贖罪の騎士、悪魔として
第17話です。宜しくお願い致します。
宴の翌朝、住処はいつもと違う静けさに包まれていた。
昨夜までの喧噪が嘘のように消え、あちこちから聞こえてくるのは――
「……うぅ、飲み過ぎた……」
「父さん、まだ頭抱えてゴロゴロしてるし……」
「フェロー様、あれだけ飲めば当然ですよ」
という、二日酔い組のうめき声とため息がほとんどだった。
そんな中で、マランは一人、住処の少し外れにある岩場へと足を運んでいた。
朝靄に包まれたその場所は、まだ皆の気配が届かない静かな空間だ。
マランは立ち止まると、ゆっくりと右手を掲げた。
空間が淡く歪み、影の中から二つの物が現れる。
一つは、黒く濁った巨大な魔石。
もう一つは、白銀の鎧に身を包んだ男の遺体。
――アークレイド。
純血聖騎士団、十傑直属部隊長であり、塔の前でマランに敗れた人族の精鋭。
その肉体は酷く損傷しているものの、顔立ちはまだはっきりと残っている。
「……随分静かだな」
マランが呟く。
かつては傲慢さを湛え、魔族を見下ろしていた瞳はすでに閉じられ、そこに誇りも憎悪も残ってはいなかった。
だが、その足跡が消えるわけではない。
魔族を狩り、塔を守り、人族の側に立ち続けた騎士。
その罪は、重い。
「本当に、やるのですね」
背後から静かな声がした。
ザナドだ。
いつものように整えられた髪と冷静な表情。だが、その目にはわずかに迷いの光が宿っている。
「こいつを、ネザリアの一員として迎え入れる気なのですか?」
「迎え入れる、というより……使う、だな」
マランは魔石を軽く持ち上げる。
「塔の魔石。純血騎士団の精鋭の死体。
悪魔生成に使えば、相当な化け物ができる」
実際、胸の奥の心核が、これ以上ないほどに強い“素材”だと告げていた。
この二つを贄にすれば、単なる兵ではなく――“切り札”になり得る存在が生まれる。
「それに――」
マランはアークレイドの顔を見下ろした。
「味方の駒がほしい。
人族の中枢を知っていて、塔の構造と、純血騎士団の内情に詳しい駒がな」
ザナドは目を伏せる。
「……それは、確かに大きいですが。
それでも、彼は今まで魔族を殺し、塔を守り続けてきた人族です」
「分かってる」
マランは短く答える。
「だからこそ“悪魔”にする。
もう二度と、人族の側には戻れないようにな」
その言葉は冷たく響いた。
だが、そこに偽善めいた甘さは一切ない。
罪を帳消しにするつもりも、許しを強要する気もない。
――ただ、“壊す側”に引きずり込む。
「それでも納得できないなら――」
マランはザナドを見た。
「お前も、フェローも、マニアも、シェリーも。
こいつを殺す権利はある。
生まれてきた瞬間に、全員で始末しても構わない」
「マラン様は……?」
「俺は、こいつがどんな顔をして生まれ直すのか、それを見届けたいだけだ」
ザナドは一度目を閉じ、深く息を吐いた。
怒りもある。
嫌悪もある。
魔族を狩ってきた人族を仲間にするなど、本来あり得ない話だ。
それでも――
(マラン様は、この世界を壊すと言った)
あの塔を壊し、弱い者が踏みにじられる世界を終わらせる。
そのためには、ときに受け入れ難い手も取らなければならない。
「……分かりました」
ザナドは顔を上げた。
「私は、マラン様の判断に従います。
ただし――」
その眼差しが、アークレイドの遺体を鋭く射抜く。
「彼が生まれ変わったとしても。
罪は消えません。
私は、それを忘れません」
「それでいい」
マランは小さく笑った。
「じゃあ――始めるか」
◆ ◇ ◆
やがて、フェロー、マニア、シェリーも呼び出された。
「おいマラン。話があるってのは何だ……」
フェローはまだ少し頭を押さえている。
昨夜の飲み過ぎが尾を引いているのだろう。
そして、彼の視線がアークレイドの遺体に触れた瞬間――
「……ッ」
拳がきしりと音を立てた。
マニアの表情も一瞬で険しくなる。
「ちょっと、これ……!
