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続・グレイシアの秘密

「ねえ、マーシュ。困ったわ困ったわ困ったわどうしましょう。わたくし、明日から、どんな顔をして生活すればいいの」


 わき目もふらずに屋敷に戻り、そのまま自室に駆け込んだわたくしはマーシュに今日、どれほど情けないことばかりが自分の身に起こったのかを、とうとうと語っていた。


「そんなつもりじゃなかったのよ、ついつい魔が差して。わたくしだってあそこにナサニエルがいるとわかっていたら、そんな付け込まれるようなことを口にするもんですか。ええ、本当に。信じられないぐらいにびっくりしたのよ。もう、驚いて死んでしまうかと思ったわ」


 マーシュは少しだけ小首をかしげながら、静かにわたくしの口から吐き出される言葉に耳を傾けている。


「本当に、恐ろしかったのよ。あのきれいな瞳の奥で、何を企んでいるのだか。……和平の使者、二国間の懸け橋になるという話は建前で、本当は我が国を堕落させ、内部から崩壊させる作戦なのかしら?」


 頭の中ではぐるぐると、ナサニエルの事ばかり考えている。今日初めてまじまじと顔を見たぐらいなのに、まるで脳裏に焼き付いてしまったのかと思うほどに、彼の記憶を振り払うことができない。


「ねえ、マーシュ。わたくしもう部屋から出たくないわ。このまま時が止まってしまえばいいのに……」


 もちろんマーシュは答えない。なぜならマーシュは人間ではなく、ただの黒いウサギのぬいぐるみだから。


 わたくしはいつからか手元にあった彼──男の子の服を着ていたから、男の子という設定で──に、日々の生活の愚痴を語って聞かせるのが日課になっていた。


 これももちろん、わたくしの秘すべき趣味の一つではあるけれど。


「わたくし、明日から、どうすればいいの? あの人が何を企んでいるのか、さっぱりわからないのよ」


 ナサニエル・ウィジェスタ・ゴードンには謎が多い。


 国交活性化のために我が国に留学してきて、とっくの昔に飛び級で学位を取得できるというのに、そのままこの国にとどまっていて、城や学問所に出入りするご令嬢はみんな彼に夢中になってしまった。


 いつからか、誰かが言い始めた。「彼の美しさはまるで悪魔のようだ」と。


 その比喩にだんだんと尾ひれがついて、彼に関する噂はどんどんと壮大なものになっていった。


 遊び惚けて女たちの心を奪う事ばかりに心血を注いでいるとか、兄王のもとに異国から嫁いできた王妃が兄であり夫である王を差し置いてナサニエルに横恋慕してしまい、そのいざこざから逃げるように国を追放された身だとか、母親が悪魔と交わってできた子だとか、産まれた瞬間から喋り出したとか、美女の生き血を吸うとか、魂を取るとか、さんざんな言われようだ。


 実際に彼が問題を起こしたという事実はまったくなくて、けれど皆、あまり彼のことを知らない。その神秘さがまたいらぬ憶測を呼ぶのだけれど、等のナサニエルは気を悪くした様子を見せないようで、問題視されてはいなかった。


 わたくしからすると男性も同性の美しさをひがんだりするのだと他人事のように思ったり、彼がいつも話題の中心だから私とルーカス様の不仲については誰も興味がないことをありがたく思っていたりした。


 そうやって平穏にあぐらをかいていたから、こうなったのよ、グレイシア。


「ああ、これはきっと、令嬢たちの噂話を咎めなかったわたくしへの復讐なのだわ」


 胸元にマーシュを抱き寄せてから天高く掲げて、わたくしは懺悔する。


 王子の婚約者として、令嬢たちの噂話や風紀の乱れを取り締まらなくてはいけなかった。来るもの拒まずに見えたナサニエルは、きっと何の対応もしないわたくしへの不満を募らせていたのだわ!


「それでわたくしの弱みを握って、小間使いのように働かせてやろうと隙を見せる機会をうかがって……」


 一度悪い妄想にとらわれてしまうと、そこからはもう、止まらなかった。


 わたくしは想像する。ナサニエルが、彼のためにしつらえられた日当たりのよいティールームで女性たちに囲まれて柔らかく微笑んでいるのを。


 噂では、彼はこの国で結婚相手を見つけるつもりだと言われていて、他国の王弟妃の座を狙うものは多く、彼の周りにはいつも女性が群がっていて、毎日のように貿易や外交の話をするサロン、という名目でお茶会が開かれていて、花に群がる蝶のごとく令嬢たちがひしめきあっているのだとか。


『氷の公女の秘密、知りたくないですか?』


 と、口に指をあてて優雅に微笑むナサニエルの姿をはっきり想像することができた。きっと明日から、お茶会ではわたくしの醜聞でもちきりかもしれない。どうしたらいいのかしら。


「あああ~……」


 頭を抱えても、今更どうにもならない。わたくしは座して死を待つしかない。


「ねえ、マーシュ。どうしたらいいのかしら」


 マーシュは使い魔でも悪魔でもないので、もちろん喋らない。でも、マーシュは一つだけ言葉を持っている。こんな時、マーシュの言葉はいつも決まっている。


「グレイシア、大丈夫。僕がついているよ」


 誰かがマーシュの口を借りて言った言葉。


「そうね」


 ぎゅっとマーシュを抱きしめる。……小さなマーシュは服の中に隠していても気が付かないだろう。あまりに心細いから、明日からマーシュも一緒に城まで連れて行こうか……。


 そんなことを思案していると、コンコン、とノックの音がした。


「グレイシアお嬢様、ご夕食のお時間です」


 もうそんな時間かと時計を確認すると、確かに、いつもと同じ、十九時きっかりの、夕食の時間だった。


「……ええ」


 食事を摂るような気分ではなかったけれど、欠席しては家族に何を言われるかわからなかったので、わたくしはのろのろと起き上がった。

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