世界の現状と、魔族の誇り
第3話です。
宜しくお願いします。
風が、血の匂いをさらっていく。
狩場だった荒れ地に残っているのは、黒く乾いた血と、踏み荒らされた地面だけだ。
ザナド=リースは、まだ膝をついたまま、ぎゅっと右手を握りしめた。
さっきまで自分の命が流れ出ていたはずの場所。そこに残る生々しい感触は、不思議ともう痛みを伴っていない。
「……本当に、私は……」
かすかな驚きと戸惑いが、その瞳に揺れていた。
マランはそんな彼を見下ろし、ひとつ息を吐く。
「実感が湧かないか?」
「……ええ。死んだはずの自分が、こうして再び立っているのですから」
ザナドはゆっくりと立ち上がった。指を握り、足を踏みしめる。
筋肉の動き、魔力の流れ、心核の鼓動。
どれも以前とは比べ物にならないほど明瞭に、強く感じられる。
「力が……前とは桁違いだ。視界も、気配も、全部、はっきりしている」
「俺の魔力と、お前の魂を混ぜた結果だ」
マランは肩をすくめる。
「《悪魔生成》――心核を贄に、悪魔を産み出す魔王の力らしい。お前の場合は、ほとんど“そのまま”悪魔になった感じだがな」
「……“らしい”、ですか」
「ああ。さっき目覚めたばかりで、俺も半分手探りなんでね」
さらりと言ってのける魔王に、ザナドは思わず苦笑した。
自分を蘇らせた存在が、完全無欠の絶対者ではなく、どこか人間臭い“新米の王”だという事実は、奇妙な安心感を与えてくる。
(本当に、変な魔王だ……)
けれど、その“変さ”が、ザナドには心地よかった。
「さて」
マランは、周囲をもう一度見渡した。
「どうせなら、ここで状況整理といこうか。俺はさっき生まれたばかりの転生魔王、こっちの世界のことはほとんど知らない」
「……そうでしたね」
「お前は生まれも育ちもこの世界の魔族だ。ちょうどいい。俺に教えてくれ」
マランの紅い瞳が、ザナドを射抜く。
「この世界が、どれだけ腐っているのか。八種族とやらのことも、あの塔のことも、全部だ」
その言葉に、ザナドは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに頷いた。
「……わかりました。我が王。
では、まずは――この世界に生きる種族のことから、お話ししましょう」
***
二人は少し場所を移し、岩陰になった小さな窪地に腰を下ろした。
吹きさらしの荒れ地よりも風が弱く、遠くの塔も見える。話をするには丁度いい。
ザナドは遠くの地平線、天を突く巨大な影を一瞥してから、口を開いた。
「この世界には、八つの種族が存在します」
「人族、魔族、魔獣族、精霊族、地中族、魚人族、龍族、巨人族――で、合ってるか?」
「はい」
ザナドは指折り数えながら、一つずつ説明を始める。
「まずは、人族。
数も多く、文明も発達し、学問や魔術の体系化、道具の製作に優れています。身体能力や純粋な魔力では他種族に劣りますが、その代わり――」
「塔を建てた」
マランが言葉を継ぐ。
「そうです」
ザナドの表情がわずかに険しくなった。
「人族は八本の巨大な魔導塔を建て、それぞれの塔から放たれる波動で、他種族を弱体化させています。
魔族の魔力、魔獣族の獣核、精霊族の自然同調、龍族の覚醒……そういった“種族の核”を、塔は容赦なく削る」
「なるほどな。自分たちより強い相手は、正面から戦うんじゃなく、システムで縛るわけか」
マランは鼻で笑った。
「前の世界と、発想がよく似てる」
「……?」
「こっちの話だ。続けてくれ」
ザナドは一瞬首をかしげたが、すぐに話を戻した。
「次に、魔族」
彼は自分の胸に手を当てる。
「我ら魔族は、魔力と精神の強靭さに優れた種族です。
誇り高く、何より“自分の意志”を貫くことを重んじます。そのせいで……」
「群れない」
マランが静かに言う。
ザナドは驚いた顔をしてから、苦笑した。
「さすがは魔王……ですね。
はい。魔族は、基本的に群れを嫌います。誰かの下につくことを“誇りの放棄”だと考える者も多い。
だから国家としてまとまることがなく、それぞれが勝手に、自由に生きている」
「自由に生きて、自由に狩られてるわけだ」
皮肉まじりの言葉に、ザナドの表情がわずかに曇る。
「……否定は、できません。
魔族が本気で一つにまとまれば、人族ごときに遅れは取らないはず……。
ですがそれを“束ねる王”は、これまで現れなかった」
「前の魔王は?」
「……孤高の守護者、のような存在だったと聞いています。
人族との均衡を保つためには戦いましたが、魔族をまとめる気はなかった。
それでも“象徴”としての役割は果たしていたのですが――」
ザナドは少し目を伏せる。
「その魔王も、人族の塔が建ってからは次第に弱り……やがて姿を消しました。
以来、魔族には“王”と呼べる存在がおらず、今に至るまで数百年……」