この人族……!」
「塔の前にいた純血騎士団のやつだな。
てめぇ、何考えて――」
「待ってください」
ザナドが一歩前に出た。
「私も、正直……胸の内は穏やかではありません。
ですが、マラン様は“駒として使う”おつもりです」
「駒、ね」
シェリーが艶やかな声で笑う。
その笑みはいつものような妖艶さではなく、冷たい興味を含んだものだった。
「人族のエリートを、悪魔に堕とす……
ふふ、嫌いじゃないわ、その趣味」
「お前は黙ってろ、シェリー」
フェローが眉をひそめる。
「マラン。説明しろ。
こいつをそのまま焼き捨てちまうんじゃなく、わざわざ連れ帰った意味をな」
「さっきザナドにも言ったが――」
マランは魔石を掲げる。
「塔の魔石。
純血騎士団の精鋭の遺体。
どっちも、悪魔生成の素材としては最高級品だ」
「…………」
フェローは黙ったままだ。
マランは続ける。
「人族の城、純血聖騎士団、残りの塔。
今後の相手を考えれば、“内側から知っているやつ”が一人いるだけで、打てる手が格段に増える」
それは事実だ。
ギャラン王、セイヴァー、純血の十傑。
その内情と力の配分、塔との関係――全てを知る者。
今のネザリアには、そういった“情報源”がいない。
「こいつは、その役に立てる。
生きていた時よりも、ずっとな」
「でも!」
マニアが思わず声を上げた。
「こいつ、人族側だったんだよ!?
魔族を殺してきたんだよ!?
フェローだって、ずっと前から――!」
フェローは娘の肩に手を置いた。
「マニア」
「……なに」
「俺たちはもう、戦うと決めた。
世界をひっくり返すっていう、あの“バカ魔王”の無茶話に乗っちまった」
フェローはマランを横目で睨みつつ、口元だけ僅かに笑った。
「そのために必要な力なら、歯ぁ食いしばって飲み込む覚悟はしておくべきだ」
「お父さん……」
「許しちゃいねぇ。
そもそも簡単に許す気もねぇ。
だが――」
フェローはアークレイドの遺体を睨みつける。
「こいつが本当にネザリアの一員になるってんなら、
マラン様の“手足”になって、働き続ける義務はあるだろうよ」
マニアは悔しそうに唇を噛んだ。
それでも、最後には頷いた。
「……分かった。
あたしも、すぐには許さない。
でも、マラン様がそうするって決めたなら……
ちゃんと見てやる」
「ありがとな」
マランは一言だけ言って、正面を向き直った。
「始める」
◆ ◇ ◆
マランが両手を掲げる。
磁場が逆転したような感覚が、空間を歪めた。
「《悪魔生成デモン・ジェネシス》」
黒と紅の魔力が渦を巻き、魔石と遺体を包み込む。
魔石の表面がひび割れ、内部から眩い光と濁った闇が溢れ出す。
アークレイドの身体が、光と影に引き裂かれるように溶けていく。
「ぐっ……!」
近くにいるだけで、フェローやマニアの皮膚が粟立つ。
「相変わらず、えげつないエネルギーね……」
シェリーは楽しげに、しかし一歩も引かずにその光景を見つめていた。
ザナドはただ、目を逸らさずにその変化を見届ける。
光と闇の中で、何かが再構成されていく。
人族としての骨格。
騎士として鍛え上げられた筋肉。
魔石が持つ膨大な魔力。
そこに、“マランの悪魔”としての因子が混ざり込み――
やがて。
黒い魔方陣が地面に刻まれた。
その中心で、一人の男が片膝をついていた。
白銀の鎧は、ところどころ黒い文様に染まり、肩には角のような突起が生えている。
瞳は、かつての鋭い青から、わずかに紅を帯びた鋭い光へと変わっていた。
そして背中には、獣のそれとは違う、黒い“影の翼”のようなものが微かに揺れている。
