09. 罪
白くて明るい電気が降り注ぐ、正方形らしい部屋。
パイプ椅子に座らされ、テーブル越しにスーツを着た女の人が座っている。歳はわたしよりひと回り上くらいだろうか。
温かい眼差しを向けながら、彼女が話しかけてくる。
「少しずつ、少しずつでいいですからね。……ではもう一度聞きます。夫である神谷幹久さんを殺害したのは、あなたですね?」
いったい何の話をしているのだろう。
幹久さんをわたしが殺した?そんなこと、していない。するわけないじゃない。
「神谷翔子さん、わかりますか?」
表情は優しいのに、喋り方が冷たい。怖い、と思った。
「……やだ……」
「はい?」
「やだ……やだ……やだやだやだやだやだやだやだやだやだ!!!」
生臭い血の臭い。わたしを捉えた二つの目。のろいの呪文。電車の中の痴漢。会社のパワハラ。わたしを心の底から見下しているミキちゃん。
走馬灯のように一瞬で蘇った全てが絶妙に繋がりそうで、怖くて、気持ち悪くて、わたしは居ても立っても居られず、両手両足を全力で動かす。
「被疑者が暴れ始めました」
胸元に付けているマイクのようなものに彼女が言うと、大きな男が三人も入ってきてわたしを襲った。全員黒いスーツを着ていた。
この人たちはいったい何なのだろう。どうしてみんなわたしをいじめるのだろう。わたしがいったい何をしたというのだろう。
押さえつけられる全身が痛い。それでもただただ抗い続ける。
聞き覚えのある女の叫び声が、うるさいくらいに響き渡った。
わたしは何も悪くないのに。
頑張ってるね、いつもありがとう、って、誰かに言って欲しかっただけなのに。誰でもいいから、そう言ってくれれば、もうそれだけでよかったのに。
どうしてわたしは今押さえつけられているのだろう。
疲れた。
と感じた途端、不意に身体の力が全部抜けて、自分を支えていることすらできなくなった。
その場に崩れ落ちるわたしを彼らが支えた。
三人のうち誰か一人の腕にしがみつき、わたしは子供のように大声で泣いた。
泣いても泣いても、涙は止まらなかった。
**
わたしがよくやく冷静になったのは、どうやら二週間ほど過ぎた頃だったらしい。
あなたは夫を殺しましたかと聞かれ、はいと答えた。
それなのにわたしがいるのは牢屋ではなく、なぜか病院だった。
個室ではなく四人部屋。入ってすぐ、一番廊下側にあるベッドに寝かされた。窓の外の景色などは全くわからない。
でも蝉の声が聞こえないということは、夏はもう終わったのか、終わろうとしているのかのどちらかだ。
あのときわたしに話しかけてきていたあの女性は、精神科医だったらしい。
彼女はどうにかしてでもわたしを狂っていることにしたがった。そしてわたしはここに入れられた。
数日置きにやってくる彼女は、あなたは病んで精神病を患っている、そしてそれが証明できれば罪は軽くなる、と言った。
わたしは自分が見たこと、聞いたこと、したことを、全て彼女に話した。そのときは必ず横に弁護士と名乗る男性もいた。
彼らの絶妙な相槌、共感してくれるような表情や仕草が、とても話していて心地良かった。
そしてわかったのは、ベッドにいた幹久さんはわたしの幻覚だったこと、あの女の叫び声はわたしのものだったということだ。
日々のストレスからわたしの頭はおかしくなっていて、もっと早くカウンセリングを受けるなどの処置をしていたら夫を殺すまでには至っていなかったかもしれない、らしい。
けれど未だにわたしは、自分の頭がどうおかしくなっているのかがよくわからない。
「うぅうぅ……」
突然の唸り声に、身体がびくっとなる。
隣のベッドで横になっている老婆が、光のない目でわたしを見ていた。
精神科医の彼女と弁護士の男性が帰ってすぐ後のことだった。
「あのなぁ、あんた……あんたの事情はなぁ、わしゃなんとなくわかっとる」
しわがれた声は男のようだった。
互いに寝転んだ状態のまま、わたし達は見つめ合う。
「わしもあんたと同じような事情で、かれこれもう二十年ここにいる」
老婆の口元が不気味に緩む。
「ここを出たけりゃ、頭を治して罪を償うことだ。だがなわしゃ、絶対にあのクソ亭主のために牢屋なんか入りたくねぇ。だから今も狂ったふりをしている。死ぬまでここにいるつもりさ……はははははっ!!」
囁くように話していたかと思えば、いきなり大声で笑い出した。ホラー映画のおばけのようで、わたしは恐怖に包まれた。
なんだかよくわからないが、わたしはこうはなりたくない。
それからも老婆はずっと笑い続けた。他の患者は何も反応しない。いつものことなのだろうか。
やがて異変に気付いた看護師がやってきて、老婆をなだめた。
何らかの薬を飲まされたらしい老婆がようやく静かになってから、わたしは目を閉じた。
最悪な夫と、最悪な会社。思い出すだけで吐き気がする。もう二度と戻りたくない。
側から見れば今の場所の方が牢獄なのだろうけど、なぜかとてもほっとしている自分がいた。
どう考えても、あの世界はわたしにとって牢獄だった。
罪を償っても償わなくても、夫を殺していても殺していなかったとしても、わたしがミキちゃんのようになることはない。
次に眠るときは、ミキちゃんと友達になるのではなく、ミキちゃんの背中を追いかけるでもなく、わたし自身がミキちゃんになっている夢を見たい。
夢でいいから、どうかお願いします。そんな祈りを込めて、わたしはすぐに眠りの世界に落ちた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
まだ続きます。
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