「その結果が、さっきの狩りか」
「……はい」
沈黙が落ちる。
その沈黙を断ち切るように、マランは口角を上げた。
「なら、ようやく“まとまる理由”が出来たってことだな」
「え?」
「王がいないからまとまらない? じゃあ王がいればいい。
群れるのが嫌いでも、“一緒に世界をぶっ壊してくれる王”なら、話は別だろ?」
冗談めかした口調だったが、その紅い瞳は本気だった。
「続きだ。魔獣族は?」
ザナドは、ほんの少しだけ呆れたような、しかしどこか嬉しそうな表情を浮かべてから話を続ける。
「魔獣族は、獣の身体と魔力核を持つ種族です。
純粋な戦闘能力だけなら、全種族でも上位に入ります。群れを作り、縄張りを守り、仲間を何より大切にする。
ですが……」
「塔のせいで、獣核を抑えられている」
「はい。怒りや闘争本能を鈍らせる“鎮静の波動”が常に流れていて、本来の力の半分も出せていません。
人族は彼らを闘技場の見世物にしたり、軍事用の“生体兵器”として扱っている」
マランの眉がわずかに動く。
「闘技場ね……。家畜の鑑賞用、ってわけか」
覚えのある構図に、腹の奥がじり、と熱を帯びる。
「精霊族は、森や川など自然と深く結びついた種族です。
自然の声を聞き、癒しや守護の魔術に長けていますが――塔のせいで森は痩せ、精霊たちは次々と消えている。
地中族は、鉱石の身体を持つ地下の民。鍛冶や工芸の名人ですが、今は鉱山奴隷として酷使されています」
「魚人族は海で、龍族は空と理を守っていた。
巨人族は古代の建設者――ってところか?」
「その通りです」
ザナドは少し驚いたように目を見開いた。
「……我が王は、何か、こういった“世界の構造”に詳しいのですか?」
「似たようなものを見てきたからな」
マランは曖昧に笑う。
「支配する側と、される側。それを固定する装置。
どこの世界も、そういうものを作りたがる」
AI。
オルド=システム。
数字で人間を管理し、効率だけを価値とした機械の神。
(今度の世界は、人間がその“役”をやっているだけか)
吐き気がするほど、よく出来た悪趣味だ。
「……まだあります」
ザナドが言う。
「年に一度、八つの種族の代表が集まる『大種族会議』が開かれます。
本来は種族間の争いを避け、資源の分配や領土の問題を話し合う場……のはずでした」
「“はずでした”、ね」
「ええ。実際には、人族が主催し、他種族の“口出しできる範囲”を決める場になっています。
しかも……魔族には国家がなく、王も不在。
ここ数百年、魔族の席は空いたままです」
「……魔族の発言権は、存在しないに等しいわけだ」
「はい」
ザナドはその場にいなかったにもかかわらず、その時の空気まで感じているかのように顔を歪めた。
「魔族は“暴れるだけの危険な種族”として扱われています。
塔に弱らされ、散り散りに狩られながらも、それでも群れない愚かな種族だと」
その言葉には、他人事ではない、深い悔しさが滲んでいた。
「……俺自身も、そう思っていた部分があるのかもしれません」
ぽつりと、ザナドは言った。
「誰の下にもつかず、誰とも群れず、“誇り”を掲げたまま散っていく。
それが魔族の生き方だと。
――でも、それで何が守れたんだろうって、ずっと、心のどこかで思っていました」
獣人の子供の怯えた瞳が、脳裏によみがえる。
守れなかった命。
届かなかった手。
「強さを誇っても、仲間を守れないなら……そんな誇りに意味なんてない。
そう思っていたのに、私は結局、一人で突っ込んで、勝手に死んだだけだ……」
自嘲ぎみに唇を歪めるザナドの言葉を、マランは最後まで黙って聞いていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「一つ、訂正しろ」
「……え?」
「お前は“勝手に”死んだんじゃない」
マランの声は静かだったが、断言する強さがあった。
「お前は弱者を庇って死んだ。
雑に働いて、何も考えずに死んだわけじゃない。
少なくとも――俺から見れば、お前の死は、“誇りを貫いた結果”だ」
「……誇り、を……?」
「そうだ」
マランは短く言い切る。
「問題は、その誇りが“お前一人”で終わっていたことだ。
お前みたいな奴が十人、百人、千人と繋がっていれば、結果は変わったかもしれない」
それは、前の世界で何万人という“諦めた奴隷”を見てきた男だからこそ言える言葉だった。
「だから、俺はそれを繋げる。
お前の誇りは、今日で終わりじゃない。
これから俺と一緒に、この世界中にばら撒いてやる」
ザナドの瞳が、見開かれる。
胸の奥に、熱いものが込み上げた。
「……我が王」
気が付けば、ザナドは再び膝をついていた。
先程は召喚の勢いで自然にそうなった。
今は、違う。
意識的に、選んで、頭を垂れている。