「…………」
しばしの沈黙の後、男はゆっくりと目を開いた。
視界が揺れ、世界が歪む。
自分がどこにいるのか、一瞬分からなかった。
だが――
最初に飛び込んできたのは、見覚えのある顔だった。
「……マ、ラン……?」
アークレイドは声を震わせる。
記憶の断片が、洪水のように押し寄せてきた。
塔。
剣。
純血騎士団。
人族の至上主義。
魔族への軽蔑。
――そして。
「影……葬……殿獄……」
黒い棺に呑まれる直前の記憶が蘇る。
アークレイドの喉がひゅっと鳴った。
「そうだな」
マランは腕を組んだまま、見下ろすように言う。
「お前は俺に殺されて、悪魔として生まれ直した」
「悪魔……」
アークレイドは自分の手を見る。
指先に黒い紋様が浮かび、甲冑と皮膚の境界が曖昧になっている。
背中の翼の感覚が、違和感と共に伝わってきた。
そのとき――
胸の奥を、鋭い痛みが走った。
これは肉体的な痛みではない。
もっと深い、魂の痛み。
マランと、ザナドと、シェリーと、フェローと、マニア。
彼らの“感情”の欠片が、一気に流れ込んでくる。
怒り。
憎悪。
悲しみ。
絶望。
それでも立ち上がろうとする意思。
(……これは……)
膝が震えた。
自分が今、何者か。
誰に殺され、誰に呼び戻され、誰の側に立っているのか。
その全てが、否応なしに突きつけられる。
「お前には、こっちの気持ちがダイレクトに届くはずだ」
マランが言う。
「悪魔として生まれた以上、俺との繋がりは切れない。
俺の配下の想いも、嫌でも感じることになる」
「……っ」
ザナドの視線が刺さる。
シェリーの冷笑が、皮膚に突き刺さる。
フェローの怒りが、熱を持ってぶつかってくる。
マニアの拒絶と、微かな迷い。
それらすべてが、アークレイドの胸に重くのしかかった。
「……俺、は……」
アークレイドは、ゆっくりと頭を垂れた。
騎士として膝をついたのではない。
一人の罪人として、地面に額を近づけた。
「俺は、魔族を殺してきた。
塔を守ってきた。
人族のために、お前たちの仲間を……何度も」
声が震える。
かつての誇り高い騎士の面影は、そこにはなかった。
「許されるとは思っていない。
罰も、責めも、全て受ける覚悟はある」
フェローが一歩前に出る。
「なら――」
拳が強く握られる。
「今すぐ、その首を叩き折ってやってもいいんだな?」
空気が張り詰めた。
マニアも、いつでも飛びかかれるように身構える。
シェリーの毒尾が、静かに揺れた。
アークレイドは、それでも顔を上げない。
「構わない」
短く、はっきりと言った。
「俺が奪ってきた命を考えれば――
この程度で済むはずもない」
その言葉に、フェローの拳が止まる。
静寂。
皆がマランを見る。
マランは、ほんの少し視線を伏せてから、口を開いた。
「……反省してるのは分かった」
アークレイドの肩が微かに震えた。
「だが、“反省してるから仲間にする”わけじゃない」
マランの声は、淡々としていた。
「俺はお前を、贖罪のために使うつもりはない。
利用価値があるから使う。
それだけだ」
アークレイドは顔を上げた。
その目に、わずかな驚きと、別種の感情が浮かぶ。
「罪を背負ったまま、こっち側に立て」
マランは言う。
「世界を壊す側に回って、今まで守ってきた“人族の秩序”を自分の手でぶっ壊せ。
それが、お前にできる唯一の償いだと、俺は思う」
「…………」
アークレイドは、しばらく黙っていた。
自分が守ってきたもの。
信じてきたもの。
誇りとしていたもの。
その全てを否定し、自らの手で壊す――
