面接に向かっていた自分とはあまりにも違う。
しかしこちらの方が、体に合っている気がした。
「まこと」とユナが言った。
「何」
「料理、本当に作れる?」
「昨日食べたろ」
「また作れる?」
「食材と台所があれば」
「楽しみ」とユナは言った。
真はそれが少し嬉しかったが、表情には出さなかった。
ユナが「楽しみ」と言うとき、その言葉は必要だから出る言葉だ。
言わなくてもいいのに言った。それが嬉しかった。
三人の足音が街道に続いていく。
エルムの里が後ろに小さくなっていった。
最初に降り立った村が、視界から消えていく。
しかし消えていくことへの寂しさより、前に進むことへの感覚の方が大きかった。
リリアに会う。
古代語を研究している人間に会って、自分の力の正体を知る。
それが今の目標だ。目
標があれば、道がある。
道があれば、歩ける。
それだけで、コンビニの夜勤より、ずっと前を向いていられた。
山が遠くに見えた。
空が広かった。
風が心地よかった。
木下真の、この世界での第一歩が、ようやく本当の意味で踏み出されていく感じがした。




