氷の公女と浮気性な王子
「グレイシア。お前の誕生日パーティー、所用があって参加できなくなった」
予想通りの言葉に、特に驚きはなかった。
「そうですか、了解いたしました。殿下はお忙しいですから、わたくしのことなどお気になさらず公務にお励みください」
わたくし、グレイシア・リーヴズ公爵令嬢の婚約者であり、この国の第一王子であるルーカス殿下は深いため息をついた。気のない返事が癪だったらしい。
目線を上げると、わたくしを見下ろすルーカス様のお顔は苦虫を噛みつぶした様に歪んでいた。
「……グレイシア。お前って本当に、つまらない女だよ」
「はあ」
誕生日パーティーに来る事が出来ない、と言われて「はいわかりました」とお答えした、それの何が悪いのか。
同じ内容だったとしても、大げさに傷ついたり、悲しんだり、それともちょっとぐらい嫉妬する様子を見せれば、あるいは彼の機嫌は少し良くなるのかもしれない。
「申し訳ございません。生まれつきの性分ですので」
なーーんで、わたくしが、あなたの機嫌を取らなくてはいけないんです? そんなねえ、どうせ意中のご令嬢であるリーサ様に「私、ルーカス様がグレイシア様のところに行ってしまうと考えただけで胸が苦しくなって……」とかなんとか言われて、あちら側によい顔をしつつ、わたくしをからかって遊ぼうと思ったのでしょうけれど。そうは問屋が卸さない、とはこのこと。
わたくしはルーカス様の婚約者ではあるけれど、彼の言動にいちいち気を取られて、我を忘れるなんてことはしない、たとえ何を言われても。
「お前って、本当に面白くない女だよ。『氷の公女』とはよく言ったものだ」
氷の公女、というのが世間一般のわたくしに対するあだ名だ。銀の髪にブルーの瞳。そして私はどうやら真面目すぎるし、愛想がとことんないらしい。それがルーカス様には大層お気に召さないそうだけれど『将来の王妃としてはどっしりと構えていた方がよい』と国王陛下には太鼓判を押されているから、直すつもりはない。
「申し訳ありません」
わたくしの唇は二回目の心ない謝罪を口にする。こういう時は、話を切り上げるために素直に謝っておくに限る。
「……グレイシア。お前は王子の婚約者の座にあぐらをかいて、愛される努力を怠っている」
それって、お互いにではないですか?
と言い返したいのをぐっとこらえる。謝罪の為に俯いていて本当によかった、頬の筋肉が引きつっているから。ルーカス様には一体、誰のせいでこんな性格になってしまったのか、胸に手を当ててよーーく考えていただきたい。
「なにか改善点がありましたら、リーヴズ公爵家を通して教えてくださいな」
十七時を告げる鐘が鳴った。
「それではルーカス様。わたくしは次の用事がありますから、お先に失礼いたします」
「おい……!」
すっとルーカス様の横を通り抜けながら中庭に目を向けると、桃色とクリーム色のフリルの端っこが生垣の端から覗いていた。リーサ様のご実家の経済状況がよろしくないからと、殿下が購入されたと噂のドレスの特徴と合致する。
どうやらリーサ様は……わたくしがないがしろにされて悲しむのを、こっそり観察しようとしていたらしい。時間に余裕があって羨ましいことだ。
わたくしがあまりにもつまらなさすぎるせいか、殿下はこのごろ男爵令嬢のリーサ様にご執心で、真実の愛がどうだのと、近しい人に語っているらしい。けれどリーヴズ公爵家は大貴族だ。いくら王子と言えど、未来の王妃たる私をないがしろには出来ても、婚約破棄などできやしない。
だから向こうはわたくしを煽り、なにか不祥事をしでかさないかと、ことあるごとに怒りに火を付けようと画策している。
けれど、問題はない。
そのようなつまらないことに付き合うつもりはない。わたくしが目指すところは高貴で真面目で瑕疵のひとつもない完璧な令嬢だから、目くじらを立ててヒステリックに振る舞ったり、反対に自信をなくしてオドオドするなんてこともしない。
わたくしはただ、何もしない。
口にするのは必要最低限、それだけ。下手に長く喋ったり、ましてや注意するだなんてことをしたら、あの二人に揚げ足を取られかねない。
だからわたくしは静観を決め込んでいる。
公爵令嬢として産まれてしまったからには、結婚に夢を見てはいけない。殿方の気持ちは移ろいやすいもの、と本には書いてある。だからリーサがわたくしの生涯の不倶戴天の怨敵か、と言われると、それはまた違うのだろう。
彼女を退けたところでまた次の愛人が登場するのだから、気にするだけ無駄なのだ。
曲がり角を曲がって、深く深呼吸をする。気にしては、いないつもり。大丈夫、大丈夫。わたくしはきちんと義務を果たすことができる。
ルーカス様との婚約は亡きお父様の遺言で、国王陛下との約束だ。だからわたくしには味方がいる。このまま頑張っていればよい。一体いつまで頑張ればいいのかなんてことは、今は気にすることではない。
ぶんぶんと、重くなってきた頭を振る。たとえ気持ちがなくても、気の合わない人と一緒に過ごす未来を想像するだけで具合が悪くなりそうだ。でも、わたくしはこの宿命から逃れることができない。
「ああ……そうだ。久し振りに、あそこへ行きましょう」
スカートの裾をつまんで、足早に外廊下を歩く。王子と一緒にいないわたくしに注目している人なんて誰もいないはずだから、少しぐらいお行儀が悪くたって、誰にもばれやしない。