「私は、生前に何も変えられませんでした。
守れず、救えず、力が足りず……悔いだけを残して死にました」
握りしめた拳が震える。
「ですが、貴方は違う。
前の世界から“それでも世界を嫌い続ける意志”を持ち込んだ、真の魔王だ」
「ちょっと過大評価じゃないか?」
「いいえ」
ザナドは首を振った。
「この世界を嫌うことは、多くの者ができます。
ですが、“嫌いなものを壊す覚悟”を持つ者は少ない。
まして、それを自分のためだけでなく、“誰も奴隷にならない世界”のためにやると言い切れる者は――魔族にも、人族にも、いませんでした」
そこでザナドは一度言葉を区切り、深く息を吸う。
「だから――この意思は、私のものです」
真っ直ぐにマランを見上げる。
「強制されたわけでも、命を握られているわけでもない。
私は私の意志で、マラン=タン=リース様を“我が王”と呼ぶと決めました」
その言葉には、魔族としての誇りがあった。
縛られることを嫌う種族が、自ら縛られる道を選ぶ。
それは屈服ではなく、誇り高い“契約”だ。
「ザナド=リース――」
マランはその名を呼ぶ。
「お前は本当に、俺に“従いたい”のか?」
「はい。我が王」
「俺は、お前を隷属させるつもりはないぞ。
俺は奴隷が嫌いだ。前の世界で散々見てきた。二度とああいう真似はごめんだ」
ザナドの目が一瞬驚きに泳ぐ。
「……では、私は……何として扱われるので?」
「そうだな」
マランは少しだけ考え、それから笑った。
「“仲間”でいい」
「仲間、ですか」
「そうだ。魔王と従者である前に、同じ方向を向いて歩く奴らだ。
俺はお前の力を使う。代わりに、お前の望む世界を一緒に目指す」
ザナドは、言葉を失った。
予想していた答えではなかったからだ。
主と従者。
王と臣下。
その関係に“仲間”という言葉を使う王を、ザナドは今まで見たことがない。
「……本当に、変な方だ」
思わず漏れた呟きに、マランは笑う。
「さっきも言っていただろ。俺は魔王らしくないって」
「ええ。ですが――」
ザナドは顔を上げる。
その瞳には、迷いがなかった。
「その“変さ”に賭けてみたいと思いました。
魔族としての誇りを捨てるわけではなく、その誇りを“繋げる”ために。
我が王――いえ、マラン様」
「なんだ」
「改めて、ここで誓わせてください」
ザナドは地に片手をつき、もう片方の手を胸に当てた。
「ザナド=リースは、貴方の剣となり、盾となり、道を照らす灯となります。
この命、この魂、この心核の全てを――貴方の掲げる“誰も奴隷にならない世界”のために使い果たしましょう」
それは、奴隷の誓いではない。
誰にも膝をつかない種族が、ただ一人だけ選んだ“王”への誓約。
マランはしばし沈黙した後、その頭にそっと手を置いた。
「……大げさだな」
「魔族は元から大げさな種族です」
「そうか」
マランは小さく笑う。
「なら、俺も大げさなくらいに応えてやらないとな」
目を閉じると、心核の奥に、ザナドの存在が感じられた。
魔王と、悪魔となった魔族。
その魂が、ごく自然に“繋がって”いる。
(……これが、俺のもう一つの力か)
仲間が得た経験や力を、自分の内側にも流し込む共鳴の感覚。
それはまだぼんやりとしていて、はっきりとした形にはなっていない。
だが、マランは直感していた。
――いつかこの力が、世界を壊すための大きな武器になる、と。
「ザナド」
「はい」
「これから、色々と面倒ごとに巻き込むつもりだ。
塔を壊す。人族の支配をひっくり返す。
魔族に国を作らせて、八種族の会議に殴り込む」
そこまで言って、マランは口を閉じた。
それ以上は、今はまだ“言わない”ことにする。
世界をどう壊し、どう作り替えるのか――それは、これからじっくりと形にしていけばいい。
「……今のは、予告みたいなものだ。
具体的な話は、もう少し落ち着いてからにしよう」
「ふふ、十分すぎるほど、物騒な予告でしたが」
ザナドは楽しそうに笑った。
「ですが――その全てに付き合う覚悟は、もうできています」
「ならいい」
マランは立ち上がり、曇り空を見上げた。
薄い雲の向こうに、ぼんやりと塔の輪郭が霞んで見える。
今はまだ遠く、小さく見えるそれが、近い未来、真っ先に壊すべき標的になる。
「世界の現状は、大体わかった。
あとは……壊す順番を考えるだけだな」
「ええ。我が王」
ザナドも立ち上がり、その隣に並ぶ。
荒れ果てた大地の上に、二つの影が伸びる。
世界にとっては、あまりにも小さな影だ。
だが、この日――
世界を嫌った魔王と、誇りを抱き続けた魔族の青年は、確かに肩を並べた。
この世界を壊す、その最初の一歩として。
ややこしい所とかも結構あると思うので忘れないように
出来るだけ更新頻度増やせたらなと思っています。