「……ハッ」
乾いた笑いが漏れた。
「最低で……最悪だな、魔王」
「よく言われる」
マランは肩をすくめる。
「どうする。
それでもこっちに来るなら、“ネザリアの悪魔”として迎えてやる」
アークレイドは、ゆっくりと立ち上がった。
そして――かつてギャラン王やセイヴァーに向けていたそれとは違う、もっと低く深い敬意を込めて、頭を下げた。
「……アークレイド」
名乗りは、簡潔だった。
「かつて人族の純血騎士団に属した者。
今は――魔王マランに敗れ、その悪魔として蘇った愚か者です」
瞳が、真っ直ぐにマランを捉える。
「俺の剣も、知識も、命も。
全て、あなたの“世界を壊す”という目的のために捧げる」
マランは、少しだけ満足そうに笑った。
「いいだろう。
ようこそ――ネザリアへ」
◆ ◇ ◆
とはいえ、全員がすぐに納得したわけではない。
「……まだ、ムカついてるけど」
マニアは腕を組んだままアークレイドを睨む。
「マラン様が連れてきたんだし、ネザリアの一員ってことは……
そのうち、ちゃんと“働いてもらう”から」
「“そのうち”じゃなく、今から働かせりゃいいんだよ」
フェローが鼻を鳴らす。
「おい、アークレイド」
「……はい」
「お前、純血騎士団やら王様やらの内情も知ってんだろ。
次にどこの塔をぶっ壊すか、その辺の話をマラン様に全部吐き出しやがれ」
「当然です」
アークレイドは素直に頷いた。
「知っている限りの情報は、余さずお伝えします」
「シェリー」
マランが振り向く。
「はい、マラン様?」
「こいつに変な毒とか打つなよ。
死なれたら困る」
「まぁ。
“変な”毒じゃなければ、いいのかしら?」
「ダメだ」
「つれないわねぇ」
シェリーはくすくす笑いながらも、尾の毒針を引っ込めた。
ザナドは、少しだけ歩み寄り、アークレイドを見つめる。
「私はあなたを許しません」
その言葉は、冷淡でも憎悪一色でもなく、ただ事実として告げられた。
「ですが――あなたが本気でマラン様と共に歩むというのなら。
その背中を見て、判断させていただきます」
「……それで、十分だ」
アークレイドは、静かに目を伏せた。
◆ ◇ ◆
こうして、かつての純血騎士は――
ネザリアの悪魔として、新たな一歩を踏み出すことになった。
背後に、消えない罪と後悔を引きずったまま。
それでも、その足は、確かに“今までと違う方向”へと向いている。
「さて」
マランが全員を見回す。
「世界を壊すための駒が、一つ増えたわけだが――」
「“駒”って言い方、ほんと容赦ないですよね、マラン様は……」
ザナドが苦笑まじりに言う。
「でも、嫌いじゃないけど」
「ふふ。私は“おもちゃ”くらいにはしていただきたいですわ」
「お前ら、主への敬意ってもんはねぇのか」
一通りのツッコミと笑いが起きる中、
アークレイドだけは、まだその輪に入りきれていない。
それでも――
(いつか、この輪の中に立てるのだろうか)
そんな場違いな願いが、胸の奥に小さく芽生えていた。
それが贖罪なのか、救いなのか、自分でも分からない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
(俺はもう、人族の騎士ではない)
アークレイドは、静かに心の中で呟いた。
(今の俺は――ネザリアの悪魔だ)
世界を守る者ではなく。
世界を壊す者の一人として。
新たな戦いの幕が、また一つ上がろうとしていた。
皆の気持ちがそのまま心に突き刺さるなんて
かなりメンタル沈みますよね。
自分はメンタル弱いので無理だと思います…




