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ナサニエルの提案

「な……」


 あまりのことに声が出せずに、わたくしは陸に打ち上げられた魚のようにぱくぱくと口を動かすことしかできない。


 夕暮れの光に整った顔を惜しげもなくさらしているのは、間違いなくナサニエルだ。


 ……終わった。終わった、終わった、終わった。わたくしはもう、おしまいだ。よりにもよって他国の王族に醜態をさらしてしまうなんて、末代までの恥だ。


 今までずっと頑張ってきたというのに、今更こんなばかばかしいことで世間の評価を失ってしまうなんて、なんて愚かなのか。それこそ、悪魔にそそのかされたとしか思えない。


 にまにまとわたくしを見下ろしていたナサニエルはすっとひざまずき、わたくしへ手を差し伸べた。


「初めまして、グレイシア。参上つかまつりました、あなたの悪魔です。気安く『エル』とお呼びください」


 悪魔です。と名乗った瞬間をほかの人が見ていたならば、あるいは信じてしまうかもしれなかった。

 彼はそのぐらい、ふざけた発言をしていたとしても堂々として見える人だから。


「……お戯れは……おやめください」


 ナサニエルの不真面な、こちらをからかうような言動にほんの少しだけ冷静さを取り戻して、やっとのことで言葉を紡ぎ出すことができた。


「おや。なんだか、呼ばれたような気がしたのですが。俺の勘違いでしたか」


 ナサニエルは心底あてが外れた……とでも言わんばかりに、立ち上がって肩をすくめてみせた。どうやらあくまで自分は通りすがりの悪魔だという設定で押し通すつもりらしい。


「わたくしが行っていたのは……悪魔召喚の儀式では……ありませんわ。ですから……」


 最低限、事実と違うところだけは修正しておきたい……と思うが、彼の紫水晶の瞳はきらきらと輝いていて、たまたま見つけたおもちゃに対して興味深々……と言った様子で、そう簡単には解放してくれなさそうだった。


「おや。あなたのような真面目な方まで、俺が悪魔のような男だと噂話が届いている?」

「申し訳ありません、ご自身で『悪魔だ』と自己紹介されましたので」


「改めまして。ナサニエル・ウィジェスタ・ゴードンと申します。気安く『エル』とお呼びください」


 ナサニエルはご丁寧に自己紹介をしなおして、にこりと微笑んだ。わたくしの顔は引きつったままだ。


 ──呼ぶわけが、ないでしょう!


 とは、名乗りを上げられた今となっては、口に出すことができなかった。


 非常にまずいことになった。隣国の大貴族、ナサニエル・ウィジェスタ・ゴードン……身分は公爵、現王の弟で、そして……あだ名が「悪魔」。


 別にルーカス様の肩を持つつもりは毛頭ないけれど『アイツは悪魔みてえな男だよ』と忌々しそうに吐き捨てていたのが印象的だ。いえ、大方ルーカス様が悪いのだろうとは思うけれど。


 とにかく、間違いないことは二つ。「彼は身内ではなくて」「油断ならない相手に、わたくしは隙を見せてしまった」のだということ。


 使い魔を召喚するおまじないをしたら、あだ名が『悪魔』の男が出てきた。なんて、気の置けない友人がいたら笑い話にもなるだろうけれど。


 ……残念ながら、わたくしは一人だった。


 ぎゅっとスカートのすそを握ると、ナサニエルは笑うのをやめた。


「俺のことは、そうですね……森にいるウサギか何かだと思っていただければ。あなたに危害を加えることは、決していたしません」


 その言葉だけは真剣に聞こえたので、本心なのだろう。


「精神的には、結構な被害を被ったと言いたげですね」


 思っていたことを言い当てられて、ぎくりとした。


「……そんなことは、ありませんわ」

「ではお傍にいても?」

「それはだめです」


 このまま二人でいるところを誰かに見られでもしたら。それこそ明日から、屋敷から出られなくなってしまうだろう。


「もうじき日が暮れます。城内とは言え、薄暗い図書館棟に一人でいるのは心配で。お見掛けして、ついてきてしまったのです。なので、このままついて行こうかと。お送りします」

 

「いいえ、馬車を待たせておりますので。……ところで、なぜわたくしのことを?」


 この男はそこまで暇を持て余していたのかと、ふと疑問に思った。それに、ろくに会話をした覚えもない。


「その美しい銀髪。故郷にはあまりおりませんので、ついつい目で追ってしまうのです」


 平気な顔でしれっと心にもないことを口にして、女たちの気持ちを奪うだけ奪ってもてあそぶから悪魔だといわれるのよ、と言い返してやりたいけれど、できない。

 

「とは冗談で。才女の誉れ高いグレイシア嬢のことぐらい、知っていてしかるべきでしょう。そこにグレイシア嬢は悪魔をご所望されていると聞いて、ならば、自分が口を挟まない理由はないかと」


「所望しておりませんわ」

「めちゃくちゃにしてほしい、というのはそれこそ悪魔にしかできない所業では?」

「べ、別に、そんなつもりではありません……」


 本当にそんなつもりではなかった。もし、この事実が曲解されて、わたくしが王家に対し叛逆の意ありと解釈されてしまったら……困る。本当に困る。

 

「では、具体的には使い魔にどのようなことをお望みで?」

「ナサニエル殿下には関係のない話です」

「そうとも言えません」


 ……関係、ないでしょう。こんなにも困っているのに、どうしてこの方はとことん絡んでくるのか。……いいえ、自称悪魔だったわね、そう言えば。


「まあ、詳細はなんでもいいんです。とにかく、この俺があなたに仕えましょう」

「……はい?」


 思わず、間抜けな声が出てしまった。我が国と隣国は対等な関係……と言いたいところだが、残念なことに、相手方のほうが国力が上なのだ。


 王位継承権を持つ王弟が、他国の公爵令嬢に仕える、だなんてことはありえない。


「俺があなたの代わりに動いて、グレイシア、あなたの願いを叶えてさしあげる。かわりに……」

「かわりに?」


 ついつい相手のペースに乗せられて尋ねると、ナサニエルはすっと手を伸ばしてわたくしの髪の毛を一房、指にからませた。


「俺の願いをかなえていただく。例えば、あなたを奪い取って、我が国に持ち帰る、とか」


 ……からかわれて、いるのだわ、わたくし。


「……あ、ありがたいお申し出ですが……ご遠慮させていただきますわねっ!」


 ナサニエルの手を振り払い、すっとドレスのすそをひるがえして、わたくしはほとんど逃げるように、その場を立ち去った。


 ……ナサニエルが後を追ってくることは、なかった。


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